akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記 -25ページ目

akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.977-1/3に続けてご覧ください。

 

▼高松市立中央公園-1

 

▼高松市立中央公園-2

 

▼高松市立中央公園-3

 

▼高松市立中央公園-4

 

▼高松市立中央公園-5

 

▼高松市立中央公園-6、水原茂・三原修銅像

▼高松市立中央公園-7:大気、菊池寛立像

 

▼高松市立中央公園-8

 

▼高松市立中央公園-9:自由広場-1

 

▼高松市立中央公園-10:高松市の木-黒松

 

▼高松市立中央公園-11、自由広場-2

 

▼高松市立中央公園-12:自由広場-3、石の広場-1

 

▼高松市立中央公園-13:石の広場-2

 

▼高松市立中央公園-14:石の広場-3

 

▼高松市立中央公園-15:石の広場-4、ちびっこ広場-1

 

▼高松市立中央公園-16:ちびっこ広場-2、高松市立中央公園を後にして高松高校へ向かう(約0.3km)

 

 

▼番町を南に進む(次の交点右折)、番町を西に進む-1

 

▼番町を西に進む-2、県庁通り(県道173号線)の交差点を直進横断

 

▼交点の右方向に高松高校が見える、交点の左方向は高松赤十字病院

 

 

▼高松高校の正門へ進む、高松高校の正門

 

▼県庁通り(県道173号線)に戻る、県庁通り(県道173号線)の交差点を左折

 

▼県庁通り(県道173号線)の西歩道を北に進む-1、右側に香川県社会福祉総合センター-1

 

▼県庁通り(県道173号線)の西歩道を北に進む-2、右側に香川県社会福祉総合センター-2

 

▼左側は高松高校-1

 

▼左側は高松高校-2、右側に香川県文化会館

 

▼県庁通り(県道173号線)の西歩道を北に進む-3

 

▼高松市番町一丁目交差点を左折、交差点の角に高松高校の旧正門

 

▼高松高校の旧正門、旧正門から見る高松高校の校舎とグラウンド

 

 

▼高松工芸高校向かう(約0.5km)、番町を西方向に進む-1

 

▼番町を西方向に進む-2(左は高松高校を通用門)、通用門から見る高松高校のグラウンドと校舎

 

▼番町を西方向に進む-3、道路の北側に浄願寺

 

 

▼高松工芸高校の体育館が見えて来た、高松工芸高校の東側の車道

 

▼番町3丁目交差点を直進横断、高松工芸高校に着いた

 

▼高松工芸高校-1

▼高松工芸高校-2、高松工芸高校の西側へ進む-1

 

▼高松工芸高校の西側へ進む-2、次の交差点を右(北)に渡る

 

▼高松工芸高校の西側へ進む-3、交差点の横断歩道から見る高松工芸高校

 

▼高松工芸高校の西側を北へ進む、西側から見る高松工芸高校-1

 

▼西側から見る高松工芸高校-2

 

 

▼高松工芸高校の西側から番町二丁目公園へ入る、番町二丁目公園に入る

 

▼番町二丁目公園-1、正面奥は新番丁小学校

 

▼番町二丁目公園-2、蒸気機関車C5812号機-1

▼番町二丁目公園-3:蒸気機関車C5812号機-2

 

▼番町二丁目公園-4:蒸気機関車C5812号機-3

 

▼番町二丁目公園-5

 

▼番町二丁目公園-6:生駒親正像

 

▼番町二丁目公園-7

 

▼番町二丁目公園-8、番町二丁目公園を後にして錦町へ向かう

 

(次報vol.978に続く)

 

引き続き、Vol.977-2/3をご覧ください。

Vol.977-2/3に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-県都:05菊池記念館/高松市史資料館

07.菊池寛記念館・高松市歴史資料館 <撮影:2017.06.25>

菊池寛(きくちかん)は、1888年(明治21年)現高松市に生まれ、「父帰る」「真珠夫人」など多くの作品を残した作家です。また、ヒューマニズム、リアリズムの作家として多くの読者を持ち、後世の作家たちにも多大な影響を与えました。一方、作家活動以外でも文藝春秋社の設立、「芥川賞・直木賞」「菊池寛賞」の創設、著作権の擁護、作家の地位向上など、数々の功績があります。

菊池寛顕彰会や菊池寛の知人、友人の協力により、郷土の彫刻家・新田藤太郎氏の手によって制作され、菊池寛の生家にほど近い中央公園南東、中央通りに面した場所に菊池寛の銅像が建立されています。また、菊池寛通りには、『父帰る』の一場面を表したブロンズ像が設置されています。 (高松市HP)

 

高松市歴史資料館の常設展示は、高松の歴史のなかでも特徴的なものをとりあげ、原始・古代から近・現代までを時代順に紹介しています。主な展示物として、重要文化財の田村神社古神宝類や、常設展示のシンボルとなっている高松藩御座船飛龍丸模型があげられます。また、高松市の東部にある屋島は、平安時代の末期に源氏と平氏が戦いを交えた古戦場として、よく知られています。当館では開館当初より、この屋島合戦にちなんで、源平合戦に関する絵画や、書籍といった資料を収集してきました。 (香川県HP)

 

<所在地・外観>

菊池寛記念館・高松市歴史資料館-高松市昭和町1-2-20

▼菊池寛記念館・高松市歴史資料館-菊池寛の生涯、高松市の歴史がわかる

 

 

サンクリスタル高松の3階に「菊池寛記念館」が有り、4階に高松市歴史資料館が、1階は市立図書館である。サンクリスタル高松は、JR高松駅から県庁へ向かい、番町1丁目交差点で西に曲がり、香川大学の北側を通ってさらに行くと、道の南側に大きなガラス張りの建物である。

 

<概 要><歴史遺産>

▼サンクリスタル高松

▼高松市中央図書館(1階)

 

 

▼菊池寛記念館-1(3階)

 

▼菊池寛記念館-2

 

 

菊池寛は、1888(明治21)年に高松で生まれた。館内には菊池寛の遺品のほか、菊池が文芸春秋社を創り、芥川賞・直木賞を創設した関係で、歴代の受賞者の肖像や原稿が展示されている。

 

▼菊池寛記念館パンフ-1(館内写真撮影禁止)

 

▼菊池寛記念館-芥川・直木賞(web引用-水彩画風変換)

 

 

銅像は中央公園内に有り、生家跡は県庁の少し東、菊池寛通りの南にある。

 

▼高松市中央公園

 

▼菊池寛銅像

▼菊池寛通り-1-菊池寛-文学碑・顕彰碑・生家の跡

 

