akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記 -8ページ目

akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.1031-1/4に続けてご覧ください。

 

Akijiiままniフォトsketch<香南町岡

今報は、香南町岡の高松空港・さぬきこどもの国・専妙寺の気ままniフォトSketchをしました。

次報からは高松市の中心部へ進めます。

 

▼所在地、高松空港送迎デッキ

高松市香南町岡:〒761-1401

 

▼高松空港送迎デッキから見る滑走路の南側(フラワーガーデン)、高松空港の管制塔

 

▼高根(たこね)トンネル(全長430m)、東ウイングエリア(順陵の石獅子・奥にYS11型航空機)

 

▼フラワーガーデンから見る離陸中のANA534便東京(羽田)行、専妙寺

 

 

▼高松空港リムジンバスで空港に着いた(香南町岡)、高松空港送迎デッキへ進む-1

 

▼高松空港送迎デッキへ進む-2

 

▼高松空港送迎デッキへ進む-3

 

▼高松空港送迎デッキへ進む-4、高松空港送迎デッキに着いた

 

 

フォトSketch-高松空港

高松空港は、昭和33年6月に1,200mの滑走路を有する空港として供用し、四国における航空輸送の一拠点として重要な役割を果たしてきたが、大型ジェット機の導入による効率的な輸送を確保することが必要であった。昭和44年頃から十数カ所の候補地を調査し、種々検討の結果、昭和54年秋に現在の位置に決定した。
現在の高松空港は、昭和60年10月に着工し、約4年の年月を経て平成元年12月に開港した。「航空輸送上重要な空港」に位置づけられ、滑走路2,500m及び誘導路、エプロンの機能確保を目的とした耐震対策は平成27年度末に完了した。国際定期路線はソウル、上海線に次いで台北、香港線が就航しており、平成30年4月には高松空港の運営が民間委託された。(国管理空港では全国2番目)   (令和5年1月1日時点:国土交通省・四国地方整備局港湾空港部) 

 

▼高松空港送迎デッキ

 

▼高松空港送迎デッキから見る滑走路の南側(YS11型航空機・さぬきこどもの国など)のパノラマ景

▼高松空港送迎デッキから見る滑走路の南側のズーム景(フラワーガーデン)、YS11型航空機展示場

 

▼高松空港送迎デッキから下りる-1

 

▼高松空港送迎デッキから下りる-2、エレベーターに乗る

 

▼エレベーター内から見る左(西)方向、右(東)方向

 

▼エレベーター内から見る正面(北)方向

 

▼県道45号線と高根通りの交差点へ向かう(約0.9km)、空港ターミナルビル前面道路へ進む

 

▼空港ターミナルビル前面道路を西へ進む-1

 

▼空港ターミナルビル前面道路を西へ進む-2、管制塔を振り返る

 

▼香南町由佐に入った、空港ターミナルビル前面道路を西へ進む-3

 

▼空港ターミナルビル前面道路を西へ進む-4

 

▼空港ターミナルビル前面道路を北方向へ進む

 

▼県道45号線沿いに進む-1

 

▼県道45号線から見る北方向-1(アパホテル:高松空港)、県道45号線沿いに進む-2

 

▼県道45号線沿いに進む-3、県道45号線から見る北方向-2(さぬき空港公園)

 

▼県道45号線の東側に「イサムノグチ作モニュメント-タイム・アンド・スペース」、県道45号線沿いに進む-4

▼県道45号線沿いに進む-5、県道45号線の左下にさぬき空港公園

 

▼県道45号線の北東方向に高松シンボルタワーが見える、高松シンボルタワーのズーム景

 

▼さぬき空港公園の管理事務所、さぬき空港公園-雲の洞窟

 

▼高根通りの交差点へ進む

▼高根通りの交差点に着いた、県道45号線と高根通りの交差点

 

 

▼交差点を左折して高根通りへ入り高根トンネルへ向かう(約1.0km)、高根通りを西南方向に上る(高低差27m)-1

 

▼高根通りを西南方向に上る-2、右下にソーラーパネル群

 

▼大規模ソーラー発電所のパノラマ景

▼高根通りを西方向に上る-1、

 

▼高根通りを南方向に上る-2(正面にグラススキー場)、グラススキー場

 

▼高根通りを南方向に上る-3

 

▼左は「さぬき空港公園」、右は「グラススキー場」

▼高根通りを東南方向に上る-1

 

▼左奥に高松空港の管制塔が見える、高根通りを東南方向に上る-2

 

▼高根通りを東南方向に上る-3

 

▼さぬき空港公園-カントリーゾーン・ポートヒルゾーン(現在地)、高根通りを東南方向に上る-4

 

▼高根通りを東南方向に上る-5(高根トンネルが見えて来た)、高根トンネルに着いた

 

 

引き続き、Vol.1031-3/4をご覧ください。

Vol.1031-2/4に続けてご覧ください。

 

▼高根トンネル(全長430m)を進む-1

 

▼高根トンネルを進む-2、高根トンネル(⇐270m出口160m➡)の位置

 

▼高根トンネルを進む-3

 

▼高根トンネル(⇐160m出口270m➡)の位置、高根トンネルを進む-4

 

▼高根トンネルを進む-5、高根トンネルを通り抜けた(南に橋梁)

