Vol.988-3/3 R巻頭-100。歴史(観て歩き)レポ-県都編:16<法然寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.988-2/3に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-県都:16<法然寺>

24.法然寺 <撮影:2014.05.22 and 2018.05.25>

高松市にある浄土宗の寺院。山号は仏生山。詳しくは、仏生山来迎院法然寺(ほうねんじ)と称する。

本尊は法然作と伝わる阿弥陀如来立像。法然上人二十五霊場第二番札所、さぬき七福神の大黒天。

鎌倉時代前期の建永2年(1207年)に讃岐に配流された浄土宗開祖の法然が立ち寄った那珂郡小松荘(現まんのう町)に生福寺が建立される。

江戸時代前期の寛文8年(1668年)に徳川光圀の実兄にあたる高松藩初代藩主松平頼重が、戦乱で荒れ果てていた生福寺を法然寺と改名して、香川郡百相郷(現在地)に3年の歳月を要し移転・建立した。寺院背後の仏生山丘陵上を削平し「般若台」と呼ばれる松平家の墓所を設けて当寺院を高松松平家の菩提寺とした。

本堂(明治40年(1907年)に再建)・三仏堂(別名:涅槃堂)・二尊堂・来迎堂・十王堂など現在も当時の建物が多く残っていたが、平成26年(2014年)1月13日に二尊堂が全焼で初の火災となった。  (Wikipediaより)

 

<所在地・外観>

▼法然寺-高松市仏生山町甲3215

▼法然寺-松平氏歴代の墓がある、春の涅槃会は賑わう

 

 

藩主が参詣する法然寺への道を「御成(おなり)街道」という。ことでん仏生山駅から東方向に400mほど進み、県道166号線(仏生山街道)との交点を右折し南東へ行く。

 

▼琴電仏生山駅、御成街道入口

 

 

御成街道には、幕府の朱印地としての扱いを受けていた門前町の面影が残っている。

 

▼御成(仏生山)街道-街道、アオイ堂

 

▼御成(仏生山)街道-香川座跡、円光寺

 

▼御成(仏生山)街道-うだち

▼御成(仏生山)街道-生目さん、町家(中二階・本瓦葺き)

 

▼御成(仏生山)街道-水神さん、出張所・役場

 

▼御成(仏生山)街道-街道、高徳寺

 

▼御成(仏生山)街道-懸魚(げぎょ) 、門前町

 

 

突き当りにある「ちきり神社」の下を、道なりに坂を上って行くと、右側に「法然寺」の総門に出会う。

 

<概 要><歴史遺産>

▼ちきり神社階段前を右折、階段前の法然寺0.2km道標

 

 

ちきり神社へ上がって戻って来る。

 

▼ちきり神社-1

 

▼ちきり神社-2

 

 

▼前山坂道

 

▼法然寺-総門前に到着、総門

 

 

法然が讃岐に流された時の遺跡である小松荘生福寺(しょうふくじ)(現、まんのう町)を、3年の裁月をかけて1671(寛文11)年、高松藩初代藩主松平頼重が仏生山の地に移して復興し、菩提寺としたものである。

 

▼西念寺-1

この寺は法然上人が滞在された生福寺の跡に再建された寺で、上人にゆかりの遺品や遺跡を見る事が出来る。山門脇に小高い山があり、参道が続いているが、その参道に25ほどの石仏が置かれている。これは現在の法然上人二十五霊場のご本尊を模した石仏で、1つ1つ拝して歩けばミニ霊場巡りが出来る。またこの参道途中に竹囲いされた小さな井戸がある。法然上人が当時村人から貰った豆腐を冷やしたと云われる井戸で、今も美しい水が湧き出している。

▼西念寺-2

 

▼西念寺-3

 

▼西念寺-4

 

 

般若台(はんにゃだい)と呼ばれる寺の後の山には、法然と歴代藩主の墓が立っている。

総門から般若台に至る建物の配置と参道は、由緒ある寺の雰囲気を醸し出している。

 

▼法然寺-十王堂(じゅうおうどう)、十王堂(閻魔王)

 

▼法然寺-十王

 

▼法然寺-二河白道(にがひゃくどう) 、黒門(くろもん)

 

▼法然寺-黒門を潜り広庭、境内案内図

▼法然寺-涅槃門と仁王門、五重塔

 

▼法然寺-三仏堂(涅槃堂)、忠学上人堂

 

▼法然寺-本堂

 

 

▼法然寺-極楽浄土への参道、来迎堂まで137段の階段

 

▼法然寺-文殊楼、来迎堂-1

 

▼法然寺-来迎堂-2

 

▼法然寺-般若台

 

 

墓地から眼下の平野部を眺めると、この場所が戦時などには砦の役目を果たすものであった事が伺われる。

 

▼墓地から眼下の平野部を眺望

 

 

法然寺には、寝(ね)釈迦とよばれる4.8mの涅槃仏(ねはんぶつ)があり、毎年2月15日前後に行われる涅槃会(え)はおおいに賑わい、昔の門前町が蘇る。

 

▼法然寺-涅槃仏、涅槃会(web引用-水彩画風変換)

 

 

由緒ある寺に相応しく、法然寺には絵や書などの文化財が多い。

絵では「絹本著色十王像(じゅうおうぞう)・絹本著色観世音功徳図(かんぜおんくどくず)・紙本金地(きんじ)著色源氏物語図」があり、いずれも国重文である。

十王は閻魔王ら死者を裁く10人の王のことであり、観世音は人びとを救う観音菩薩のことである。

 

▼法然寺-絹本著色十王像、絹本著色観世音功徳図(web引用-水彩画風変換)

 

▼法然寺-紙本金地著色源氏物語図(web引用-水彩画風変換)

 

書では「後深草(ごふかくさ)天皇宸翰(しんかん)御消息」(国重文)がある。

 

▼法然寺-後深草天皇宸翰御消(web引用-水彩画風変換)

 

寺の南西にある平池(へいいけ)の堤から眺めると、法然寺は山のように見える。

平池には人柱伝説があり、それに因む乙女の像が立っている。

 

▼いわざらこざら伝説、伝説の由諸と乙女の像(2012.08.12撮影)

 

▼いわざらこざら伝説、伝説の由諸と乙女の像(2020.07.30撮影)

 

 

平池は、もと堤の下の位置にあったという伝えがある。一段高い場所に揚げたのは、遠くまで水を流すためで、江戸時代初期における大きな池水計画の一環と考えられる。

 

▼平池の説明板、高松クレーターの説明板

 

▼平池

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