テレビでは、東京スカイツリーから見る満開の桜が美しいとの報道があり、

地元警察での申請手続を昼過ぎまでに終え、実家近くのマッサージ屋を経由して

京急で押上まで足を延ばした。


18時からは、定年まで勤めた会社の同期会が日本橋であるので、それまでの時間つぶしと

いった趣で、東京スカイツリーから業平橋、そして隅田公園へ歩を進めた。


みなとみらいのラウンドマークタワーには、貧者、弱者とを隔絶し、階層的光と影を際立たせるが

東京スカイツリーにはそうした威容も感じさせない。田舎者の成り上がりの可愛さが伺える。


三菱と東武の違いと見てしまえばそんなことであるのかもしれないが、変な突っ張りも、

貧者や経済的弱者を落ち込ませる敷居の高さも伝わってこない。


近代的な建物として存在はするのだが、東京の下町に位置するためか貧者や弱者の希望の

星であるのかもしれない。そうしたシンパシーを抱かせてくれるのだ。




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ソラマチもタワーもオープンしていないのだが、この物体は人を呼ぶと勝手な確信を持って

しまうのだ。栄える商業施設の要件を備えていると直感さえ与えてくれるのだ。


そんな元百貨店マンの感性を弄びながら、満開の桜咲く隅田川、隅田公園へ引き込まれる

ように前に前にへと前のめりになりいながら歩を強めた。


向島から浅草方面に向かうために横断するための隅田川に架かる橋を言問橋とという。

東大本郷から根津辺りへ下った道が言問通りだったが、あの道の先に言問橋があったことになる。



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満開の桜と交差する東京スカイツリー



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隅田公園の桜が、テレビで何度も取り上げられている。見参したのは今日が初めてである。

月曜日であったが、土日の余韻も残ってか多くの人々が桜を愛でては祝杯を交わしている。



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そして隅田公園に集った人々は、浅草寺方面に流れていく。




浅草寺へ通じる仲見世を巡り、アジア、欧米と世界の人々が行き交い、日本の価値を

照り返すように浮かび上がらせる。



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浅草寺を抜け、花やしき方向へ、個性的な出店が並ぶ。




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桜が馴染む日本の風景もまた、進化をつづけているようだ。



4月8日の日経春秋を取り上げて桜批評でもと洒落てみようとしたのだが、意図した展開に

はならなかったが、ここで〆たいと思う。


●日経春秋(4月8日付け)

http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE6E2E0E4E2E7E2E2E2EAE2E6E0E2E3E09F9FEAE2E2E2;n=96948D819A938D96E08D8D8D8D8D




明日のことですが、19時から東京都大田区蒲田にある日本キリスト教団蒲田教会にて
ペルー人を主宰者とする劇団セロウアチパによる雨にもマケズをモチーフにした
「アメちゃんの一生」と題する寸劇が上演されます。

劇団セロウアチパは路上演劇手法によるスペイン語と日本語をミックスした劇です。
日本語はもとより、スペイン語の分る人にも理解できるように組み立てられています。

私も端役ですが出演します。お時間の許す方、どうぞお立ち寄り下さい。上演後、出演者
との交流茶話会もあります。


場所はJR蒲田駅と京急蒲田駅から徒歩で5分。川沿いの蒲田小学校正門前です。

日本キリスト教団蒲田教会蒲田教会  ☎03-3732-1796



日曜の午後4時からは、蒲田教会で劇団セロウアチパの演劇ワークショップがある。
追悼式典の冒頭をテレビで見ていたため、教会に到着した時は30分ほど経過していた。

先に来ていたメンバーは先週も加わっていた4人、しばらく欠席していた後2人が
6時以降に加わるというセロウアチパ式の集い方が今日も同様にあった。

「アメニモマケズ」のYouTubeバージョンを観たあとは、セサル池田から次回の
劇のシナリオについての主役の配役の提案があり、いくばくかの意見の交換があった。

帰りがけにセサルの提案で蒲田駅西口のドンキホーテの隣のビルの地下にあるサイゼリア
でビ―ルを呑み、軽い夕食をとることになった。

ところで、先週の月曜日に立ち寄った「ニ―ハオの餃子」を販売する告知のバーナーが
ドンキーの店の前に置かれていたのを目にしたのだが、それほどのものだったのかと
怪訝な気持ちを抱いたりもしたのだ。

メニューのスパゲッティの中で一番安いペペロンチ―ノ(299円)をサラダセットにし
一番搾りの生ビールと赤のグラスワインをおかわりして1080円だった。

実は、前日に前の職場のメンバーと茅場町で久し振りに落合い、DEICHIBAで
赤ワインのハウスボトル2本と窯ピッツア等で久々の談笑に高じたのだが1人当たりの
値段は数倍した。

