akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記 -24ページ目

akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

撮影ポイントと地点の標高。

宮池の遊歩道海抜32m、a地点標高107m(直線距離1.5km)、b地点標高73m、c地点標高44m(直線距離0.2km)である。

・a地点からの宮池、a地点からの宮池のズーム景-1

 

・a地点からの宮池のズーム景-2

b地点からの宮池、ズーム景

 

c地点からの宮池、ズーム景

 

・c地点から下りて宮池へ進む、宮池の北西端に着いた

 

宮池水上展望台。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-092 Orignal掲載日:Vol.141 (2012.09.20)

欲はエンジン、欲がないと・・・。

 

今の時代、多くの人は金を手に入れて、いい家を買いたいとか、高い車に乗りたいとか、贅沢な暮しをしたいとか…、何を手に入れたかに価値観を置いてしまいがちになる。

 

ある老師は「欲は車のエンジン、欲がないのはダメだ。でも、エンジンに見合うハンドルやブレーキをつけなさい」と。

欲望は、モチベーションの源だが、ではハンドルやブレーキは? それは理性である。

エンジンが大きければ大きいほど、エンジンに合ったブレーキやハンドルが必要で、それが理性だというのである。

大きいエンジンをつけるなら、それに見合うブレーキやハンドルを持たなければならない。

 

つまり、「正しく」制御しなさい、ということである。その欲を自分や家族のためだけでなく、自分の周りにいる人や、世の中にも役立つように使うのだ。そうすれば大成するのだ、と。

中国の古典にある言葉だが、「モノをもてあそべば志を失い、人をもてあそべば徳を失う」とある。

皆さんは、どのように感じましたか。

 

 

<高くがる空間>

桜町中学校(桜町)の上空。

グレイスベース高松(楠上町)の上空。

高松第一高校(桜町)の上空。

高松第一高のグラウンド(桜町)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースのススキ

ウォーキングコースとススキ撮影地点図

・a地点(右はズーム景)

 

・b地点(右はズーム景)

 

・c地点

 

・d地点(右はズーム景)

 

・e地点(右はズーム景)

 

 

◇新居宮池親水公園に咲くサルスベリ

◇新居宮池の遊歩道のはまゆう

 

◇ウォーキングコース脇の畑に咲くジニア(ヒャクニチソウ)

 

◇ウォーキングコースのバーベナ

 

 

新香川県立体育館(仮称)建築工事—大林合田・菅建設工事共同企業体

<現場レポート引用-Ⅰ(22.04~23.09)>

建設工事共同企業体の現場レポート定点写真を引用して月度単位に掲載します。

サンポート高松に関しては過去の「Vol.580(18.12.10)史跡探訪:サンポート・浜ノ町」と「Vol.866(22.12.20)かがわ探訪Akijii77撰シリーズ-57:サンポート高松」を併せご覧頂ければ変化の状況が解り易いと想います。

 

▼22-04-22、22-05-23

 

▼22-06-23、22-07-23

 

▼22-08-23、22-09-30

 

▼22-10-27、22-11-22

 

▼22-12-20、23-01-19

 

▼23-02-22

 

▼23-03-20、23-04-20

 

▼23-05-22、23-06-20

 

▼23-07-18

 

▼23-08-22

 

▼23-09-19

 

 

 

Akijiiままniフォトsketch<サンポ高松高松港  (23.09.25撮影)

サンポート高松は、JR高松駅、駅前広場、多目的広場、地下駐車場・駐輪場といった都市施設や、高松港旅客ターミナルなどの湾岸施設があります。また、国の出先機関である高松サンポート合同庁舎、JRホテルクレメント高松、高松港レストハウスなどのホテル・商業施設が整備されています。

 

新香川県体育館(あなぶきアリーナ香川)

新体育館のメインアリーナは、室内で行われる主要な競技に対応したさまざまな設備を導入しています。空調は、大空間における空調効率が高い「居住域空調方式」を採用し、人が活動する空間では著しい温度のムラが生じず、効率的に温度を調整する仕組みになっています。送風口の配置や送風温度、風速・風量の設定は、バドミントンなど風の影響を受けやすい種目に配慮し、シミュレーションを実施。複数コートを設定した場合でも、バドミントンの世界大会で採用されている国際基準(風速0.2m/秒)をクリアしています。
アリーナなどの大規模空間では、発生した音が壁などに反射し、遅れて聞こえてくる「ロングパスエコー」など音響障害が生じやすくなります。新体育館は、アリーナと交流エリアの間に壁を設置せず、アリーナ天井面などに吸音材を配置することで、ロングパスエコーなどの音響障害を低減し、半屋外のような反響の少ない快適な音環境を実現するとともに、スポーツ大会時などで臨場感を損なわないように配慮しています。
コンサートの開催時に、大型トラックやフォークリフトで機材が搬入できるようにコンクリート床にし、ステージ設営がしやすいように天井沿いにキャットウオークを配置しているほか、床に電源供給ピット、壁面に電源盤やガスの取り出し口、給水設備を配置し、飲食イベントや展示会などにも利用できます。(香川県HP)

 

高松港は、四国の海の玄関口として、また本州や離島との海上交通の要衡として重要な位置にあり、商港及び観光港的機能のほか工業港として、四国の中枢管理都市高松市とともに発展してきました。

高松港の港湾区域は、東は屋島西町長崎の鼻から女木島南端の帆槌の鼻を結び、西は生島町五色台紅峰東北端に至る長さ約12キロメートル面積約3,100ヘクタールと東西に長く広範なものとなっており、屋島、朝日、玉藻、西浜、弦打、香西、神在、生島の8地区がそれぞれの特色を発揮することにより総合的に機能しています。

玉藻地区は、小豆島、直島などの離島や本州と結ぶフェリー、旅客船等の発着が集中する高松港の中心地区です。また四国の中枢都市高松にふさわしい新しい都市拠点を創造するための「サンポート高松」の整備が進められ、平成13年5月に港湾施設の供用を開始し、平成16年5月にグランドオープンしました。平成23年度には2万トン級岸壁が5万トン級岸壁に増強され、大型クルーズ船も寄港するようになっており、市民の賑わいと憩の場としても親しまれています。朝日地区は、高松港の物流の拠点となっています。高松港コンテナターミナルが整備され、平成9年6月の高松港−釜山港の国際コンテナ定期航路の就航を最初に、平成14年4月には高松港−上海港との航路が、さらに平成16年2月には高松港−青島港の航路が開設されました。外貿コンテナ貨物量も年々増加傾向にあり、四国でも有数の外貿コンテナ取扱量になっています。(香川県HP)

 

▼所在地、新香川県立体育館工事現場

高松市サンポート:〒760-0019

 

▼せとシーパレット、玉藻防波堤の南端から見る赤灯台のズーム景

 

▼高松港5万トン級岸壁、高松コンドリー

 

 

▼高松市サンポートに入った、多目的広場西交差点の右(南)方向

 

▼多目的広場西交差点の直進(北)方向、多目的広場西交差点を左折し新香川県立体育館建設現場をスケッチ(23.09.25撮影)

 

▼サンポートを北へ進む-1、新香川県立体育館工事現場スケッチ-1

 

▼サンポートを北へ進む-2、後方の高松シンボルタワーと高松サンポート合同庁舎

 

▼サンポートを北へ進む-3、右にカーブ

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-2

▼後方にサーパスサンポート高松ベイタワー、サンポートを東北方向に進む-1

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-3、サンポートを東北方向に進む-2

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-4、サンポートを東北方向に進む-3

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-5、サンポートを東北方向に進む-4

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-6、サンポートを東北方向に進む-5

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-7、サンポート噴水へ寄る

 

▼サンポート噴水-1

 

▼サンポート噴水-2、サンポート噴水広場の椅子

 

▼流政之作「MATAKITENO」へ進む、流政之作「MATAKITENO」-1

 

▼流政之作「MATAKITENO」-2

 

▼せとシーパレットへ進む、せとシーパレットから見る西方向(奥は五色台)

 

▼せとシーパレットから見る瀬戸内海のパノラマ景-1

▼玉藻防波堤へ向かう(約0.3km)、せとシーパレットを北東に進む-1

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-8、せとシーパレットを北東に進む-2

 

▼せとシーパレットを北東に進む-3、右側にイタリア料理「MIKAYLA」-1

 

▼せとシーパレットを北東に進む-4(↑赤灯台・休憩所)、せとシーパレットを北東に進む-5

 

▼右側にイタリア料理「MIKAYLA」-2、せとシーパレットを北東に進む-6

 

▼せとシーパレットを北東に進む-7(右に風のモビールD)、風のモビールDの説明板

 