▼菊池寛-文学碑、顕彰碑・生家の跡

▼菊池寛通り-2

 

▼菊池寛「父帰る」銅像-1

 

▼菊池寛「父帰る」銅像-2

 

 

<関連遺産>

4階の「高松市歴史資料館」には、高松市域の旧石器・縄文時代から第二次世界大戦後までの歴史が解るように展示されている。

 

高松市歴史資料館-1(4階)

 

▼高松市歴史資料館-2

 

▼高松市歴史資料館パンフ-常設展示室は写真撮影禁止

▼高松市歴史資料館-展示1、展示2:町並み-桟橋駅前付近(現在の中央通にあたる道)

(web引用-水彩画風変換)

 

 

高松城下町図屏風は、実物大の複製であるが、江戸時代の高松の様子が良く解り、今、自分が立っている所が江戸時代ではどこにあたるかを考える事が出来る。

 

▼高松城下図屏風(web引用-水彩画風変換)

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

宮池遊歩道の周回-1

  

水上展望台を振り返る

宮池遊歩道の周回-2

  

  

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-088  Orignal掲載日:Vol.131 (2012.07.30)

「私は…」を考えよう。

 

誰にも口癖があるが、口癖は考えグセであろう。夢を実現する人の口癖は「私は…」である。

例えば、北島康介選手は世界の水泳選手の中ではそれほど大きくはない。

背の高い手の長い選手は、その時点でひとかきが得なのである。バスケットの田臥選手のように、背の小さな人もいる。でも北島選手や田臥選手は、「私は体が小さいけど、小回りが利く」というふうに、「私は…」というところから発想ができるのである。

 

一方、夢を実現できない人の考え方はね「あの人は…」から始まる

「あの人は背が高い」とか「あの人はコーチがいい」と考えて、「あの人と私とは違う」と言うのである。

夢の実現のためには、自分に今、何が足りないかを分析することが必要であるが、夢を実現している人を見て、「あの人は…」と言っているうちは決して夢に近づけないのだ。そういう人は行動を起こさなくなる。

 

「私は…」と言う時は重心が前に乗るが、「あの人は…」と言う人は、重心が後ろに行って、ひっくり返りそうになっている。また、「あの人は…」の前には、「でも」という否定の接続詞がつきやすくなる。

「でも、あの人は…」と言うと、物事の見方がますますネガティブになってしまうのである。

「あの人は…」と考えず、「私は…」を考えよう。そして、夢を実現できる人となろう。

 

2012年夏季のオリンピックが開催されているが、「私は…」の多くの選手に期待したい。

 

 

<高くがる空間>

JR高徳線線路(上福岡町)の上空。

玉藻中学校(上福岡町)の上空。

御坊川と琴電長尾線鉄橋(上福岡町)の上空。

浪指神社(上福岡町)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇町並巡りで出会ったベビーサンローズ(写真は玄関門前)

アプテニア属で、「幸運の花を咲かせる」と云われる。それは「なかなか咲かない花」だからとのこと。

そのため、この花を見ると「幸運」になるといわれ、ベビーサンローズの花は、「幸運の花」と呼ばれているようだ。

 

原産地は中央アメリカで花期は7~9月で、花はマツバギクを小さくしたような姿で、ぽつぽつと咲かせる印象で、葉は多肉質の鮮緑色で、少し白みがかって見える。

株は横によく広がり、寒さにはやや弱いが温暖地なら露地で冬越しできるとの事である。

 

◇ウォーキングコース脇に咲くオキザリストリアングラリス

 

◇ウォーキングコース脇の盆栽店に咲くハマボウ(浜朴)

 

◇ウォーキングコース脇の畑に咲く時計草

 

 

 

Akijiiままniフォトsketch<高松国税KKR高松病院> 

高松国税局

高松市にある国税庁の地方支分部局で、徳島県・香川県・愛媛県・高知県の四国4県を管轄している。

 

KKR高松病院(国家公務員共済組合連合会KKR高松病院)

病院の1番目の特徴は、総合内科医とともに全ての内科領域の専門医が控えていることです。これにより診療科の壁がなく総合医と専門医がうまく融合し、専門領域の谷間に患者様が陥らないように配慮してきました。外科の診療体勢も充実しており消化器外科・呼吸器外科・泌尿器科・眼科・麻酔科が内科と協力しながら安心かつ確実な手術を心がけております。2番目の特徴は、チーム医療が充実していることです。主治医とメディカルスタッフが患者様を中心に周囲を取り囲むように職種連携が機能しております。

 

三宅リハビリテーション病院

三宅リハビリテーション病院は、ここ高松の地で80有余年地域医療に携わってまいりました。整形外科、リハビリテーション科、脳神経外科、脳神経内科の外来診療及び近隣医療機関からの入院患者様も積極的に受け入れ、充実した設備とスタッフでリハビリテーションを提供しています。

 

▼所在地、高松国税総合庁舎

高松市天神前:〒760-0018

 

▼KKR高松病院、三宅リバビリテーション病院

 

 

▼バス停「県庁通り中央公園前」で降車、高松国税総合庁舎へ向かう(約0.5km)

 

▼国道11号線を南に進む-1(菊池寛通り交差点を直進)、前方左奥に高松国税総合庁舎が見える

 

▼交差点の左(菊池寛通り-瓦町FLAG)方向、右(菊池寛通り-香川県庁)方向

 

▼国道11号線を南に進む-2、右前方に高松国税総合庁舎-1

 

▼右前方に高松国税総合庁舎-2、国道11号線を南に進む-3

 

▼右に高松国税総合庁舎、国道11号線の歩道橋を渡る

▼歩道橋を渡る-1

 

▼歩道橋を渡る-2、歩道橋から見る高松国税総合庁舎-1

 

▼歩道橋から見る国道11号線の右(北-高松港)方向、左(南-栗林公園)方向

▼歩道橋を渡る-3、歩道橋から見る高松国税総合庁舎-2

 

 

▼歩道橋を渡った、高松国税総合庁舎

 

▼国道11号線沿い(高松国税総合庁舎)に北へ進む-1

 

▼高松国税総合庁舎の石標、国道11号線沿い(高松国税総合庁舎)に北へ進む-2

 

▼高松国税総合庁舎を振り返る、中央奥に高松第二国税総合庁舎が見える

 

▼高松第二国税総合庁舎へ進む-1(次の交点を左折)、高松第二国税総合庁舎へ進む-2(次の交点を左折)

 

▼高松第二国税総合庁舎へ進む-3、左奥に高松国税総合庁舎

 

▼右に高松第二国税総合庁舎、高松第二国税総合庁舎-1(中央奥に香川県庁舎)

 

