akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記 -23ページ目

akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.982-2/3に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-県都:10<香西寺>

16.香西寺 <撮影:2012.07.18 and 2015.05.01 and 2017.06.19>

香西寺(こうざいじ)は真言宗大覚寺派の寺院。山号は寶幢山(ほうどうざん)。本尊は延命地蔵と称する地蔵菩薩。

四国別格二十霊場第十九番札所、四国三十三観音霊場第三十三番札所、四国讃州七福之寺毘沙門天。

 

寺伝によれば、奈良時代の天平11年(739年)に行基が勝賀山の北麓に庵を結び、宝幢を刻んで宝幢山勝賀寺として創建したといわれている。この場所は奥の堂と呼ばれており、奈良時代〜平安時代の瓦片が出土することから寺院跡とみなされ、勝賀廃寺と呼称されている。平安時代前期の弘仁8年(817年)空海(弘法大師)が現在地に寺院を移し、地蔵菩薩像を刻んで安置したと言われる。嵯峨天皇の勅願寺となり、朱雀天皇の讃岐国勅旨談議所となったが、その後は衰微していたようである。鎌倉時代になり、この地の豪族・香西左近将監資村が鎌倉幕府の命により寺院を再興し香西寺と名付けた。

 

その後は香西氏の庇護を受けることとなった。南北朝時代には室町幕府の守護大名の細川頼之が本津(現在の香西東町)に移転し、香西氏11代当主の香西元資が地福寺と改称した。戦国時代の天正年間(1573年-1592年)には戦火により伽藍が焼亡した。桃山時代に讃岐国の大名として配された生駒親正が復興し高福寺と名を改めた。

江戸時代前期の万治元年(1658年)失火により伽藍を焼失し、再び現在の地に移転した。寛文9年(1669年)高松藩初代藩主松平頼重が伽藍を整備し別格本山 香西寺と改称した。しかし、その後も失火に見舞われ再建がなされている。  (Wikipediaより)

 

<所在地・外観>

香西寺-高松市香西西町211

▼香西寺-香西氏とともに歩んだ寺、平安時代の毘沙門天立像。

 

 

JR高松駅より瀬戸大橋通り・さぬき浜街道(県道173・16号線)を西に向かい、本津川大橋を渡って左(南)に曲がると、香西の町の旧道に出る。香西の町は「むきむきの町」と云われる。それは、香西氏の支配した戦国期における藤尾城の総構えによるもので、道が至る所で折れ曲がり、家の向きが整然としていないからである。

 

▼むきむきの町の姿

 

 

香西の町の中心部からやや西、勝賀山の山裾にあたる所に「香西寺」がある。

勝賀山北麓の奥の堂とよばれる所に、奈良時代から平安時代後期の古瓦の出る寺跡(宝幢山勝賀寺跡)があり、そこが創建の場所と考えられる。

現在地に再建されたのは、1669(寛文9)年、高松藩初代藩主の松平頼重のときである。

 

<概 要><歴史遺産>

▼香西寺-寺標とお迎え毘沙門天、仁王門

▼香西寺-仁王

 

▼香西寺-参道、境内

 

▼香西寺-本堂

 

▼香西寺-毘沙門天と大師堂、大師堂

 

▼香西寺-毘沙門天堂

 

▼香西寺-境内と鐘楼堂、鐘楼堂

 

▼香西寺-境内から仁王門を見る、観世音菩薩像

 

▼香西寺-水掛地蔵尊御宝前

▼香西寺-厄除弘法大師

 

 

香西寺には、平安時代中期の「木造毘沙門天立像」(国重文)がある。高さ約1mのヒノキの一木造で、表情はおとなしい。恐らくこの像は、寺が奥の堂に有ったとき以来のものであろう。

 

▼木造毘沙門天立像(web引用-水彩画風変換)

 

<関連遺産>

香西の芝山(43m)には香西水軍の城、「芝山城跡」がある。

 

▼芝山城跡(芝山神社)-1

 

▼芝山城跡(芝山神社)-2

 

▼芝山城跡(芝山神社)-3

 

▼芝山神社、扁額

 

▼芝山城跡・芝山神社・芝山天狗伝説の説明板、石鎚神社

▼芝山神社-社殿、虚空蔵聖像

 

▼芝山から見る-香西港、香西港大橋

 

▼芝山から見る-香西港と屋島、屋島・長崎の鼻

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

宮池水上展望台4景。

 

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-093  Orignal掲載日:Vol.153 (2012.11.20)

歩くこと…、身だしなみ…。

 

人生の勝負は、頭では決着がつかず、足腰でつくという。その理由を人間の身体は、足腰から弱るからだという。

足腰のメンテナンスには充分に気を遣わなければならないが、最も簡単で出来る事は「歩くこと」、つまり足を動かすことだと…。身体や時間に支障がない限り、エスカレーターなどを使わずに、階段を上がる。

 

よく「一日、1万歩」と張り切っている人もいるが、よほどの精神力がないと長続きしない。

肩肘張らずに、機会と時間を見つけて、無理なく足を動かす習慣をつける事が大事だ。

意識してやっていれば、おのずと運動量は増えてくるものであり、上手くいけば減量の促進にもなるから、一石二鳥である。「ふくらはぎは第二の心臓だ」をも理解している事も重要である。

 

また、人間は第一印象が非常に大切である。それを決めるのは、何といっても「身だしなみ」である。季節ごとに一冊ぐらいのファッション誌をながめて、最低限のセンスは磨いておきたいものだ。

それが面倒なら、配偶者など親しい異性に聞いて、自分に似合うスタイルを固めて、その通りにしてしまうことだ。「身だしなみ」がよい人は、自信ありげに見える。だらしない服装をしていると、人間の中身まで、貧相に見える。

キザに見えるのは禁物だが、他人に安心感を与える演出をするのは、社会人としての義務といってもよいだろう。

 

足腰を充実させて、長く使える身体を作ろう。「身だしなみ」は、よい人間関係の第一歩である。

 

 

<高くがる空間>

NTT西日本三条ビル(三条町)の上空。

ゆめタウン高松(三条町)の上空。

紙町跨道橋頂点から見る国道11号線の左(南-バス停「ゆめタウン高松前」)方向の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇町並巡りで出会ったアメリカフヨウ

とても大きな目立つ花を咲かせるハイビスカスの仲間で、原種は大きくて立派ですが、園芸では主に矮性の改良・交雑品種がよく出回っている。花は一重の丸型で15cm以上になり、花色は赤からピンク、白がある。

 

一日花でひとつの花はすぐしぼんでしまうが、夏から秋にかけて次々に花を咲かせてくれる。原産地は北アメリカ(園芸品種)で、開花期は7~9月で、花言葉は「日ごとの美しさ」、別名は「草芙蓉(くさふよう)」である。