▼せとシーパレットから見る瀬戸内海のパノラマ景-2

▼せとシーパレットを北東に進む-8、せとシーパレットから見る展望図

 

▼せとシーパレットから見る瀬戸内海のパノラマ景-3

▼せとシーパレットを北東に進む-9、玉藻防波堤に着いた

 

▼玉藻防波堤の南端から見る赤灯台のズーム景、玉藻防波堤の南端から見る屋島

 

▼玉藻防波堤の南端から見る朝日町(マキタ・四国ドック・県立中央病院)、後方のサンライズテラス

 

(VOL.980-2/4に続く)

 

<akijii展-(537)

美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-02

今報は「クマ」で、所要時間は195Mでした。

◇完成作品

今報で「美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-02」一旦を終え、

次報からは「スクラッチアート(世界の名所めぐり」です。

 

引き続き、Vol.980-2/4をご覧ください。

Vol.980-1/4に続けてご覧ください。

 

▼サンライズテラスへ上がり高松港へ向かう、高松シンボルタワー・JRクレメントホテル

 

▼左側は5万トン級岸壁、高松港へ進む

 

▼右側にイタリア料理「MIKAYLA」-3、歓迎「ようこそ香川へ」

 

▼高松港5万トン級岸壁南西端に着いた、高松港-1

 

▼高松港-2、高松港5万トン級岸壁

 

▼高松港-3

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-9、高松コンドリーへ進む

 

▼高松コンドリーへ上がる-1

 

▼高松コンドリーへ上がる-2、高松コンドリーから見る高松シンボルタワー

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-10、高松コンドリーを南方向に進む-1

 

▼高松コンドリーから見るフェリー乗り場(小豆島・直島)、高松コンドリーを南方向に進む-2

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-11、高松コンドリーを南方向に進む-3

▼高松コンドリーから見る屋島、高松コンドリーから見るサンポートホールと高松シンボルタワー

 

▼高松コンドリーを南方向に進む-4、高松コンドリーから見る「Liminal Air-core 」

 

▼高松コンドリーを南方向に進む-5(次を右折)、サンポートホール棟へ進む-1

 

▼高松コンドリーから見る右(北)方向、左(南)方向

 

▼サンポートホール棟へ進む-2、新香川県立体育館工事現場スケッチ-12

 

▼サンポートホール棟へ進む-3

 

▼サンポートホール棟へ進む-4、サンポートホール棟に着いた

 

▼サンポートホール棟4階へ上がる、サンポートホール棟4階に着いた

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-13

 

▼帰路のJR高松駅へ進む

 

▼高松シンボルタワーを見上げる、JR高松駅に着き帰宅の途に就いた

 

 

 

新香川県立体育館(仮)建築工事—大林合田菅建設工事共同企業体

<現場レポ引用-Ⅱ(23.10~24.07)>

建設工事共同企業体の現場レポート定点写真を引用して月度単位に掲載します。

▼23-10-10

▼23-10-23、11-09

 

▼23-11-21、12-05

 

24-01-20

 

▼24-02-20

 

▼24-03-27

 

▼24-05-07

 

▼24-06-04

 

▼24-07-05

 

▼24-07-22-1

▼24-07-22-2

 

 

Akijiiままniフォトsketch<新香川県立体育館「あなぶきアリナ香川」  24.07.20撮影

新香川県体育館(あなぶきアリーナ香川)

香川県は7日、2025年3月に開業を予定する新県立体育館のネーミングライツ(命名権)取得者が穴吹興産となり、愛称が<あなぶきアリーナ香川>に決まったと発表した。命名権料は年5550万円で、契約期間は2024年12月から7年4カ月間となる。県は3月28日から5月26日まで命名権取得者の公募を実施したところ、4社から応募があった。

応募金額や期間、愛称を審査し穴吹興産を選定した。(2023年6月7日/日経新聞)

イベントの形態に合わせて、最大で1万人の収容が可能。地域の大会から国際大会まで幅広い室内競技、コンサートアリーナツアー、MICE(会議や展示会)などの多様な役割を果たし、海と高松の町をつなぐ文化拠点として地域の発展と向上に貢献します。(建設工事共同企業体の現場HP)

 

▼正面奥にあなぶきアリーナ香川、多目的広場西交差点に着いた

 

▼あなぶきアリーナ香川-1

 

▼あなぶきアリーナ香川-2

▼あなぶきアリーナ香川-3

 

▼あなぶきアリーナ香川-4

 

▼高松コリドーに上がる、高松コリドーから見るあなぶきアリーナ香川-1

 

▼高松コリドーから見るあなぶきアリーナ香川-2、シンボルタワーへ進む

 

▼シンボルタワーへの進入路から見るあなぶきアリーナ香川、シンボルタワー4階へ上がる-1

 

▼シンボルタワー4階へ上がる-2、シンボルタワー4階から見るあなぶきアリーナ香川-1

 

▼シンボルタワー4階から見るあなぶきアリーナ香川のパノラマ景

▼シンボルタワー4階から見るあなぶきアリーナ香川-2、あなぶきアリーナ香川と高松港玉藻防波提灯台

 

▼サンポートホール屋上広場(8階)へ上がる、サンポートホール屋上広場(8階)

 

▼サンポートホール屋上広場から見るあなぶきアリーナ香川のパノラマ景

以上で、「中心部西北」を終え、次報からは「郊外東北」となります。

引き続きお付き合いください。

 

引き続き、Vol.980-3/4をご覧ください。

Vol.980-2/4に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-県都:08小比賀家住宅・国分寺北部小学校校門

<10.小比賀家住宅> <撮影:2016.10.31 and 2018.07.15>

小比賀家(おびかけ)住宅は、江戸時代を通じて庄屋、大庄屋を務めた屋敷であり、主屋は17世紀前期に建てられたとされる。屋敷構えが家格にふさわしく風格あるものとして主屋、午門(うまもん)、土蔵、米蔵の4棟が昭和46年に国指定の重要文化財に指定されている。また、主屋西側の池泉(ちせん)回遊式の築山(つきやま)庭園は香川県指定の名勝庭園である。敷地は東西約70m、南北約85mの広大なもので両側に松を配した馬場の正面に午門(長屋門)を開き、この両脇からでる外周土塀が屋敷の周囲を巡っている。

午門の奥に前庭を隔てて主屋があり、背後に土蔵や米蔵が建つ。主屋は正面約26.6m、奥行約9.8m、屋根は寄棟造りの茅葺で、四方に本瓦葺の庇、棟には約3.6mの煙出しがある。午門は寄棟造りの茅葺で長さが約35.4mあり、国内最大級である。主屋からみて南(午の方向)にあるため午門と呼ばれている。

平成25年から27年にかけて主屋、午門、土蔵等の保存修理工事が行われ、あわせて耐震性を高める補強工事も行われた。修理は建物に使われている部材(古材)を可能な限り再利用し、取り替える場合も古い仕様に倣うことで、文化財としての価値を保ち重要な情報や技術を後世に残し伝えるよう行われた。(高松市HP)

 

<所在地・外観>

▼小比賀家住宅-高松市御厩町331

▼小比賀家住宅-庄屋の風格を今に伝える、江戸時代初期の建物と庭

 

 

高松市内から国道11号線を南方向に進み、上天神町交差点で右折して西方向に向かうと、暫くは上を高速道路が通るが、香東川を西に渡り高松檀紙ICを過ぎた所から高速道路が頭上から無く成る。

その後も国道11号線を西に進み、御厩町交差点で右(北)へ曲がり県道177号線を300mほど行くと、道の左(西)に「小比賀家住宅」(国重文)がある。

 

<概 要><歴史遺産>

▼小比賀家住宅の全景

 

 

小比賀家は、江戸時代初期以来、庄屋を務めた家で、「政所(まんどころ)日記」などの古文書も伝えている。住宅は慶長年間(1596~1615)のものと推定され、県内で最も古く、屈指の規模と風格をもつ民家である。

 

▼小比賀家住宅-案内板、パンフ-1

 

▼小比賀家住宅-パンフ-2

 

▼小比賀家住宅-古説明板

 

 

南の「午門(うまもん)」(寄棟造の長屋門)を入ると広庭が有り、前方に「主屋」が現われる。

 

▼午門入口と説明板

 

▼午門を入る、主屋と表庭

 

▼主屋の屋根、庇

 

 

主屋の内部は東寄りの3分の1がドマで、入口付近がモミドという籾(もみ)を取り入れる空間、奥がクドのある炊事場となっている。

 

▼広庭、上部の梁組み

 

▼モミド、カマド

 

 

