卒寿の母の住む実家で、
ささやかな身内の新年会に二日続けて参加することが2012年の幕開けとなった。

31日に中途半端に酒を飲み、早寝となったためか、1月1日午前3時頃に目が覚め
流れで「朝まで生テレビ!元旦SP 福島で考えよう原発事故からの復興!!」を見る。

Twitterも田原総一郎の独善的な進め方に批判のつぶやきが続いていた。
また、3.11以降、東日本原発震災に呟いていた人々が重ねて発信されてもいた。

記者クラブ批判に舌鋒鋭い、上杉隆氏は、野田首相が原子炉が冷温停止状態になり、
事故収束への工程表のステップ2の完了を宣言したように、政府の原発震災の幕引き
を図らんとする動きをけん制するものとして「朝生」の意義づけを指摘した。

参院予算委員会で、地元福島出身で小気味のいい質問をされる自民党・森まさこ氏も
政府の対応の不適切を指摘するのだが、田原流捌きで党利党略批判は止めろと反撃を
食う始末だ。

肝心の与党民主党議員は、同じく地元議員だが名前も思い出さないほどに、希薄な
存在感しか示せていない状態で終始していた。

反原発の顔となった俳優の山本太郎氏や元東電社員であり、原子炉勤務の経験もある
拉致被害者の会の蓮池透氏など、多彩な参加者と、福島の住民の発言を得ながらの
進行で、福島の現状は、政府の施策と同心円に無いことが顕わにされていった。

テレビのスィッチを入れてしばらくすると、オウム真理教の平田信出頭、逮捕への
テロップが画面に現れ、テレビ朝日のキャスターが番組を割って、その情報を伝えた。

原発震災についても、何ら真実の解明がなされてない一方で、
同じく判然としないオウムの一連の事件に関与していた教団幹部が、13人の死刑
判決と5人の無期判決が下され、一定の決着がつけられてきた矢先での平田容疑者の
出頭に、社会的な仕掛けの動きを感じてしまうのだった。

メディア情報の継ぎ合わせだけでは真実を知ることができない。

元旦早々の二つのモニュメントが、2012年という時代を解き明かすランドマークに
なるのかは解らないが、二つのモニュメントに込められている背景が臭うのだ。

行政改革、公務員削減、議員定数削減を公言し、
増税、増税と加速しだした野田どじょう内閣。
TPP、普天間はどうするのか?

ビジョンや方向性を明確に指し示すというよりも、既成事実の積み重ね、直近の党内
力学のバランスを見ながら、結局はアメリカの思惑に沿っていく。自民党政権との違い
が見いだせない、その政治手法は官僚主導が故なのだろうか?

日経新聞の元旦号には触発されるものなく、
テレビではNHKETVのニッポンのジレンマ(1月1日11時~2時)とETV特集選
 希望と福島の地から~思い届け野外フェス!(1時~2時30)に興味が注がれた。

前者は、ロスジェネ世代による格差に対する徹底討論と名売った番組だ。
後者は、プロジェクトFUKUSHIMAを立ち上げた大友良英、遠藤ミチロウ等の
音楽家に高校教師であり詩人の和合亮一など3名に坂本龍一を加えたア―ティストにスポット
を当て、8.15の野外フェスタの状況とそれまでの準備に至る過程を描いたものだ。

最初は、布団に入りながら流し見をしていたのだが、和合の詩が読み上げられた瞬間、
布団を抜けて、机のイスに座り直したものだ。

ほぼ同年代の遠藤はスターリンというロックグループで活動していたという。大友は
10年下の同窓だそうだ。和合は約20歳下だ。

福島原発震災を契機とした、文字通り世代がつなぐ福島イベントに、其々の立ち位置が
垣間見えた。だが一体としてある。絆という言葉をこうした状況で掲げるならば理解は
いくというものだ。

2011年の位置づけを求めて振り返るとき、二つのテレビ番組に込められたものから
読み取れるのかも知れない。

FUKUSHIMAと格差社会は個別日本の問題にとどまらず、世界的な事象としての意味
をもって捉えるのでなければならない。

こうした文脈の中で、辿り着いたのがナオミ・クラインの「ショックドクトリン」だ。
また、中野剛志先生のナオミ・クラインの「ショックドクトリン」を引用している反TPP論
も見逃せない。

格差社会と新自由主義についての言及はもとより、野田どじょう内閣が豹変したかのような
されど本質が露呈してきたというべき動きこそ、ナオミ・クラインさんの主張する肝である。

社会的ともいえる仕掛けが、所々に張り巡らされている。

仕掛けを透視できる眼力が求められる。

より現場へ、より現実へ、そして真実へ。こうした姿勢を堅持し、
本年も、引き続き、かかる状況の中で鍛え続けなければならない。