 

▼高根どおり南端交差点へ進む、高根どおり南端交差点を左折

 

 

フォトSketch-さぬきこどもの国

高松空港近くにある、総面積約25haの、県内唯一の大型児童館。わくわく児童館のある「核エリア」、活動的な遊びが楽しめる「西ウイングエリア」、展望と憩いのスペース「東ウイングエリア」の3つのエリアで構成され、さまざまな遊びが楽しめる。プラネタリウムや全天周映画を楽しめるスペースシアター、科学、美術、音楽やコンピュータ工房、アスレチック遊具などが揃っている。

東西に細長い敷地には3つのエリアがあります。中央エリアには、プラネタリウムやわくわく児童館、変り種自転車や貸自転車が楽しめるサイクルセンター、東・西エリアには大型遊具やYS-11型航空機の展示等があり、一日中楽しめます。高松空港に隣接し、大空にと飛び立つ飛行機の離着陸を間近に見ることができます。(香川県HP)

 

▼さぬきこどもの国東ウイングエリアへ入る(香南町岡に戻る)、さぬきこどもの国東ウイングエリアへ進む

 

▼高根トンネルを通り抜けた南の橋梁と奥にさぬきこどもの国、東ウイングエリアを東方向に進む-1(順陵の石獅子・奥にYS11型航空機)

 

▼YS11型航空機展示場、東ウイングエリアを東方向に進む-2

 

▼東ウイングエリアから見る高松空港パノラマ景-1

▼YS11型航空機展示場方向を振り返る、東ウイングエリアを東方向に進む-3

 

▼東ウイングエリアから見る高松空港パノラマ景-2

▼東ウイングエリアを東方向に進む-4、フラワーガーデンに入る

 

 

▼フラワーガーデンから見るANA534便東京(羽田)行の離陸-1

 

▼フラワーガーデンから見るANA534便東京(羽田)行の離陸-2

 

▼フラワーガーデンから見るANA534便東京(羽田)行の離陸-3

 

 

▼フラワーガーデンを東に進む-1

 

▼フラワーガーデンから見る空港ターミナルビル、空港ターミナルビルのズーム景

▼フラワーガーデンの「さぬき」文字盤-1

 

▼フラワーガーデンの「さぬき」文字盤-2

 

▼東ウイングエリアを東方向に進む-5

 

▼東ウイングエリア東第1駐車場を進む-1

 

▼東ウイングエリア東第1駐車場から見る高松空港のパノラマ景

▼東ウイングエリア東第1駐車場を進む-2(正面奥は公衆トイレ)、東ウイングエリア東第2駐車場に入る

 

▼東ウイングエリア東第2駐車場を進む-1

 

▼プレイプラザ

 

▼東ウイングエリア東第2駐車場を進む-2、東第2駐車場と奥に高松空港の遠景

 

 

▼高松空港滑走路の東北端へ向かう(約1.0km・標高173m-現在地は202m)、山間の道を東方向に進む-1(香川町安原に入った)

 

▼左(北)方向の東屋が見える、山間の道を東方向に進む-2

 

▼山間の道を東方向に進む-3

 

▼山間の道を東方向に進む-4(左に鉄柵門)、鉄柵門の奥に高松空港滑走路が見える

 

▼山間の道を東方向に進む-5、左奥は高松空港滑走路の着陸・離陸スタート地点

 

▼滑走路の着陸・離陸スタート地点のズーム景、高松空港進入灯橋梁のズーム景

 

▼山間の道を東方向に進む-6、立入禁止札

 

▼山間の道から見る高松空港滑走路のパノラマ景

▼山間の道を東方向に進む-7

 

▼山間の道を東方向に進む-8、左折し高台の墓地へ上がる

 

▼墓地へ進む、高台の墓地に着いた

 

▼高台の墓地から見る高松空港滑走路のパノラマ景

▼右奥に高松空港進入灯橋梁、元の地点に戻る

 

▼山間の道を東から北方向に進む-1

 

▼ジェットスタージャパンGK440(東京羽田行)出発便

▼滑走路沿いに山間の道を北方向に進む-1

 

▼滑走路沿いに山間の道を北方向に進む-2(奥に空港進入灯橋梁が見える)、滑走路側の進入灯橋梁

 

▼山道の右側の進入灯橋梁、進入灯橋梁のズーム景

 

▼滑走路沿いに山間の道を北方向に進む-3、鉄柵越しに滑走路が見える

 

▼鉄柵越しに見える滑走路、滑走路にJAL476(東京羽田行)の離陸機が見える

▼JAL476(東京羽田行)の離陸機

 

▼高松空港滑走路の東北端が見えて来た、滑走路の東北端から見る高松空港ターミナルビルの遠景

 

引き続き、Vol.1031-4/4をご覧ください。

Vol.1031-3/4に続けてご覧ください。

 

▼高松空港(滑走路)を後にして専妙寺へ向かう(約1.4km・標高差60mを下る)、山間の道を東方向に進む-1

 

▼山間の道を東方向に進む-2

 

▼北方向の風景、山間の道を東方向に進む-3

▼山間の道を東方向に進む-4(次の交点を左折)、山間の道を北西方向に進む-1

 

▼山間の道を北西方向に進む-2

 

▼山間の道を北西方向に進む-3

 