 

◇町並巡りで出会ったアベリア

 

◇ウォーキングコースの畑に咲く(おみなえし)マリルド

 

 

◇ウォーキングコースのMi氏の畑に咲くキクイモ(菊芋)

 

 

 

Akijiiままniフォトsketch朝日新町西高松港コンテナタミナル高松海上保安部 

朝日新町西緑地

市立の都市緑地公園で、面積は0.76ha、開設日は1988年(昭和63年)3月31日。

工場地帯を抜けた所にある公園で、工場地帯とサンポートが見える夜景は絶景である。

高松港コンテナターミナル

平成9年度に高松港コンテナターミナルが整備され、平成9年6月に「高松港-釜山港国際コンテナ定期航路」、平成14年4月に「高松港-上海港国際コンテナ定期航路」、平成16年2月に「高松港-青島港国際コンテナ定期航路」、平成25年11月に「高松-中国・フィリピン国際コンテナ定期航路」(休止中)が開設されております。(香川県HP)

高松海上保安部(高松港湾合同庁舎)

高松海上保安部は、昭和23年5月1日、海上保安庁の創設とともに、香川県の全域を管轄区域とする広島海上保安本部(現在の第六管区海上保安本部)の事務所として、設置されました。管内には、国内屈指の船舶交通量をもつ備讃瀬戸東航路などの海上交通安全法適用航路を抱え、海上保安庁の4つの使命(治安の維持、海上交通の安全確保、海難の救助、海上防災・海洋環境保全)のもと職員一丸となり、日夜、業務に励んでいます。(高松海上保安部HP)

朝日町外防波提北灯台

灯質:単明暗赤光 明:6秒暗2秒、灯髙:16m、光達距離:11miles(20.4km)、構造:赤塔形、高さ:14m

朝日町外防波提南灯台

灯質:等明暗緑光 明3秒暗3秒、灯髙:13m、光達距離:5miles(9.3km)、構造:白塔形、高さ:10m

 

▼所在地、朝日新町西緑地

高松市朝日新町:〒760-0064

 

▼高松港コンテナターミナルを北詰、高松港コンテナターミナルの南側

 

▼高松港と高松港湾合同庁舎、高松港朝日町外防波堤北灯台(女木島の北)

 

 

▼バス停「卸センター」で降車、朝日新町西緑地へ向かう(約0.2km)次の交点を右折

 

▼右側の宮脇書店総本店(宮脇カルチャースペース)

 

▼正面は宮脇書店卸センター、北の方向

 

▼宮脇書店総本店(宮脇カルチャースペース)

▼朝日新町西緑地へ進む

 

▼朝日新町西緑地東側の北方向、朝日新町西緑地に着いた

 

 

▼後方の宮脇書店総本店を振り返る、朝日新町西緑地を内部&東西側を北方向に進む-1

 

朝日新町西緑地を内部&東西側を北方向に進む-2

 

▼朝日新町西緑地を内部&東西側を北方向に進む-3

 

▼朝日新町西緑地を内部&東西側を北方向に進む-4

▼朝日新町西緑地を内部&東西側を北方向に進む-5

 

▼朝日新町西緑地を内部&東西側を北方向に進む-6

 

▼朝日新町西緑地を内部&東西側を北方向に進む-7

 

 

▼朝日新町西緑地から離れて東へ進み高松港コンテナターミナルへ向かう(約0.5km)、朝日新町を東へ進む(次の交差点を左折)

 

▼朝日新町を北に進む-1

 

▼左側に「四国三菱電機販売」・「サンテレホン」、朝日新町を北に進む-2(次のT交点を左折)

 

▼正面のタチバナ工業、高松港コンテナターミナルへ進む-1

 

▼高松港コンテナターミナルへ進む-2、高松港コンテナターミナルが見えて来た

 

▼高松港コンテナターミナルのパノラマ景

▼高松港コンテナターミナルへ向け朝日新町を北に進む

 

▼高松港コンテナターミナルの北詰め

 

▼高松港コンテナターミナルの北詰めと右に南海プライウッド㈱朝日新町資材物流センター、南海プライウッド㈱朝日新町資材物流センターと㈱タダノ高松朝日町部品倉庫

 

▼北上して来た後方を振り返る、高松港コンテナターミナルを北→南→東へスケッチ開始

 

(Vol.981-2/5に続く)

 

 

<akijii展-(538)

今報から「スクラッチアート(世界の名所めぐり-6点」です。

今報は「マンハッタンの夜景」で、所要時間は295Mでした。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.981-2/5をご覧ください。

Vol.981-1/5に続けてご覧ください。

 

▼高松港コンテナターミナル北詰めを西へ進行、高松港コンテナターミナル北詰めを西へ進行スケッチ-1(ガントリークレーンとストラドルキャリア1号機)

 

▼高松港コンテナターミナル北詰めを西へ進行スケッチ-2(ストラドルキャリア1号機)、

 

▼高松港コンテナターミナル北詰めを西へ進行スケッチ-3

 

▼高松港コンテナターミナルのガントリークレーンのスケッチ-1

 

▼高松港コンテナターミナルのガントリークレーンのスケッチ-2

 

▼北詰めを西へ進行した地点から後方を振り返る、高松港コンテナターミナル西側を南へ進行

 

▼高松港コンテナターミナル西側を南へ進行スケッチ-1

 

▼高松港コンテナターミナル西側を南へ進行スケッチ-2

 

▼高松港コンテナターミナル西側を南へ進行スケッチ-3

 

▼後方の北詰めを振り返る、高松港コンテナターミナル西側を南へ進行スケッチ-4

 

▼前方に南側のターミナル、高松港コンテナターミナル南側を東へ進行

 

▼後方の西側と北詰めを振り返る、高松港コンテナターミナル南側を東へ進行スケッチ-1

▼後方の西側を振り返る-1

 

▼高松港コンテナターミナル南側を東へ進行スケッチ-2

 

▼朝日新町西緑地西側の車道の交点を右折、後方の西側を振り返る-2

 

▼朝日新町西緑地西側車道沿いの高松港コンテナターミナルの南側スケッチ-1

 

▼朝日新町西緑地西側車道沿いの高松港コンテナターミナルの南側スケッチ-2

 

▼朝日新町西緑地西側車道沿いの高松港コンテナターミナルの南側スケッチ-3

▼朝日新町西緑地西側車道沿いの高松港コンテナターミナルの南側スケッチ-4

 

 

▼高松海上保安部高松港湾合同庁舎へ向かう(約0.3km)、高松港沿いに南へ進む-1

 

▼高松港沿いに南へ進む-2、正面奥に高松港湾合同庁舎が見えて来た

 