▼高松第二国税総合庁舎-2

 

▼左後方の高松国税総合庁舎、KKR高松病院(三宅リバビリテーション病院)へ向かう(約0.3km)

 

 

▼KKR高松病院へ進む-1

 

▼KKR高松病院へ進む-2

 

▼後方に高松国税総合庁舎が見える、KKR高松病院へ進む-3

 

 

▼正面奥にル・モンド田中ビル、KKR高松病院に着いた

▼KKR高松病院-1

 

▼KKR高松病院-2

 

▼KKR高松病院-3

 

▼KKR高松病院-4

 

▼KKR高松病院-5

 

▼左側に三宅リバビリテーション病院、三宅リバビリテーション病院-1

 

▼三宅リバビリテーション病院-2

▼三宅リバビリテーション病院-3、交点を左折

 

 

▼番町(香川県庁舎)へ向かう-1、前方に香川県庁舎

 

▼三宅リバビリテーション病院-4

 

▼番町(香川県庁舎)へ向かう-2(右折)、番町に入る

 

(次報Vol.977に続く)

 

 

<akijii展-(533)

美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-02

今報は無題g」で、所要時間は220Mでした。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.976-2/2をご覧ください。

Vol.976-1/2に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-県都:04<弘憲寺・法泉寺

05.弘憲寺 <撮影:2016.04.19 and 2017.08.25>

高松市にある高野山真言宗の寺院。山号は利剣山。本尊は不動明王。法泉寺とともに讃岐生駒家の菩提寺である。伝承によれば、奈良時代の天平年間、現丸亀市飯山町下法軍寺に法勲寺が開基。しかし、少なくとも鎌倉時代以後に廃寺となり、本尊・寺宝を島田寺へ移した。その後生駒親正が讃岐に入封すると法勲寺を再建し、良純上人に寺務を執らせた。親正の死後、息子の生駒一正は親正の墓所内(現在地)に法勲寺を移転し、親正の戒名(謚弘憲公)をとって弘憲寺と改称、古画・名器を島田寺から移転し、同寺を弘憲寺の末寺とした。

1868年(慶応4年)の鳥羽・伏見の戦いで幕府側についた高松藩は朝敵となり、迫る官軍の征討を回避するため二人の家老の首を鎮撫使に差し出した。1月18日、そのうちの一人の小河又右衛門が切腹したのが当寺である。これによって結果的に高松を戦火から逃れさせることが出来た。

2016年、生駒親正着用の甲冑が秋田県由利本荘市の龍源寺から寄贈された。4代高俊が生駒騒動により1640年(寛永17年)に出羽国由利郡矢島に改易されてから376年ぶりの里帰りとなった。  (Wikipediaより)

 

<所在地・外観>

弘憲寺(こうけんじ)-高松市錦町2-4-29

▼弘憲寺-夫婦仲良く並ぶ、生駒親正(ちかまさ)夫婦の墓所

 

 

JR高松駅から県道173号線に入り南方向に進み、瀬戸大橋通りの信号交差点を右(西)折、瀬戸大橋通りを西に行き県庁前通りとの信号交差点を右折して南に進む。約150mの交差点で右折して西方向に500m進むと、突き当りに「弘憲寺」がある。

 

<概 要><歴史遺産>

▼NHK高松放送局北側の道、突き当りが弘憲寺

 

▼弘憲寺-全景、山門

 

▼弘憲寺-讃岐一国八十八箇所第一番霊場の石柱、生駒親正公墓所の説明板

 

▼弘憲寺-山門から弁天堂を見る、境内案内図

 

▼弘憲寺-境内

 

▼弘憲寺-平和塔

 

▼弘憲寺-鐘楼、本堂

 

 

1609(慶長14)年、生駒一正(かずまさ)がこの地に父親正(ちかまさ)の墓を作った時に創建された寺で、「生駒親正夫妻墓所」は県史跡に指定されている。寺号の弘憲は、親正の法名に因む。

 

▼生駒親正夫妻墓所説明板、墓石

 

 

弘憲寺は、鵜足(うた)郡上法軍寺村(かみほうぐんじむら)(現、丸亀市飯山町)に有った法勲寺を、高松へ移したものである。法勲寺は讃岐にとっては由緒ある寺で、父親正が生前、法勲寺を引き継いだ嶋田寺(丸亀市飯山町下法軍寺)の良純に帰依していた事による。古い仏像・仏具は、法勲寺由来のものであろう。

 

▼法勲寺跡

 

▼法勲寺(現在)

 

▼嶋田寺

 

 

本尊の「木造不動明王立像」(国重文)は、ヒノキの一本造。平安時代後期(11世紀)のもので、頭髪や裳(も)に特色が有る。もう1本の「木造地蔵菩薩立像」(県文化)も平安時代後期(12世紀)のもので、優美な都風(みやこふう)を示している。

 

▼木造不動明王立像、木造地蔵菩薩立像(web引用-水彩画風変換)

 

▼天部形立像、金襴波引車紋散七条袈裟(web引用-水彩画風変換)

 

 

密教法具(金剛盤こんごうばん・六器ろくき・火舎かしゃ・飲食器おんじきき・灑水器しゃすいき・塗香器ずこうき、国重文)は、鎌倉時代のもので、鋳銅鍍金。側面に蓮弁があるのが特色である。

 

▼灑水器・塗香器、金剛盤(web引用-水彩画風変換)

 

▼六器・火舎・飲食器(web引用-水彩画風変換)

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

06.法泉寺 <撮影:2017.06.25 and 2018.06.04>

弘憲寺とともに生駒家菩提寺である。もっとも釈迦像の立つ寺と言ったほうが、市民の間ではとおりがいいかもしれない。その釈迦像の北側、奥まった場所に小さな半間四方の堂がある。この堂が生駒廟と呼ばれており、内部には生駒家二代・生駒一正(1555~1610)、三代・生駒正俊(1586~1621)の五輪塔の墓が安置される。五輪塔は花崗岩製の小さなもので、それぞれ戒名が墨書されている。なお、法泉寺(ほうせんじ)の寺名は、生駒正俊の戒名に由来する。

高松空襲によって法泉寺は打撃を受け、寺域も戦後の区画整理等により大きく変化した。

生駒廟・釈迦像ともに移転しており、西側道路の歩道に旧位置を示す石碑が戦前の状況を伝えるに過ぎない。なお、東門傍に吊られた「銅鐘」は、生駒家が朝鮮出兵・文禄の役(1592)のときに陣鐘として利用したものと、伝えられている。鐘は銘によれば、元徳2年(1330)に備前・金岡庄(岡山市西大寺)の窪八幡にあったもので、市内では重要文化財に指定されている屋島寺梵鐘についで古い例である。県指定の有形文化財となっている。       (高松市HP)