西寄りの3分の2は床が上がっており、沢山の部屋から成っている。小玄関(庄屋格用)・大玄関(代官や藩主用)・勘定場(年貢勘定などを行う)・上座敷が公的な部屋である。

 

▼小玄関の間、大玄関の間

 

▼勘定場と小玄関の間、勘定場と次の間

 

奥座敷・仏間・神の間などが私的な部屋である。

 

▼座敷下の間、座敷上の間

 

▼奥の間、居間

 

▼仏間・神の間

 

 

主屋の周りには「米蔵・土蔵」が保存されていて、「土塀」も含めて国重文である。

 

▼米蔵、土蔵

 

▼土塀(内側)

▼土塀(外側)-1

 

▼土塀(外側)-2

▼土塀(外側)-3

 

 

座敷の南から西に面して、「小比賀家築山庭園」(県名勝)がある。

面積約825m2の池泉(ちせん)回遊式庭園で、土塀の彼方に六ツ目山が借景として目に入る。

 

▼築山庭園-1

▼築山庭園-2

 

▼築山庭園-3

 

▼築山庭園-4

 

▼築山庭園-5

 

▼借景-六ツ目山、石清尾山・浄願寺山

 

庭の石組・石橋・飛び石など石が豊富で、かつ見事に使用されている。

 

▼表庭の石組・石橋・飛び石-1

 

▼表庭の石組・石橋・飛び石-2

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

引き続き、Vol.980-3/4をご覧ください。

Vol.980-3/4に続けてご覧ください。

 

11.国分寺北部小学校校門  <撮影:2012.07.21 and 2015.08.26>

通称「赤門」と呼ばれ、国分寺北部小学校のシンボルでもあるこの門は、明治27年(1894)に端岡尋常小学校が創立された際に正門として建てられたものである。高さ3.4メートル、間口2メートルの赤煉瓦造りで、上部は半円形のアーチ型を呈している(一部コンクリートによって後補されている)。

その中央にはかつて「忠孝」と書かれた扁額が掲げられており、その扁額は現在も国分寺北部小学校に保管されている。この門は、日本が近代化へとむかう過程で、地域への教育の普及の状況を物語る貴重な資料である。(高松市HP)     

 

<所在地・外観>

国分寺北部小学校校門-高松市国分寺町新居1880

▼国分寺北部小学校校門-明治時代の学校の面影を伝える

 

 

JR端岡駅の西約400m、国分寺北部小学校の南側に赤レンガ造りの「校門」がある。

 

<概 要><歴史遺産>

▼国分寺北部小学校校門の位置図-全景

 

▼国分寺北部小学校-全景、正門

 

▼国分寺北部小学校-赤門-1

 

▼国分寺北部小学校-赤門-2

 

▼国分寺北部小学校-赤門-3(web引用-水彩画風変換)

明治27年(1894)に端岡尋常小学校が創立された際に正門として建てられた当時の写真。

 

 

<関連遺産>

国分寺北部小学校から西北へ約1.2km行くと、穴薬師石切場跡に着く。

 

▼穴薬師へ向かう-1:前方左が猪尻山

 

▼穴薬師へ向かう-2:左後方に国分寺北部小学校が見える

 

▼穴薬師へ向かう-3:三叉路を左折、穴薬師の登り口に着いた

 

▼穴薬師へ向かう-4

 

▼穴薬師へ向かう-5:大名持命・倉稲魂神

 

 

標高約170mの猪尻山南麗の尾根斜面に、洞窟状の穴があり、石像2体が安置されている。

 

▼穴薬師へ向かう-6、穴薬師に着いた

 

▼穴薬師-1

 

▼穴薬師-2

 

 

また磨崖仏なども彫られているが、穴の前面には作業場として使われたと考えられる平坦な場所があり、中世石造物用に角礫凝灰岩を切り出した跡の1つと考えられている。

 

▼穴薬師-3

▼穴薬師-4、猪尻山南麗の尾根斜面から見る国分寺北部小学校(ズーム景)

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

梅雨明けの宮池のパノラマ景。

梅雨明けの宮池。

  

梅雨明けの宮池水上展望台。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-091  Orignal掲載日:Vol.134 (2012.08.15)

仕事のできる人とは…。

 

如何に受験秀才(参考書を覚え、問題集を解くこと→勉強)でも出世しない者もいるが、その共通項は、1.気配りができない、2.感が鈍い、3.イマジネーション(想像)力がないに尽きるという。

逆に言えば、この3つが仕事のできる人のポイントとなる。

その中で特に大事な、イマジネーションについて、そのポイントを考えて見よう。

 

まず、その能力を高めるには一定の時間ずっと考え続ける事が必須で、これはどのようになっていくか、この人の人生は…、この子供は…、など色々と考え続けなければならない。

この努力で見えてくる事が、仕事の成功に大きな力になる、と気が付いていない人が多いが、イマジネーション力の一つに、先の事を予想する力がある。この件は、この先どうなるだろうか、と将来を予測する力は、仕事の段取り能力にも通ずる。例えば、誰かを手伝って仕事をする場合、どんなものが必要になるのか、天候は…、人は何人くらい集まるのか、どういう場所だろうか、その仕事の目的は…など、をイメージしていく。

 

では、何が必要で、何をしなければならないかが具体的に解かって、段取りをつける事ができる。

更に人の気持ちをイメージする事も必要だが、その基本は自分中心以外の見方や視点を持てるかどうかが大きなポイントとなる。お客さまは、その時の状況や、ふところ具合によって変化するので、その心を読み、その人にとってこれが一番良いと想うものを薦めるのである。

 

相手の立場に立って考える事が、男女を問わず、仕事が出来る原点の一つとなるが、これはお客さまだけでなく、上司や一緒に仕事をする仲間にも言える。

つまり、上司や周囲の人が自分に求めているものを察知するという能力である。

この仕事を任されたが、この問題の幹になるものは何だろうか、どんな資料が必要になるだろうか、どちらの仕事が先に欲しいのだろうか、この件を任されたと言う事は、この事も一緒にやって欲しいのではないか…などである。

 

自分がしたい仕事、自分ができる仕事ではなく、相手がして欲しいと思っている仕事が出来るようになれば、貴方がいてくれて良かった、貴方に仕事を頼んで良かったと思って貰えるようになる。

相手の立場に立てば、して欲しいだろう、と思う事を具体的に想像できる事は大事な力である。

こうして必要なことをイメージし、考える事を習慣化していく事で仕事が出来る人に近づいて行く。

人に喜んで貰える仕事の奥に有るもの、一番大事なもの、それは仕事に込められた思いである

貴方の成した仕事のその奥に込められている思いが、本当は仕事をしているのである

この暑い夏も、貴方の熱い思いで喝破していこう。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコースの新居新池から見るだんご山3兄弟の上空。

ことでん三条駅ホーム(上之町)の上空。

上之町南公園とサーパス上之町フロント・マークス(上之町)の上空。

平野市太郎顕彰碑(上之町)の上空。

四国電力送配電栗林変電所(上之町)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースの畑のピラミッドアジサイ

原産地は日本と中国で、国内では北海道から九州にまで自生している。暑さに強く7~10月に花を咲かせる。一般的なアジサイの開花時期が5~7月なので、夏に花を楽しめる庭木としても人気で、落葉低木に分類されており、2~3mにまで成長する。

 

花房がボール状ではなく三角錐状で、その姿がピラミッドに似ていることから名付けられた。

 

◇我家の庭の鉢で咲くキルタンサス

 

◇ウォーキングコースに咲くランタナソウゲ

 

  

◇町並巡りで出会ったブーゲンビリア

 

◇今年もウォーキングコース脇で花を付けたはまゆう(浜木綿)

 

 

 

Akijii気ままniフォトsketch<浜ノ公園大的場海岸高松市ヨット競技場> 

浜ノ町公園は西浜港東岸に隣接する東西12~13m、南北100mに広がる公園です。 高低木併せて38本、境界木1.5m×100 mで、特に道路沿いに植えられた12本の松が自慢です。遊具は滑り台1、ブランコ2 人用1、シーソー1、スプリング馬具2、砂場が設置されています。(浜ノ町公園愛護会)

アールベルアンジェ高松

高松駅から車で3分、瀬戸内海が目の前に広がる駅近リゾートウェディング 高級リゾートさながらのガーデンとその向こうに見える瀬戸内の海と島々を望む贅沢な空間「すべては最幸の笑顔の為に」アンジェを訪れるすべての人を幸せにしたい。圧倒的なロケーションと贅沢な非日常空間で心に残る特別な一日を。私達スタッフ一同は「最高の一日」を迎えるすべて新郎新婦様が幸せな人生を歩んでいただけますように「新しい扉」をひらくおふたりの、スタートでもあり、一生に一度きりの思いに満ちた「結婚式」を創りあげます。ご婚礼以外にもご宴会・レストランも運営しております。(説明)