▼正面奥に高松シンボルタワー、右側に高松港コンテナターミナル南側の南端(奥に移動式ハーバークレーンとストラドルキャリア2号機)

▼高松港沿いに南へ進む-3、朝日新町西緑地の奥に宮脇カルチャースペースのかさあげ型観覧車が見える

 

▼高松港沿いに南へ進む-4、高松港湾合同庁舎

 

▼高松港沿いに南へ進む-5、右奥に入港中のLNGタンカー

 

▼次の交差点を右折、高松港湾合同庁舎へ進む-1

 

▼高松港湾合同庁舎へ進む-2

 

▼右奥に高松港コンテナターミナルのガントリークレーンが見える、高松港湾合同庁舎に着いた

 

▼高松港湾合同庁舎

 

▼高松港朝日町外防波堤北灯台のスケッチへ進む(次を右折)-1

 

▼高松港朝日町外防波堤北灯台のスケッチへ進む(次を右折)-2、右に高松港湾合同庁舎

 

▼高松港朝日町外防波堤北灯台のスケッチへ進む-3、岸壁の右奥は屋島

 

▼高松港朝日町外防波堤北灯台スケッチ-女木島の北、高松港コンテナターミナルの移動式ハーバークレーンの左

▼オイルフェンス巻取機

 

▼朝日新町を南方向に進む、朝日新町(高松港湾合同庁舎・宮脇カルチャースペース)を後にして朝日町へ向かう

 

(次報VOL.982に続く)

 

引き続き、Vol.981-3/5をご覧ください。

Vol.981-2/5に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-県都:09今岡古墳・国分台遺跡・石船石棺・国分寺六ツ目古墳

<12.今岡古墳> <撮影:2011.01.29 and 2018.05.22>

高松市の西部、本津川流域を見下ろす全長60.5mの前方後円墳で、古墳時代中期(5世紀頃)に造られたと考えられている。この古墳の特色は、埴輪(はにわ)が多く使われていることがあげられ、筒型をした一般的な円筒埴輪はもちろん、家形や蓋(きぬがさ)等の形象埴輪も多く採集されている。

また古墳には河原石が散乱しており、古墳全体を石で敷きつめる葺石の名残りと考えられる。

昭和39年(1964)には、前方部から、全国的にも類例を見ない組合式(くみあわせしき)陶棺が発掘され、若い女性とみられる人骨とともに、鏡や玉類が出土した。

東の方に立地する石清尾山古墳群と比べ、葺石で墳丘を飾り、多量の埴輪が立てられた今岡(いまおか)古墳は、当時の中心地であった近畿地方の強い影響を受けていると考えられている。                 (高松市HP)

 

<所在地・外観>

▼今岡古墳-高松市鬼無町佐料449-14・鬼無町佐藤1102-3

▼今岡古墳-陶棺・埴輪・神獣鏡が出土、畿内王権との関係 

 

 

高松市内から県道33号線を西南に向かい、JR鬼無駅手前のJA鬼無支店の交差点で右(西)に曲がって坂道を上がって行くと山地池があって、香川誠陵中学校・高校が見えて来る。

私は、JR鬼無駅をスタートして今岡古墳へ向かった。

 

▼JR鬼無駅をスタート、JA鬼無支店の角を左折

 

▼勝賀城跡登山道を進む、鬼無町の案内板

 

▼曲がった坂道を上がる

 

<概 要><歴史遺産>

今岡古墳」(県史跡)は、香川誠陵中学・高校の運動場に隣接した見晴らしの良い丘陵上にある。

 

▼山地池と香川誠陵中学・高校、香川誠陵中学・高校

 

 

周囲には古墳が沢山有るが、その中でも今岡古墳は偉容を誇っている。

はっきりとした前方後円墳で、3段に造られており、墳丘上に円筒埴輪が2段に配列されていた。

 

▼今岡古墳-墳丘、墳丘図

 

 

河原石が散乱している状況から、葺石(ふきいし)と多くの埴輪で飾られた畿内色の強い古墳で、地域色の強い石清尾山古墳群とは対照的である。

 

▼今岡古墳の墳丘

 

▼今岡古墳の墳頂

 

 

この古墳を有名にしたのは、前方部から出土した陶棺(とうかん)で、かまぼこ形の丸い蓋を持ち、全体が素焼きの組合せ式になっていた。陶棺の中には、若い女性の人骨のほか、ヒスイの勾玉・管玉や「上方乍意(じょうほうさっきょう)」の銘のある倭製神獣鏡などが出土している。これらの出土品は県立ミュージアムに展示されている。

 

▼出土品(陶棺)-1(web引用-水彩画風変換)

 

▼出土品(陶棺)-2、陶棺図面(web引用-水彩画風変換)

 

▼出土品-勾玉、一仙五獣鏡(web引用-水彩画風変換)

 

 

組合せ式陶棺の年代は、古墳時代前期末に遡り、前期中頃に讃岐で始まった刳り抜き式石棺との関連が想定できる。立地条件を考えると、今は内陸部に向いているが、古墳時代においては本津川の河口がもっと上流にあり、海に近い場所に立地していたであろう。今岡古墳前方部の被葬者も、瀬戸内海を介して畿内王権と繋がりのあった人物と考えられよう。

 

<関連遺産-1>

目を転じて背後を見ると、北西方向に聳える山は勝賀山(かつがやま)(364m)で、この山頂には香西氏が牙城とした「勝賀城跡」がある。登り口は香川誠陵中学校・高校の北側の道を少し東へ行った所にある。

 

▼貴船神社と勝賀山、勝賀城登山道入口(鬼無町)から見る

 

▼勝賀城跡登山道入口のakijii、勝賀城跡の説明板

 

▼勝賀城跡の登山道-1、作業道からの勝賀山

 

▼作業道からの登山口、標高220mの位置

 

▼勝賀城跡の登山道-2(赤子谷との分岐点) 、山頂が近い

[29][30]

 

最初に造られたのは承久の乱(1221年)の後、讃岐武士藤原氏の棟梁となった香西氏の初代資村(すけひら)が築いたと云うが、整備されたのは戦国時代で、長宗我部氏との戦いの時である。

山頂には、堅古な土塁で囲まれた本丸跡がよく残っている。

 

▼勝賀城跡(山頂)に到着、要塞城跡の山頂

 

▼勝賀城跡(山頂)の様子-1

 

▼勝賀城跡(山頂)の様子-2、祠と勝賀城跡の説明板-1

 

▼龍王社の祠、祠前のakijii

 

▼三等三角点、標柱(標高364m)

 

 

香西港や瀬戸内海を一望でき、中讃の要を押さえた香西氏の城に相応しい。

 

▼頂上からの眺望

 

 