 

<所在地・外観>

▼法泉寺-高松市番町1-3-19

▼法泉寺-生駒家2代一正・3代正俊(の墓所

 

 

JR高松駅から県庁前通り(県道173号線)を南方向に向かうと(駅前から約0.9km)、通りの東側に大きな仏像の立つ「法泉寺」(臨済宗妙心寺派)がある。

 

<概 要><歴史遺産>

▼法泉寺-入口、美術品・文化財品書き

銅鍾は保存のため外部に出して無いらしく見当たらなかった。

 

▼法泉寺-境内、本堂

 

▼法泉寺-樹齢400年の大蘇鉄-高松市の名木

 

 

この像は大釈迦立像で、日露戦争(1904~05)戦没者の慰霊碑である。

 

▼法泉寺-大釈迦立像

 

 

この法泉寺は、生駒氏によって宇多津から移されたと伝えられる。

境内奥に生駒家霊廟があり、生駒一正・正俊の五輪塔が祀られている。

 

▼法泉寺--生駒家廟、軍用馬・鳩・犬慰霊碑、たぬきの眼鏡・蹲

 

▼法泉寺-生駒家廟、生駒家廟の説明板

▼法泉寺-生駒家廟五輪塔

 

▼法泉寺-軍用馬・鳩・犬慰霊碑、たぬきの眼鏡・蹲(つくばい)

 

 

▼法泉寺-銅鍾の説明板、保存のため外部には無く見ることが適わなかったので

(web引用-水彩画風変換)

 

 

<関連遺産>

法泉寺東隣の「地蔵寺」(高野山真言宗)には、名工といわれた左甚五郎の墓がある。

甚五郎は、晩年、生駒家4代高俊に仕えて高松にいたが、郊外の三谷村(現、高松市三谷町)で没した後、この地に葬られたと伝えられる。

 

▼地蔵寺-1

左甚五郎の墓を確認できなかった。

 

▼地蔵寺-2

 

 

法泉寺から県道173号線を南に少し下り右折した高松聖母幼稚園の西隣に香川用水の完成を記念して造られた「香川用水記念館」がある。(現在は番町5-1-29に移設)

 

▼(旧)香川用水記念館-1(高松市番町1丁目)

 

 

4階が香川用水資料館になっており、溜池用具や古文書など用水の史料が展示されている。

 

▼(旧)香川用水記念館-2(高松市番町1丁目)、入館はやめた

 

 

▼(新)香川用水記念館(高松市番町5丁目)

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

洪水吐から流れ出る満水の宮池。

上流の新居新池・大池からの受水口、洪水吐。

 

洪水吐から流れ出る満水の宮池のパノラマ景。

洪水吐から流れ出る満水の宮池水上展望台。

洪水吐から流れ出る満水の宮池の斜樋管1号、斜樋管2号。

 

パーゴラから見る水上展望台のズーム景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-087 Orignal掲載日:Vol.130 (2012.07.25)

水面上の景色を知ろう…。

 

人生は「紙一重の差の積み重ね」が、大きな差を呼ぶ。当たり前のことでも、目標に向けてコツコツと真面目に積み重ねている人は必ず芽が出て、それが結果となる。だから歯を食いしばって、そこまで努力しなければいけないのだ。例えていうと、最初は皆、水中に居るようなもの、そして少しずつ階段を上がっていくと水面に近づく。

ある時、一段上がると、突然、目が水中から出る。すると、今までみていたのと、まるで違う世界が目の前に広がっているのだ。水中で見ているのとでは、まったく違う世界で、景色も、色も、音も、匂いも、空気の吸い方まで違うのだ。

そこまで頑張らないといけない。

 

水面は波があるので、本当はまだ水中にいるのに、波が引いて一瞬、水上が見えることがあるが、それはただ運のいい人。階段を上がり詰めた実力ではないので、波が戻るとまた水中に没してしまう。

逆にいうと、ある程度、水面に上がっていても、運悪く波をかぶってしまうこともあろう。その時は、めげずに待っていれば、実力が本当にあれば、また水面に出られる。あるいはもっと上に上がれるよう、努力してコツコツと積み重ねていけば、もう波をかぶらずに済み、ずっと上のほうに行くことができる。

 

私は、水面に出ることは一人前を越えて、一流のレベルに達する事だと思う。

一人前のレベルではまだ水の中で、半人前だと、水中でも水底に近いところである、と考えるところだ。

多くの人は水中にいて、水の上を知らない。人によっては水面との差はあと数センチ、あるいはわずか数ミリかもしれないが、コツコツ積み上げるしかないのだ。そうして努力を重ねて、ある日、一流になると、まったく違う世界を見ることになるのである。

あなたは将来のために、いま何を積み上げていますか?

 

「散歩のついでに富士山に登った人はいない」この言葉の意味は理解できますよね。

 

 

<高くがる空間>

オリーブ高松メディカルクリニック(観光町)の上空。

県道155号線沿いの高松高等予備校(観光町)の上空。

御坊川と伊達病院(観光町)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースに咲くヤマハギの花

コース-1(地点標高30m)

コース-2(左側)、コース-3、コース-4(地点標高44m)

  

コース-5(東方向の杉山団地の遠景)

コース-6、コース-7、コース-8(右に盆栽神社-次の交点を右折)

  

コース-9(地点標高85m)

コース-10(地点標高86m)-前川を渡る、コース-11(左に城山の登山口・雨が降って来た-強さはザーザー)、コース-12(山裾にヤマハギ)

  

ヤマハギ

 

コース-13(地点標高74m)

コース-14、コース-15(右下に人参の花)

  

人参の花

 

コース-16(地点標高66m)、コース-17(新居新池が霞んでいる)、コース-18(地点標高40m)

  

 

コース-20(地点標高39m-自宅から約2.7km地点)、コース-21、コース-22 

 

 

コース-23(地点標高31m-左折して田圃道を進み新居宮池へ約0.2km)

 

 

Akijiiままniフォトsketch<常福寺・真行寺・愛宕神社・扇町公園

常福寺

真宗仏光寺派の寺院で、立派な山門がありますが、常時閉まっているようだが、境内は東側から入れ自由に拝観することができる。本堂の前には石の涅槃像などのレリーフがある。新しい石像のようである。

真行寺

真宗大谷派で築地塀に囲まれた立派な寺院で、薬医門・本堂・庫裡などがある。本堂の大きな屋根が目立ち、境内には、銀杏・蘇鉄の大木がある。説明書によると当寺院は、南北時代に飯田城主藤井将監が庵治沖の大島に法蔵坊を立てたのがその始まりで、その後北浜に移って300年、松平頼重が入部した時に現在の地に移転したとの事で、歴史ある寺院である。