▼上空の送電線

 

▼左下に東部浄水場の配水池、山間の道を北西方向に進む-4

 

▼右奥に屋島と五剣山が見える、五剣山のズーム景

 

▼山間の道を北西方向に進む-5、左に東部浄水場の配水池

 

 

▼山間の道を北西方向に進む-6(次の交点を右折)、専妙寺へ進む-1

 

▼専妙寺へ進む-2

 

▼国道193号線が見えて来た、専妙寺へ進む-3

 

▼専妙寺へ進む-4

 

▼専妙寺へ進む-5

 

▼専妙寺へ進む-6、専妙寺の石段登り口に着いた

 

 

フォトSketch-専妙寺

<由緒>土佐の国辻郡の住人土居家政入道が嫡子小市郎秀政、応永年間讃岐の国に移り、安原奥源山を切り開いて居住していた。家政は人望もあり法義にも通じ人々に信仰を説いたものと見えて、時の人々は家政を土佐法師と尊称するようになっていた。正長元年(1427)現在の場所に一宇が建立され土佐法師が迎えられた。堂は「改邪鈔」の中で祖師親鸞上人の仰せの如く「ただ道場をば少し人屋に差別あらせて、小棟をあげて作るべき」のご趣意の通りつつましく作りなされたものであろう。家政は法号を永正といい時に歳五十六歳であった。京都興正寺門跡に帰依し、その末流となった。
二代目正圓の時代延徳二年(1460)蓮如上人筆六字名号一幅を拝領し寺を専妙寺と号する様になった。

当寺本山(仏光寺)では、門主が性雲・性善・光教・蓮教となっていた。蓮教は本願寺蓮如に傾倒し、一部末寺をたずさえて本願寺に投じた。人も知る真宗中興の善知識蓮如は、末流一寺の住職正圓のために、寺号を撰び自筆の名号を与えたという。(香南町誌など)

 

▼専妙寺-1

▼専妙寺-2

 

▼専妙寺-3

 

▼専妙寺-4

 

▼専妙寺-5

 

▼専妙寺-6、二十四輩など石仏八十体へ進む

 

▼専妙寺-7

 

▼専妙寺-8、境内に戻る

▼専妙寺-9

 

▼専妙寺-10

 

▼専妙寺-11

 

▼専妙寺を後にして帰路のバス停「岩崎」へ向かう(約1.0km)、国道193号線沿いの歩道へ進む

 

▼国道193号線沿いの歩道を南方向に進む-1、後方に専妙寺が見える

 

▼右に高松空港滑走路から下って来た山道が見える、国道193号線沿いの歩道を南方向に進む-1

 

▼国道193号線沿いの歩道を南方向に進む-2

 

▼国道193号線沿いの歩道を南方向に進む-3、前方に香南町清水交差点が見えて来た

 

▼国道193号線沿いの歩道を南方向に進む-4、香南町清水交差点を左折

 

▼香南町清水交差点の前方奥に高松空港進入灯橋梁が見える、塩江街道を東南方向に進む-1

▼塩江街道を東南方向に進む-2、香南町岡交差点を直進

 

▼前方奥にAIR SEOUL「RS742便」が着陸態勢で通り過ぎる、バス停「岩崎」へ進む-1

▼バス停「岩崎」へ進む-2、バス停「岩崎」に着き帰宅の途に就いた

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

杉山団地の高台から見る宮池。

宮池の水上展望台4景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-142 Orignal掲載日:Vol.273 (2014.08.05)

貴方の「その人」は…。

 

神や仏に向かって嘘をつく、世辞や愛想を言う人はいない。

どんな巧妙なカラクリも通じないからだろうが、もっと本質的なところには、なにもかも許してもらえるからだと想う。

 

相田みつを氏の書に「その人」があるが、下記に掲載します。

その人の前にでると 絶対にうそが言えない そういう人を持つといい

その人の顔を見ていると 絶対にごまかしが言えない そういう人を持つといい

その人の眼を見ていると 心にもないお世辞や 世間的なお愛想は言えなくなる そういう人を持つといい

その人の眼には どんな巧妙なカラクリも通じない その人の眼に通じるものは ただほんとうのことだけ そういう人を持つといい その人といるだけで 身も心も洗われる そういう人を持つといい

人間にはあまりにも うそやごまかしが多いから 一生に一人は こまかしのきかぬ人を持つがいい

一生に一人でいい そういう人を持つといい

 

信仰のある人にとっては、神や仏が「その人」であろう。

信仰のあるなしに関わらず、「その人」のような先生に出会えたら、どんなに幸運であろうか。

 

小生、自分のことを顧みるに、こわい人が「その人」だが、本当に最高の「その人」だと思う。

生き方の指針を示してくれて、こわい人だが最後には必ず許してくれる人であった。

貴方の「その人」とは…。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコースから見る新池と奥のだんご山3兄弟の上空。

ほたる坂通りから見る南東方向の上空。

 

ほたる坂通りから見る西方向の上空。

ほたる坂通りから見る奥谷集落と奥の袋山の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ご近所のMd宅の庭に咲くカロライナジャスミン

 

◇ご近所のNm宅の庭に咲くライラック

◇ご近所のAn宅の庭に咲くハナミズキ

◇近くの畑に咲く菜の花

 

