Vol.986-1/3 R巻頭-98。歴史(観て歩き)レポ-県都編:14<讃岐国分寺跡> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

強烈な夕陽を受ける宮池の水面と水上展望台。

歩道の西北端から見る袋山の丘陵の先端(楠尾神社が鎮座)と宮池水上展望台日替わり4景。

 

 

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-098  Orignal掲載日:Vol.178 (2013.04.05)

人生は他動的。

 

トヨタ自動車元会長の奥田碩氏は、大学卒業の1955年、景気がドン底で「卒業生の2/3は就職できずに留年」するような状態、選り好みなどできない状況で、採ってくれるというトヨタ入社を決めたという。

氏は、自動車が好きだったわけでも、企業としての成長性を見込んだわけでもなく、たまたま自分に用意された環境のなかで勝負していったケースだ。 


セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長は、大学に入るときには政治家に憧れていたが、やがて政治に興味を感じなくなり、ジャーナリストになろうかと考えて、新聞社を受けたが面接で落ちて、父親のつてで家の光協会に入ることになった。当時、農家向けの雑誌「家の光」は百万部以上の大雑誌だった。

ところが突然、新卒は採らないことになり、いわば内定取り消しのようなことになってしまい、結局、出版流通会社の東京出版販売(現トーハン)に入社したという。
やがて東販を辞めてイトーヨーカ堂に入ってという転身の決断の一つひとつは自分でされたに違いないが、ビジネスキャリアの始まりは、やはりたまたま与えられた状況のなかで自分は何をしたらいいかを見極めて、精一杯の努力をすることだった。


自己中心性を脱して、流れにまかせるということが、いまの若い人たちには、むしろ必要な要素ではないだろうか。

WBC「侍ジャパン」の監督も務めた原辰徳監督が座右の銘とするのは、「人生他動的」という言葉だそうだ。

西鉄ライオンズの黄金期の名監督であった三原脩氏の言葉で、それを巨人コーチ時代の中西太氏から教えてもらって、この言葉を噛み締めるようになったそうだ。

他動的な要素に柔軟に対応して、過去の経験を活かして実力を出していくことで、仕事のスケールがどんどん大きくなる。

 

小生は、何ごともすべて自分の意思で判断・決断して動くのだと考えるのではなく、自分に振り向けられたことを受け入れていくなかで、可能性は拓かれていくものだ、と…このように是非とも意識し実践して欲しいと願う一人である。

 

 

<高くがる空間>

新居宮池の遊歩道から見る火ノ山・十瓶山・鷲ノ山の上空。

熊野神社(元山町)の上空。

県営住宅高松元山団地(元山町)の上空。

高松自動車道(協和中学通踏切の右南方向)(元山町)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースのMi氏の畑に実を付けたバナナの木

収穫は9月中旬頃との事です。

 

 

◇ウォーキングコースの畑に種を付けたオキシペタラムブルスタ

 

◇町並巡りで出会ったニオイバンマツリ

 

◇ウォーキングコースのYa宅の千日紅(センニチコウ)

 

◇ウォーキングコースのⅠt宅垣根のフウセンカズラ

 

 

 

Akijiiままniフォトsketch大宮八幡宮・屋島ケーブル登山口駅・屋島神社  

大宮八幡宮

西暦八五九年(貞観元年)豊前の国(大分県)宇佐神宮より御船にて京都石清水八幡宮に御遷宮のおり屋島沖の海上ではげしい風波に遭遇し壇ノ浦の入り江に避難され御輿を陸地に遷御して奉り、三日間御鎮座される間に、風波も穏やかになり御船を出御の際、御鎮座の跡に神幣三振りを残されたのを里人等が氏神として奉祀することになりその場所に一間半四面の板葺の社を建立して三振の神幣を奉ることになったが、人家も少なく、氏子も乏しく、奉祀するのが困難となり、現在の場所に新宮を築き遷し奉られ鎮座されたのが西暦一一六○年頃と伝えられ、この地名を新馬場と称され、又、旧跡地は現在「宮の窪」と伝えられている。(境内由緒書より)