大的場海岸

大的場海岸は、自由にご利用いただけるみんなの海岸です。※海水浴場ではありません。(高松市HP)

高松市ヨット競技場

敷地面積:9,206.89平方m、延床面積:1,426.45平方m、構造:鉄筋コンクリート造2階建て(高松市HP)

高松駅から徒歩7分の波静かな瀬戸内海に面したヨット競技場で、陸置・艇庫合わせて約300艇を収容できます。クラブハウスもあり、中には大会議室(定員100名)及び小会議室(定員18名)が完備されており、クラブの練習にも最適な環境です。また、香川県設置の大的場ビジターバースでは、全長15m以下のセーリングクルーザーの係留ができます。

(香川県環境協会)

 

▼所在地、村山壽子(かずこ)詩碑(浜ノ町公園)

高松市浜ノ町:〒760-0011

 

▼糸より姫像、アールベルアンジェ高松

 

▼高松市民プール跡、大的場海岸

 

▼ヨットハーバー西防波堤の先端、高松マリーナ

 

▼高松市ヨット競技場、サンポート高松公園

 

 

▼バス停「大的場口」で降車、浜ノ町公園の村山壽子詩碑へ向かう(約0.1km)

 

▼浜ノ町を西方向に進む、正面の浜ノ町公園の手前を左折(奥は高松漁港)

 

▼浜ノ町公園の村山壽子(かずこ)詩碑へ進む、浜ノ町公園沿いに南へ進み南端交点を右折

 

 

▼浜ノ町公園沿いに西へ進み園内に入る、浜ノ町公園内を北方向に進む-1

 

▼浜ノ町公園沿いに北方向に進む(フェンス沿いに詩碑が見えて来た)、村山壽子詩碑に着いた

 

▼村山壽子詩碑、詩碑の裏面(卒業証書-旧姓-岡内)

われは ここに生まれ ここに遊び ここに泳ぎ ここに眠るなり しづかなる 瀬戸内海の ほとりに

 

▼浜ノ町公園内を北方向に進む-2、左(西)か高松漁港

 

▼浜ノ町公園内を北方向に進む-3

 

▼浜ノ町公園内を北方向に進む-4、浜ノ町公園の北端

 

 

▼浜ノ町公園を後にして「糸より姫像」に寄る、高松漁港沿いに北方向へ進む-1

 

▼高松漁港沿いに北方向へ進む-2、「糸より姫像」に着いた

 

▼糸より姫像

 

▼糸より姫像を後にしてアールベルアンジェ高松へ向かう、浜ノ町を東に進む-1(前方はイトーピア高松)イトーピア高松は、築年月:1975年7月、構造:SRC、10階建て、総戸数:449戸のマンション。

 

▼浜ノ町を東に進む-2(イトーピア高松の突き当りを左折)、浜ノ町を北へ進む

 

▼正面左方向に「Royal Garden 高松駅西オーシャンビュー壱・弐番館」、アールベルアンジェ高松が見えて来た

 

▼T交点の右(東)方向、左(西)方向

 

 

▼アールベルアンジェ高松に着いた、アールベルアンジェ高松-1

 

▼アールベルアンジェ高松-2、アールベルアンジェ高松-3(web引用)

 

▼アールベルアンジェ高松-4(web引用)

 

▼アールベルアンジェ高松-5(web引用)

 

 

▼高松市民プール跡スケッチへ、バス停「大的場」の左側に市民プール跡

高松市立市民プールについては、令和3年12月31日をもちまして、閉場しました。

昭和53年の開設以来、長きにわたり、大勢の市民の皆様に御利用いただき誠にありがとうございました。(高松市HP)
 

▼高松市民プール跡スケッチ-1

 

▼高松市民プール跡スケッチ-2

  

▼高松市民プール跡スケッチ-3

 

▼高松市ヨット競技場・高松マリーナ・市民プール跡・大的場海岸の周回スケッチへ、左折して駐車場への導入路に入る

 

▼北方向に進む-1(左側が市民プール跡・右側がヨット競技場)、ヨット競技場スケッチ-1

 

▼市民プール跡スケッチ-1、ヨット競技場スケッチ-2

 

▼北方向に進む-2、ヨット競技場スケッチ-3

 

▼ヨット競技場スケッチ-4(奥は高松マリーナ)

1967年、マリンレジャーの黎明期に海を愛する有志が集まり、株式会社高松マリーナが設立されました。
それから27年後の1994年、数々の実績が評価され世界最大のボートメーカー米国BRUNSWICK BOAT GROUP(ブランズウイック・ボートグループ)社と正規ディーラー契約を締結。
以来、全国のお客様にBAYLINER(ベイライナー)ボートを提供し続けています。また2013年3月にヨーロッパのQUICKSILVER(クイックシルバー)社と正規ディーラー契約を締結し、歴史、文化の香り溢れる”お洒落な”ヨーロピアンボートを提供しています。(高松マリーナHP)

 

▼市民プール跡スケッチ-2、北方向に進む-3

 

▼市民プール跡スケッチ-3、高松マリーナスケッチ-1

 

▼北方向に進む-4、高松マリーナスケッチ-2

 

▼ヨット競技場スケッチ-5、市民プール跡スケッチ-4

 

▼北方向に進む-5、駐車場に着いた

 

▼駐車場から見る北方向(瀬戸内海)のパノラマ景

▼市民プール跡スケッチ-5、駐車場から見る西(高松駅西オーシャンビュー・両備ヘルシーケア高松・LIVLOV)方向

 

▼駐車場から見る西南(大的場海岸・アールベルアンジェ高松)方向、大的場海岸へ進む-1

 

▼大的場海岸へ進む-2、市民プール跡スケッチ-6

 

▼大的場海岸に着いた、大的場海岸スケッチ-1

 

▼大的場海岸スケッチ-2(パノラマ景)

▼大的場海岸スケッチ-3

 

▼大的場海岸スケッチ-4(パノラマ景)

▼大的場海岸スケッチ-5

 

(Vol.979-2/3に続く)

 

 

<akijii展-(536)

美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-02

今報は「リスb」で、所要時間は205Mでした。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.979-2/3をご覧ください。

Vol.979-1/3に続けてご覧ください。

 

▼駐車場に戻る-1、南方向にイトーピア高松

 

▼駐車場に戻る-2

 

▼駐車場に戻った、大的場海岸・イトーピア高松・アールベルアンジェ高松・高松駅西オーシャンビューを振り返る

 

▼高松市ヨットハーバー西防波堤の先端へ向かう、ヨットハーバー西防波堤を進む-1

 

▼右方向にヨット競技場、ヨットハーバー西防波堤を進む-2

 

▼ヨットハーバー西防波堤を進む-3

 

▼ヨットハーバー西防波堤の先端に着いた(奥に「せとしるべ」が見える)、せとしるべ(高松港玉藻防波提灯台)のズーム景

▼東南方向に富士コーポ、南方向に高松マリーナ・ボート競技場

 

▼駐車場に戻る、南方向にサンポート高松公園・高松マリーナ

 

▼ヨットハーバー西防波堤を戻る-1、南方向にヨット競技場-1

 

▼ヨットハーバー西防波堤を戻る-2、南方向にヨット競技場-2

 

▼ヨットハーバー西防波堤を戻る-3、駐車場に戻った

 

▼駐車場の入口に引き返す-1、左にヨット競技場

 

▼左(東)奥に高松シンボルタワー、駐車場の入口に引き返す-2

 

▼駐車場の入口に引き返す-3

 

 

▼駐車場の入口に戻った、サンポート高松公園へ向かう(約0.4km)

 

▼左にヨット競技場、浜ノ町を東北方向に進む-1

 

 

▼浜ノ町を東北方向に進む-2(左はヨット競技場の入口)、高松市ヨット競技場の銘板

 

▼高松市ヨット競技場-1

 

▼高松市ヨット競技場-2

 

▼高松市ヨット競技場-3

▼高松市ヨット競技場-4

 

▼左奥にサンポート高松公園が見える、右奥に高松マリーナ

 

▼中央奥は左にヨットハーバー西防波堤・右にサンポート高松公園、高松市ヨット競技場-5

 

 

▼後方に労住協第4&5ビル、浜ノ町を東北方向に進む-3

 

▼浜ノ町を東北方向に進む-4(次の交点を左折)、サンポート高松公園へ進む-1

 

▼サンポート高松公園へ進む-2、左に高松マリーナ-1

 