そんな落差さえも楽しみながら、今宵の一時に満足感を覚えるのであった。

帰宅の経路は、多摩川線で多摩川駅、自由が丘、溝口を経由して青葉台へ。かろうじて
最終バスに間に合う綱渡りであった。

その間、お酒の力を借りてTwitterを打ち続けた。

3.11の日経朝刊の文化欄は辺見庸さん。影の行列と目に刺さる星々と題する随筆が
掲載されている。大震災は過去なのだが、あの影の列は、未来の絵に思えてしかたがない。
瓦礫の原をさまよう徒刑囚のように疲れ切った人たちの細長い群れをそう喩えた。

1人また2人と地からわくようにでてきた。あのような人びとをかつてみたことがない。
石巻の老いた友人はつぶやき、そして、原爆投下後の絵なら似たような風景があったな
とつけくわえた。辺見さんは2011年の地獄絵にこだわるのだ。

どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑はないと芥川龍之介
の羅生門のくだりを、辺見さんはひとりごちとして紹介するのだが、秋葉原事件にパンデ―
ミックな世界を解き明かした上で、自らの生地の大震災の中で追い込まれた人間のモラル
の根っこの揺らぎに言葉を失う。

辺見さんは、友人の言葉を借りて、モラルの根っこのぐらつきを語る。かわたれどき、
死者の服の内ポケットに現金がないかからだをまさぐる影。硬直した骸の指から無理やり
指輪をはずしている男。生きた影と死んだ影が絡まり合う。

悦び、悲しみ、無念、おどろき、慚愧、不思議の感情が胸にいくえにもあざなわれて収拾
がつかなかったと、辺見さんは終始、友人の言葉として、大震災の現場で起きていること
を友人に重ね、また、第三者の眼差しで伝言するのだった。

辺見さんの大震災の現場での実況中継は続く。食べ物の欠けらまで分かちあい、女性、
赤ん坊、老人を大切にする慎みが保たれつつも、疲労と不安と緊張の連続で、みな心の
堤防は決壊していた。避難所の学校では花見のように酒盛りが始まり、わずかな食べ物に
並ぶ人びとに配食係が食いたければ並べと叫ぶ。

辺見さんは、友人の言葉を更に続け、避難所の外で震えながらトイレの順番を待っている
と、見上げた空に目に突き刺さるほど近くに銀色の星々があったという。友人の生涯で
もっとも美しく、もっとも沢山の星々がにぎやかな闇夜に降り続けていたと。

こうした友人の見た大震災の現場の情景を受けて、辺見さん自身が舞い降りる。死者たち
の星々。果てしない命の生滅、それを見たくて、辺見さんは石巻に行き、夜を待ったと
吐露される。辺見さんの育った海辺の街はごっそりとけずられて消えていたが瓦礫の原を
黒い影の行列の気配を感じたという。

辺見さんが喩えた影の行列と目に刺さる星々。生者と死者。生者のどん詰まりの果ての
生き様、死者となりて輝きの人となる因果。そして死者の切れ切れの声。辺見庸のふり
しぼる奏でに耳を傾けることこそが3.11の意味を解することだと思わずにいられない。


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午後2時からの開港記念館で行われた「行政書士記念日」市民公開講座に出席した。

講師は、司法試験塾として有名な「伊藤塾」の伊藤真先生。


先生は行政書士と憲法~国民の権利実現に貢献する行政書士の社会的な役割との題目の下、

パワーポイントに沿いながら、いつもながら名調子を発揮される。


行政書士実務における憲法の位置づけを踏まえながら、全ての人々の権利、人権を擁護する

仕事、平和であってこそ実現できる仕事であることに行政書士の職務を規定する論調にみられる

ように人権と平和を直結させる憲法の伝道師らしい論理が次々と展開されていくのであった。


法律家としての行政書士は社会において市民としての役割を果たして一人前のプロといえるので

あり、依頼者を救うには社会の矛盾に立ち向かわなければないとまで言い切られた。


小職が志す「社会派行政書士像」が、伊藤真先生の言葉によって明確化されもするのであった。


そして、覆いかぶせるかのように憲法を学ぶことの意味として人の不幸につけ込むことができる

仕事だからこそ、自らを律することと


国家から独立した法律家として、市民の権利擁護と 何かに従い、依存するのではなく、自らの

価値観で判断できるようになることを求められた。


引き続きお話を伺いたかったのだが、休憩に入った際に抜け出し、

17時から始まるエネシフ勉強会の会場である永田町の衆議院第一議員会館に向った。


本日のエネシフは、冒頭20分を小島青山学院教授から 1 原発の稼働状況・再稼働の動き 

2 価格等算定委員会同意人事案件の動き 3 原子力規制庁の動きについての情報提供の後、


自社のサイトで「原発に頼らない安心できる社会へ」と脱原発宣言を発した城南信用金庫理事長

である吉原毅さんから「未来を選ぶ金融」についてのお話を伺う機会を得た。



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信金のトップを張る風情は一切見せず、株主のためでなく組合員のための経済活動を旨とする

