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のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

ご訪問、ありがとうございます!!夫&嫁で更新♪
ken(夫)は、中国でのビジネスは中国での出産(天津ローカル病院にて出産)・育児話をメインに♪

旧国務院を皮切りに、新民大街の旧官庁街にある

偽満州国八大部の建物を見て回った。


偽満州国八大部とは、満州国の国家機関の中で

現存する建築物のことをさす。


軍事部旧址、司法部旧址、経済部旧址、交通部旧址、興農部旧址、文教部

外交部旧址、民生部旧址という8つを満洲国八大部という。


これらの建物を見て回って感じたこと。


前回の国務院同様、本気でここに満州国という国を作り上げ

統治していこうとしたんだということを、今更ながらに痛烈に感じた。


軍事部即ちいまでいう、軍部であり、司法部とは裁判所

経済部とは経済産業省兼大蔵省でしょうか、交通部とは国土交通省

興農部とは農林水産省、文教部とは文部科学省

外交部とは外務省、民生部は今はないが、いわゆる民心の

操作をおこなう部である。


結果としてたった13年足らずしか存在しなかった満洲国であるが

しっかりとこのような部門を設置し、また立派な建物を立てていたのだ。


当たり前なのだが、統治といはそういうことなのだと感じた。


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↑偽満州国軍事部旧址。


旧国務院の向かいにあり

1935年の建築であり、先ほどと同様中西折衷の

興亜式である。満州国の軍務や用兵を司っと首脳期間

であった。現在は吉林大学付属第一医院となっている。



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↑偽満州国交通部旧址


公路の管理、郵便、航空、水運などの交通部門を

担当管理していた。これも吉林大学の新民校区として

使われている。



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↑このようにこれらの建物の門のところには

長春市の重要文化財として保存されているという

プレートが掲げられています。

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↑偽満州国経済部旧址


前身は財政部であり、満州国の税務、金融、国債

投資、貿易などを司った。


これも現在は吉林大学第三医院として使われている。


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↑偽満州国経済部旧址



建築様式は中国式のアーチ型と日本式の

玄関などが入り交じる、和漢折衷型の様式。

これも吉林大学の新民校区として

使われている。





その他、外交部旧址は高級レストランとして使われており

また民生部旧址は、吉林省石油化工設計研究院としてつか

われている。



興農部旧址と文教部旧址だけは既に建物が壊されて

新しい建物になっており、石碑だけが残っていた。



ただ両方共東北師範大学の付属中学と附属小学校に

なっているのだが、その建物は新しい、外観となっているのだが

なんとなくその建物の様相は、昔の興亜式を基軸にした

建築物のように感じる。もしかしたら全面改装はしているが

建物の構造とは残していたのかもしれない。



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↑八大部ではないのだが、新民広場のところで

発見してこの建物は、総合法衛といって、

当時の最高法院、最高検察庁であったとか。


現在は中国人民解放軍第四六一医院として

使われている。


これらの官庁街を回って、私が少しずつわかってきた

ことがあった。


なぜ私の父や、祖母、祖父が70年前にわざわざ

この中国大陸の東北部で暮らしていたのか。


もちろん満州国があったということは以前から

わかっていたが、


そこにいた理由は、私が思うよりももっともっと

深い深い意味があり、その時代の思いがあり

私達が後の時代に、簡単に安易に、どうであったとは

言えない時代と理由と思いがあったのだと。


当時の帝国時代の日本人が一体ここで

何をやっていたのか。。


私は、父とこの地を歩くことで、深く深く引きこまれていった。




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父が生まれた進化街を後にして、私達が次に向かった先は


旧官庁街である、新民大街(しんみんだーじえ)である。


ここには、旧満州国時代の国家機関の建物が沢山残っている。


ここ中国東北地方に来て驚くことは、これらの昔の旧満州国時代の

建築をすべて残していること。


しかもすべて国家級若しくは市級の重要文化財に指定されている。


