Vol.980-4/4 R巻頭-92。歴史(観て歩き)レポ-県都編:08<小比賀家・北部小校門> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.980-3/4に続けてご覧ください。

 

11.国分寺北部小学校校門  <撮影:2012.07.21 and 2015.08.26>

通称「赤門」と呼ばれ、国分寺北部小学校のシンボルでもあるこの門は、明治27年(1894)に端岡尋常小学校が創立された際に正門として建てられたものである。高さ3.4メートル、間口2メートルの赤煉瓦造りで、上部は半円形のアーチ型を呈している(一部コンクリートによって後補されている)。

その中央にはかつて「忠孝」と書かれた扁額が掲げられており、その扁額は現在も国分寺北部小学校に保管されている。この門は、日本が近代化へとむかう過程で、地域への教育の普及の状況を物語る貴重な資料である。(高松市HP)     

 

<所在地・外観>

国分寺北部小学校校門-高松市国分寺町新居1880

▼国分寺北部小学校校門-明治時代の学校の面影を伝える

 

 

JR端岡駅の西約400m、国分寺北部小学校の南側に赤レンガ造りの「校門」がある。

 

<概 要><歴史遺産>

▼国分寺北部小学校校門の位置図-全景

 

▼国分寺北部小学校-全景、正門

 

▼国分寺北部小学校-赤門-1

 

▼国分寺北部小学校-赤門-2

 

▼国分寺北部小学校-赤門-3(web引用-水彩画風変換)

明治27年(1894)に端岡尋常小学校が創立された際に正門として建てられた当時の写真。

 

 

<関連遺産>

国分寺北部小学校から西北へ約1.2km行くと、穴薬師石切場跡に着く。

 

▼穴薬師へ向かう-1:前方左が猪尻山

 

▼穴薬師へ向かう-2:左後方に国分寺北部小学校が見える

 

▼穴薬師へ向かう-3:三叉路を左折、穴薬師の登り口に着いた

 

▼穴薬師へ向かう-4

 

▼穴薬師へ向かう-5:大名持命・倉稲魂神

 

 

標高約170mの猪尻山南麗の尾根斜面に、洞窟状の穴があり、石像2体が安置されている。

 

▼穴薬師へ向かう-6、穴薬師に着いた

 

▼穴薬師-1

 

▼穴薬師-2

 

 

また磨崖仏なども彫られているが、穴の前面には作業場として使われたと考えられる平坦な場所があり、中世石造物用に角礫凝灰岩を切り出した跡の1つと考えられている。

 

▼穴薬師-3

▼穴薬師-4、猪尻山南麗の尾根斜面から見る国分寺北部小学校(ズーム景)

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