Vol.980-2/4に続けてご覧ください。
さぬき歴史(観て歩き)フォトレポ-県都編:08<小比賀家住宅・国分寺北部小学校校門>
<10.小比賀家住宅> <撮影:2016.10.31 and 2018.07.15>
小比賀家(おびかけ)住宅は、江戸時代を通じて庄屋、大庄屋を務めた屋敷であり、主屋は17世紀前期に建てられたとされる。屋敷構えが家格にふさわしく風格あるものとして主屋、午門(うまもん)、土蔵、米蔵の4棟が昭和46年に国指定の重要文化財に指定されている。また、主屋西側の池泉(ちせん)回遊式の築山(つきやま)庭園は香川県指定の名勝庭園である。敷地は東西約70m、南北約85mの広大なもので両側に松を配した馬場の正面に午門(長屋門)を開き、この両脇からでる外周土塀が屋敷の周囲を巡っている。
午門の奥に前庭を隔てて主屋があり、背後に土蔵や米蔵が建つ。主屋は正面約26.6m、奥行約9.8m、屋根は寄棟造りの茅葺で、四方に本瓦葺の庇、棟には約3.6mの煙出しがある。午門は寄棟造りの茅葺で長さが約35.4mあり、国内最大級である。主屋からみて南(午の方向)にあるため午門と呼ばれている。
平成25年から27年にかけて主屋、午門、土蔵等の保存修理工事が行われ、あわせて耐震性を高める補強工事も行われた。修理は建物に使われている部材(古材)を可能な限り再利用し、取り替える場合も古い仕様に倣うことで、文化財としての価値を保ち重要な情報や技術を後世に残し伝えるよう行われた。(高松市HP)
<所在地・外観>
▼小比賀家住宅-高松市御厩町331
▼小比賀家住宅-庄屋の風格を今に伝える、江戸時代初期の建物と庭
高松市内から国道11号線を南方向に進み、上天神町交差点で右折して西方向に向かうと、暫くは上を高速道路が通るが、香東川を西に渡り高松檀紙ICを過ぎた所から高速道路が頭上から無く成る。
その後も国道11号線を西に進み、御厩町交差点で右(北)へ曲がり県道177号線を300mほど行くと、道の左(西)に「小比賀家住宅」(国重文)がある。
<概 要><歴史遺産>
▼小比賀家住宅の全景
小比賀家は、江戸時代初期以来、庄屋を務めた家で、「政所(まんどころ)日記」などの古文書も伝えている。住宅は慶長年間(1596~1615)のものと推定され、県内で最も古く、屈指の規模と風格をもつ民家である。
▼小比賀家住宅-案内板、パンフ-1
▼小比賀家住宅-パンフ-2
▼小比賀家住宅-古説明板
南の「午門(うまもん)」(寄棟造の長屋門)を入ると広庭が有り、前方に「主屋」が現われる。
▼午門入口と説明板
▼午門を入る、主屋と表庭
▼主屋の屋根、庇
主屋の内部は東寄りの3分の1がドマで、入口付近がモミドという籾(もみ)を取り入れる空間、奥がクドのある炊事場となっている。
▼広庭、上部の梁組み
▼モミド、カマド
西寄りの3分の2は床が上がっており、沢山の部屋から成っている。小玄関(庄屋格用)・大玄関(代官や藩主用)・勘定場(年貢勘定などを行う)・上座敷が公的な部屋である。
▼小玄関の間、大玄関の間
▼勘定場と小玄関の間、勘定場と次の間
奥座敷・仏間・神の間などが私的な部屋である。
▼座敷下の間、座敷上の間
▼奥の間、居間
▼仏間・神の間
主屋の周りには「米蔵・土蔵」が保存されていて、「土塀」も含めて国重文である。
▼米蔵、土蔵
▼土塀(内側)
▼土塀(外側)-1
▼土塀(外側)-2
▼土塀(外側)-3
座敷の南から西に面して、「小比賀家築山庭園」(県名勝)がある。
面積約825m2の池泉(ちせん)回遊式庭園で、土塀の彼方に六ツ目山が借景として目に入る。
▼築山庭園-1
▼築山庭園-2
▼築山庭園-3
▼築山庭園-4
▼築山庭園-5
▼借景-六ツ目山、石清尾山・浄願寺山
庭の石組・石橋・飛び石など石が豊富で、かつ見事に使用されている。
▼表庭の石組・石橋・飛び石-1
▼表庭の石組・石橋・飛び石-2
<文は現地説明板やWebなどより引用した>
引き続き、Vol.980-3/4をご覧ください。