その徹底ぶりには驚かされる。


この長春で保存されている主要な建築物をすべて

父と二人で回った。


最初に言った場所は旧満州国務院である。


いわゆる旧満州の内閣にあたるところであろう。


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↑旧満州国、最高行政機関が、この国務院である。


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↑今は吉林大学の医学研究院として使われている。



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↑建物は1935年に着工し、36年に完成。おそるべき

はやさで完成させている。


西洋と中国の風格を併せ持つ、中西折衷の造りは

興亜式と呼ばれ、日本の国会議事堂を真似て

造られている。


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↑当時は地下道で、長春駅や、先ほどの私たちが

泊まっているホテルの横にあった、旧関東軍司令部

(現中国共産党吉林省委員会)とつながっていた

らしい。


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↑敷地にあった石碑には、偽満国務院旧跡と

記されている。


ちなみに、中国では、旧満州国とは言わず


偽満州国といって、一番前に偽をつける。


中国東北地方の至る所で、この偽という石碑を

見かける。


父にとっては、この偽という言葉、事実であれど

見るたびに、胸に刺さるようで、、


辞書で偽という感じを調べてみると


傀儡という意味があるようで、傀儡満州国の意味を

偽という文字に封じ込めているのである。


中国側から見れば当然であろう。


私はこの旅で、多くの偽の字を目の辺りにして

その深い意味を、歴史を知るという良い意味で

考えさせれた。


ある博物館で、日本人向けの満洲国の資料を売っている

売店のおばちゃんが、偽という文字は気にしないでくださいと。

旧という意味くらいに受け取っておいて下さいと言われたが

一応中国人の人も気を使ってくれているようでは、あった。


1932年に満州国が設立され、その4年後にこの国務院が完成している

そしてそしてそれから10年立たぬ間に、終戦を迎えこの満洲国は解体された。


たった10年という期間のために造られた、この建築物。


私が下から眺める限り、何十年以上という先を見越して

立てられたような気がする。それほど力強く、そびえ立つ。


あれから70年以上たち、まだこうやって私が目にすることができる

のがその証拠だろう。


いいか悪いかは別として、あの時代に意思をこの建物から

みてとることができる。


少し雨がちらついくる、私の腰がズキズキと疼く、、


父と続けて、この旧官庁街を歩き出す。。



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進化街にあるすべての小学校を周り、校門に立っている

保安のおっちゃんに、聞いて回った。


驚いたことにみんな親切に丁寧に答えてくれた。


多少の反日的なことは、心準備していたのだが

人が集まってきて、いろいろな情報をくれる。


さすがに小学校の中には入れなかったが。。


いろいろな人の話を聞いていくと、どうやらこの進化街に

ちょうど1年前まで、日本人の居住区があったようで、

建物ものこっていたそうだが、

ちょうど昨年にすべて壊されたそうで。。


そのことを、みんなが口をそろえて言う。


だからこの通りの住民は、70年前にこのあたりに

日本人居住区があったことを、はっきりと知っているようである。


父が住んでいたのは、そのあたりが濃厚なのでは

ということになったが、


それでもその他に情報ない。


日本人学校の名前は白菊小学校というらしいが


ひとつ開運小学校というのがあって、地理的にここが

怪しいと思ったが、手がかりはえられなかった。


でもこの開運小学校は歴史は古いとのこと。

なんでも1950年代が創立だというが、、

建物はすっかりきれいになっている小さな小学校だったが


もしかしたら、この小学校がその白菊という昔の日本人小学校で


でももう誰も知らないだけかも。創立も人の記憶であやふやに

なっているのか。


道端で82歳の老人がいたので、話を聞いてみたが。。

耳が遠くてまた訛りが強てく、重要なてがかりは

得られなかった。またその老人もずっとこのあたりに住んでいた

わけではなかったのだが。。。


それでもみんな親切だった。。


住民の人たちはみんな言うのが、

白菊というと、こことは全然違う場所に、白菊という

地名があるが、このあたりでは聞かないという。



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↑↓今父が立っている後ろの現在建築中のマンションのあたり