▼左に高松マリーナ-2、サンポート高松公園へ進む-3

 

 

▼サンポート高松公園へ進む-4、サンポート高松公園に着いた

 

▼東屋へ進む-1

 

▼東屋へ進む-2

 

▼サンポート高松公園の東屋に着いた、東屋から見る西南(ヨット競技場)方向

 

▼東屋から見る西南(大的場海岸・アールベルアンジェ高松)方向、東西北(ヨットハーバー西防波堤)方向

 

▼東屋から見る北(瀬戸内海)方向のパノラマ景

▼東屋と屋島、東屋と女木島

 

▼女木島灯台のズーム景、東屋とアールベルアンジェ高松

 

▼サンポート高松公園-1

 

▼サンポート高松公園-2

 

 

▼サンポート高松公園を後にしてサンポートへ向かう(約0.3km)、浜ノ町を南方向に進む(次の交点を左折)

 

▼浜ノ町を西方向に進む(左奥に富士コーポ)、次の交点を右折

 

▼浜ノ町を南方向に進む-1、左側にサーパスサンポート高松ベイスクエア・ダイアパレスサンポート高松

 

▼浜ノ町を南方向に進む-2(次の交差点を左折)、交差点の右(西)方向

 

▼多目的広場西交差点、サンポートに入った

(次報Vol.980に続く)

 

引き続き、Vol.979-3/3をご覧ください。

Vol.979-2/3に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-県都:07<石尾山古墳群

09.石清尾山古墳群  <撮影:2012.03.03 and 2018.05.29 and 2019.10.06>

本古墳群は、高松市街地にある標高約232mの石清尾山(いわせおやま)丘陵上に20基を超える円墳や積石塚(そのうちの9基)が築造されている。積石塚は4世紀から5世紀のものである。なお、この古墳群周辺には、20基の横穴式石室が存在し、6世紀から7世紀のものである。1931年(昭和6年)7月に古墳群として史跡に指定された。

積石塚の石船(いわふね)塚、北大塚1・2・3号墳、姫塚、小塚、石清尾山9号墳などの前方後円墳や猫塚、鏡塚、稲荷山北端1号墳などの双方中円墳、その他散在する後期古墳2基などである。

さらに東南の尾根上にある鶴尾神社4号墳(積石塚の前方後円墳)の確認調査が1981年(昭和56年)に行われ、1989年(平成元年)4月に追加指定された。  (Wikipediaより)

 

<所在地・外観>

▼石清尾山古墳群-高松市峰山町、室町・宮脇町・西春日町・鶴市町・西宝町

▼石清尾山古墳群-積石塚の主は、ヤマト政権との関わりを示す

 

 

石清尾山は栗林公園の背後(西側)の紫雲山から西にひと繋がりになった山塊で、山上には沢山の積石塚や盛土墳が有り、「石清尾山古墳群」(国史跡)として知られている。

 

▼石清尾山、石清尾山古墳群図

 

<概 要><歴史遺産>

高松駅で「まちなかループバス」西廻りに乗車、バス停「峰山」で降車して社会福祉法人「さぬき」奥の峰山ハイキング登山道入口から、登山道を約1.2km登って峰山公園の芝生広場に出た。

私は特別養護老人ホームさぬきの横からの登山口から登り、古墳巡りも13号→9号→3号→2号→猫塚→北大塚の順となったが、記述の順は案内書どおりとした。

 

▼登り口への導入路、登りの入口

 

▼赤い岩の塊、登山道

 

▼登山道から高松市内、山頂へ300m地点

 

▼峰山公園

 

 

更に上がって行くと、道の右(北)側へ少し入った民家の庭先に、横穴式の「石清尾山2号墳」が見える。6世紀後半の円墳で、直径約10m。石室の奥壁は大きな一枚岩で、天井石も大きく、石室内から須恵器や金環が発見されている。

 

▼石清尾山2号墳-手前が2号墳・奥が3号墳 、説明板(web引用-水彩画風変換)

 

▼石清尾山2号墳-開口部、金環(web引用-水彩画風変換)

 

 

2号墳から10mほど行った所には、横穴式の「石清尾山3号墳」がある。

 

▼石清尾山3号墳-墳丘、開口部(web引用-水彩画風変換)

 

▼石清尾山3号墳-玄室、玄室から開口部(web引用-水彩画風変換)

 

 

第3駐車場から北東に延びる尾根上の遊歩道を上がって行くと、急な谷に面して「石清尾山9号墳」が有り、全長約27mの小型の積石塚前方後円墳である。

 

▼石清尾9号墳-前方後円墳、説明板(web引用-水彩画風変換)

 

▼石清尾9号墳-墳丘測量図、墳頂(web引用-水彩画風変換)

 

 

第3駐車場から石清尾山の頂上に向かって登って行くと、山頂の少し手前のキャンプ場近くに「石清尾山13号墳」が有る。直径約9mの盛土の円墳で、横穴式石室から須恵器・鉄製品など、多くの遺物が出土している。6世紀末~7世紀初めの後期古墳である。ここから頂上の展望台までは直ぐである。

 

▼石清尾山13号墳-墳丘、石室実測図(web引用-水彩画風変換)

 

▼石清尾山13号墳-石室(web引用-水彩画風変換)

 

▼峰山公園展望台

 

▼4等三角点のakijii、石清尾山(峰山)に立つakijii

 

▼峰山公園展望台からの瀬戸内海の眺望

 

 

元の道に出て更に上を目指し、広い道が大きく左に曲がる辺りで畑の横の小道を右(南西)に入ってしばらく行くと、石清尾山古墳群最大の積石塚である「猫塚古墳」の墳丘に突き当たる。

 

▼猫塚古墳-航空写真、墳丘測量図(web引用-水彩画風変換)

 

 

猫塚古墳は明治時代に盗掘にあったため、元の形が解り難くなっているが、全長約96mの双方中円墳で、全国的にも珍しい。竪穴式石室から鏡・小銅剣・石釧(いしくしろ)・筒形銅器・銅鏃(どうぞく)・土師器(はじき)など(東京国立博物館蔵)が出土しており、石清尾山古墳群の中でも古い要素をもつ古墳の1つである。

 

▼猫塚古墳-墳丘と説明板、墳丘

 

元の広い道に出て右に曲がり、真っ直ぐ東に行くと、道を挟んで第4駐車場の反対側に「姫塚古墳」がある。全長約43mの積石塚の善寳後円墳で、首長の娘の墓と云うところから、その名がある。積石の間から円筒埴輪片が見つかっており、竪穴式石室と考えられる所からは鏡が出土したと云われる。

 

▼姫塚古墳-航空写真、墳丘測量図(web引用-水彩画風変換)

 

▼姫塚古墳-墳丘と説明板、墳丘

 

 

姫塚古墳から南東に延びる尾根をずっと下って行くと、補修穴のある獣帯方格規矩四神鏡(じゅうたいほうかくきくしじんきょう)が出土した古墳として有名な、古墳時代前期初頭の積石塚である「鶴尾神社4号墳」が有る。

 

出土物の詳細は高松市歴史資料館の展示で知る事が出来る。

 

▼鶴尾神社4号墳-後円部から見た高松市、墳丘測量図(web引用-水彩画風変換)

 

▼鶴尾神社4号墳-石室ギリギリまで断崖が迫る、出土土器(web引用-水彩画風変換)

 

 

姫塚古墳から北に向かって尾根を上がって行くと、「小塚古墳・石船塚古墳」が有り、頂上部に「鏡塚古墳」が有る。

 

▼小塚古墳-墳丘と説明板、墳丘測量図(web引用-水彩画風変換)

 

▼小塚古墳-墳頂、峰山公園の桜並木

 

 

いずれも積石塚である。石船塚古墳は全長約57mの前方後円墳で、後円部の中央に刳り抜き式石棺が露出している。蓋が開けられた状態で横に並べられているので、中を見る事が出来るが、石棺の身(み)には石枕が作り付けられている。

 

▼石船積石塚-噴丘と説明板、墳丘測量図(web引用-水彩画風変換)

 

▼石船積石塚-刳り抜き式石棺、石枕(web引用-水彩画風変換)

 

 

鏡塚古墳は猫塚古墳と同じ双方中円墳で、ここに立つと高松平野の北部から瀬戸内海が見渡せ、被葬者の立場を暗示しているように思える。

 

▼鏡塚古墳-墳丘、墳丘測量図(web引用-水彩画風変換)

 

▼鏡塚古墳-説明板、墳頂

 

▼瀬戸内海と高松市街

 

 