<関連遺産-2>

勝賀山の麓にあたる今岡古墳の東北約600mの所には、勝賀城の里城(さとじろ)にあたる「佐料城跡」がある。

 

▼興津神社の入口、佐料城跡の説明板

▼奥津神社へ進む、奥津神社の境内

 

▼佐料城水堀跡

佐料城跡で唯一残る遺構の水堀で、幅約4m程のL字になっている。

 

 

<関連遺産-3>

また香西氏終盤の総構え(総曲輪)をとった「藤尾城跡」は市立香西小学校(香西本町)の北側に有り、現在は宇佐八幡宮となっている。

 

▼宇佐八幡宮(藤尾城跡)-1(入口全景、社号標・香西の案内板)

 

▼宇佐八幡宮(藤尾城跡)-2(藤尾城の標柱と説明板)

▼宇佐八幡宮(藤尾城跡)-3(参道石段、随神門)

 

▼宇佐八幡宮(藤尾城跡)-4(石段総数104、拝殿)

 

▼宇佐八幡宮(藤尾城跡)-5(拝殿扁額、本殿)

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

引き続き、Vol.981-4/5をご覧ください。

Vol.981-3/5に続けてご覧ください。

 

13.国分台遺跡 <撮影:2011.02.20>

讃岐国分寺の北に台地状の五色台が広がり、その南部に国分台(こくぶだい)(標高407m)がある。

国分台山頂を取り囲む崖は、讃岐岩質安山岩溶岩から構成されていて、本岩は風化すると赤褐色の粘土状となる。国分台では讃岐岩質安山岩の赤色風化殻が讃岐岩(サヌカイト)によって被覆され保存されている。

サヌカイトは瀬戸内火山岩類に属する古銅輝石安山岩で、ガラス質で緻密、硬質で、かつ流理に沿ってエッヂ状に割れやすい性質があり、打撃によってナイフ型石器などを容易に作る事が出来る

国分台遺跡からはサヌカイト製の石器が多数見つかっている。国分台南麓には、山頂から崩れてきたサヌカイトの岩片が散らばっていて、地表付近に分布するサヌカイトの岩片は、表面が白く風化膜で覆われたり、風化によって流理に平行な細い凸凹が発達し、ノコギリのようにギザギザしている。

 

<所在地・外観>

▼国分台-高松市国分寺町国分

▼国分台-旧石器製造の一大センター

 

 

約82万m2の広大な平坦地は「国分台」と云われ、旧石器時代を中心とする石器材料サヌカイトの大規模原産地遺跡として有名である。

 

<概 要><歴史遺産>

▼国分台の:訓練中のヘリが左、ハイキングコースを行く:前方に国分台

 

 

この地域は明治時代以降、陸軍第11師団の射撃演習場として使用され、第二次世界大戦後は開拓団入植地となり、その後、陸上自衛隊の実弾射撃練習場になり、現在は立入禁止地となっている。

私は自宅から国分寺ハイキングコースを西方向に進み、白峯寺と根香寺と讃岐国分寺への遍路道(四国のみち)の分岐点まで行き、国分台を目指した。

 

▼白峯寺(根香寺)への遍路道(四国のみち)から登る、振り返る国分町の風景

 

▼遍路道-1、もう一息の激励標示板と国分台

 

▼遍路道-2:遍路転がし、遍路道からの中継塔

 

▼修業大師、休憩所からの国分台

 

▼一本松(県道180号線)に到着、県道180号線:反対方向に根香寺

 

▼県道からの大平山中継塔、自衛隊の「立入禁止」の警告標示板

▼陸上自衛隊の演習場、広々した演習場の一部

 

▼防衛庁の石柱、演習場から見る大平山中継塔の方向

 

▼サヌカイトの原石か-1

 

▼サヌカイトの原石か-2、サヌカイトかを調べるakijii、

 

 

昭和30年代に遺跡の存在が知られてからは、数度にわたる踏査や確認調査などが行われ、原産地での生産の様子や県内外にサヌカイト石材が運ばれていた事が解って来た。

 

▼演習場から国分寺町方向を見るakijii

▼自衛隊演習場から東方面

▼自衛隊演習場から南方面

▼自衛隊演習場から西方面

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

14.石船石棺 <撮影:2015.08.11 and 2016.11.01 and 2017.05.28>

この石棺は、鷲ノ山産の石英安山岩質凝灰岩(俗に鷲ノ山石)で製作された「刳抜式石棺」と呼ばれるものである。石舟池の堤防下で発見され、明治42年に地元青年団によって現在の石船天満宮の境内地まで移され、露出展示されている。このような刳抜式石棺は、古墳時代前期後半から中期前半(4~5世紀)にかけて香川県内の大型の前方後円墳に限定されて棺として使われていた。

鷲ノ山産の石棺は、本市石清尾山の石船古墳(国指定史跡)をはじめとして中讃地域など県内8例の他、大阪府柏原市で2例確認されている。このことから、鷲ノ山周辺が古墳時代前半期における石材産地および石材加工の一つの中心として広く知られていたことがわかる。 (高松市HP)

 

<所在地・外観>

▼石船石棺(いしぶねせっかん)-高松市国分寺町新名1886

▼石船石棺-大阪まで運ばれた鷲ノ山石棺

 

 

JR国分駅の南へ約2.4km、国分寺町新名の石船天満宮境内には、鷲ノ山産の石英安山岩質凝灰岩の割竹形石棺(石船石棺)がある。

 

▼石船天満宮へ向かう-1

 

▼石船天満宮へ向かう-2

 

▼石船天満宮へ向かう-3

 

 

<概 要><歴史遺産>

▼石船天満宮-1

▼石船天満宮-2

 

▼石船石棺-1

▼石船石棺-2

  

 

付近には、石棺製作工房があったと考えられる。

高松市石清尾山古墳群など県内8つの前期古墳は勿論の事、大阪府柏原市の松岳山(まつおかやま)古墳や安福寺(あんぷくじ)石棺にも使われている。

 

▼香川県の古墳群、石清尾山古墳群(web引用)

 

▼松岳山古墳(web引用-水彩画風変換)

 

▼安福寺石棺(web引用-水彩画風変換)

 

 

「播磨国風土記」の印南郡(いなみのこおり)(現、兵庫県南部)の条にある「讃岐国羽若(はわか)の石」はこの鷲ノ山石を指すと考えられる。

正しいかどうか私には判断できないが、Web上で次の記述を見つけたので掲載しておきます。

播磨国風土記には、印南郡大国里について『息長帯日女(おきながたらしひめ)命、石作連(やざこむらじ)大来(おおく)を率いて、讃岐国の羽若石を求めたまひき。そこから渡りたまいて・・・』と書かれています。亡き仲哀天皇のために、息長帯日女命、後の神功皇后は自ら讃岐国の羽若石を求め、この竜山に運んで石作連に石棺を造らせ、大阪府藤井寺市の仲哀天皇陵まで運んだと考えられます。