◇ウォーキングコース脇の畑に咲くマツバウンラン

 

◇ウォーキングコース脇の畑に咲くヤハズエンドウ

 

◇杉山団地のお宅の玄関脇のプランターに咲くカナダオダマキ

◇各所で咲いているムスカリ

我家の鉢

ウォーキングコース脇

 

Ms宅

 

Yd宅

Ks宅

 

◇It宅の玄関に咲くデイジ

 

 

<akijii展-(588)

今報はスクラッチアート(大人ディズニー プリンセス10点)-No.3です。

所要時間は105M(1.8H)でした。

 

引き続き、Vol.1030-2/4をご覧ください。

Vol.1030-1/4に続けてご覧ください。

 

Akijiiままniフォトsketch<香南町横井・吉光  

今報は、香南町横井・吉光と川部町に跨る小田池を軸に気ままniフォトSketchしました。

 

▼所在地、香南中学校体育館

高松市香南町横井:〒761-1404、香南町吉光:〒761-1403

 

▼プールと奥に香南小学校新校舎、特老ホーム扇寿

 

▼政所池から見る高松空港の遠景(直線距離3.5km)、小田池のソーラーネル群

 

 

▼冠纓神社を後にして香南町横井へ向かう(高根通りの次の交点を右折)、香南町由佐を西方向に進む-1(左に石碑)

 

▼石碑「由佐小学校跡」、香南町由佐を西方向に進む-2(次の交点を右折)

 

▼香南町由佐を北方向に進む-1

 

▼香南町由佐を北方向に進む-2、県道13号線を跨ぐ

▼県道13号線の左(西)方向、右(東)方向

 

▼香南町由佐を北方向に進む-3、右(東北)方向奥に屋島と五剣山(直線距離16~17km)

 

▼香南町由佐を北方向に進む-4、左奥に(旧)香南小学校の運動場のフェンス

 

 

▼香南町由佐を北方向に進む-5(正面奥に(旧)香南小学校の校舎)、香南町横井に入った((旧)香南小学校の東通用門)

 

▼(旧)香南小学校の運動場、(旧)香南小学校の校舎

 

▼香南町横井を北方向に進む(次の交点を左折)、交点を左折し香南小・中学校へ進む

 

▼香南町横井を西方向に進む-1、左側に(旧)香南小学校正門

 

▼右に香南中学校体育館

 

▼香南町横井を西方向に進む-2

 

▼香南町横井を西方向に進む-3(右に校門)、香南小・中学校の校門

 

▼香南町横井を東方向に戻る-1

 

▼香南町横井を東方向に戻る-2、次の交点を左折

 

 

▼香南小・中学校沿いに北方向に進む-1

 

▼香南小・中学校沿いに北方向に進む-2

 

▼香南小・中学校沿いに北方向に進む-3、プールと奥に香南小学校新校舎

 

▼香南小・中学校沿いに北方向に進む-4(次の交点を左折)、小径を西北方向に進み高根通りにアクセス

 

▼北方向の山英電機と第一三共ヘルスケアダイレクチ前の道へ向かう、小径を西北方向に進み次の交点を右折し下る

 

▼山英電機と第一三共ヘルスケアダイレクト㈱前の道に下りる、香南町横井を東方向に進む-1

 

▼右奥に香南小・中学校、香南町横井を東方向に進む-2(高根通りの交点を左折)

 

 

▼高根通りを北方向に進む-1、左に第一三共ヘルスケアダイレクト㈱

 

▼高根通りを北方向に進む-2、左奥に日本ハム㈱高松

 

▼右に特老ホーム扇寿、高根通りを北方向に進む-3

 

▼後方奥の特老ホーム扇寿、右側に常楽寺

 

▼高根通りを北方向に進む-4(次の交点を右折し常楽寺に寄る)、常楽寺へ進む

 

▼常楽寺に着いた、常楽寺-1

 

▼常楽寺-2

 

 

▼高根通りに戻る、高根通りを北方向に進む-5

 

▼高根通りを北方向に進む-6、高根通り交差点が見えて来た

 

 

▼高根通り交差点に着いた、高根通り(たこねどおり)交差点

その昔、香南町には「高根(たこね) の一本松」という名所がありました。今はもうその松はありませんが、香南町吉光のことでんのバス停から高松空港へと向かう道は「高根(たこね)通り」と名付けられ、その名を残しています。

この高松空港完成に合わせてできた新しい道は、年二回、地元の皆さんが集まって、草刈りやゴミ拾いをしてキレイに整えられています。(香南地区コミュニティ協議会)

 

 

▼高根通り交差点の左(西)方向、右(東)方向

 

▼高根通りを北方向に進む-8、「⇦高根通り➡」標識

 

▼左に炭火焼店「道(Do)」

 

 

引き続き、Vol.1030-3/4をご覧ください。

Vol.1030-2/4に続けてご覧ください。

 

▼高根通りを北方向に進む-9(右奥に政所池)、右奥に政所池(まんどころいけ)に寄る

 

▼政所池の記念碑へ進む-1

 

▼政所池の記念碑へ進む-2、政所池の記念碑に着いた

 