愛宕神社

--境内由緒書より--

當愛宕神社の祭神は火産霊之神・伊佐奈美之神・天津比買之神の三柱の神にて遥かなる上古より瀬戸の波上する白砂青松のこの地に鎮座ましまし、開運勝利火伏の神として霊験あらたかにして人々の信仰あつきものありたり。されば中世京都よりやんごとなき姫君戦乱をさけてこの地来りこの神々を信仰せられしが良縁を得て一家繁盛されしと云ひ伝へらる。
又岡田丹後守この地に城をかまへこの神々を守護神とあがめしため多くの勝利を得て武威を輝かせりといふ。
これ等によれば生駒氏の前より威徳高き神社でありたるが松平氏の時代にも上下の尊信をうけ神域神殿尊厳きわめ、更に明治、大正、昭和と社運隆々たりしが昭和二十一年の戦災には全市焼失のなか本殿は勿論氏子の家々一つとして災害なかりしは火伏の霊験によると人々癒癒畏み尊信す。ここにより人々相より神域を整へ社殿を修復し愛宕神社会館を建築し神徳をたたふ。そのとき岸本聖四郎画伯に神社の往昔姿を現さん事を乞う、画伯これに応えて力作を以て人々の期待に沿ひ神徳をあらわす・・・・・・に伝ふるものなり。

周りは高松の下町と言った雰囲気で、空き地が殆ど無い為か、西側は扇町公園や老人いこいの家等があり、境内は有料駐車場となっている。由緒書にある「白砂青松」は想像すら出来ず、環境の変わりように驚くばかりだ。

扇町公園

住宅街にあるが、なかなか広くて遊具も多いのでお勧めです。

子供が走り回るには十分なスペースだし、ロケットみたいな遊具やヒューム管を利用した遊具が多い。

因みにこの公園は西浜小学校の跡地で、今は合併して無いが日新小学校の前身である。

また、JR高松駅が近く、公園のすぐ北側に予讃線・瀬戸大橋線・高徳線の線路があり、列車の往来が多いので、列車好きな子供は喜ぶ事でしょう。

 

▼所在地、常福寺

高松市扇町:〒760-0013

 

▼真行寺、松川嘉延商店(扇町の路地裏ART)

 

▼愛宕神社、扇町公園

 

 

▼サンクリスタル高松(昭和町)を後にして常福寺(扇町)へ進む、信号交差点を北へ渡る

 

▼北東に県立視覚支援学校、昭和町を東に進み次の交点を左折(扇町に入る)

 

▼扇町を北に進む-1、右側は県立視覚支援学校

 

▼県立視覚支援学校-1

 

▼扇町を北に進む-2(次の交点を右折)、扇町を東へ進む-1

 

▼県立視覚支援学校-2、扇町を東へ進む-2

 

▼県立視覚支援学校-3、扇町を東へ進む-3

 

▼扇町を東へ進む-4、右奥に常福寺が見えて来た

 

 

▼常福寺の山門に着いた、常福寺-1

 

▼常福寺-2

 

▼常福寺-3

 

▼常福寺-4

 

▼常福寺-5

▼常福寺-6

 

▼常福寺-7

 

▼常福寺-8、常福寺を後にして東隣の真行寺に向かう(約0.1km)

 

 

▼真行寺の山門へ進む-1

 

▼真行寺の山門へ進む-2

 

▼真行寺の山門へ進む-3

 

▼真行寺の山門へ進む-4

 

▼真行寺の山門に着いた、真行寺-1

 

▼真行寺-2

 

▼真行寺-3

 

▼真行寺-4

 

▼真行寺-5

 

▼真行寺-6

 

▼真行寺-7

 

▼真行寺-8

 

▼真行寺-9

 

(Vol.975-2/に続く)

 

 

<akijii展-(532)

美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-02

今報は「鳩b」で、所要時間は305Mでした。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.975-2/4をご覧ください。

Vol.975-1/4に続けてご覧ください。

 

▼真行寺を後にして愛宕神社へ向かう(約0.3km)、扇町を東に進み次の交点を左折

 

▼扇町を北方向に進む、次の交差点を直進横断

 

▼交差点の西北角に「松川嘉延商店(扇町の路地裏ART)」、松川嘉延商店(扇町の路地裏ART)-1

 

▼松川嘉延商店(扇町の路地裏ART)-2

 

▼松川嘉延商店(扇町の路地裏ART)-3

 

 

▼正面奥に愛宕神社が見える、愛宕神社に着いた

 

▼愛宕神社-1

 

▼愛宕神社-2

 

▼愛宕神社-3

 

▼愛宕神社-4

 

▼愛宕神社-5

 

▼愛宕神社-6

 

▼愛宕神社-7

 

▼愛宕神社-8

 

▼愛宕神社-9

 

 

▼愛宕神社の隣の扇町公園へ進む、扇町公園へ入る

 

▼扇町公園-1

 

▼扇町公園-2

 

▼扇町公園-3

 

▼扇町公園-4

 

▼扇町公園-5

 

▼扇町公園-6

 

▼扇町公園-7

 

▼扇町公園-8

 

▼扇町公園-9

 

▼扇町公園から見る愛宕神社、扇町公園を後にして帰路のJR高松駅へ向かう(約1.0km)

 

 

▼JR高松駅へ進む-1

 

▼左(北)方向に地蔵寺、右(南)奥に弘憲寺

 

▼錦町へ入った、JR高松駅へ進む-2

 

▼JR高松駅へ進む-3、大的場跨線橋(瀬戸大橋通り)を潜る

 

▼JR高松駅へ進む-4

 

▼JR高松駅へ進む-5

 

▼錦町公園に寄る、錦町公園-1

 

▼錦町公園-2

 

▼JR高松駅へ進む-6

 

▼JR高松駅へ進む-7

 

▼JR高松駅へ進む-8

▼JR高松駅へ進む-9、JR高松駅に着き帰宅の途に就いた

 

 

引き続き、Vol.975-3/4をご覧ください。

Vol.975-2/4に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-県都:03香川県立ミュジアム・瀬戸内海歴史民俗資料館

<03.香川県立ミュージアム> <撮影:2016.04.14 and 2018.06.21>

人文科学系博物館。主に歴史と美術の展示を行っている。分館として香川県文化会館と瀬戸内海歴史民俗資料館の2館を有している。1999年11月に「香川県歴史博物館」として開館。2008年4月に香川県立の博物館の再編が行われ、香川県立文化会館および瀬戸内海歴史民俗資料館の2館が統合され当館の分館との位置づけとなるとともに、香川県立文化会館の美術部門が当館に移され、館名も「香川県立ミュージアム」と改称した。2009年4月には文化会館内に香川県漆芸研究所が移転している。