 

古墳時代前半期における大型前方後円墳の石棺供給地として重要な意味をもっていた。

 

▼眼鏡橋石蔵移転記念石碑(鷲ノ山石)

 

▼眼鏡橋(高松市屋島中町民家博物館四国村)-1

国分寺町石舟地区寄贈

昔のこんぴら街道沿いにあったこの石蔵とアーチ橋は、国分寺町鷲ノ山産の石(角閃安山岩)で造られている。この石は、古墳時代には畿内に運ばれ、石棺にも使われており、“石舟”の地名の由来となっている。石蔵は、明治中頃に造られたもので、四国では大変珍しく、当時としてはぜいたくな煉瓦を床に張ったモダンな建物である。今でも全く狂いがなく技術的にも卓越した石工の作品である。アーチ橋は“明治三十四年(1901)石工兎子尾与次郎・米吉”が築造したとの銘が頂部の楔石の下面にある。楔石の正面には彩色した鯉と唐獅子の彫刻があり、この様な例はめずらしく全国的にも注目されている。

 

▼眼鏡橋(高松市屋島中町民家博物館四国村)-2

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

引き続き、Vol.981-5/5をご覧ください。

Vol.981-4/5に続けてご覧ください。

 

15.国分寺六ツ目古墳 <撮影:2015.08.11 and 2017.09.01>

墳形は前方後円墳で国分寺町では唯一です。全長は平成元~2年(1989~90)度の発掘調査で全長21.4mであることが確認されました。香川県内では最小規模の前方後円墳といえます。古墳が造られている場所は標高91.7mの尾根上で、国分寺町の平野を一望できる場所です。発掘調査によって墳丘の各所から土器がたくさん出土しました。土器には広口壺や小形鉢があります。土器の形、副葬品の特徴、墳丘の構造など、総合的な検討から古墳が造られた時代は古墳時代前期初頭、4世紀前半頃と考えられます。

前方後円墳の形は前方部が低いバチ形をしており、地元香川の古墳の特徴が指摘されます。

また、墳丘は自然の地形を削り出して造られ、後円部のみ厚さ60㎝ほどの盛土が見られます。

墳丘裾には10~30㎝の花崗岩が多数あります。ただし、石材は墳丘全面にはなく、墳丘裾を鉢巻状に取り巻いています。よって葺石ではなく、列石として評価されています。

埋葬施設は後円部頂部で3基確認されました。3基ともに構造が異なります。

それぞれ竪穴式石室、粘土槨、箱式石棺です。   (香川県教育委員会他から転載)

 

<所在地・外観>

▼国分寺六ツ目(むつめ)古墳-高松市国分寺町福家

▼国分寺六ツ目古墳-東四国最小クラスの、前方後円墳

 

 

高松自動車道の高松西インターチェンジの西に位置する唐渡(からと)峠は、古来2つの意味で重要であった。1つは、南海道がこの峠を越えて東西に通じていた事。もう1つは、峠の両側にある伽藍山・六ツ目山・堂山を結ぶ線が、阿野郡と香川郡の境をなしていた事である。

今も、高松市の国分寺町方面と円座町方面を結ぶ路線(県道12号線=三木国分寺線)として、通行量は多い。

 

▼唐渡峠を中心とした位置図、南海道の遺物(箱狭橋横の石碑)

 

 

<概 要>

高松自動車道も、この峠に沿って造られているが、1989~1990(平成元~2)年、六ツ目山から西に派生する丘陵上で、工事に伴って古墳が見つかり、国分寺六ツ目山古墳と命名された。

現在は、高松自動車道の少し上の尾根に移転され保存している。

 

▼国分寺町側から唐渡峠へのぼる、峠を右折(南)し六ツ目古墳へ

 

▼六ツ目古墳へ向かう-1

 

▼前方右に六ツ目上池・奥は鷲ノ山、後方は伽藍山

 

▼六ツ目古墳へ向かう-2、左折し高松自動車道を潜る-1

 

▼高松自動車道を潜る-2、六ツ目古墳へ向かう(右折)-3

 

▼反射鏡にマーキング(akijii)、六ツ目古墳へ向かう-4(高松自動車道と並走)

 

▼六ツ目古墳へ向かう-5

 

▼左前方は六ツ目墓園、右側の高松自動車道の下が新池

 

▼六ツ目古墳へ向かう-6

右側は高松自動車道。

 

▼六ツ目古墳の上り口に着いた、六ツ目古墳の階段を昇る-1

 

▼六ツ目古墳の階段を昇る-2

 

 

<歴史遺産>

国分寺六ツ目山古墳」は、石槨(せっかく)・粘土槨に大人が各1人、箱式棺に子どもが1人の計3人が葬られており、鉄剣・鉄斧(てっぷ)・鉋(やりがんな)・鉄刀・刀子(とうす)や中形広口壺が副葬・供献(きょうけん)されていた。

 

▼六ツ目古墳-1

▼六ツ目古墳-2

 

▼六ツ目古墳から国分寺町新居の方向▼広口壺(web引用-水彩画風変換)

 

 

<関連遺産>

中形広口壺は壺形埴輪として副葬されたもので、類例は丸亀市飯野町東分の吉岡神社古墳など、東四国に分布する。鶴尾神社4号墳(高松市西春日町)に共通する要素もあり、小さいながらも古墳祭祀(さいし)の在り方を通じて、地域政治集団の一員としての存在を主張している。

 

▼吉岡神社古墳-1

 

▼吉岡神社古墳-2

 

▼鶴尾神社4号墳(web引用-水彩画風変換)

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

撮影ポイントと地点の標高。

宮池の遊歩道海抜32m、a地点標高107m(直線距離1.5km)、b地点標高73m、c地点標高44m(直線距離0.2km)である。

・a地点からの宮池、a地点からの宮池のズーム景-1

 

・a地点からの宮池のズーム景-2

b地点からの宮池、ズーム景

 

c地点からの宮池、ズーム景

 

・c地点から下りて宮池へ進む、宮池の北西端に着いた

 

宮池水上展望台。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-092 Orignal掲載日:Vol.141 (2012.09.20)

欲はエンジン、欲がないと・・・。

 

今の時代、多くの人は金を手に入れて、いい家を買いたいとか、高い車に乗りたいとか、贅沢な暮しをしたいとか…、何を手に入れたかに価値観を置いてしまいがちになる。

 

ある老師は「欲は車のエンジン、欲がないのはダメだ。でも、エンジンに見合うハンドルやブレーキをつけなさい」と。

欲望は、モチベーションの源だが、ではハンドルやブレーキは? それは理性である。

エンジンが大きければ大きいほど、エンジンに合ったブレーキやハンドルが必要で、それが理性だというのである。

大きいエンジンをつけるなら、それに見合うブレーキやハンドルを持たなければならない。

 