協同組合としての立ち位置を意識し、中小企業の健全な育成発展・豊かな国民生活の実現・

地域社会への奉仕という経営理念を前面に出して、脱原発を標榜する正当性を強調されるので

あった。


原発のストレステストについても、米国の投資銀行が何度も何度もストレステストを受けながらも

倒産が続いたように多くの金融マンはストレステストなどは全く信用していないことをさらっと言い

のける。


信金が社会に役立ち、助け合いの組織である協同組合の観点から、ヘッジファンド等の国際金融

の動きをグローバリズムという市場原理主義、強欲資本主義と切り捨てる。


反原発・脱原発の主張と共に、広瀬隆・小池裕章・武田邦彦という名前がポンポン発せられ、

また、エネットへの評価やトヨタの東北工場での自家発電化、日本製紙の原発1.5個分の自家発電

施設など産業界にも脱原発への動きが顕著にあることも押さえた発言もされる。


金融問題の先送りは不良債権への道筋となるように、原発の先送りも必ずや不良債権化し取り返し

のつかない事態に陥ることを警告されながら、


女性は将来を考え、自分を超えたものを意識し、時間を超えた連帯が可能なペースペクティブな見方

ができる存在だとのな洒脱な発言やそれに対して、若い男性が自分はどうしたらペースペクティブな

見方ができるかと質問すると結婚すればいいと答えるなどの軽妙な会話も光る。



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途中から参入されたおとき(加藤登紀子)さんも、吉原理事長に向って、城南信用金庫へのシンパシー

も強まり、千葉にも支店を出せないかとの話を持ち出したり、他の信金は追随しないのかとも詰め寄る。



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吉原理事長も、他の信金については、最初は言葉を選びながら慎重な言い回しを通していたが

最後には、他の信金も脱原発を明確にするよう自らが働き掛けると断言する場面も生じた。



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吉原さんと同窓で専攻が同じだというマエキタミエコさんは、財政学の観点からも再稼働すると

税金の投入は減るのかといった問いを投げかけたり


司会進行を兼ねている小島教授は、水俣の教訓から福島が見えてくるという。


原発の受入れが雇用と税金目当ての企業城下町化しているように水俣もチッソの城下町であった。

政府がチッソを生き延びさせたのも補償金の担保であったように東電にも同様の政府の対応が

見えている。東電をつぶして国が前面に出ることは絶対に避けることは水俣の事例で明らかだと

小島教授は〆の言葉とされ、2.26の東京ウィメンズプラザホールでの「水俣病の教訓を次世代

に伝えるセミナー」の広報をも忘れないのだった。


吉原理事長の脱原発が金融業界はもとより、産業界への影響力がさらに広がることを期待して

ブログを了としたい。



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 カトレアプラザ伊勢佐木 24年2.8オープンへのニュースリリース

http://www.j-front-retailing.com/pdf/ download.php?news/cattleyaplaza20111104.pdf