 

旧屋島ケーブル/屋島登山口駅

屋島山上へ登るケーブルカーで、屋島寺や獅子の霊巌への足となっていた。建設に当たっては地域住民の反対もあったが、屋島ドライブウェイが開通する1961年(昭和36年)までは、唯一の動力登山手段であり、徒歩で1時間を要する距離を5分で結んだことから開通後は賑わいを見せた。

2004年、屋島登山鉄道は自己破産を申請した。負債総額は約9億円。直接的な原因は屋島観光の衰退に伴う利用客の減少で収支が悪化し、資金繰りが困難になった事であったが、その背景には親会社の高松琴平電気鉄道(ことでん)本体が2001年末に民事再生法の適用を申請したため、以降同社はグループの支援を受けられず完全な単独経営を余儀なくされた事があった。2004年10月16日から休止する旨を四国運輸局に届け、2005年7月1日には「鉄道事業の廃止届出」を行い、その中で事業廃止日を1年後の2006年7月1日とした。

しかし、廃止届出から約1か月半後の2005年8月22日には「事業廃止の日の繰上の届出」をし、当初予定していた廃止日を一年近く繰り上げる事を決定。その届出通り同年8月31日に廃止された。

運営会社は破産手続きを進めながら、譲渡先を探すなどケーブルカーの存続の道を模索したが、施設の老朽化などが障害となって譲渡先は見つからなかった。

屋島ケーブル廃止後は、乗合タクシーによる代行輸送が行われていた。また2006年12月の新屋島水族館開館に併せ、土日祝日と一部の学校休業日にはことでんバスにより琴電屋島駅-屋島山上間のシャトルバスの運転が開始された。

このバスは好評のため2007年(平成19年)4月1日から毎日運転となり、同時にJR屋島駅への乗り入れも開始され、屋島への公共交通機関が完全復活した。

廃止後、1号車「義経号」が屋島登山口駅、2号車「辨慶号」が屋島山上駅にそれぞれ留置されていたが、災害時等に滑落する懸念から、辨慶号は2013年1月に山麓の屋島登山口駅まで引き下ろされた。

屋島登山口駅については、2014年-2015年頃に解体され、2016年に地元新馬場自治会の自治会館「新馬場会堂」が落成したが、駅のホームは撤去されず、車両1両が留置された状態で存置している。

 

讃岐東照宮 屋島神社

当神社は慶安五年(1652年)高松藩主松平頼重公が香川郡宮脇村の本門寿院境内に社殿を建立し東照宮の神霊ほ奉斎したのにはじまる。以来山王社として歴代藩主は崇敬してきたが文化元年(1804年)当時の高松藩主第八代松平頼儀公は、この風光明媚な屋島山麓に社殿の造営に着手し、文化十二年(1815年)に完成した。その造営費は当時の金額で約十四万余金と言われている。その後明治四年には冠獄神社と改称しさらに明治七年屋島神社と改称同年県社に列せられ明治十五年藩祖松平頼重公を合祀して崇敬していたが、昭和四十八年二月十二日思わぬ不慮の災害に会い、本殿、拝殿等を全焼したが辛うじて唐門は火災から免がれ無事であったことは不幸中の幸いであった。翌年十一月には再建現在に至っている。彫刻等は、唐門が三分のニを占めており、江戸時代の粋を極めた美術工芸品は見事なものばかりで、中でも正面上部にある鳳凰の鳥、御門の両側の柱にある上り龍、下り龍等は格別のできばえである。棟梁は、左甚五郎の六世、五代目の左利平忠能が父の名跡を継いで高松藩松平家の客分棟梁となり、文化十二年四月に藩命を受けて讃岐東照宮の彫刻彫金等を棟梁し、完成したものである。(由緒書より)

 

▼所在地、屋島

高松市屋島中町:〒760-0112

 

▼大宮八幡宮、旧屋島ケーブル屋島登山口駅

 

