Vol.979-3/3 R巻頭-91。歴史(観て歩き)レポ-県都編:07<石清尾山古墳群> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.979-2/3に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-県都:07<石尾山古墳群

09.石清尾山古墳群  <撮影:2012.03.03 and 2018.05.29 and 2019.10.06>

本古墳群は、高松市街地にある標高約232mの石清尾山(いわせおやま)丘陵上に20基を超える円墳や積石塚(そのうちの9基)が築造されている。積石塚は4世紀から5世紀のものである。なお、この古墳群周辺には、20基の横穴式石室が存在し、6世紀から7世紀のものである。1931年(昭和6年)7月に古墳群として史跡に指定された。

積石塚の石船(いわふね)塚、北大塚1・2・3号墳、姫塚、小塚、石清尾山9号墳などの前方後円墳や猫塚、鏡塚、稲荷山北端1号墳などの双方中円墳、その他散在する後期古墳2基などである。

さらに東南の尾根上にある鶴尾神社4号墳(積石塚の前方後円墳)の確認調査が1981年(昭和56年)に行われ、1989年(平成元年)4月に追加指定された。  (Wikipediaより)

 

<所在地・外観>

▼石清尾山古墳群-高松市峰山町、室町・宮脇町・西春日町・鶴市町・西宝町

▼石清尾山古墳群-積石塚の主は、ヤマト政権との関わりを示す

 

 

石清尾山は栗林公園の背後(西側)の紫雲山から西にひと繋がりになった山塊で、山上には沢山の積石塚や盛土墳が有り、「石清尾山古墳群」(国史跡)として知られている。

 

▼石清尾山、石清尾山古墳群図

 

<概 要><歴史遺産>

高松駅で「まちなかループバス」西廻りに乗車、バス停「峰山」で降車して社会福祉法人「さぬき」奥の峰山ハイキング登山道入口から、登山道を約1.2km登って峰山公園の芝生広場に出た。

私は特別養護老人ホームさぬきの横からの登山口から登り、古墳巡りも13号→9号→3号→2号→猫塚→北大塚の順となったが、記述の順は案内書どおりとした。

 

▼登り口への導入路、登りの入口

 

▼赤い岩の塊、登山道

 

▼登山道から高松市内、山頂へ300m地点

 

▼峰山公園

 

 

更に上がって行くと、道の右(北)側へ少し入った民家の庭先に、横穴式の「石清尾山2号墳」が見える。6世紀後半の円墳で、直径約10m。石室の奥壁は大きな一枚岩で、天井石も大きく、石室内から須恵器や金環が発見されている。

 

▼石清尾山2号墳-手前が2号墳・奥が3号墳 、説明板(web引用-水彩画風変換)

 

▼石清尾山2号墳-開口部、金環(web引用-水彩画風変換)

 

 

2号墳から10mほど行った所には、横穴式の「石清尾山3号墳」がある。

 

▼石清尾山3号墳-墳丘、開口部(web引用-水彩画風変換)

 

▼石清尾山3号墳-玄室、玄室から開口部(web引用-水彩画風変換)

 

 

第3駐車場から北東に延びる尾根上の遊歩道を上がって行くと、急な谷に面して「石清尾山9号墳」が有り、全長約27mの小型の積石塚前方後円墳である。

 

▼石清尾9号墳-前方後円墳、説明板(web引用-水彩画風変換)

 

▼石清尾9号墳-墳丘測量図、墳頂(web引用-水彩画風変換)

 

 

第3駐車場から石清尾山の頂上に向かって登って行くと、山頂の少し手前のキャンプ場近くに「石清尾山13号墳」が有る。直径約9mの盛土の円墳で、横穴式石室から須恵器・鉄製品など、多くの遺物が出土している。6世紀末~7世紀初めの後期古墳である。ここから頂上の展望台までは直ぐである。

 

▼石清尾山13号墳-墳丘、石室実測図(web引用-水彩画風変換)

 

▼石清尾山13号墳-石室(web引用-水彩画風変換)

 

▼峰山公園展望台

 

▼4等三角点のakijii、石清尾山(峰山)に立つakijii

 

▼峰山公園展望台からの瀬戸内海の眺望

 

 

元の道に出て更に上を目指し、広い道が大きく左に曲がる辺りで畑の横の小道を右(南西)に入ってしばらく行くと、石清尾山古墳群最大の積石塚である「猫塚古墳」の墳丘に突き当たる。

 

▼猫塚古墳-航空写真、墳丘測量図(web引用-水彩画風変換)

 

 