▼政所池パノラマ景

▼政所池から見る高松空港の遠景(直線距離3.5km)、高松空港のズーム景

▼政所池から見る香南小・中学校の遠景(直線距離0.9km)、香南小・中学校のズーム景

 

▼高根通りに戻る、高根通りを北方向に進む-10(香南町吉光に入った)

 

▼高根通りを北方向に進む-11

 

▼右(東)方向の香川第一中の遠景(直線距離1.7km)、香川第一中のズーム景

▼後方の政所池の堤体、高根通りを北方向に進む-12(次の交点を左折し小田池へ進む)

 

▼香南町吉光を西方向に進む

 

▼次の交点を右折、香南町吉光を西北方向に進む-1

 

▼左は㈱日興サッシュ製作所空港工場、香南町吉光を西北方向に進む-2

 

▼香南町吉光を西北方向に進む-3、左(西)奥に小田池の堤体が見えて来た

 

 

フォトSketch-小田池

小田池は、県内屈指の貯水量を誇るため池です。江戸の初頭、梅雨の長雨により築造途中の小田池の堤防があちこちで崩壊して、池の完成 を目指す普請奉行をはじめとする人夫達を苦しめていました。そのころ、伊勢から派遣され、讃岐の国の治水利水の政務を任された西嶋八兵衛が築造に途中から加わり、当時としては非常に卓越した水利土木技術を駆使し、最終的に7カ年を要した池の工事は無事に完成しました。この築造工事には悲しい言い伝えが残っています。時は江戸初期。『人柱』を立てなければ 長引いていた築造工事が完成しないとの思いが人夫達に広がっていました。そのため、雨の日に、たまたま工事現場を通りかかった奥方と女中が捕らえられて、池に埋められてしまったそうです。池の完成後、人夫達により奥方は池明神として、女中は諏訪明神としてそれぞれ祭られたということです。西嶋八兵衛による築造後も、数回の増改築が重ねられてきています。また、池の水は直接的な流域だけでは十分に受益農地を潤すことができないので、小田池の東に流れる香東川を高松市の旧香南町由佐で堰き止めて、約 5kmにも及ぶ水路で導水をしています。川内の井堰は当初、土砂造りであったので洪水の度に破損決壊してその補修費用が池関係者を長年苦しめていました。

戦中戦後を含めた13年の歳月をかけて、昭和31年(1956年)にコンクリート造りの井堰と導水路が完成しました。その後の昭和49年(1974年)には香川用水の通水により、江戸初期から続いていた水に対する不安や多大な出費がやっと解消されました。池を見下ろす諏訪山にある諏訪明神と、堤防に寄り添うようにたたずんでいる池明神。これらの明神様も小田池に刻まれた長い苦しい水の歴史をしのんで、先人たちの偉業に敬意を払いながら、小田池に飛来する水鳥達を見守っていることでしょう。(香川県HP)

 

▼香南町吉光を西北方向に進む-4(次の交点を左折し小田池へ)、小田池へ進む-1

 

▼小田池へ進む-2、小田池に着いた(正面上は猿田神社)

 

▼猿田神社

 

▼小田池の堤頂へ上がる、小田池の堤頂を西南に進む-1

▼左下に猿田神社、小田池の堤頂を西南に進む-2

 

▼小田池パノラマ景-1

▼小田池の堤頂を西南に進む-3、小田池

▼小田池の堤頂を東北方向に戻る、小田池の堤頂を北西方向に進む-1

 

▼小田池の堤頂を北西方向に進む-2

 

▼小田池パノラマ景-2

▼小田池から見る高松空港と香南小・中学校の遠景、高松空港ズーム景

 

▼小田池から見る香南小・中学校ズーム景、五岳山(善通寺市)ズーム景(直線距離23km)

 

▼小田池の堤頂を北西方向に進む-3、小田池のソーラーネル群-1

 

▼小田池パノラマ景-3

▼小田池の堤頂を北西方向に進む-4(川部町に入った)、小田池のソーラーネル群-2

 

▼小田池の堤頂を北西方向に進む-5(右奥に記念碑)、小田池の記念碑群

 

▼小田池の堤頂を北西方向に進む-6、堤頂の下部に小田神社が見える

 

▼小田池パノラマ景-4

▼小田池の堤頂を北西方向に進む-7、右(北)方向の高松自動車道の遠景(直線距離5.6km)-奥に勝賀山と石清尾山

 

▼小田池の堤頂を北西方向に進む-8

 

▼小田池の堤頂を北西方向に進む-9(右奥に正音寺・諏訪神社)、正音寺・諏訪神社のズーム景

 

▼小田池ふれあい広場-1

 

▼小田池ふれあい広場-2

 

▼小田池パノラマ景-5

▼小田池ふれあい広場-3

 

▼小田池パノラマ景-6

 

引き続き、Vol.1030-4/4をご覧ください。

Vol.1030-3/4に続けてご覧ください。

 

▼小田池ふれあい広場を後にして小田神社へ進む

 

▼小田池の堤頂を東南方向に進む

 

▼小田神社へ進む-1

 

▼小田神社へ進む-2、右上に小田池の記念碑群が見える

 

▼小田神社に着いた、小田神社

 

▼小田神社を後にして塞神社へ進む、塞神社に進む-1

 

▼塞神社に進む-2、前方左奥に塞神社が見えて来た

 

