日曜の午後4時からは、蒲田教会で劇団セロウアチパの演劇ワークショップがある。
追悼式典の冒頭をテレビで見ていたため、教会に到着した時は30分ほど経過していた。

先に来ていたメンバーは先週も加わっていた4人、しばらく欠席していた後2人が
6時以降に加わるというセロウアチパ式の集い方が今日も同様にあった。

「アメニモマケズ」のYouTubeバージョンを観たあとは、セサル池田から次回の
劇のシナリオについての主役の配役の提案があり、いくばくかの意見の交換があった。

帰りがけにセサルの提案で蒲田駅西口のドンキホーテの隣のビルの地下にあるサイゼリア
でビ―ルを呑み、軽い夕食をとることになった。

ところで、先週の月曜日に立ち寄った「ニ―ハオの餃子」を販売する告知のバーナーが
ドンキーの店の前に置かれていたのを目にしたのだが、それほどのものだったのかと
怪訝な気持ちを抱いたりもしたのだ。

メニューのスパゲッティの中で一番安いペペロンチ―ノ(299円)をサラダセットにし
一番搾りの生ビールと赤のグラスワインをおかわりして1080円だった。

実は、前日に前の職場のメンバーと茅場町で久し振りに落合い、DEICHIBAで
赤ワインのハウスボトル2本と窯ピッツア等で久々の談笑に高じたのだが1人当たりの
値段は数倍した。

そんな落差さえも楽しみながら、今宵の一時に満足感を覚えるのであった。

帰宅の経路は、多摩川線で多摩川駅、自由が丘、溝口を経由して青葉台へ。かろうじて
最終バスに間に合う綱渡りであった。

その間、お酒の力を借りてTwitterを打ち続けた。

3.11の日経朝刊の文化欄は辺見庸さん。影の行列と目に刺さる星々と題する随筆が
掲載されている。大震災は過去なのだが、あの影の列は、未来の絵に思えてしかたがない。
瓦礫の原をさまよう徒刑囚のように疲れ切った人たちの細長い群れをそう喩えた。

1人また2人と地からわくようにでてきた。あのような人びとをかつてみたことがない。
石巻の老いた友人はつぶやき、そして、原爆投下後の絵なら似たような風景があったな
とつけくわえた。辺見さんは2011年の地獄絵にこだわるのだ。

どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑はないと芥川龍之介
の羅生門のくだりを、辺見さんはひとりごちとして紹介するのだが、秋葉原事件にパンデ―
ミックな世界を解き明かした上で、自らの生地の大震災の中で追い込まれた人間のモラル
の根っこの揺らぎに言葉を失う。

辺見さんは、友人の言葉を借りて、モラルの根っこのぐらつきを語る。かわたれどき、
死者の服の内ポケットに現金がないかからだをまさぐる影。硬直した骸の指から無理やり
指輪をはずしている男。生きた影と死んだ影が絡まり合う。

悦び、悲しみ、無念、おどろき、慚愧、不思議の感情が胸にいくえにもあざなわれて収拾
がつかなかったと、辺見さんは終始、友人の言葉として、大震災の現場で起きていること
を友人に重ね、また、第三者の眼差しで伝言するのだった。

辺見さんの大震災の現場での実況中継は続く。食べ物の欠けらまで分かちあい、女性、
赤ん坊、老人を大切にする慎みが保たれつつも、疲労と不安と緊張の連続で、みな心の
堤防は決壊していた。避難所の学校では花見のように酒盛りが始まり、わずかな食べ物に
並ぶ人びとに配食係が食いたければ並べと叫ぶ。

辺見さんは、友人の言葉を更に続け、避難所の外で震えながらトイレの順番を待っている
と、見上げた空に目に突き刺さるほど近くに銀色の星々があったという。友人の生涯で
もっとも美しく、もっとも沢山の星々がにぎやかな闇夜に降り続けていたと。

こうした友人の見た大震災の現場の情景を受けて、辺見さん自身が舞い降りる。死者たち
の星々。果てしない命の生滅、それを見たくて、辺見さんは石巻に行き、夜を待ったと
吐露される。辺見さんの育った海辺の街はごっそりとけずられて消えていたが瓦礫の原を
黒い影の行列の気配を感じたという。

辺見さんが喩えた影の行列と目に刺さる星々。生者と死者。生者のどん詰まりの果ての
生き様、死者となりて輝きの人となる因果。そして死者の切れ切れの声。辺見庸のふり
しぼる奏でに耳を傾けることこそが3.11の意味を解することだと思わずにいられない。