猫塚古墳は明治時代に盗掘にあったため、元の形が解り難くなっているが、全長約96mの双方中円墳で、全国的にも珍しい。竪穴式石室から鏡・小銅剣・石釧(いしくしろ)・筒形銅器・銅鏃(どうぞく)・土師器(はじき)など(東京国立博物館蔵)が出土しており、石清尾山古墳群の中でも古い要素をもつ古墳の1つである。

 

▼猫塚古墳-墳丘と説明板、墳丘

 

元の広い道に出て右に曲がり、真っ直ぐ東に行くと、道を挟んで第4駐車場の反対側に「姫塚古墳」がある。全長約43mの積石塚の善寳後円墳で、首長の娘の墓と云うところから、その名がある。積石の間から円筒埴輪片が見つかっており、竪穴式石室と考えられる所からは鏡が出土したと云われる。

 

▼姫塚古墳-航空写真、墳丘測量図(web引用-水彩画風変換)

 

▼姫塚古墳-墳丘と説明板、墳丘

 

 

姫塚古墳から南東に延びる尾根をずっと下って行くと、補修穴のある獣帯方格規矩四神鏡(じゅうたいほうかくきくしじんきょう)が出土した古墳として有名な、古墳時代前期初頭の積石塚である「鶴尾神社4号墳」が有る。

 

出土物の詳細は高松市歴史資料館の展示で知る事が出来る。

 

▼鶴尾神社4号墳-後円部から見た高松市、墳丘測量図(web引用-水彩画風変換)

 

▼鶴尾神社4号墳-石室ギリギリまで断崖が迫る、出土土器(web引用-水彩画風変換)

 

 

姫塚古墳から北に向かって尾根を上がって行くと、「小塚古墳・石船塚古墳」が有り、頂上部に「鏡塚古墳」が有る。

 

▼小塚古墳-墳丘と説明板、墳丘測量図(web引用-水彩画風変換)

 

▼小塚古墳-墳頂、峰山公園の桜並木

 

 

いずれも積石塚である。石船塚古墳は全長約57mの前方後円墳で、後円部の中央に刳り抜き式石棺が露出している。蓋が開けられた状態で横に並べられているので、中を見る事が出来るが、石棺の身(み)には石枕が作り付けられている。

 

▼石船積石塚-噴丘と説明板、墳丘測量図(web引用-水彩画風変換)

 

▼石船積石塚-刳り抜き式石棺、石枕(web引用-水彩画風変換)

 

 

鏡塚古墳は猫塚古墳と同じ双方中円墳で、ここに立つと高松平野の北部から瀬戸内海が見渡せ、被葬者の立場を暗示しているように思える。

 

▼鏡塚古墳-墳丘、墳丘測量図(web引用-水彩画風変換)

 

▼鏡塚古墳-説明板、墳頂

 

▼瀬戸内海と高松市街

 

 

鏡塚古墳から尾根を北西に下って行くと、「北大塚古墳・北大塚東古墳・北大塚西古墳」の3つの積石塚が有る。北大塚古墳は、全長約40mの三味線の撥(ばち)形をした前方後円墳で、積石の間から土師器片が見つかっている。北大塚東古墳は、一辺約10mの県内でも珍しい方墳(ほうふん)である。北大塚西古墳は摺鉢谷を巡る東側尾根の北端に位置し、その北側は急斜面になっている。石清尾山9号墳は、谷を挟んで向かい側(西)にあたる。

 

▼北大塚古墳-説明板、墳頂

 

▼北大塚古墳-墳丘測量図(左側が東古墳)、墳丘測量図(web引用-水彩画風変換)

 

▼摺鉢谷をめぐる西側尾根

 

▼北大塚古墳、墳頂に立つakijii

 

 

これらの古墳群を見ると、弥生時代が終わって古墳時代が始まった頃、この高松の瀬戸内海に面した地域に独特の勢力があり、その存在を主張した事が伺われる。

 

<関連遺産>    

峰山の西の麓付近、香東川の東岸にはその伏流水を取水した御殿貯水池と浄水場があり、「水道資料館」があって、江戸時代から大正時代に掛けての水に関する興味深い資料が展示されている。

 

▼峰山から見た御殿貯水池と浄水場

 

▼御殿貯水池

▼御殿浄水場

 

▼水道資料館-1(耐震補強工事中)

 

▼水道資料館-2(web-年代不詳)(耐震工事前)(web引用-水彩画風変換)

 

▼水道資料館-3(耐震工事竣工後)

 

▼水道資料館-4(耐震工事竣工後)

 

▼水道資料館-5(耐震工事竣工後)

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