新居宮池は今
親水公園から見る新居宮池とだんご山3兄弟。
3日間の空模様の変化が伺えるだろうか?


親水公園から見る新居宮池と火ノ山・十瓶山・鷲ノ山。


夕陽を受ける穏やかな宮池の水面と水上展望台。

遊歩道の南東端から見る国分台・猪尻山・大平山と宮池水上展望台。


パーゴラから見る宮池水上展望台。

遊歩道の西北端から見る袋山の丘陵の先端(楠生神社が鎮座)と宮池水上展望台。


Akijii-blog巻頭言Repeat-099 Orignal掲載日:Vol.188 (2013.05.25)
「責任」を教える責任が…。
メール一つ書く場合でも、前者は「相手が見えないから、気を遣わなければ…」と考える。
一方、後者は「相手が見えないのだから…」、何を書いても構わないと考え、書いた事に責任を取ろうとしない風潮に想うが、心理学的にもこのような意識を持ちがちであると証明されている。
パソコンが普及し、一人ひとりが使う事が当たり前になったのは、ここ十数年である。大人になってから使っている世代と、物心つくころから自由に扱っている若者世代とでは、パソコンに対する意識にかなりの差があるようだ。
人間共通の心理ではあるが、育ち方が違っているからだが、一言で言えば、想像力があるかどうかだという。
見えない相手の姿を想像する事が出来れば、相手を傷つけることなどできない。
携帯電話を使ったいじめが、対面でのいじめよりも陰湿で残酷なものになっているのも、現実の体験が少なく、それをしたらどうなるのかの想像力が欠如しているからだと…。
こうした想像力の欠如は、人を無責任な行動に走らせる。
例えば、ボタン一つで戦争を開始できる機械を人は手に入れている。そこに想像力が欠如していたらどうなるかは明らかである。このボタンを押す事で、どのような地獄絵が繰り広げられるか、人間がどれほどの赤い血を流す事になるのかが見えないのだ。自分のやった事の結果が見えなければ、その結果に責任をとらなくなる。
そういう意味で、私たち年配者に出来る事があると思う。それは、過去の体験を沢山語る事で若者の想像力を養う事だ。そうすれば、自分の言動には責任が伴うのだという事を理解することになろう。
年配者には、若い人に「責任」を教える責任があると思う。
<高く広がる空間>
ウォーキングコースの城山への導入坂道の上空。

高松大学(春日町)のグラウンドと校舎の上空。

春日神社の神門(春日町)の上空。

本三交差点(県道10号線)(春日町)の上空。

A seasonal flower
◇ウォーキングコースの空地に咲く屁糞蔓(へくそかずら)

開花時期は7月中旬~9月中旬頃で、つる状でどんどん伸びてくる。

道端のフェンスなどで夏によく見かける。筒状のこげ茶色の花で、すごい名前だが枝や葉をもむと悪臭があるからこの名前になったとのこと。秋に茶色いパチンコ玉のような丸い実をつける。

別名は、「灸花(やいとばな)」。灸(やいと)とは”おきゅう”の事で花の内側の茶色い部分を、お灸をした跡に見立てたことから。

また、「馬食わず(うまくわず)」悪臭があるため?馬が食べないところから名が付いた。
◇ウォーキングコースの畑に咲くジュランタ・タカラヅカ


◇Mi氏の畑に咲く花々



◇ウォーキングコースに咲く仙人草(センニンソウ)

