Vol.981-4/5に続けてご覧ください。
<15.国分寺六ツ目古墳> <撮影:2015.08.11 and 2017.09.01>
墳形は前方後円墳で国分寺町では唯一です。全長は平成元~2年(1989~90)度の発掘調査で全長21.4mであることが確認されました。香川県内では最小規模の前方後円墳といえます。古墳が造られている場所は標高91.7mの尾根上で、国分寺町の平野を一望できる場所です。発掘調査によって墳丘の各所から土器がたくさん出土しました。土器には広口壺や小形鉢があります。土器の形、副葬品の特徴、墳丘の構造など、総合的な検討から古墳が造られた時代は古墳時代前期初頭、4世紀前半頃と考えられます。
前方後円墳の形は前方部が低いバチ形をしており、地元香川の古墳の特徴が指摘されます。
また、墳丘は自然の地形を削り出して造られ、後円部のみ厚さ60㎝ほどの盛土が見られます。
墳丘裾には10~30㎝の花崗岩が多数あります。ただし、石材は墳丘全面にはなく、墳丘裾を鉢巻状に取り巻いています。よって葺石ではなく、列石として評価されています。
埋葬施設は後円部頂部で3基確認されました。3基ともに構造が異なります。
それぞれ竪穴式石室、粘土槨、箱式石棺です。 (香川県教育委員会他から転載)
<所在地・外観>
▼国分寺六ツ目(むつめ)古墳-高松市国分寺町福家
▼国分寺六ツ目古墳-東四国最小クラスの、前方後円墳
高松自動車道の高松西インターチェンジの西に位置する唐渡(からと)峠は、古来2つの意味で重要であった。1つは、南海道がこの峠を越えて東西に通じていた事。もう1つは、峠の両側にある伽藍山・六ツ目山・堂山を結ぶ線が、阿野郡と香川郡の境をなしていた事である。
今も、高松市の国分寺町方面と円座町方面を結ぶ路線(県道12号線=三木国分寺線)として、通行量は多い。
▼唐渡峠を中心とした位置図、南海道の遺物(箱狭橋横の石碑)
<概 要>
高松自動車道も、この峠に沿って造られているが、1989~1990(平成元~2)年、六ツ目山から西に派生する丘陵上で、工事に伴って古墳が見つかり、国分寺六ツ目山古墳と命名された。
現在は、高松自動車道の少し上の尾根に移転され保存している。
▼国分寺町側から唐渡峠へのぼる、峠を右折(南)し六ツ目古墳へ
▼六ツ目古墳へ向かう-1
▼前方右に六ツ目上池・奥は鷲ノ山、後方は伽藍山
▼六ツ目古墳へ向かう-2、左折し高松自動車道を潜る-1
▼高松自動車道を潜る-2、六ツ目古墳へ向かう(右折)-3
▼反射鏡にマーキング(akijii)、六ツ目古墳へ向かう-4(高松自動車道と並走)
▼六ツ目古墳へ向かう-5
▼左前方は六ツ目墓園、右側の高松自動車道の下が新池
▼六ツ目古墳へ向かう-6
右側は高松自動車道。
▼六ツ目古墳の上り口に着いた、六ツ目古墳の階段を昇る-1
▼六ツ目古墳の階段を昇る-2
<歴史遺産>
「国分寺六ツ目山古墳」は、石槨(せっかく)・粘土槨に大人が各1人、箱式棺に子どもが1人の計3人が葬られており、鉄剣・鉄斧(てっぷ)・鉋(やりがんな)・鉄刀・刀子(とうす)や中形広口壺が副葬・供献(きょうけん)されていた。
▼六ツ目古墳-1
▼六ツ目古墳-2
▼六ツ目古墳から国分寺町新居の方向▼広口壺(web引用-水彩画風変換)
<関連遺産>
中形広口壺は壺形埴輪として副葬されたもので、類例は丸亀市飯野町東分の吉岡神社古墳など、東四国に分布する。鶴尾神社4号墳(高松市西春日町)に共通する要素もあり、小さいながらも古墳祭祀(さいし)の在り方を通じて、地域政治集団の一員としての存在を主張している。
▼吉岡神社古墳-1
▼吉岡神社古墳-2
▼鶴尾神社4号墳(web引用-水彩画風変換)
<文は現地説明板やWebなどより引用した>
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