テレビでも取り上げられていたので、産業貿易センターでの研修帰りに、立ち寄ってみた。


ガードマンが所々に立ち並ぶが、1階正面からスムーズに入り、ありあけハーバー、濱うさぎ、

崎陽軒、勝烈庵と横浜定番の商品の並ぶコーナーと賑う食品スーパーを横目に通路を進んで

いくと裏口にでてしまった。


案内に立つ女性にワンフロアなのかと問うと、2階と3階への行き方を教えられ、正面玄関口に

再び戻り、エスカレーターで2階、3階へ上って行った。


一部に見覚えのある店はあるものの、ほとんどが知らないチープな店ばかりが並ぶ。


旧横浜松坂屋の跡地に、出店した「カトレアプラザ伊勢佐木」


「横浜らしい暮らしを再発見できるライフスタイルセンター」とのことだが、ありあけ、濱うさぎ、

崎陽軒、勝烈庵を並べて横浜を語り、名も知らぬ安売り屋を並べて、伊勢佐木モールに少ない

値頃感のあるカジュアルファッション、雑貨、サービスをもってライフスタイルセンターと称する

傲慢さに何をか況やであり、口あんぐりであった。


2階の壁伝いにゆずのフォトを飾り、モニターでゆずのシーンを放映。

ゆず伝説は横浜松坂屋前での路上ライブから始まったとことは有名な話だが、そのエピソード

だけに乗っかった安易な企画が鼻につくのだった。


横浜松坂屋へのノスタルジーへの依拠と横浜の名店を並べただけの薄っぺらでしかないと

思わせる横浜なるもの、そうした余りに安直な手法が目に付きげんなりする以外になく、

ライフスタイルセンターの核である食品スーパーを巡ることなしに退散したのであった。


横浜商業圏にあって、黄昏枯れる商店街と化した伊勢佐木に、商店街の歴史を彩ってきた野澤屋

をルーツを持つにも関わらず、カトレアプラザ伊勢佐木にはイセザキモールの隆盛に向けた気概

も使命感も全くと言って感じられないのだ。


どうもカトレアプラザ伊勢佐木には地元を知る者が関与してしているようには見えない。Jフロントの

子会社・大丸コム開発の大阪人の仕業でしかないのではないかと思ってしまうのだ。


大丸コム開発のメセージにはディリーニーズに対応し、地域の賑わい創出に貢献するとあるが、

そのための手法が、従来顧客のノスタルジーに乗っかったものでしかないのならJフロントそのもの

の力量も透けて見えてしまうのだ。


野澤屋に始まり、横浜松坂屋へと繋がり、そしてカトレアプラザ伊勢佐木の帰結に、百貨店の没落

と崩壊と溶解への道筋がくっきりと浮き上がりもする。


食べたくないものを食べた食後感を払しょくすべく、しばしイセザキ辺りを彷徨い、

曙町から横浜橋商店街へとイセザキモールを足早に歩を進めるのであった。


いつしか見たマーサの自由帖http://ameblo.jp/mymytsuburi/ というブログに掲載されていた横浜の

下町にある中華料理店を思い出し、野毛の「泰華楼」にするか酔来軒にするか迷った挙句、野毛と

反対の方角に歩いていたこともあり、横浜橋を目指したのだった。


酔来軒はアーケードのある横浜橋商店街を通りぬけた先にあった。


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お店の名前を冠した酔来丼(400円)を注文。


酔来丼にある添え物として勧められたのがワンタン(200円)だった。


ついでにビールの中瓶(600円)を追加。


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ブログマーサの手帖ではチャーシューがいつも取り上げられていたので

酔来軒一押しの酔来丼を求めたのだった。


ご飯の上には、チャーシューとネギ、しなちく、もやしがのっていて混ぜて食べるだと教えてもらう。


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目玉焼きの黄身を崩して混ぜるのだ。


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後から、一人で入ってきた女性は酔来丼のみを注文。


座敷ではカップルや酒が進んでいる男性客が陽気に振る舞っていた。


新規の私には勧めてこなかったが、常連客と思しき人に、店の男性が一升瓶の浦霞を抱え

金持ちの飲む酒だといいながら勧め、東電のえらいさんが置いていったものだと明かすのが

聞こえてきた。


仙台の大学院で学ぶ長女に連れて行かれた塩釜の鮨屋で呑んだ浦霞の味がが忘れ難く、

手を上げて頂こうと思ったのだが、一見の身ゆえ押さえたのであった。


カトレアプラザ伊勢佐木の口ゆすぎの意味で立ち寄った横浜の下町中華料理店でのささやかな

出来事に心が弾み、昔昔曙町辺りのスナックで呑んだことを思い出しながら、夜の寒空を、しばし

周辺を彷徨ってもみたのであった。


その後、運命のいたずらか長者町の同業の先生の事務所辺りで遭遇し、呑みにお誘いした上で、

しばらくご無沙汰の馬車道の19th倶楽部に向ったが、クローズしていたので、桜木町駅に近い

「横浜ビール驛の食卓」へと出向き、オリジナルビアを片手にと蘊蓄ある肴をつまみながら歓談の

時を得たりもした。


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2月11日が土曜日であることは自覚しつつも、建国記念日の祭日であることの自覚がない中で

横浜駅東口からみなとみらいを地区を横断して、ADRの研修場所である産業貿易センターへ

いつものように闊歩した。


10時から17時までのフルに実施されたワークショップ型研修。昼は200円になったビックマック

とコーヒー計300円で済ます。


30年前ビックマックの文字通りのビックさに驚嘆して頂いたものだが今日のビックマックはそんな

感動を与えることなく100円マックがダブルになっただけのものでしかなかった。


しっかりと利益を上げるマックの経営の内実が、世界標準価格の比較指標として使われるビックマック

からも伺えるのだった。


研修終了後、ご一緒した先生とお茶をし、イセザキモールへ、酔来軒でB級グルメ、横浜の新進起業家

が経営する「横浜ビール驛の食卓」の好感度なナビゲーター女史のおもてなしに感服。


マーケトシーズのいっぱいいっぱい詰まった建国記念日であった。






福島瑞穂事務所から、昨年の「大逆事件100年後の意味」と題した院内集会に参加し
た縁により、「101年目の大逆事件の会」のご案内を頂いたので、成年後見案件で
横浜市旭区にあるグループホームを訪問する予定の中、永田町を経由して出かけることに
していた。