▼後方の小田池の堤体

 

▼塞神社に進む-3、塞神社に着いた

 

▼塞神社

 

 

▼帰路のバス停「吉光下」へ向かう(約0.3km)、バス停「吉光下」へ進む-1(次の田圃道交点を右折)

 

▼香南町吉光に入った、バス停「吉光下」へ進む-2

 

▼バス停「吉光下」へ進む-3

 

▼バス停「吉光下」へ進む-4、県道44号線交点を右折

 

▼バス停「吉光下」に着いたが時間待ち多く次のバス停へ進む、県道44号線を北西方向に進む-1

 

▼左(西)奥に小田池の堤体が見える、県道44号線を北西方向に進む-2

 

▼再び川部町に入った、県道44号線を北西方向に進む-3[
 

▼県道44号線を北西方向に進む-4、香川用水路を跨ぐ

 

▼香川用水路の左(西)方向、右(東)方向

 

▼県道44号線を北西方向に進む-5

 

 

▼川部八幡神社に寄る、川部八幡神社-1

 

▼川部八幡神社-2

▼川部八幡神社-3

 

▼川部八幡神社-4

 

▼川部八幡神社-5

 

 

▼バス停「上川部」も待ち時間多く次へ進む、県道44号線を北西方向に進む-6

 

▼県道44号線を北西方向に進む-7、左(西)奥に堂山と六ツ目山

▼県道44号線を北西方向に進む-8

 

▼左奥に川岡小学校、県道44号線を北西方向に進む-9

 

▼県道44号線を北西方向に進む-10、バス停「川部」(バス停「吉光下」から1.4kmの地点)で乗車して帰宅の途に就いた

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

北側の遊歩道から見る宮池の南方向。

 

夕陽を一杯浴びる宮池の水面。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-141 Orignal掲載日:Vol.272 (2014.07.30)

今、一番を…。

 

現在の置かれた立場・環境で今、一番を目指すと云う事は大事である。

小生が現役の頃、進入社員に常に言って来たが、新入教育期間後の所属職場へ初出勤の時、「その瞬間、その職場で一番になれ!!」、と。「一番早く出社する」「トイレ掃除を一番に手掛ける」「朝の挨拶を一番大きな声でする」等々、新入社員であっても誰でもできる事であり、また一番に成れるのである。

スタートダッシュの初出勤でこれが出来れば、これが自分の心身に宿れば後はしめたものだ。

 

「自分はいつも、何でもいいから一番になる」と目標と志をもって、同僚で一番、職場で一番、会社で一番、地域の業界で一番、全国の業界で一番と、より上を目指して行く。

また、一つから二つ、三つとその一番の複数化を図って行く自分を創るのだ。

人間は一番のもの一つでも持てば、もっともっと上を目指して頑張ろうとするものだ。

そのような自分を形成したら、仕事でも何事においても楽しいと感じ、より多くの一番を作りたいと思うものだ。

志を持って努力をすれば、誰でもがそのように成り得ると私は思っている。

 

ある文献で遭遇した言葉を紹介します。

夢・志があることが何よりも大切だとの言葉で、夢・志があるかどうかによって全てが変わり、「あれば」日々の辛いことも乗り越える頑張りが出来るが、「ない」と前に進んでは行かないのである。

夢ある者、進歩がある(作者不詳)

夢のある者、希望がある。希望のある者、目標がある。目標のある者、計画がある。計画のある者、行動がある。行動のある者、実績がある。実績のある者、反省がある。反省のある者、進歩がある。進歩のある者、夢がある。

如何ですか。さぁ~皆さんも「今、一番を…」に挑戦してみては…。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコースの西側の上(城山)の上空。

ウォーキングコースから見るだんご山3兄弟の上空。

宮池の遊歩道から見るだんご山3兄弟の上空。

ウォーキングコースから見る南方向(だんご山3兄弟~鷲ノ山)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースのベニカナメモチ(紅要黐)

開花時期は4月下旬~5月中旬頃、花は白色で泡を吹いたようだ。

要黐のひとつで、生け垣としてよく植えられる。

3月から4月頃に伸びてくる葉がひときわ赤いため、この名前になった。

しばらくすると緑色に変わっていく。また、6~7月頃にも新しい葉が少し伸びてきて、それも最初のうちは赤い。若葉が赤いのは、まだ柔らかくて葉緑素も十分に形成されていない若葉を紫外線から守る、「アントシアニン」という赤い色素が用意されており、これが若葉を日差しから守るサングラスのような働きをすることから。

川西墓園

 

宮池の導入路角

 

宮池親水公園の横

 

◇我が家の庭に咲いているハナニラ

  

◇ウォーキングコースに咲くオヒョウモモシャガスノーフレーク

オヒョウモモ

シャガ

 

スノーフレーク

 

 

 

<akijii展-(587)

今報はスクラッチアート(大人ディズニー プリンセス10点)-No.2です。

所要時間は290M(4.8H)でした。

 

引き続き、Vol.1029-2/3をご覧ください。

Vol.1029-1/3に続けてご覧ください。

 

Akijii気ままniフォトsketch<香南町由佐> 

香南町には〶別の地区として由佐・横井・吉光・西庄・池内・岡があるが、香南町の代表として由佐と横井・吉光と岡の3報とし、今報は香南町由佐の冠櫻神社の気ままniフォトSketchをしました。