鏡塚古墳から尾根を北西に下って行くと、「北大塚古墳・北大塚東古墳・北大塚西古墳」の3つの積石塚が有る。北大塚古墳は、全長約40mの三味線の撥(ばち)形をした前方後円墳で、積石の間から土師器片が見つかっている。北大塚東古墳は、一辺約10mの県内でも珍しい方墳(ほうふん)である。北大塚西古墳は摺鉢谷を巡る東側尾根の北端に位置し、その北側は急斜面になっている。石清尾山9号墳は、谷を挟んで向かい側(西)にあたる。

 

▼北大塚古墳-説明板、墳頂

 

▼北大塚古墳-墳丘測量図(左側が東古墳)、墳丘測量図(web引用-水彩画風変換)

 

▼摺鉢谷をめぐる西側尾根

 

▼北大塚古墳、墳頂に立つakijii

 

 

これらの古墳群を見ると、弥生時代が終わって古墳時代が始まった頃、この高松の瀬戸内海に面した地域に独特の勢力があり、その存在を主張した事が伺われる。

 

<関連遺産>    

峰山の西の麓付近、香東川の東岸にはその伏流水を取水した御殿貯水池と浄水場があり、「水道資料館」があって、江戸時代から大正時代に掛けての水に関する興味深い資料が展示されている。

 

▼峰山から見た御殿貯水池と浄水場

 

▼御殿貯水池

▼御殿浄水場

 

▼水道資料館-1(耐震補強工事中)

 

▼水道資料館-2(web-年代不詳)(耐震工事前)(web引用-水彩画風変換)

 

▼水道資料館-3(耐震工事竣工後)

 

▼水道資料館-4(耐震工事竣工後)

 

▼水道資料館-5(耐震工事竣工後)

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

宮池の西側の遊歩道を南方向に進む。

宮池の西側の遊歩道から見るパノラマ景3景。

宮池の西側の遊歩道から見る西北方向の霞んだ山々(国分台・猪尻山・大平山)。

穏やかな夕刻の宮池水上展望台。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-090  Orignal掲載日:Vol.133 (2012.08.10)

思いの持ち方を変えたら…。

 

「泥棒も警官も走る方向は一緒。何が違う、走っている人の心構えが違う。逃げる車も追いかけるパトカーも方向は一緒。何が違う、思いが違う。」---これはある名僧のお説教の中での一説である。

 

人は誰でも「幸せ」という方向に向かって日々を生きている。でも、その思いはそれぞれに違う。金持ちになると考える人もいれば、名誉の人もいるだろう。あるいは、毎日の仕事をこつこつと一生懸命にやることで「幸せ」を得られる人もいるのである。どんな思いを持っていても、大切なことは常にプラス思考である姿勢だろう。

 

怪我をして百メートルしか歩けない人が二百メートル歩けたら、「よくやった」と自分を誉めてやるか、「ああ、今日も二百メートルしか歩けなかった」と思うか…。どちらが次の原動力となってくれる思いかが、おのずと解かるはずだ。

 

あるタクシーの運転手さんは運転手になった時、「この職業は世の中に貢献できる仕事じゃないと思って、自分で自分を駄目にしてきた。お客ともトラブルは多いし、水揚げもあがらん。身体もきつくて、食事も咽を通らない。そして、事故ばかり起こして、本当にどうしょうもない自分だった」と…。

 

そして、今はどうかと聞くと「気持ちを変えたら、タクシーの運転手に凄い生きがいを感じている。乗ってきた人との素晴らしい出会いの時間だ。気持ちよく乗って貰い、降りた後、その方が気持ちよく仕事ができたら、自分はその人の仕事に間接的に貢献できているんだ、と本当に思うようになった。どんなに近くであっても、にこにこして引き受けてことができるようになった。事故も起こさなくなったし、身体の調子もいい。そして、自分を指名してくれるお客さんがどんどん増えました。今はそういう状態です」と…。

 

職業が変わった訳でもないのに、自分の思いを変えられたことで、仕事に対する力そのものが変わった。「思いを変える」というのは、このようなことであろう。与えられることを望むよりも、与えることに喜びを感じるということが、素晴らしい自分を創っていくことに繋がるのだと思うのだ。

 

 

<高くがる空間>

楠大荒神(花ノ宮町)の上空。

ハローワーク高松(花ノ宮町)の上空。

ポリテクセンター香川(花ノ宮町)の上空。

西日本高速道路ファシリティーズ㈱四国支店(花ノ宮町)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコース脇のMi宅のサルスベリ(百日紅)

 

◇ウォーキングコース脇のTu宅の畑のケイトウ(鶏頭)

 

◇ウォーキングコース脇に咲くオニユリ(鬼百合)

 

 

 

Akijiiままniフォトsketch<新番町小・歯NHK高松放送局> 

新番町小学校

高松市中心部の西部に位置する小学校で2010年(平成22年)4月1日に二番丁小学校・四番丁小学校・日新小学校が統合して出来た新校である。統合理由は児童数減少に伴う中心部小中学校の適正配置によるもので、校地は統合校の一つである旧二番丁小学校跡を利用している。2022年度の児童数は801人(男390:、女: 411)である。

 

香川県歯科医療専門学校

本校は、公益社団法人香川県歯科医師会立の、歯科技工士(2年制/男女)・歯科衛生士(3年制/男女)を養成する専門学校です。現代の医療技術には、目を見張るほどの進歩があり、また、歯科医療に対する社会の関心も高まっております。

そのニーズに応えるために、本校では、歯科医療従事者として必要な知識・技術と応用能力を備えるための教育はもちろんのこと、特に医療に携わる人に求められる高い倫理観と調和のとれた豊かな人間性を養うための、専門職教育を行っております。(HP)

 

NHK高松放送局

香川県を放送対象地域とする日本放送協会(NHK)の地方放送局で、テレビとラジオで県域放送を行っている。

アナログテレビ放送の開局は1969年(昭和44年)3月22日で、広域放送圏内を除く全NHK放送局の中で最も遅い。

現行の放送会館は1962年(昭和37年)に落成し、1992年(平成4年)にリニューアルしている。その他、丸亀市及び土庄町に支局を有している。

 

▼所在地、新番丁小学校

高松市錦町:〒760-0020

 

▼香川県歯科医療専門学校、NHK高松放送局

 

 

▼番町二丁目公園を後にして新番丁小学校正門へ向かう(約0.2km)、錦町に入った

 

 

▼新番丁小学校の南門へ進む、南門に着いた

 

▼新番丁小学校の南門、新番丁小学校の南門と校舎

 

▼新番丁小学校の正門へ東方向に進む-1、南側の徳成寺-1

 

▼南側の徳成寺-2、新番丁小学校の正門へ東方向に進む-2

 

▼次の交差点を左折、新番丁小学校の正門へ北方向に進む-1

 

▼新番丁小学校の校舎、新番丁小学校の正門へ北方向に進む-2

 

▼新番丁小学校の正門に着いた、新番丁小学校-校名石標

 

▼新番丁小学校-水任流 流祖之碑、新番丁小学校の東門へ進む

 

▼新番丁小学校の東門、東北角から見る新番丁小学校

 

 

▼錦町2丁目の信号交差点を右折、香川県歯科医療専門学校へ向かう(約0.1km)

 

▼錦町2丁目を東方向に進む-1、左中央奥に学校が見える

 

▼錦町2丁目を東方向に進む-2

 

 

▼香川県歯科医療専門学校に着いた、香川県歯科医療専門学校-1

 

▼香川県歯科医療専門学校-2

 

▼香川県歯科医療専門学校-3、流政之-「うまげにかそ

 

▼香川県歯科医療専門学校を後にしてNHK高松放送局へ向かう(約0.2km)、錦町を東方向に進む-1

 

▼錦町を東方向に進む-2、NHK高松放送局が見えて来た

 

 

▼NHK高松放送局に着いた、NHK高松放送局-1

 

▼NHK高松放送局-2

 

▼NHK高松放送局-3

 

▼NHK高松放送局-4

 

▼NHK高松放送局-5

 

 

▼NHK高松放送局を後にして帰路のJR高松駅へ向かう(約0.8km)、錦町を北方向に進む-1

 

▼錦町を北方向に進む-2(瀬戸大橋通りの交点を右折)、瀬戸大橋通りの交点を右折

 

▼瀬戸大橋通りを東方向に進む

 

▼県庁通り(県道173号線)交差点を左折横断、側道を北方向に進む-1

 

▼側道を北方向に進む-2(正面に高松シンボルタワー)、JR高松駅へ進む-1

 

▼JR高松駅へ進む-2(突き当たりを左折)、JR高松駅に着き帰宅の途に就いた

 

 

 

<akijii展-(535)