▼屋島神社社殿、SHIKOKUMURA

 

 

▼琴電屋島駅で下車、琴電屋島駅前から見る屋島

 

▼四国のみち-屋島の案内板、屋島山上シャトルバスのりば

 

▼琴電屋島駅舎、大宮八幡宮へ向かう(一の鳥居まで約0.3km)

 

▼屋島中町を西方向へ進む-1、左側に屋島中学校

 

▼島中町を西方向へ進む-2(次の交差点を右折)、左側は琴電志度線の屋島中学校前踏切

 

▼大宮八幡宮へ進む-1、左に御旅所

 

▼大宮八幡宮御旅所

 

▼大宮八幡宮へ進む-2(一の鳥居が見えて来た)、大宮八幡宮へ進む-3

 

 

▼大宮八幡宮に着いた、大宮八幡宮-1:全体像スケッチ

 

▼大宮八幡宮-2:一の鳥居、案内図

 

▼大宮八幡宮-3:参拝者駐車場、御守所・宮司宅

 

▼大宮八幡宮-4

 

▼大宮八幡宮-5

 

▼大宮八幡宮-6

 

▼大宮八幡宮-7

 

▼社務所、大宮八幡宮-8

 

▼大宮八幡宮-9:随神門、古札納所

 

▼後方を振り返る-1、大宮八幡宮-10

▼左に由来碑・右は神馬、大宮八幡宮-11

 

▼後方を振り返る-2、大宮八幡宮-12

 

▼大宮八幡宮-13

 

▼大宮八幡宮-14:拝殿、扁額

 

▼大宮八幡宮-15:御輿殿・御札所、御饌殿

 

▼大宮八幡宮-16:天満宮、本殿

 

▼大宮八幡宮-17:屋島レグサムフィールドからサンポートのパノラマ景

▼大宮八幡宮-18:屋島レグサムフィールドズーム景、高松シンボルタワーのズーム景

 

 

▼大宮八幡宮を後にして旧屋島ケーブル屋島登山口駅へ向かう(約0.2Km)、旧屋島ケーブル屋島登山口駅へ進む-1

 

▼旧屋島ケーブル屋島登山口駅へ進む-2

 

▼左奥に屋島山上中区配水池、旧屋島ケーブル屋島登山口駅へ進む-3

 

▼旧屋島ケーブル屋島登山口駅へ進む-4

 

 

▼正面は旧登山口駅舎跡(新馬場会堂):左奥に見えて来た、旧屋島ケーブル屋島登山口駅へ進む-5

 

▼新馬場会堂、旧屋島ケーブル屋島登山口駅に着いた

 

▼旧屋島ケーブル屋島登山口駅-1:屋島山上0.8Kmの看板、変電所跡

 

▼旧屋島ケーブル屋島登山口駅-2:車内1

 

▼旧屋島ケーブル屋島登山口駅-3:車内2、旧屋島ケーブル屋島登山口駅-4

 

▼旧屋島ケーブル屋島登山口駅-5

 

▼旧屋島ケーブル屋島登山口駅-6

 

▼旧屋島ケーブル屋島登山口駅-7

 

▼旧屋島ケーブル屋島登山口駅-8

 

▼旧屋島ケーブル屋島登山口駅-9

 

▼旧屋島ケーブル屋島登山口駅-10、線路並階段進行禁止札

▼引き返す、旧屋島ケーブル屋島登山口駅-11

 

▼旧屋島ケーブル屋島登山口駅-12

 

▼旧屋島ケーブル屋島登山口駅-13、旧屋島ケーブル屋島登山口駅を後にして屋島神社へ向かう(約0.2Km)

 

(Vol.986-2に続く)

 

 

<akijii展-(543)

スクラッチアート(世界の名所めぐり6点)

今報は「マッタホルンのある風景で、所要時間は未測定でした。

◇完成作品

今報で「スクラッチアート(世界の名所めぐり)」を終え、

次報からは「美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-03」です。

 

引き続き、Vol.986-2/3をご覧ください。