また、南部地区には塩江町、東・西植田町などが残るが、2024年問題などで公共移動手段が大幅に減便されて実効不能のため、今回の企画から除外する事にした。

 

▼所在地、冠纓(かんえい)神社の表参道入口

高松市香南町由佐:〒761-1402

 

▼冠纓神社の表参道、地球新生新宮(地新宮)

 

▼冠纓神社の境内、安倍清明神社

 

 

▼バス停「由佐」で降車(JR高松駅から所要時間約50分)、県道44号線の北方向(香南郵便局・警察香南派出所)

 

▼冠纓神社の表参道入口へ向かう(約0.65km)、県道44号線を南へ進む-1

 

▼県道44号線を南へ進む-2、県道13号線交差点を右(西)折

 

▼交差点角の「手打ちうどん・のぶ屋」、県道13号線を西方向に進む-1

 

▼県道13号線を西方向に進む-2、県道13号線北側の太陽光発電所

 

▼県道13号線を西方向に進む-3

 

▼県道13号線を西方向に進む-4、左奥に冠纓神社の表参道入口が見えて来た

 

▼冠纓神社の表参道入口へ進む-1

 

▼冠纓神社の表参道入口へ進む-2

 

フォトSketch-冠櫻神社

冠纓神社は、香川県高松市香南町由佐にある神社。別名は「かむろ八幡宮」で、香南町の氏神として親しまれ、縁結び神社としても知られる。「さぬき十五社霊場」第7番。

秋季例祭で披露される夫婦大獅子舞で使用される大獅子は県指定有形民俗文化財で、日本一の大きさともいわれる。

讃岐国香東郡井原庄出生説もある安倍清明が神主をしていたという伝承もある。境内には樹齢800年以上の楠を始め100種以上に及ぶ植物が群生しており、香川県自然記念物に指定されている。

伝承によれば冠神社の創建は貞観3年(861)。

智証大師が讃岐井原郷で毎夜光るものを発見。行ってみると老翁がおり「我は鳩峰大自在王菩薩なり。此の地に鎮座して井原郷民を護らむ」というので祠を建立。そして法楽を営むと、一条の白気が東方から飛来し祠に入ったので、一宇を建て弟子真蓮に司らせた、というのが当社と宝蔵寺の始まり。

細川頼之が当社を崇敬し、延文2年(1357)に石清水八幡の冠纓を奉納したことから冠尾八幡宮、冠纓神社と称されるようになったといいます。

その後祭祀は別当の宝蔵寺から石清尾八幡の祠官上野刑部の子孫へ移り、その後裔友安氏が祭祀を司って来たとされます。また、讃岐出生説のある安倍晴明が当社で神主をしていた、という説があったりもします。

明治元年郷社列格、大正7年県社に昇格。

 

▼冠纓神社の表参道入口に着いた、冠纓神社-遊衣館由緒

▼遊衣館-1

 

▼遊衣館-2、冠纓神社の表参道を進む-1

 

▼冠纓神社の表参道を進む-2、表参道の注連柱

▼参道石段下、一の鳥居(左に地球新生新宮の入口)

 

▼地球新生新宮(地新宮)へ進む-1、地球新生新宮(地新宮)入口の案内板

 

▼地球新生新宮(地新宮)へ進む-2

 

▼地球新生新宮(地新宮)へ進む-3

 

 

▼地球新生新宮(地新宮)に着いた、地球新生新宮(地新宮)

神門の外側にある地球新生神宮の境内には多数の磐座と地神塔が祀られており、石碑「地球新生神宮神賦」には以下のように記されています。
"嘉き人よ 手合せて跪き まつり心を神に戴け"
人間に血液が流れるように、大地に脈打つ生命がある。生命の根元には地球の神が坐す。地球と人は其の根元を等しくするので、地球の新生力は人間を新生させる。
カムロの大神は生命の父母で、そこから誕生する「生命の王」が地球を新生させ、人間を新生させる。生命の王がこの(いわさか)にまっているので、人は無心に合掌して、此から生きる力(エネルギ)を戴くがよい。

 

 

▼地球新生新宮神賦、地神塔

地神塔は五角形の塔に地神とされる五柱の神々(天照大神・大己貴命・少彦名命・埴安姫命・倉稲魂命)の名が刻まれている。これは徳島県独特の祭礼に由来するものであり、江戸中期(1790年)に徳島藩主・蜂須賀治昭によって藩内全域に公布された「地神祭」を起源とするものとされている。後に徳島県から四国、全国へと広まっていったそうである。
しかし、なぜ地神がこの五柱の神々なのかは分かっておらず、かつ、その詳細も不明とされています(通説では「農業五面神」とされ、陰陽五行説に対応する神々であるとも)。
なお、「地球新生神宮神賦」によれば、ここに鎮まる地神は「生命の王」とされており、合掌して拝むと生きる力(エネルギー)を得られるとされているようである。


 

▼「本殿➡」の案内板(右に神鏡)、神鏡

 

▼本殿へ進む-1(右に地球新生宮)、右に磐座

 

▼磐座、本殿へ進む-2

磐座は地神塔周辺および、その背部に安置されている。
なお、この様相から道祖神を意識しているものと思われ、古代の性器崇拝に関わるものとも考えられている。

 