◇ウォーキングコースの畑に咲くムラサキシキブ


Akijii気ままniフォトsketch<聖代寺・相引川>
聖代寺(しょうだいじ)
当山は、近隣では「成田山聖代寺」と愛称されております。
不動明王を本尊とし、厄除け・交通安全をはじめ、さまざまな御祈願をお受けしております。
広い境内では、春は桜が咲き誇り、参拝者の目を和ませます。
お大師様ゆかりの四国路に、祈り、願う、すべての人々にお不動様のご加護がいただかれ、幸せの道を歩まれることを念願して開創されたのが四国三十六不動霊場です。成田山聖代寺は四国三十六不動霊場において第36番目、結願所にあたります。どうか不動霊場巡拝を通じて、一人でも多くの方々が、お不動さまと有難い勝縁を結ばれ、お加護を受けられますよう、心よりお祈り致します。
不動明王とは、大日如来の化身(教令輪身)であります。燃えさかる火焔を背に、右手には悟りを開くための智慧を表す利剣を持ち、左手には仏教の教えに背く人をも自分の膝元に引き付け、正しい教えの道に導くため索(なわ)を持っておられます。火焔の中に住まう姿は、 ”火生三昧”といって、衆生の煩悩を大智慧の火で焼きつくして、悟りに導く本誓をあらわしています。また、どんな所へでも出向き、すべての人を救済するため、奴僕(ぬぼく)の姿をされております。
目を怒らせた忿怒の相は、恐ろしくも見えますが、この忿怒の相は、我が子を見つめる父親…外面は厳しくても内心で慈しむ父愛の姿を表現したものであるとも言われています。不動明王のご誓願は広大無辺であって、その功徳は五穀豊穣、万民豊楽、鎮護国家をはじめ、自然の猛威を鎮めたり、人々の心のすき間に入り込む邪念や怨霊も退散させる 厄除けの守護尊としてあがめられております。さらには、交通安全をはじめ商売繁盛、家内安全、息災延命、良縁成就、安産満足など、私たち衆生のさまざまな祈りや願いを成就して下さる有り難い仏様なのです。
三十六童子は不動明王の眷属です。使者として、まず両童子…矜羯羅童子(こんがらどうじ)、制多迦童子(せいたかどうじ)の二童子を従え、そして八大童子、三十六童子となっています。成田山聖代寺には鳥婆計童子が祀られています。
(成田山聖代寺HP)
相引川(あいびきがわ)
屋島の南を巡り、河道の両端に河口を持つ特異な河川である。西は新川の河口、東は牟礼川の河口で合流し、瀬戸内海に注ぐ。相引川は、四国本土と屋島を分離する河川で、本土側とは大小13本の橋で結ばれている。
相引川の両岸は、江戸時代に開発された塩田と干拓された水田であったが、後の時代の埋め立てにともない陸続きのようになる。埋立地は住宅地や市街地に改変され、多くの人々が集住する。
江戸時代初めの縁起物の「源平屋島檀浦合戦縁起」には、「・・・義経、赤牛が屋島に渡るのを見て浅瀬のあることを知る。」と記述され、その地は赤牛崎(あかばざき)とされている。源氏50余騎が渡海したとされる北岸の赤牛崎には、案内板が設置されている。
相引川の名前の由来は、川の両端がともに海に繋がっているため、潮の満ち引き時には川の水が東西両方向から満ち、両方向へ向かって引いていくことから、相引川と呼ばれるようになったとする説、また東側の河口付近に位置する檀ノ浦で行われた屋島の戦いの際に、源氏・平氏の双方が互いに譲らず引き分けたことを由来とする説もある。
▼所在地、明神橋(相引川)と屋島南嶺
高松市屋島東町:〒760-0111

▼聖代寺と屋島南嶺、聖代寺-本堂

▼聖代寺-三十六童子、相引川の西岸

▼ことでん八栗駅で下車、八栗駅-構内

▼八栗駅-源平屋島合戦史跡案内図、入口のモニュメント

▼屋島東町へ向かう(約0.7km)、牟礼町牟礼の交差点を西に横断

▼牟礼川沿いに西北方向に進む-1、右側に金光教牟礼教会

▼牟礼川沿いに西北方向に進む-2

▼牟礼川沿いに西北方向に進む-3(左折して橋を渡る)、橋(牟礼川)の北(河口)方向に水門が見える

▼高松町に入る、高松町を西南方向に進む-1

▼高松町を西南方向に進む-2、県道150号線交点を右折

▼県道150号線を北西方向に進む、明神橋の左に石碑

▼四国のみち石標(⇦第八十四番-屋島寺)、明神橋(相引川)を渡る

▼明神橋の左(南西-牟礼川の河口)方向、右(北東-新川の河口)方向

▼県道150号線との交差点を直進横断、交差点を北詰に聖代寺案内板(⇑車での参道入口案内)


▼成田山聖代寺へ向かう(約0.7km)、高松町を北西方向に進む

▼屋島東町に入った、西北方向に屋島南嶺

▼屋島東町を北西から北東方向に進む、屋島東町を北東方向に進む-1

▼屋島東町を北東方向に進む-2(次の交点-標高5m地点を左折)、左折して聖代寺(標高50m)へ進む

▼聖代寺へ上る-1

▼聖代寺へ上る-2

▼聖代寺へ上る-3

▼聖代寺へ上る-4、次の交点を左折

▼前方に五剣山、聖代寺へ上る-5

▼聖代寺へ上る-6

▼聖代寺の寺標の地点に到着、聖代寺の寺標と駐車場


▼聖代寺入口から見る五剣山と牟礼町のパノラマ景

▼聖代寺の駐車場

▼聖代寺-1

▼聖代寺-2

▼42段の厄除け坂を上がる、聖代寺-3

▼聖代寺-4、境内に到着

▼お迎え童子、聖代寺-5(本堂)

▼聖代寺-6

▼十二支守本尊、三十六童子像

▼聖代寺-7

▼聖代寺-8、七福神-1

▼七福神-2

▼聖代寺-9

▼聖代寺-10、経塚

▼源平屋島合戦戦死者霊位、聖代寺の寺標の地点に戻る-1

(Vol.987-2/に続く)
<akijii展-(544)>
今報からは「美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-03」です。
今報は「熊&ウサギ」で、所要時間は225Mでした。
◇完成作品

引き続き、Vol.987-2/3をご覧ください。