前日の夜半から首都圏にも雪が降り積もりダイヤの乱れが予想されるために早めに出かけ
ようとした矢先、グループホームから電話があり、館長の体調不良のため、訪問の延期
が求められた。

そのため、同伴する役所の担当者と他の日時の都合を確認する等慌ただしいひと時を過さ
ざるをえなくなってしまった。それでも会開始の30分前に参議院議員会館に到着し、
議員食堂で温かいおそばを食することはできたのだった。


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国会議事堂


国会議事堂辺りには、未だ名残雪があり、寒さも視覚的に伝わってくる。


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残雪

開会の挨拶に立った福島瑞穂社民党党首の元気な趣旨発言の後、
スピーカーの田中伸尚さんから、国会内でこうした催しをする意義が強調され、鎌田慧
さんからは政治裁判の側面から国策捜査が100年たっても変化が見られない実情の指摘
がなされ、大岩川嫩さんからは断罪されたのは行為ではなく思想性であり、思想裁判で
あったことが訴えられた。

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大逆事件

リレートークでは、民主党橋本勉衆議院議員が死刑廃止の観点から冤罪事件の危険性を唱え、
「大逆事件の真実をあきらかにする会」の事務局長・明大副学長の山泉進さんは会の出版物
の宣伝や、NHKで幸徳秋水・堺利彦の特集番組が29日放映される情報の提供を行った。

日仏会館研究員のクリスチ―ヌ・レビさんからは国家が犯した犯罪という歴史的事実の真相の
解明への期待が述べられ、横浜事件の第三次再審請求人・木村まきさんの発言や、
監獄人権センター事務局長(弁護士)から死刑執行の停止を求める緊急市民アクションの
呼びかけなどもあり、2時間ほどの会が終了した。

その後は、いつものながらの行動様式に則り、官庁街、日比谷公園を抜け、銀座方面へと
向かう。されど今日は、ヒューマントラスト有楽町のあるイトシアに直行しようと、逆に
国会図書館から国会議事堂の塀伝えに進み、憲政会館の前を左折し、景観を楽しみつつ、
残雪が眩しい坂道をゆっくりと下った。

ペニンシュラ前の交差点を渡り、有楽町マリオン前の交差点の信号で思いのほか待た
される。私服警官の姿も眼につことから、相当な重要人物の警備だと察せられた。

確かに、目の前を2台のオートバイに先導された車が何台か通り過ぎた。その中に
天皇陛下が御手を振りながら、窓越しから微笑みかけられる御姿が目を捉えたのだった。

議員食堂での食事の際に、天皇、皇后両陛下のご到着を知らせるマイク放送を聞いたが、
第180回国会開会式のおことばに次いで、有楽町朝日ホールにて、国立がん研究センター
創立50周年記念式典へのおことばのお帰りでの出来事だったようである。
時刻は14時30分近くではなかったかと思う。

園子温監督作品「ヒミズ」は14時45分から上映。

「ヒミズ」とはモグラのことだそうだ。原作は古谷実の漫画だが、その漫画の存在を知る
由もない。かつて日経夕刊の文化欄で園監督が、3.11を契機に自己の作品の転換を
語っていた記事を思い出すが、それが「ヒミズ」であったことは、私の中では繋がっていない。

もともと、映画を見るまでは「ヒズミ=歪み」と思っていたくらいなのだ。

3.11以降の青春映画とうたわれても中学生の純愛物語に思い入れるものがないので
しらっとしかなりえない。また、園子温ワールドの魅力はストーリー立てにある訳ではない。

何だか説明のつけづらい感情の爆発の仕方にある。これまでもかと突っ込む表現にある。

ご本人も語っているように、

・「退屈でつまらない日常が続くだけの日本でしかなくなった。」
・「一日一日が非日常 終わりなき日常を暮らす。暮らさざるをえない若者たち。」
・「新たな絶望、その絶望だけではもうやっていけない。」
・「この非日常を生きるための術を!」