歴史博物館と美術館の機能を併せ持つ複合博物館として、香川県の歴史・民俗・美術に関する調査、研究、展示、講演会、体験学習会などを行い、香川県の文化の拠点となっている施設である。    (Wikipediaより)

 

<所在地・外観> 

▼香川県立ミュージアム-高松市玉藻町5-5

▼香川県立ミュージアム-香川県の歴史と、民俗と芸術がわかる展示

  

 

高松城跡の北側の国道30号線(水城通り)を東に進むと、南側に城の石垣を跨いで「県民ホール(レグザムホール)」がある。

 

▼県民ホール(レグザムホール)-外観

 

▼県民ホール(レグザムホール)-ホール入口

 

▼県民ホール(レグザムホール)-ホール内:猪熊弦一郎壁画、林康子顕彰資料館

 

▼県民ホール(レグザムホール)-大ホール(web引用-水彩画風変換)

 

▼県民ホール(レグザムホール)-小ホール(web引用-水彩画風変換)

 

▼県民ホール(レグザムホール)-多目的大会議室「玉藻」(web引用-水彩画風変換)

 

▼県民ホール(レグザムホール)-大会議室(web引用-水彩画風変換)

 

 

<関連遺産>   

もと城の東の丸があった所で、地下には、生駒時代の石垣が復元・保存されている。

 

▼地下保存-東之丸下層石垣-1(web引用-水彩画風変換)

 

▼地下保存-東之丸下層石垣-2(web引用-水彩画風変換)

 

▼地下保存-東之丸下層石垣-3(web引用-水彩画風変換)

 

 

また、5階の窓から北を見ると、フェリーの発着が見え、現在の港町高松を実感出来る。

西を見ると、高松城跡を上から見る事が出来る。

 

▼5階の窓からの眺望-高松港、高松城跡

 

 

県民ホール楽屋入口が東の丸の東北の隅にあたり、石垣の東北の隅にはかつて艮(うしとら)櫓があった。

 

▼高松城跡の石積み突堤(とってい)-1

▼高松城跡の石積み突堤-2

 

▼高松城跡の石積み突堤-3

 

 

現在、艮櫓は東南の隅に移築されている。

 

▼当時の艮櫓の写真(右は今はない鹿櫓-web)引用)、現在の艮櫓

 

 

県民ホール前を東に進み、フェリー通りの交点を右折(南)、200m程行くと、「県立ミュージアム」がある。

 

<概 要><歴史遺産>

県立ミュージアムには、「藤原佐理(ふじわらのすけまさ)筆詩懐紙(しかいし)(国宝)や太刀・月江正印墨蹟

(がっこうしょういんぼくせき)・清拙正澄(せいせつしょうしょう)墨蹟・紙本墨書花園(しほんぼくしょはなぞの)天皇宸翰御消息(しんかんおんしょうそく)・光厳院(こんごういん)宸翰御奉納心経(ごほうのうしんぎょう)・法華経」(いずれも国重文)など、藩主松平家に伝わってきた貴重な史料が収蔵されている。

 

▼県立ミュージアム-外観、入口

 

▼県立ミュージアム-東ノ丸の石垣-1

 

▼県立ミュージアム-東ノ丸の石垣-2

 

▼県立ミュージアム-常設展示パンフ

 

 

原始・古代から近現代にまで及ぶ展示は、香川県の歴史について知識を与えてくれる。

 

▼県立ミュージアム歴史展示室-全体MAP、原始(web引用-水彩画風変換)

 

▼県立ミュージアム歴史展示室-古代、中世(web引用-水彩画風変換)

 

▼県立ミュージアム近歴史展示室-近世、近現代(web引用-水彩画風変換)

 

 

企画展示は、高松松平家伝来の名宝、水と讃岐の暮らし、空海の生涯、美術と文化などのテーマが設定されている。中でも藩主が乗った御座船の「御座の間」を再現した展示は、細密な原図に基づいたもので、見応えがある。

 

▼県立ミュージアム企画展示(瀬戸内のくらし)-サワラ突きのミセエド、獅子頭(web引用-水彩画風変換)

 

▼県立ミュージアム企画展示(空海の生涯と事績)-金銅錫杖頭(国宝)、金銅四天五鈷鈴(重文)(web引用-水彩画風変換)

 

▼県立ミュージアム企画展示(ジョルジュ・ルオー〈モニック〉)-修復前、修復後(web引用-水彩画風変換)

 

▼県立ミュージアム企画展示(幽玄の美・能面)-万媚(まんび)、東江(とごう)(web引用-水彩画風変換)

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

引き続き、Vol.975-4/4をご覧ください。

Vol.975-2/3に続けてご覧ください。

 

04.瀬戸内海歴史民俗資料館  <撮影:2018.06.26>

五色台にある人文系博物館で、国の重要有形民俗文化財2件・約5700点を含む瀬戸内海に関する資料約13万点所蔵、展示し、瀬戸内海域の歴史、文化を紹介する施設である。

建物は1974年度日本建築学会賞等を受賞し、公共建築百選、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築にも選ばれた現代建築の秀作。平成19年4月1日、香川県歴史博物館(現香川県立ミュージアム)と統合され、同分館の位置付けとなる。    (Wikipediaより)

 

<所在地・外観>

▼瀬戸内海歴史民俗資料館-高松市垂水町1412-2

▼瀬戸内海歴史民俗資料館-瀬戸内海の漁撈用具・船大工用具などを展示

 

 

JR坂出駅から北へ進み、浜街道で右折して東へ行く。雌山・雄山の手前の林田町交差点で左折し、林田港手前の交差点で右折し、坂出市塩業資料館の前を通り過ぎて左(北)へ曲がり海沿いに行くと、大崎の鼻に出る。大崎の鼻から五色台へ向かう県道281号線(五色台スカイライン)を上り、突き当りを右に曲がって少し行くと、石の砦のような「瀬戸内海歴史民俗資料館」がある。

 

私はJR坂出駅から琴参バス「大崎行」に乗車し終点の「大崎」で降車して、県道281号線(五色台スカイライン)を登って行った。五色台スカイラインは約1.8kmで所要時間は約30分であった。

現在、琴参バス王越線の終着バス停は「木沢」で、大崎の鼻(旧バス停-大崎)までは県道16号線で、約2.0kmである。

 

<概 要><歴史遺産>

▼五色台スカイライン登り-1

 