つまり、「正しく」制御しなさい、ということである。その欲を自分や家族のためだけでなく、自分の周りにいる人や、世の中にも役立つように使うのだ。そうすれば大成するのだ、と。

中国の古典にある言葉だが、「モノをもてあそべば志を失い、人をもてあそべば徳を失う」とある。

皆さんは、どのように感じましたか。

 

 

<高くがる空間>

桜町中学校(桜町)の上空。

グレイスベース高松(楠上町)の上空。

高松第一高校(桜町)の上空。

高松第一高のグラウンド(桜町)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースのススキ

ウォーキングコースとススキ撮影地点図

・a地点(右はズーム景)

 

・b地点(右はズーム景)

 

・c地点

 

・d地点(右はズーム景)

 

・e地点(右はズーム景)

 

 

◇新居宮池親水公園に咲くサルスベリ

◇新居宮池の遊歩道のはまゆう

 

◇ウォーキングコース脇の畑に咲くジニア(ヒャクニチソウ)

 

◇ウォーキングコースのバーベナ

 

 

新香川県立体育館(仮称)建築工事—大林合田・菅建設工事共同企業体

<現場レポート引用-Ⅰ(22.04~23.09)>

建設工事共同企業体の現場レポート定点写真を引用して月度単位に掲載します。

サンポート高松に関しては過去の「Vol.580(18.12.10)史跡探訪:サンポート・浜ノ町」と「Vol.866(22.12.20)かがわ探訪Akijii77撰シリーズ-57:サンポート高松」を併せご覧頂ければ変化の状況が解り易いと想います。

 

▼22-04-22、22-05-23

 

▼22-06-23、22-07-23

 

▼22-08-23、22-09-30

 

▼22-10-27、22-11-22

 

▼22-12-20、23-01-19

 

▼23-02-22

 

▼23-03-20、23-04-20

 

▼23-05-22、23-06-20

 

▼23-07-18

 

▼23-08-22

 

▼23-09-19

 

 

 

Akijiiままniフォトsketch<サンポ高松高松港  (23.09.25撮影)

サンポート高松は、JR高松駅、駅前広場、多目的広場、地下駐車場・駐輪場といった都市施設や、高松港旅客ターミナルなどの湾岸施設があります。また、国の出先機関である高松サンポート合同庁舎、JRホテルクレメント高松、高松港レストハウスなどのホテル・商業施設が整備されています。

 

新香川県体育館(あなぶきアリーナ香川)

新体育館のメインアリーナは、室内で行われる主要な競技に対応したさまざまな設備を導入しています。空調は、大空間における空調効率が高い「居住域空調方式」を採用し、人が活動する空間では著しい温度のムラが生じず、効率的に温度を調整する仕組みになっています。送風口の配置や送風温度、風速・風量の設定は、バドミントンなど風の影響を受けやすい種目に配慮し、シミュレーションを実施。複数コートを設定した場合でも、バドミントンの世界大会で採用されている国際基準(風速0.2m/秒)をクリアしています。
アリーナなどの大規模空間では、発生した音が壁などに反射し、遅れて聞こえてくる「ロングパスエコー」など音響障害が生じやすくなります。新体育館は、アリーナと交流エリアの間に壁を設置せず、アリーナ天井面などに吸音材を配置することで、ロングパスエコーなどの音響障害を低減し、半屋外のような反響の少ない快適な音環境を実現するとともに、スポーツ大会時などで臨場感を損なわないように配慮しています。
コンサートの開催時に、大型トラックやフォークリフトで機材が搬入できるようにコンクリート床にし、ステージ設営がしやすいように天井沿いにキャットウオークを配置しているほか、床に電源供給ピット、壁面に電源盤やガスの取り出し口、給水設備を配置し、飲食イベントや展示会などにも利用できます。(香川県HP)

 

高松港は、四国の海の玄関口として、また本州や離島との海上交通の要衡として重要な位置にあり、商港及び観光港的機能のほか工業港として、四国の中枢管理都市高松市とともに発展してきました。

高松港の港湾区域は、東は屋島西町長崎の鼻から女木島南端の帆槌の鼻を結び、西は生島町五色台紅峰東北端に至る長さ約12キロメートル面積約3,100ヘクタールと東西に長く広範なものとなっており、屋島、朝日、玉藻、西浜、弦打、香西、神在、生島の8地区がそれぞれの特色を発揮することにより総合的に機能しています。

玉藻地区は、小豆島、直島などの離島や本州と結ぶフェリー、旅客船等の発着が集中する高松港の中心地区です。また四国の中枢都市高松にふさわしい新しい都市拠点を創造するための「サンポート高松」の整備が進められ、平成13年5月に港湾施設の供用を開始し、平成16年5月にグランドオープンしました。平成23年度には2万トン級岸壁が5万トン級岸壁に増強され、大型クルーズ船も寄港するようになっており、市民の賑わいと憩の場としても親しまれています。朝日地区は、高松港の物流の拠点となっています。高松港コンテナターミナルが整備され、平成9年6月の高松港−釜山港の国際コンテナ定期航路の就航を最初に、平成14年4月には高松港−上海港との航路が、さらに平成16年2月には高松港−青島港の航路が開設されました。外貿コンテナ貨物量も年々増加傾向にあり、四国でも有数の外貿コンテナ取扱量になっています。(香川県HP)

 

▼所在地、新香川県立体育館工事現場

高松市サンポート:〒760-0019

 

▼せとシーパレット、玉藻防波堤の南端から見る赤灯台のズーム景

 

▼高松港5万トン級岸壁、高松コンドリー

 

 

▼高松市サンポートに入った、多目的広場西交差点の右(南)方向

 

▼多目的広場西交差点の直進(北)方向、多目的広場西交差点を左折し新香川県立体育館建設現場をスケッチ(23.09.25撮影)

 

▼サンポートを北へ進む-1、新香川県立体育館工事現場スケッチ-1

 

▼サンポートを北へ進む-2、後方の高松シンボルタワーと高松サンポート合同庁舎

 

▼サンポートを北へ進む-3、右にカーブ

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-2

▼後方にサーパスサンポート高松ベイタワー、サンポートを東北方向に進む-1

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-3、サンポートを東北方向に進む-2

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-4、サンポートを東北方向に進む-3

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-5、サンポートを東北方向に進む-4

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-6、サンポートを東北方向に進む-5

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-7、サンポート噴水へ寄る

 

▼サンポート噴水-1

 

▼サンポート噴水-2、サンポート噴水広場の椅子

 