美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-02

今報は「リスa」で、所要時間は375Mでした。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.978-2/2をご覧ください。

Vol.978-1/2に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-県都:06<栗林公園>

08.栗林公園 <撮影:2016.03.16 and 2018.02.23 and 2018.06.08>

栗林公園(りつりんこうえん)の平庭部の広さは、東京ドーム3.5個分にあたる約16.2ha。これだけでも大名庭園の中では最大級ですが、背景となっている紫雲山を含めた面積は、なんと東京ドーム16個分の約75haにも及び、文化財に指定された庭園の中では日本一の大きさを誇ります。大きな池の周りに起伏に富んだ地形で山や谷を表現し、池の周りを散策できるように造られた大名庭園は、広い園内を回りながら様々な景色を楽しむのが最大の魅力です。広大な敷地に6つの池、13の築山を有する栗林公園は、江戸時代初期の大名庭園として優れた地割り石組みを有する南庭、明治以降に近代的な公園として整備された北庭にわかれており、それぞれの多彩な景色をぜひ堪能してください。

16世紀後半には地元豪族・佐藤氏の小さな庭でしたが、1631年頃にこの地を治めた生駒家の家臣・西嶋八兵衛によって手掛けられた治水工事により、広大な庭園の基礎が築かれました。庭造りは1642年から高松を治めることになった初代高松藩主・松平頼重にも引き継がれ、100年以上経た1745年、5代藩主・頼恭の時代に完成。以来、歴代藩主が修築を重ね、明治維新に至るまでの228年間、高松松平家の下屋敷として使用されていました。明治8(1875)年には県立公園として一般に公開され、昭和28(1953)年には名勝地として特に価値が高い「特別名勝」に指定されました。明治の終わりに発行された高等小学読本によると、栗林公園は「日本三名園」とされる水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園よりも「木や石に風雅な趣がある」と記されています。 (香川県観光協会HP)

 

<所在地・外観>

栗林公園-高松市栗林町1-20-16

▼栗林公園-生駒時代に始まり、松平氏によって名園に

 

 

JR高松駅より中央通りを南へ行くと、道の右(西)側に紫雲山が見えて来る。

この山を背景に形づくられた、木のこんもりと茂る一角が「栗林公園」である。(高松駅から約2.6km)

 

<概 要><歴史遺産>

▼紫雲山、飛来峰からの眺望

 

 

入口は北と東に有り、北を嶰ノ口(かいのくち)御門、東を切手(きって)御門と言う。

今は交通の関係で切手御門が正門のようになっているが、本来は嶰ノ口御門が正式な門であった。

 

▼嶰ノ口御門(北門)

 

▼切手御門(東門)

 

 

内部は、大きく南庭と北庭に分かれており、古いのは南庭である。

 

▼南庭、北庭

 

 

南庭の一番南の小普陀(しょうふだ)と呼ばれる所が、最も古風を残す本園発祥の地である。

 

▼津筏梁、小普陀

 

▼涵翠池(かんすいち)

 

 

天正年間(1573~92)に生駒氏の家臣となっていた地元の豪族佐藤道益が、現在の栗林公園の南西部に屋敷を造っていたが、1625(寛永2)年から1639年にかけて行われた西嶋八兵衛による香東川の付け替えによって生まれたミズタマリ伏流水を利用して庭を造ったとみられる。

 

生駒氏の後に入部した松平頼重(よりしげ)は、佐藤道益の家と庭を引き継いで整備し、隠居後は園内に御殿を建てて住み、栗林荘と称した。また頼重は北庭にカモをとる鴨場(かもば)を造った。

その珍しい遺構が現在は復元されている。

 

▼鴨場-鴨引き堀と小覗

 

▼群鴨池、花しょうぶ園

 

 

その後、2代頼常、3代頼豊によって整備が進められ、南庭は1745(延享2)年、5代頼恭のとき江戸城吹上園の美を取り入れて完成した。今も、江戸時代初期の回遊式大名庭園の姿と技法をよく伝えている。

 

▼吹上-1

 

▼吹上-2、偃月橋(えんげつきょう)から見る吹上亭

 

▼南湖、恋ツツジ

 

▼偃月橋

 

▼楓岸、和船「千秋丸」

 

▼根上り五葉松、迎春橋

 

 

池に面して立つ掬月亭(きくげつてい)は、1700(元禄13)年に描かれた「御林(おばやし)御庭乃図」に大茶屋(おおちゃや)として姿を見せている。

 

▼御林御庭乃図

▼掬月亭-1

 

▼掬月亭-2

 

 

松平家11代の下屋敷として利用されたが、1875(明治8)年に県立公園として公開された。

1953(昭和28)年には国の特別名勝となり、訪れる人が絶えない。

 

▼西湖と石壁(赤壁)、桶樋滝

 

▼芙蓉沼と北岸、枕流亭と潺湲池

 

▼芙蓉峰から見る北湖と梅林橋、箱松屏風松

 

園内には「ソテツの岡・根上りカシ・モガシ」と、3つの県指定天然記念物がある。

ソテツの岡は、涵翠池(かんすいち)北沿いの岡の上に、高さ6mにおよぶソテツ36株が群生している。

元禄年間(1688~1704)以前に植えられたもので、根上りカシは樹高約7mのうち、地上2m以上の所まで根があがって幹のようになっている。モガシは別名ホルトノキといい、高松藩の薬坊主格(薬草園係)であった平賀源内が、紀州(現、和歌山県・三重県の一部)の深専寺(じんせんじ)からオリーブの木と間違えて持ち帰ったと伝えられている。ホルトとは、ポルトガルの意味である。

 

▼ソテツの岡

▼根上りカシ

 

▼モガシ(ホルトノキ)

 

▼お手植松、鶴亀松

 

園内の「讃岐民芸館」では、紙・土・木など、さまざまな素材に特色のある民芸品が展示されている。

 

▼讃岐民芸館-外観、展示品(円座)

 

 

なお、栗林公園背後の紫雲山は稲荷山(166m)と室山(200m)という2つの山の総称で、南端の室山の麓には、高松最古の寺と考えられる無量寿院があった。天文年間(1532~55)に戦火で寺が焼失したため、八輪島(やわじま)(現在の高松城のある場所)に移った。

室山南麗から南西に2kmほど行った高松市西春日町の天理教高松大教会周辺からは、川原寺(かわらでら)式のやや退化した軒丸瓦や、白鳳期の「金銅誕生釈迦仏立像」(県文化、県立ミュージアム蔵)が出土しており、「坂田廃寺」とよばれている。

 

▼西春日池(片山池)-天理教高松大教会の周辺-1

 

▼西春日池(片山池)-天理教高松大教会の周辺-2

 

▼坂田寺跡

 

▼片山池1号窯跡-1

 

▼片山池1号窯跡-2

▼金銅誕生釈迦仏立像(web引用-水彩画風変換)

 

この寺跡が、無量寿院の前身ではないかと考えられている。「日本霊異記(にほんりょういき)」には、香川郡坂田の里の豪族として綾氏の名前が出ているので、坂田廃寺は綾氏と関係の深い寺跡といえるであろう。

 

▼日本霊異記-1(web引用)

 

▼日本霊異記-2(web引用-水彩画風変換)

 

 

<栗林公園の案内図の変遷>

▼栗林分間図(文政7-1824年)、栗林図(弘化元1844年)-(web引用)

 

▼栗林公園(明治32-1899年)、讃岐高松栗林公園真景(明治37-1904年)-(web引用)

 

▼栗林公園真景(大正年間)、李厘公園案内図(現在-2017年)-(web引用)

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

新居宮池親水公園のベンチから見る南方向のパノラマ景。

梅雨空一時の雨上がりの宮池風景。

宮池のパーゴラから見る北方向のパノラマ景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-089  Orignal掲載日:Vol.132 (2012.08.05)

時の流れから離れてみる。

 

「時」は、「時の流れ」「時は矢のように」など、過ぎていくもの、というように表現される。

素早い時の経過、早い川の流れや超高速の光にも例えられ、「光陰矢のごとし」という表現も昔から使われてきました。しかし、私たちは流れの中に身を挺し、その中に埋もれていくと、もともと持っていた自分のスタイルが、自分にも見えなくなってしまい、ただ流れに飲まれてしまって、自意識が鈍るのだ。

だから、人間はどう生きればいいか、または、流れの中の泳ぎ方をどう変えればいいか、心を研ぎ澄まし、考えていかねばならないのだが、「聖ヨハネス・クリソストム」の述べた言葉にヒントがある。

 