▼五色台スカイライン登り-2

 

▼五色台スカイライン登り-3

 

▼五色台スカイライン登り-4、大崎山登山道との三叉路が見えてきた

 

▼瀬戸内海歴史民俗資料館へ200mの標示板、瀬戸内海歴史民俗資料館へ進む

 

▼瀬戸内海歴史民俗資料館駐車場入口前を通過、大崎山園地への分岐地点に着いた

 

▼瀬戸内海歴史民俗資料館の入口に着いた

 

 

日本建築学会賞を受賞した建物で、県立であるが、瀬戸内海という広域の資料を集める歴史民俗資料館として1973(昭和48)年に開館し、現在は県立ミュージアムの分館になっている。

 

▼瀬戸内海歴史民俗資料館-外観1

 

▼瀬戸内海歴史民俗資料館-外観2

▼瀬戸内海歴史民俗資料館-入館

 

▼瀬戸内海歴史民俗資料館-受賞などの説明

 

 

入館して驚かされるのは、大きな展示室いっぱいに実物の鯛網の船が展示されている事である。

 

▼鯛網の船-1

▼鯛網の船-2

 

 

かつて瀬戸内海の風物詩であった鯛縛網を始めとする「瀬戸内海及び周辺地域の漁撈用具」2843点「瀬戸内海の瀬戸内海の船図及び船大工用具」2813点(ともに国民俗)が収集・展示されている。

瀬戸内や香川の民俗を対象に、調査研究している専門資料館である。

 

▼館内展示-1

 

▼館内展示-2

 

▼館内展示-3

 

▼館内展示-4

 

▼館内展示-5

 

▼館内展示-6

 

▼館内展示-7

 

▼瀬戸内海歴史民俗資料館-屋上1

 

▼瀬戸内海歴史民俗資料館-屋上-2

 

▼瀬戸内海歴史民俗資料館-館外展示

 

 

<関連遺産>

海歴史民俗資料館から西に約0.5kmの所に大崎山園地展望台が有り、そこに世界的に有名な彫刻家、流政之の作品「またきまい」が設置されている。

 

▼流政之の作品「またきまい」

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

梅雨の多量の雨で満水の宮池4景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-086  Orignal掲載日:Vol.129 (2012.07.20)

感謝報恩。

 

宇宙は百億くらい、その一つに地球の属する銀河系宇宙があり、その大きさは楕円形で、光の速度で直径が十万年、厚さが一番厚いところで一万五千年かかる距離だという。この宇宙の中に地球だけに生命が宿されているが、そこに住む生命体に宇宙は等しく天敵を与えた。天敵がいなければあらゆる生命は増長し、蔓延、跋扈し、調和を愛する宇宙の心に反するということだろう。

ただ、限りない生命体の中で人間にだけ、なぜか天敵がいない。

 

ある識者が長い間の疑問に、答えを出した。それは人間の天敵は外ではなく、心の中にいるのだ、と。人間を襲い、蝕む天敵。それは心の中に巣くう不平不満だと…。

事あるごとに湧き起こってくる不平、不満、愚痴こそ、人間を滅ぼす天敵であるのだ、と。

 

人間を損なう天敵の対極にあるのは感謝であるが、心が感謝の思いに満ち溢れた時、あらゆる不平不満は一気に消え去る。感謝こそ人間という生命体を健やかに成長させる根幹である。

「恩」という字は「口」と「大」と「心」から成っているが、「口」は環境。「大」は人が手足を伸ばしている姿である。何のおかげでこのように手足を伸ばしておられるのか、と思う心が「恩を知る」と言うことである。

 

安岡正篤師の言がある。

「我々は天地の恩、人間の恩、道の恩、教えの恩など、あらゆる「恩」の中にあります。これに絶えず報いていくのが生活であります」

 

感謝報復の人生を歩みたいものである。

 

 

<高くがる空間>

梅雨空の合間にウォーキングコースから見る新居新池と奥谷ハイランドの上空。

松島公園(松島町)の上空。

高松第一学園(松島町)の上空。

高松市こども未来館(たかまつミライエ)(松島町)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコース脇のSe宅の畑に咲くグラジオラス

 

◇ウォーキングコースのYo宅とSo宅に咲くムラサキクンシラン

 

 

 

◇ウォーキングコースに咲くベナ

 

◇ウォーキングコース脇に咲くルドベキア

 

◇ウォーキングコース脇の墓園に咲くハルシャギク

 

◇ウォーキングコースとSe宅の畑に咲ヒメオオギズイセン

 

 

 

 

Akijii気ままniフォトsketch<紫雲中幸町キャンパス・サンクリスタル高松 

 紫雲中学校は、紫雲町にある県都高松を統べる市立中学校で、校区内の児童自立支援施設、香川県立斯道学園にみねやま分校を設置している。「自主独立」を校訓に掲げ、正門前に自主独立像がある。

通学区域は高松市本庁地区の一部と高松市中心部の西部一帯にあたる。

2022年度の学校全体の生徒数は、628人(男子:311、女子:317)、特別支援学級:13人である。

 

香川大学幸町キャンパスは、教育学部・法学部・経済学部・教育学研究科・法学研究科・経済学研究科・地域マネジメント研究科・創造工学部(造形・メディアデザインコース)・図書館・博物館・教育学部附属教職支援開発センター・四国危機管理教育・研究・地域連携推進機構・国際希少糖研究教育機構・大学教育開発センター・アドミッションセンター・学生支援センター・キャリア支援センター・地域連携・生涯学習センター・瀬戸内圏研究センター・情報メディアセンター・産学連携・知的財産センター・大学連携e-Learning教育支援センター四国・インターナショナルオフィス・研究戦略室・地域・産学官連携戦略室・保健管理センター・広報室・大学評価室・男女共同参画推進室・法人本部である。

 

サンクリスタル高松

平成4(1992)年11月に開館したサンクリスタル高松は、施設内に高松市中央図書館、菊池寛記念館 及び高松市歴史資料館が設置され、市民の知識及び教養の向上と市民文化の発展に寄与するほか、生涯学習の形成の場として重要な役割を担う施設である。開館からまもなく30年が経過し、その間に社会情勢は大きく変化してきた。平成26年に42万人を超えていた本市の人口は、その後減少し、少子・超高齢社会へと急速に進んでいる。また、働き方の変化、デジタル化の推進など我々を取り巻く環境は大きく変わり、中でもスマートフォンやタブレットが登場し、インターネットに接続されるディバイスの裾野が広がってきており、新型コロナウイルス感染症拡大の影響でデジタルツールの活用は一層加速した。