▼流政之作「MATAKITENO」へ進む、流政之作「MATAKITENO」-1

 

▼流政之作「MATAKITENO」-2

 

▼せとシーパレットへ進む、せとシーパレットから見る西方向(奥は五色台)

 

▼せとシーパレットから見る瀬戸内海のパノラマ景-1

▼玉藻防波堤へ向かう(約0.3km)、せとシーパレットを北東に進む-1

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-8、せとシーパレットを北東に進む-2

 

▼せとシーパレットを北東に進む-3、右側にイタリア料理「MIKAYLA」-1

 

▼せとシーパレットを北東に進む-4(↑赤灯台・休憩所)、せとシーパレットを北東に進む-5

 

▼右側にイタリア料理「MIKAYLA」-2、せとシーパレットを北東に進む-6

 

▼せとシーパレットを北東に進む-7(右に風のモビールD)、風のモビールDの説明板

 

▼せとシーパレットから見る瀬戸内海のパノラマ景-2

▼せとシーパレットを北東に進む-8、せとシーパレットから見る展望図

 

▼せとシーパレットから見る瀬戸内海のパノラマ景-3

▼せとシーパレットを北東に進む-9、玉藻防波堤に着いた

 

▼玉藻防波堤の南端から見る赤灯台のズーム景、玉藻防波堤の南端から見る屋島

 

▼玉藻防波堤の南端から見る朝日町(マキタ・四国ドック・県立中央病院)、後方のサンライズテラス

 

(VOL.980-2/4に続く)

 

<akijii展-(537)

美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-02

今報は「クマ」で、所要時間は195Mでした。

◇完成作品

今報で「美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-02」一旦を終え、

次報からは「スクラッチアート(世界の名所めぐり」です。

 

引き続き、Vol.980-2/4をご覧ください。

Vol.980-1/4に続けてご覧ください。

 

▼サンライズテラスへ上がり高松港へ向かう、高松シンボルタワー・JRクレメントホテル

 

▼左側は5万トン級岸壁、高松港へ進む

 

▼右側にイタリア料理「MIKAYLA」-3、歓迎「ようこそ香川へ」

 

▼高松港5万トン級岸壁南西端に着いた、高松港-1

 

▼高松港-2、高松港5万トン級岸壁

 

▼高松港-3

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-9、高松コンドリーへ進む

 

▼高松コンドリーへ上がる-1

 

▼高松コンドリーへ上がる-2、高松コンドリーから見る高松シンボルタワー

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-10、高松コンドリーを南方向に進む-1

 

▼高松コンドリーから見るフェリー乗り場(小豆島・直島)、高松コンドリーを南方向に進む-2

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-11、高松コンドリーを南方向に進む-3

▼高松コンドリーから見る屋島、高松コンドリーから見るサンポートホールと高松シンボルタワー

 

▼高松コンドリーを南方向に進む-4、高松コンドリーから見る「Liminal Air-core 」

 

▼高松コンドリーを南方向に進む-5(次を右折)、サンポートホール棟へ進む-1

 

▼高松コンドリーから見る右(北)方向、左(南)方向

 

▼サンポートホール棟へ進む-2、新香川県立体育館工事現場スケッチ-12

 

▼サンポートホール棟へ進む-3

 

▼サンポートホール棟へ進む-4、サンポートホール棟に着いた

 

▼サンポートホール棟4階へ上がる、サンポートホール棟4階に着いた

 

▼新香川県立体育館工事現場スケッチ-13

 

▼帰路のJR高松駅へ進む

 

▼高松シンボルタワーを見上げる、JR高松駅に着き帰宅の途に就いた

 

 

 

新香川県立体育館(仮)建築工事—大林合田菅建設工事共同企業体

<現場レポ引用-Ⅱ(23.10~24.07)>

建設工事共同企業体の現場レポート定点写真を引用して月度単位に掲載します。

▼23-10-10

▼23-10-23、11-09

 

▼23-11-21、12-05

 

24-01-20

 

▼24-02-20

 

▼24-03-27

 

▼24-05-07

 

▼24-06-04

 

▼24-07-05

 

▼24-07-22-1

▼24-07-22-2

 

 

Akijiiままniフォトsketch<新香川県立体育館「あなぶきアリナ香川」  24.07.20撮影

新香川県体育館(あなぶきアリーナ香川)

香川県は7日、2025年3月に開業を予定する新県立体育館のネーミングライツ(命名権)取得者が穴吹興産となり、愛称が<あなぶきアリーナ香川>に決まったと発表した。命名権料は年5550万円で、契約期間は2024年12月から7年4カ月間となる。県は3月28日から5月26日まで命名権取得者の公募を実施したところ、4社から応募があった。

応募金額や期間、愛称を審査し穴吹興産を選定した。(2023年6月7日/日経新聞)

イベントの形態に合わせて、最大で1万人の収容が可能。地域の大会から国際大会まで幅広い室内競技、コンサートアリーナツアー、MICE(会議や展示会)などの多様な役割を果たし、海と高松の町をつなぐ文化拠点として地域の発展と向上に貢献します。(建設工事共同企業体の現場HP)

 

▼正面奥にあなぶきアリーナ香川、多目的広場西交差点に着いた

 

▼あなぶきアリーナ香川-1

 

▼あなぶきアリーナ香川-2

▼あなぶきアリーナ香川-3

 

▼あなぶきアリーナ香川-4

 

▼高松コリドーに上がる、高松コリドーから見るあなぶきアリーナ香川-1

 

▼高松コリドーから見るあなぶきアリーナ香川-2、シンボルタワーへ進む

 

▼シンボルタワーへの進入路から見るあなぶきアリーナ香川、シンボルタワー4階へ上がる-1

 

▼シンボルタワー4階へ上がる-2、シンボルタワー4階から見るあなぶきアリーナ香川-1

 

▼シンボルタワー4階から見るあなぶきアリーナ香川のパノラマ景

▼シンボルタワー4階から見るあなぶきアリーナ香川-2、あなぶきアリーナ香川と高松港玉藻防波提灯台

 

▼サンポートホール屋上広場(8階)へ上がる、サンポートホール屋上広場(8階)

 

▼サンポートホール屋上広場から見るあなぶきアリーナ香川のパノラマ景

以上で、「中心部西北」を終え、次報からは「郊外東北」となります。

引き続きお付き合いください。

 

引き続き、Vol.980-3/4をご覧ください。

Vol.980-2/4に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-県都:08小比賀家住宅・国分寺北部小学校校門