との認識に立って

「若者の絶望、悲しみを叙情的描いたという映画」
「人間とはこんなもんだよという絶望的な姿を丸裸にするような映画」

園子温は、絶望よりも希望を持たざるをえない状況として、
3.11以降の日本社会を捉えるのだ。


キャスティングでは、染谷将太とニ階ふみが秀逸だ。ベネチア映画祭でW新人賞を
受賞したというのも、極めて納得がいく。

常連の役者の中では、渡辺哲、でんでん、吹越満、神楽坂恵、黒沢あすかなどは前作程の
良さが発揮できる場面も少なくあった。

染谷と二階が突出した存在感を放出していた。それが映画の全てといってもいいだろう。
脇もそうした役回りをしっかりと自覚した動きだったようにも見えるのだ。

スリ役の窪塚洋介の演技も捨てがたくあった。

園子温監督作品「ヒミズ」の意味合いや、3.11以降なるものの意義をもう少し解明
したくもあるのだが、

今月の13日の日経夕刊のシネマ万華鏡で、白井佳夫氏が、その通りと思わせる筆致で
言い当てている文章があり、

以下、抜粋してブログを終えたいと思う。

・漂流する価値観喪失の時代の日本で生きる、いわば中学生のロミオとジュリエットの
ドラマである

・前2作「冷たい熱帯魚」「恋の罪」のように、過激な血みどろシーンやサディズムの
シーンなどが、単眼的にそれ自体で完結してしまい、日本の風土から浮かびあがってし
まっているような不自然さは、ぎりぎり回避されている。

・その原因は、この映画が背景にリアルにとりこんだ大震災後の東北の惨状のリアリティ
というものだろう。

・それと、何人もの人間の死の悲劇を経てもなお自分たちは生きていかねばならぬ現代日本
のロメオとジュリエットと、それを核にして大きく拡がっていく、複眼的な人間集団ドラマ
の層の厚さであろう。



卒寿の母の住む実家で、
ささやかな身内の新年会に二日続けて参加することが2012年の幕開けとなった。

31日に中途半端に酒を飲み、早寝となったためか、1月1日午前3時頃に目が覚め
流れで「朝まで生テレビ!元旦SP 福島で考えよう原発事故からの復興!!」を見る。

Twitterも田原総一郎の独善的な進め方に批判のつぶやきが続いていた。
また、3.11以降、東日本原発震災に呟いていた人々が重ねて発信されてもいた。

記者クラブ批判に舌鋒鋭い、上杉隆氏は、野田首相が原子炉が冷温停止状態になり、
事故収束への工程表のステップ2の完了を宣言したように、政府の原発震災の幕引き
を図らんとする動きをけん制するものとして「朝生」の意義づけを指摘した。

参院予算委員会で、地元福島出身で小気味のいい質問をされる自民党・森まさこ氏も
政府の対応の不適切を指摘するのだが、田原流捌きで党利党略批判は止めろと反撃を
食う始末だ。

肝心の与党民主党議員は、同じく地元議員だが名前も思い出さないほどに、希薄な
存在感しか示せていない状態で終始していた。

反原発の顔となった俳優の山本太郎氏や元東電社員であり、原子炉勤務の経験もある
拉致被害者の会の蓮池透氏など、多彩な参加者と、福島の住民の発言を得ながらの
進行で、福島の現状は、政府の施策と同心円に無いことが顕わにされていった。

テレビのスィッチを入れてしばらくすると、オウム真理教の平田信出頭、逮捕への
テロップが画面に現れ、テレビ朝日のキャスターが番組を割って、その情報を伝えた。

原発震災についても、何ら真実の解明がなされてない一方で、
同じく判然としないオウムの一連の事件に関与していた教団幹部が、13人の死刑
判決と5人の無期判決が下され、一定の決着がつけられてきた矢先での平田容疑者の
出頭に、社会的な仕掛けの動きを感じてしまうのだった。

メディア情報の継ぎ合わせだけでは真実を知ることができない。

元旦早々の二つのモニュメントが、2012年という時代を解き明かすランドマークに
なるのかは解らないが、二つのモニュメントに込められている背景が臭うのだ。

行政改革、公務員削減、議員定数削減を公言し、
増税、増税と加速しだした野田どじょう内閣。
TPP、普天間はどうするのか?

ビジョンや方向性を明確に指し示すというよりも、既成事実の積み重ね、直近の党内
力学のバランスを見ながら、結局はアメリカの思惑に沿っていく。自民党政権との違い
が見いだせない、その政治手法は官僚主導が故なのだろうか?