さらにAI、IoT、5Gなど、新技術の社会実装が世界中で進行している。このような中、本市ではスマートシティの推進に取り組んできており、デジタル技術を活用した地域課題の解決や、行政手続のデジタル化、さらには、官民連携・広域連携による新たなDX推進拠点である「かがわDX Lab」への参画など、今後も取組を加速していくこととしている。もはや紙の本だけが情報媒体の主流だった時代は終了し、紙の資料だけでは利用者のニーズは 十分には果たせなくなっており、図書館においても資料やサービスのデジタル化に取り組んでいかなければいけない時期にきている。さらに、文化庁では図書館の蔵書をデータ化し送信することなどに関し、著作権法改正の動きがみられる。

(サンクリスタル高松リニューアル基本構想から抜粋)

 

▼所在地、紫雲中学校

高松市紫雲町:〒760-0015、幸町:〒760-0016、昭和町:〒760-0014

 

▼香川大学幸町キャンパス、サンクリスタル高松

 

 

▼バス停「紫雲中学校前」で降車(紫雲町)、紫雲中学校の正門へ向かう(約0.2km)

 

▼県道33号線を西方向へ進む-1(前方右奥に学校が見える)、右奥の紫雲中学校-1

 

▼県道33号線を西方向へ進む-2(次の交差点を渡る)、交差点を横断

 

 

▼紫雲中学校の正門前に着いた(自主独立像が見える)、自主独立像

▼紫雲中学校を西側からスケッチへ、紫雲中学校の西沿いに西から北方向に進む

 

▼紫雲中学校の西沿いを北方向に進む

 

▼紫雲中学校を西側からスケッチ-1

 

▼紫雲中学校を西側からスケッチ-2、紫雲中学校の正門に戻る-1

 

▼紫雲中学校の正門に戻る-2

 

▼紫雲中学校の正門前に戻った、紫雲中学校の自主独立像

 

▼紫雲中学校を東側からスケッチへ、県道33号線を東方向に進む(右に高松宮脇町郵便局-次の交点を左折)

 

▼紫雲町を北方向に進む-1、紫雲中学校を東側からスケッチ-1

 

▼紫雲中学校を東側からスケッチ-2、紫雲町を北方向に進む-2

 

▼紫雲中学校を東側からスケッチ-3、東北角からスケッチ

 

▼紫雲中学校を後にして香川大学幸町キャンパス大平正芳胸像へ向かう(約0.1km)、幸町へ入り北から東方向に進む

 

▼幸町を東方向に進む(前方奥に香川県庁舎)、次の交点を右折

 

 

▼香川大学法学部

 

▼大平正芳の胸像前に着いた(幸町南6号館の手前右側)、大平正芳の胸像

▼香川大学幸町南キャンパスを気ままniにスケッチ、香川大学幸町南キャンパスのスケッチ-1

 

▼香川大学幸町南キャンパスのスケッチ-2

 

▼香川大学幸町南キャンパスのスケッチ-3

 

▼香川大学幸町南キャンパスのスケッチ-4

 

▼香川大学幸町南キャンパスのスケッチ-5

 

▼香川大学幸町南キャンパスのスケッチ-6

 

▼香川大学幸町南キャンパスのスケッチ-7

 

▼香川大学幸町南キャンパスのスケッチ-8

 

▼香川大学幸町南キャンパスのスケッチ-9

 

▼香川大学幸町南キャンパスのスケッチ-10

▼香川大学幸町南キャンパスのスケッチ-11

 

▼香川大学幸町南キャンパスのスケッチ-12

 

▼香川大学幸町南キャンパスを後にする、香川大学幸町南キャンパスの東門を出て香川大学正門へ進む

 

(VOL.974-2/3に続く)

 

 

<akijii展-(531)

美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-02

今報は「馬」で、所要時間は315Mでした。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.974-2/3をご覧ください。

Vol.974-1/3に続けてご覧ください。

 

▼正面(北)に香川大学幸町北キャンパスの東門、幸町を東方向に進む

 

▼次の大学通り交差点を左折、大学通りの南方向

 

▼大学通りを北方向に進む-1

 

▼大学通りを北方向に進む-2、香川大学の正門に着いた

 

 

▼香川大学の正門

▼香川大学幸町北キャンパスを気ままniにスケッチ、香川大学幸町北キャンパスのスケッチ-1

 

▼香川大学幸町北キャンパスのスケッチ-2

 

▼香川大学幸町北キャンパスのスケッチ-3

 

▼香川大学幸町北キャンパスのスケッチ-4

 

▼香川大学幸町北キャンパスのスケッチ-5

 

▼香川大学幸町北キャンパスのスケッチ-6

 

▼香川大学幸町北キャンパスのスケッチ-7

 

▼香川大学幸町北キャンパスのスケッチ-8

 

▼香川大学幸町北キャンパスのスケッチ-9

 

▼香川大学幸町北キャンパスのスケッチ-10

 

▼香川大学幸町北キャンパスのスケッチ-11

 

▼香川大学幸町北キャンパス(教育学部)を後にしてサンクリスタル高松へ向かう(約0.3Km)、香川大学教育学部門を出て左折

 

 

▼幸町を西方向に進む-1

 

▼幸町を西方向に進む-2、左奥は香川大学幸町北キャンパス

 

▼幸町を西方向に進む-3、左は香川大学関係者通用門

 

▼昭和町に入った、昭和町を西方向に進む-1

 

▼昭和町を西方向に進む-2、サンクリスタル高松に着いた

 

 

▼サンクリスタル高松を左廻り周回-1

 

▼サンクリスタル高松を左廻り周回-2

 

▼サンクリスタル高松を左廻り周回-3

 

▼サンクリスタル高松を左廻り周回-4

 

▼サンクリスタル高松を左廻り周回-5

 

▼サンクリスタル高松を左廻り周回-6

 

▼サンクリスタル高松を左廻り周回-7

 

▼サンクリスタル高松を左廻り周回-8

 

 

当日は開館時間外で有った為、館内スケッチが出来なかったので、WEB引用します。

▼サンクリスタル高松館内-1

▼サンクリスタル高松館内-2

 

▼サンクリスタル高松館内-3

 

 

▼高松市中央図書館

 

 

▼菊池寛記念館-1

▼菊池寛記念館-2

 

▼菊池寛記念館-3

 

 

▼歴史資料館-1

▼歴史資料館-2

 

▼歴史資料館-3

 

▼歴史資料館-4

 

 

▼サンクリスタル高松の全景、サンクリスタル高松を後にして常福寺(扇町)へ向かう(約0.5Km)

 

(次報VOL.975に続く)

 

引き続き、Vol.974-3/3をご覧ください。