 

▼本殿へ進む-3(神門前で右折して地新宮入口まで石段を下る)、地新宮入口まで戻り改めて参道石段を上る

 

▼参道石段の右側の歌碑、二の鳥居

 

引き続き、Vol.1029-3/3をご覧ください。 

Vol.1029-2/3に続けてご覧ください。

 

▼冠纓神社の神門、神門と奥に社殿

▼社号標、さぬき十五社第七番冠纓神社

 

▼冠纓神社之景、注連柱

 

▼狛犬

 

▼手水舎、水神

 

▼開運の桃、桃をまわそう

 

▼境内-1、御神木と鳥居

 

▼御神木(かむたま龍樟樹)、境内-2

 

▼「さがして、見つけて、参拝。」、境内-3

 

▼清澄の鐘、龍王神社

境内社・龍王神社は社名から龍蛇神を祀っているものと思われます。
なお、社殿には「恋愛成就・良縁成就」の案内板が掲げられ、周囲には陰陽石なども安置されている。

 

▼さざれ石、さざし石と国歌の説明板

 

▼子宝・安産の石、願い石・叶い石

 

▼安倍清明神社

境内社・安倍晴明神社はかつて冠纓神社の神主であったとされる陰陽師・安倍晴明を祀っている。
なお、現在は小さな社殿があるが、古くは磐座(もしくは石碑)が裸で祀られていたようである。

 

▼男石・女石、御力(みりょく)巡り-1(右に賽の神)

 

▼賽の神(サエノカミ) (道祖神)-左側は農人形社(のうにんぎょうしゃ)、御力巡り-2(右に燈籠)

境内社・賽の神とは集落の防賽の神であり、外から襲ってくる疫病や悪霊を村境、辻、峠、橋の袂などで防ぐ神とされている。なお、冠纓神社の賽の神は元々神社の南の辻にあったそうで、明治初年の道路拡張工事のため合祀され、祭神は猿田彦命(サルタヒコ)を祀る古代の性器崇拝を伝えるものであるとされている。また、男女の縁結びや出産に御利益があるとも云われているようである。
境内社・農人形社の農人形とは水戸で作られる素焼きの人形であり、水戸藩主・徳川斉昭(とくがわなりあき)が農民と五穀に感謝し、農民の像を作って食膳に置いたことに由来するものとされている。
大正時代、地元の由佐尋常高等小学校では校庭に農人形社を造って礼拝していたとされ、戦後の神道指令(国家神道廃止)に伴って現在地に遷されたんだそうである。

 

▼1699年の銘がある燈籠、御力巡り-3

 

▼御力巡り-4、境内-4

 

▼厳島神社へ進む、右は本殿、本殿

 

▼厳島神社

境内社・厳島神社で、境内の池に鎮座しており、社名から宗像三女神を祀っているものと思われる。

 

▼厳島神社の記念碑、厳島神社から見る裏参道

▼厳島神社から戻る、社殿-1(右奥に白鳥神社)

 

▼白鳥神社(しろとりじんじゃ)

境内社・白鳥神社で、祭神に日本武尊(ヤマトタケル)を祀っており、「今から800年ほど昔、大川郡白鳥町に鎮座する白鳥宮の火災により、その宮の御幣が冠尾(かむろ)の木に飛んで来た」という伝説に由来するとされている。
 

▼社殿-2、境内-5

▼祖霊社、忠魂社(招魂社)

境内社・祖霊社は社名から土地や神社に関わる祖霊を祀っているものと思われる。

境内社・忠魂社は社名から招魂祭に関わる社、もしくは地域の英霊を祀っているものと思われる。
なお、周囲には四体の狛犬が配され、社殿には中華風の龍の彫刻があしらわれている。

 

▼神馬像、社名不詳の社

社名不詳の境内社は鳥居の後ろに木を祀り、鳥居の下には「敬神崇祖」と刻まれた銭形の石碑が安置されている。
なお、「敬神崇祖(けいしんすうそ)」とは「神を敬い先祖を崇める」の意であるとされている。

 

▼境内-6

 

▼社殿-3、神門

 

▼社殿-4

 

▼社殿-5

 

 

▼裏参道口へ向かう、神門を潜る

 

▼二の鳥居越しに見る表参道(奥に一の鳥居が見える)、裏参道を進む-1

 

▼裏参道を進む-2

 

▼裏参道を進む-3(右に冠山書道塾)、冠山書道塾

 

▼左は関係者の出入口、裏参道口を進む-4

 

▼友安三冬像

江戸時代後期の国学者で、天明8年(1788)冠尾八幡宮の神官の子として生まれ、高松の菊池高洲に漢学を、備中(岡山県)の藤井高尚(たかなお)に国学を学ぶ。文政7年(1824)高松藩主松平頼恕(よりひろ)の侍講となった。

文久2年10月10日死去(75歳)。

 

▼冠纓神社境内案内図、冠纓神社社叢説明板

 

▼裏参道口を進む-5、裏参道から見る厳島神社

▼裏参道側の狛犬と鳥居、裏参道口に着いた

 

▼裏参道口を振り返る、冠纓神社を後にして香南町横井へ進む

(次報Vol.1030に続く)

 

 

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