日経新聞の元旦号には触発されるものなく、
テレビではNHKETVのニッポンのジレンマ(1月1日11時~2時)とETV特集選
 希望と福島の地から~思い届け野外フェス!(1時~2時30)に興味が注がれた。

前者は、ロスジェネ世代による格差に対する徹底討論と名売った番組だ。
後者は、プロジェクトFUKUSHIMAを立ち上げた大友良英、遠藤ミチロウ等の
音楽家に高校教師であり詩人の和合亮一など3名に坂本龍一を加えたア―ティストにスポット
を当て、8.15の野外フェスタの状況とそれまでの準備に至る過程を描いたものだ。

最初は、布団に入りながら流し見をしていたのだが、和合の詩が読み上げられた瞬間、
布団を抜けて、机のイスに座り直したものだ。

ほぼ同年代の遠藤はスターリンというロックグループで活動していたという。大友は
10年下の同窓だそうだ。和合は約20歳下だ。

福島原発震災を契機とした、文字通り世代がつなぐ福島イベントに、其々の立ち位置が
垣間見えた。だが一体としてある。絆という言葉をこうした状況で掲げるならば理解は
いくというものだ。

2011年の位置づけを求めて振り返るとき、二つのテレビ番組に込められたものから
読み取れるのかも知れない。

FUKUSHIMAと格差社会は個別日本の問題にとどまらず、世界的な事象としての意味
をもって捉えるのでなければならない。

こうした文脈の中で、辿り着いたのがナオミ・クラインの「ショックドクトリン」だ。
また、中野剛志先生のナオミ・クラインの「ショックドクトリン」を引用している反TPP論
も見逃せない。

格差社会と新自由主義についての言及はもとより、野田どじょう内閣が豹変したかのような
されど本質が露呈してきたというべき動きこそ、ナオミ・クラインさんの主張する肝である。

社会的ともいえる仕掛けが、所々に張り巡らされている。

仕掛けを透視できる眼力が求められる。

より現場へ、より現実へ、そして真実へ。こうした姿勢を堅持し、
本年も、引き続き、かかる状況の中で鍛え続けなければならない。

ブログをひと月も空けてしまった。

ブログ空白のひと月とを、サンデイモーニング年末SPを流し見しながら振り返ってみる。


twitterは気がついたときには手元のスマホで呟いてはいた。

https://twitter.com/#!/alucky491112


この一月も、自己の確たる『場』を求め、次から次へと直面するテーマに向い、連日のように

駆け回ってはいたのだ。



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12月3日には鶴見国際交流ラウンジホールにおいて、外国人と日本人、みんなでつくる演劇の

発表会に出演のため、舞台に上った。



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15日(木)には、その打ち上げを鶴見の沖縄料理屋で行い、沖縄のビールや泡盛を頂き,美味しい

沖縄料理に舌包みしながら、今後のつながりと、新たな活動の出発を確認もした。


こうした多文化系の演劇は、17日(土)には蒲田教会にて劇団セロウアチパの一員として出演

し、19日(月)には、神奈川県コミュ二ティカレッジの「多文化ソーシャルワーク実践者講座」の

基調演劇の稽古に加わるなど、今年になって、急激な広がりをみせているのだった。



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気後れせず、新しいことへのトライが、生活の広がりを得る。人生楽しからずやである。


多文化系では、11日(日)には、国立民族学博物館公開講座にて、陳天璽さんが主宰する

無国籍ネットワークの存在を知り、母校明大のリバティタワーのシンポジュームにも参加した。


多文化共生型社会を展望する時、無国籍者の存在が視野に捉える機会となったのだった。



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一方では、アクティブミドル国際交流会のイベントとして、渋谷区のモンゴル大使館での留学生

主催のパーティや港区の東京タワーのライトが眩しい、アメリカ東京クラブでのラテンパ―ティ

にも参加し、サルサのステップを学ぶなど、硬軟取り混ぜた多文化共生活動を実践もした。



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12月10日には、10月14日に成年後見を申し立てた案件の審判が12月8日に下りた旨の

家裁からの通知を受け取り、成年後見制度支援事業としての受任でもあり、区役所の職員と

共に被後見人が生活する横浜市郊外のグループホームを訪問した。



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また、他の受任している被後見人が入所している老健への定期訪問や、被後見人であった方の

相続案件についての遠方の相続人とのやり取りや司法書士の先生を加えて、不動産移転登記

関連の打ち合わせなどに加え、NPOの成年後見相談員研修、地域包括担当社会福祉士の方々

との交流会の設定など、成年後見につながる案件に追われる日が続いた。



また、神奈川県民ホール並びに産業貿易センターを会場とした行政書士会の研修を受講するため

その都度、みなとみらいの昼夜の景観を楽しむことも忘れなかった。


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12月5日の視野検査等から緑内障が十分疑われるものの、目薬を使用しての治療は、今回も

先延ばしになった。



女性眼科医師によると、眼底三次元画像解析の結果から、左目に兆候が見られることや、静的

量的視野検査では、鼻の下の左右が見えていない記しが出ている等で、自分だったら目薬治療

に入るのだがとの意味深な発言があったものの、私の眼圧が低いため、6ヶ月後の再検査結果

をみてから判断するとの診断にあいなった。


こうして、ああだこうだとブログ空白の1カ月を埋める作業と、2012年への行き場を示そうと

試みようとしたのだが、想定以上に時間を費やしてしまったので、ここでジ・エンドとしたい。



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11月最後の日曜日、蒲田教会での劇団セロウアチパの稽古前に、代官山に
て、テレビで話題となっていた大人のコンビ二とやらを覗くべく立ち寄った。