「公道から身を引き、奥まった土地に自らを植え替えよ。路傍の樹は熟しきるまでその実を樹につけておくことが難しいからである」。言い換えると、「川の奔流の中の自分を、泳いでいるときに客観的に見るのは難しい。陸に上がって流れを見ないと、自分の人生の流れがわからない」ということになろう。

仕事場を離れ、森の中のコテージに滞在し、そこで宗教的な集まりに参加した方がいい。

そうすれば、ガサガサした平素の忙しい職場では経験てきないような脳の塵払いができ、まったく刷新された気持ちで新しい発想をすることができる…と。

 

奔流から離れて客観的に物事を見るため、そのような場を持ち、時の流れから離れてみることも大切ではないかと、小生も思うのだが…。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコースから見るだんご山3兄弟の上空。

りつりん病院とロイヤルガーデン栗林町(栗林町)の上空。

高松琴平電気鉄道㈱本社(栗林町)の上空。

栗林小学校(栗林町)の上空。

神ノ木神社(栗林町)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースに咲くアカメガシワ(赤芽柏)

トウダイグサ科アカメガシワ属、落葉高木で高さは5~15mになる。

葉身の長さは10~20cmで、ふちは全縁・3裂する葉もある。

 

花は雌雄異株で雌雄とも円錐花序に多数の花をつけ、花期は6~7月である。

果期は9~10月で、褐色の扁球形で突起があり、本州・四国・九州の丘陵帯に分布する。

名の由来は新芽が赤いこと、カシワの葉のように食べ物をのせるのに使ったことからである。

別名は、ゴサイバ・サイモリバ。

 

 

◇ウォーキングコース脇のご近所の玄関先の寄せ植え

Sa宅

 

Fu宅

 

Su宅

 

◇ウォーキングコース脇に咲くオシロイバナ

 

 

 

Akijiiままniフォトsketch<香川県庁舎高松赤十字病院・高松市中央公園・番町二丁目公園  

香川県庁舎

本館、東館、北館、議会議事堂、天神前分庁舎、警察本部庁舎からなり、南側に駐輪場が完備されている。

本館、東館、警察本部庁舎は丹下健三により設計された。

本館>竣工は2000年(平成12年)で地上22階、地下2階、最高部113mの鉄骨造である。延べ床面積は41,464平方m。21階は展望室になっていて全方向の眺望が楽しめる。県庁舎の模型や香川県特産のサヌカイト(讃岐石)が展示されている。県内の数少ない超高層ビルの一つである。

東館>現在の本館ができるまでは、これが本館と東館であった。丹下の初期の傑作と評される。

ファサード(正面からの姿)は、日本の伝統である梁を、当時の建築技術の限界での細さで表現した。

1950年代の代表建築の一つとされ、公共建築百選にも選ばれている。

警察本部庁舎

構造形式:鉄骨鉄筋コンクリート構造、延床面積:15,201m2、階数:地上6階・地下2階、高さ:33mである。

 

高松赤十字病院

日本赤十字社香川県支部が設置する病院である。ICU(特定集中治療室)、NICU(新生児特定集中治療室)、BCR(クリーンルーム)などを備える。2020年4月、新しい診療棟(本館北タワー)がオープンした。

(HP)「人道・博愛」の赤十字精神に基づき、地域の皆様に信頼される、安全で質の高い医療を実践します。

 

高松市立中央公園

高松の市街地の中心部に位置し、県庁、市役所、高校、商店街が集積する政治・文化・商業の中心地にある、本市を代表する都市公園です。当公園の場所は、昭和21年に都市公園用地として復興土地区画整理事業により確保しましたが、昭和22年から昭和57年の間は市営球場として利用されていました。しかし、昭和57年に野球場が生島町に移転されたことに伴い、昭和57年から昭和60年で本来の公園として整備したものです。
この公園は、市民参加による「緑にあふれ、季節感があり、気軽に楽しめる公園」を基本に整備を進め、外周を樹林でかこみ、中央部に芝生広場(自由広場)を配した公園として現在に至っています。
中央公園では年間を通して数々のイベントが行われており、中でも夏の高松まつりには多くの市民が集い、大変なにぎわいをみせています。(高松市HP)

 

香川県立高松高校

本校は、明治26(1893)年の開校から、130年を越える歴史ある伝統校です。戦後の学制改革で、それまでの高松中学校と高松高等女学校がそれぞれ新制高等学校に移行しました。その翌年、これら両校が統合されて現在の高松高等学校となり、爾来70年を超える歳月が流れました。これまでに数多くの著名人を輩出し、5万4千余名の卒業生は、広く世の各界で活躍しています。今後も、生徒・教職員一同、名門校としての誇りを胸に、新たなページを拓いてまいります。(HP)


香川県立高松工芸高校

基本方針は、自彊して息まずの精神の涵養を柱として、家庭や地域社会と密接に連携を図りながら、心身ともに健全で,創造力に富み、社会に貢献できる人間性豊かなスペシャリストの育成に努める。(HP)

 

番町二丁目公園

番町は、江戸時代に武家屋敷が並んでいた地区です。その中にある番町二丁目公園は、小公園ではありますが見るべきものが置かれた特徴ある公園です。公園は大きく多目的広場と遊具広場とに区切られています。
遊具広場は滑り台、ジャングルジム、シーソーなどがあります。ちょっと面白いのは土管のようなスプリング遊具。揺れながら中を通り抜けて遊ぶようです。多目的広場の方には、まずC58蒸気機関車。プラットホームのように仕立てられた、なかなか凝ったデザインの覆屋の下に展示されています。ホーム上にはベンチがあって程よい日陰になるようで、休憩をしている人が何人かいました。そして高松城と城下町の基礎を築いた生駒親正の石像。
どうして高松城ではなく離れた場所にあるのかと思いましたが、この公園と同じ校区内にある弘憲寺というお寺に墓があるようです。蒸気機関車にしろ、生駒親正にしろ、公園の現地と直接的には関係のないものも集まってきて、高松のことを色々と教えてくれる場所になるのが公園の面白さです。

 

▼所在地、香川県庁舎

高松市番町:〒760-0017

 

▼高松赤十字病院、高松市立中央公園

 

▼高松高校、高松工芸高校

 

▼番町二丁目公園-蒸気機関車C5812号機、生駒親正像

 

 

▼番町へ入った(県庁前通り-県道173号線の交点)、正面に香川県庁舎

 

▼県庁前通り(県道173号線)の右(北)方向、左(南)方向

 

 

▼香川県庁の石標、香川県庁舎-1

 

▼香川県庁舎-2

 

▼県庁前通り(県道173号線)を南へ進む-1、香川県庁舎-3

 

▼県庁前通り(県道173号線)を南へ進む-2、県庁前通り(県道173号線)を西に横断

 

▼香川県庁舎-4

 

▼香川県庁舎-5

▼香川県庁舎-6

 

▼香川県庁舎-7

 

▼香川県庁舎-8

 

▼香川県庁舎-9

 

▼香川県庁舎-10

 

▼香川県庁舎-11

 

▼香川県庁舎-12

 

▼香川県庁舎-13

 

▼左側に香川大学附属高松小学校、番町(香川県庁沿い)に西に進む

 

▼右側に香川県警察本部通用路、左側は香川大学附属高松小学校の北門

 

▼右側は香川県警察本部、右後方に香川県庁本館

 

▼番町(香川県警察本部沿い)に西に進む(次の交点を右折)、番町(香川県警察本部沿い)に北に進む-1

 

▼香川県警察本部

▼県庁舎・警察本部庁舎の案内板、番町(香川県警察本部沿い)に北に進む-2(次の交点を右折)

 

▼香川県庁舎の本館と北館の通路を東へ進む-1、香川県庁舎の本館と北館

 

▼香川県庁舎の本館と北館の通路を東へ進む-2

 

▼香川県庁舎の東館、香川県庁の玄関

 

▼香川県庁舎の案内板、左(北)隣に高松赤十字病院-1

 

▼左(北)隣に高松赤十字病院-2、後方を振り返る-1

 

▼後方を振り返る-2、右は香川県庁舎東館

 

▼左は高松赤十字病院、高松赤十字病院

 

 

▼高松市立中央公園へ向かう(約0.1km)、後方の高松赤十字病院を振り返る-1

 

▼後方の高松赤十字病院を振り返る-2

 

▼高松市立中央公園へ進む(菊池寛通り)-1、右奥にKKR高松病院が見える

 

▼高松市立中央公園へ進む(菊池寛通り)-2、左側に菊池寛顕彰碑

 

▼高松市立中央公園に着いた、高松市立中央公園-1

 

(Vol.977-2/3に続く)

 

 

<akijii展-(534)

美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-02

今報は「鯉」で、所要時間は130Mでした。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.977-2/3をご覧ください。