<10.小比賀家住宅> <撮影:2016.10.31 and 2018.07.15>

小比賀家(おびかけ)住宅は、江戸時代を通じて庄屋、大庄屋を務めた屋敷であり、主屋は17世紀前期に建てられたとされる。屋敷構えが家格にふさわしく風格あるものとして主屋、午門(うまもん)、土蔵、米蔵の4棟が昭和46年に国指定の重要文化財に指定されている。また、主屋西側の池泉(ちせん)回遊式の築山(つきやま)庭園は香川県指定の名勝庭園である。敷地は東西約70m、南北約85mの広大なもので両側に松を配した馬場の正面に午門(長屋門)を開き、この両脇からでる外周土塀が屋敷の周囲を巡っている。

午門の奥に前庭を隔てて主屋があり、背後に土蔵や米蔵が建つ。主屋は正面約26.6m、奥行約9.8m、屋根は寄棟造りの茅葺で、四方に本瓦葺の庇、棟には約3.6mの煙出しがある。午門は寄棟造りの茅葺で長さが約35.4mあり、国内最大級である。主屋からみて南(午の方向)にあるため午門と呼ばれている。

平成25年から27年にかけて主屋、午門、土蔵等の保存修理工事が行われ、あわせて耐震性を高める補強工事も行われた。修理は建物に使われている部材(古材)を可能な限り再利用し、取り替える場合も古い仕様に倣うことで、文化財としての価値を保ち重要な情報や技術を後世に残し伝えるよう行われた。(高松市HP)

 

<所在地・外観>

▼小比賀家住宅-高松市御厩町331

▼小比賀家住宅-庄屋の風格を今に伝える、江戸時代初期の建物と庭

 

 

高松市内から国道11号線を南方向に進み、上天神町交差点で右折して西方向に向かうと、暫くは上を高速道路が通るが、香東川を西に渡り高松檀紙ICを過ぎた所から高速道路が頭上から無く成る。

その後も国道11号線を西に進み、御厩町交差点で右(北)へ曲がり県道177号線を300mほど行くと、道の左(西)に「小比賀家住宅」(国重文)がある。

 

<概 要><歴史遺産>

▼小比賀家住宅の全景

 

 

小比賀家は、江戸時代初期以来、庄屋を務めた家で、「政所(まんどころ)日記」などの古文書も伝えている。住宅は慶長年間(1596~1615)のものと推定され、県内で最も古く、屈指の規模と風格をもつ民家である。

 

▼小比賀家住宅-案内板、パンフ-1

 

▼小比賀家住宅-パンフ-2

 

▼小比賀家住宅-古説明板

 

 

南の「午門(うまもん)」(寄棟造の長屋門)を入ると広庭が有り、前方に「主屋」が現われる。

 

▼午門入口と説明板

 

▼午門を入る、主屋と表庭

 

▼主屋の屋根、庇

 

 

主屋の内部は東寄りの3分の1がドマで、入口付近がモミドという籾(もみ)を取り入れる空間、奥がクドのある炊事場となっている。

 

▼広庭、上部の梁組み

 

▼モミド、カマド

 

 

西寄りの3分の2は床が上がっており、沢山の部屋から成っている。小玄関(庄屋格用)・大玄関(代官や藩主用)・勘定場(年貢勘定などを行う)・上座敷が公的な部屋である。

 

▼小玄関の間、大玄関の間

 

▼勘定場と小玄関の間、勘定場と次の間

 

奥座敷・仏間・神の間などが私的な部屋である。

 

▼座敷下の間、座敷上の間

 

▼奥の間、居間

 

▼仏間・神の間

 

 

主屋の周りには「米蔵・土蔵」が保存されていて、「土塀」も含めて国重文である。

 

▼米蔵、土蔵

 

▼土塀(内側)

▼土塀(外側)-1

 

▼土塀(外側)-2

▼土塀(外側)-3

 

 

座敷の南から西に面して、「小比賀家築山庭園」(県名勝)がある。

面積約825m2の池泉(ちせん)回遊式庭園で、土塀の彼方に六ツ目山が借景として目に入る。

 

▼築山庭園-1

▼築山庭園-2

 

▼築山庭園-3

 

▼築山庭園-4

 

▼築山庭園-5

 

▼借景-六ツ目山、石清尾山・浄願寺山

 

庭の石組・石橋・飛び石など石が豊富で、かつ見事に使用されている。

 

▼表庭の石組・石橋・飛び石-1

 

▼表庭の石組・石橋・飛び石-2

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

引き続き、Vol.980-3/4をご覧ください。

Vol.980-3/4に続けてご覧ください。

 

11.国分寺北部小学校校門  <撮影:2012.07.21 and 2015.08.26>

通称「赤門」と呼ばれ、国分寺北部小学校のシンボルでもあるこの門は、明治27年(1894)に端岡尋常小学校が創立された際に正門として建てられたものである。高さ3.4メートル、間口2メートルの赤煉瓦造りで、上部は半円形のアーチ型を呈している(一部コンクリートによって後補されている)。

その中央にはかつて「忠孝」と書かれた扁額が掲げられており、その扁額は現在も国分寺北部小学校に保管されている。この門は、日本が近代化へとむかう過程で、地域への教育の普及の状況を物語る貴重な資料である。(高松市HP)     

 

<所在地・外観>

国分寺北部小学校校門-高松市国分寺町新居1880

▼国分寺北部小学校校門-明治時代の学校の面影を伝える

 

 

JR端岡駅の西約400m、国分寺北部小学校の南側に赤レンガ造りの「校門」がある。

 

<概 要><歴史遺産>

▼国分寺北部小学校校門の位置図-全景

 

▼国分寺北部小学校-全景、正門

 

▼国分寺北部小学校-赤門-1

 

▼国分寺北部小学校-赤門-2

 

▼国分寺北部小学校-赤門-3(web引用-水彩画風変換)

明治27年(1894)に端岡尋常小学校が創立された際に正門として建てられた当時の写真。

 

 

<関連遺産>

国分寺北部小学校から西北へ約1.2km行くと、穴薬師石切場跡に着く。

 

▼穴薬師へ向かう-1:前方左が猪尻山

 

▼穴薬師へ向かう-2:左後方に国分寺北部小学校が見える

 

▼穴薬師へ向かう-3:三叉路を左折、穴薬師の登り口に着いた

 

▼穴薬師へ向かう-4

 

▼穴薬師へ向かう-5:大名持命・倉稲魂神

 

 

標高約170mの猪尻山南麗の尾根斜面に、洞窟状の穴があり、石像2体が安置されている。

 

▼穴薬師へ向かう-6、穴薬師に着いた

 

▼穴薬師-1

 

▼穴薬師-2

 

 

また磨崖仏なども彫られているが、穴の前面には作業場として使われたと考えられる平坦な場所があり、中世石造物用に角礫凝灰岩を切り出した跡の1つと考えられている。

 

▼穴薬師-3

▼穴薬師-4、猪尻山南麗の尾根斜面から見る国分寺北部小学校(ズーム景)

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