池袋サンシャインでのおやつランキングなるイベントに顔をだし、各県の
名物品を味わってみたかったのだが、ダイエットのリバウンドを恐れ断念
して、直接、代官山に降り立たのだった。

その途中、携帯に電話が入る。百貨店時代のお取引先の定年を迎えた連中
が江ノ島に集まって酒にこうじているようだ。

即座に、電車が来たので携帯を切らざるを得なかったが、後で電話を再び
入れてくれると言う。

ところで、大人のコンビ二なるものだが、立地とターゲット設定の関連か
らいえば、ファミマの単なる話題作りの域を超えない類いのものだ。実験
店舗なのだろが、地域の生活者との接点が窺い知れない。

確かに、コンビ二の進化というのか,購買層の変化への対応という
のか、百貨店等と比べれば、この間、小売業界の中では、コンビ二エンスストアが

少子高齢社会にあって、地域の生活インフラの役割を果してきつつあるといえる

のではないだろか。

百貨店に比して、社会の変化に対応するたコンビニンスストアの進化を見届け
るべく立ち寄ってみたのであったが、成城石井をミニ化したようでしかない。

そういえば、同じ代官山で、成城石井がミニスーパーというのか、コンビ ニエンス

ストアといった類の店を立ち上げたが、牛角の性急なM&A施 策による財務状況の

悪化が重なってか、一年と持たなかったのではなかっただろうか。

こうした経緯があったにも関わらず、ファミマが出店したということは、

トップの指示等、内部事情優先か、デベロッパーサイドの勧誘に応じたものな のだろう。

コンビニストアは、地域の生活インフラとしての役割を発揮してこそ

生存できる業態のはずだ。

ファミマの代官山店は、果して、周辺地域にいかほどのコンビニエンス性を与えたのだ
ろうか。成否はそこにある。



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昨日、24日(木)は14時から16時まで、消費者基本計画の検証・評価・監視に
ついての消費者委員会を傍聴した後、18時20分開演の「エンディングノート」を
観るべくヒューマントラスト有楽町へ向かった。

映画の開演までの時間の余裕も手伝い、文部省、財務省、外務省のクラシカルかつ格調
高い建物が並ぶ霞が関周辺を散策気分で歩きながら、夕闇に暗み、霜月の気配が満杯の
日比谷公園を横切り、ホテル・ペニンシュラの賑う1階フロアをもスル―して目的地へ
赴いた。

「エンディングノート」というタイトルから、相続案件の参考となる事案が盛り込まれて
いるのではないかとの思いが先立っての映画鑑賞であった。

しかし、作品は、幾多の映画の製作に従事している実の娘(砂田麻美)さんが、会社命の
熱血人間であった実父が第二の人生を踏み出した矢先に発覚した肝臓がんにより、余命
いくばくもない状況下の最期を撮り続けたものであった。

こんなにも自分を重ね合わせて観た映画は、今までに経験したことはなかった。

主人公のような事態に直面した時に、同じ心持ちでいられるかも疑問だし、家内、2人
の娘がどの様な振る舞いで接してくるかもよく見えないでいる。

小さな孫の存在が、こうも死に逝く人への慰みと癒しになることに
感慨深く観入ってしまったのだった。

家内とも向き合って最期の言葉が交わせるのだろうか。卒寿の母にはなんと言葉を掛け
ればいいのか。映画の中の主人公と己自身とが交差し、感情移入が加速度的に深まる。

誰しもが、最期に訪れる物語。私にとっても。決して遠い話ではない。

「エンディングノート」は遺言と違って法的な効力は無いが、自身の死後の処理を、残る
者に託すメセージではあると映画の中で説明する。

映画では、主人公の会社人生を準えながら、「段取」との表現が響く。

キリスト教への改宗を始め、葬儀の場所、葬儀への出席者、死の知らせをする人等、病院
のベッドで、長男との引き継ぎに関する会話は滑稽でありながらもペーソスが伝る。

1人の死も、自身で完結できず、家族を含め社会的な関係性の中にあることを痛感する
のだった。

但し、自身の死に対しては、残る人への迷惑は最小限にする努力はしても無手勝手で
ありたいと思う。

段取りなどという、意識して準備したものでなく自然の流れに乗って逝きたいと思うのだ。


映画を観終わり、イトシアを出ると、丸の内と有楽町駅辺りのイルミネーションが輝く
季節となったことを実感!



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