この一帯が、日本人居住区だったそうだが、昨年までは

庭園や建物が残っていたらしい。



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↑完全に変わってしまっている。

それでも昨年まであったとは、残念。あと1年早く着ていたら

みつけることができたかもしれない。


父の生まれた家を。とはいっても、この場所であったかどうかも

想像の域はでないのであるが。


誰に聞いても、もうそういう日本人の建てた建物は

この通りには残っていない。そのように口をそろえて言う。


他に古い建物がたくさんあり、父曰くは、この古さは

私の見立てでは戦前だという。つまり70年前以上だと。。


この父の見立ては、いつも正しくて

日本でも数々の、近代建築の建物を調べては掘り起こし

てきた。


しかし多くの住民に聞いたがみんな口をそろえて

とんでもない、70年代、80年代の建物だという。




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↑このような赤レンガの、建物が



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↑そこら中にあるのですが。


作りから見て、戦前だというが。。


父も、自信があったが、これだけ口をそろえて

70年代、80年代というところをみると

おそらくそうなんだろうと。。


父の見立ては日本での話。。

この70年代、80年代の頃は、きっちりに

日本より30年遅れていると考えてみれば


70年代-30年は、40年代なので戦中、戦前と

つじつまがあう。


ある意味このような建築を、80年代に立てていたということが

恐るべき問うべきか、やはり遅れていたのだろう。。。


確かに、今で中国でマンションを立てている

風景をみると、赤レンガを未だにつかっているところを

多々みかける。


確か華潤系のディベロッパーでは、多いとか。


父に聞いたら、信じられないと。


いまだに赤レンガを使う、マンションって。。

日本の建築基準法では、完全なる違法だとか。。


そんなこんなを話し合っているうちに、

ある一人の工事現場のおっちゃんが、確か一軒、

日本人の建物が残っているという話を聞いた。


進化街をもっと南に下って言ったら分かるという。。


そう言って私と父は。。歩く。。歩く。。。


そして、とあるそれらしき赤レンガの建物を発見して

近づいていく。。


そこである老人が、私たちに近づいてきて


何かようかと。。。


私がこのあたりに以前日本人が作った建物があるとか。。


そう言うと、老人は、あるよ。。ついてきなと言ってくれた。。。


これがそうだ↓




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↑進化街に残るたった一軒の日本人が作った建物。


確かに先程見てきた、70年代の建物とは一風違った

雰囲気を醸し出している。

赤レンガ丸出しではなく、モルタルがはってある。



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↑右側の建物がそうで、14人くらいの住民が

住んでいて、まだ建物として健在だそうで

壊される予定もない。。


ある住人に聞いたら、雨漏りもなくしっかり

作られている。とても70年前に作ったものとは

思えないと。


昔は、日本人達の公民館として使われていたそうだ。


先ほどの老人が、私たちに言う。


ところでお前たちは、ここにこうやってくるのは

政府の許しを得ているのかと?


え!!そんなの必要なんですか??そう聞くと。。


いや10年前に一度日本人でこのあたりに住んでいた

という人が訪ねてきたことがあったが、外務省関連の

人たちと一緒にきていたという。。


時期的に考えて、父はもしかしたら父の従兄弟かも

しれないという。父の従兄弟も十数年前にこのあたりを

訪れたとか。。


なるほど、こんなところに普通に日本人の旅行客が

ツアーでもなく、来るなどありえんなあとか、思いながら。。


少しあせりはしたが。。

結局どこに住んでいたかははっきりとは分からなかったが、

最後に、1つ日本人の建物が残っていて、それをみつけられたことに

満足。。


今病院に寝たきりでいる89歳の祖母と

そして3歳までいたという父、10年前に他界した祖父

この3人が暮らしていたという、進化街を。。。


私と父2人は、後にした。。


後に父はこう言っていた。


祖母は辛いばかりでいい思い出はないと話していたが、どんな気持ちで、

日本人たちは彼の地で生きていたのか知る由も無いと。。




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父は自分が生まれた場所は、長春の進化街、それだけの

情報しか持っておらず、私は前回長春に来た時に、

早朝マラソンを兼ねて既に、進化街の場所はばっちりおさえて

おりました。


ホテルに荷物をおき、早速タクシーを拾って

進化街に向かおうと思ったのですが、


父が

『さっき駅からホテルにタクシーで走っていた時に

お寺みたいなのをみかけた。。たぶん近くだから歩いていけるはず。』


そう言って、タクシーできた道を少し歩いて


見つけたのですが↓
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↑確かにお寺のような、しかも塀で囲まれており

取り壊されそうな雰囲気。。


父は、これは東本願寺じゃないかといいいます。


まさか。。。とか私は思い、

いくらなんでも、長春のこんなど真ん中に

(先ほどの、旧関東軍司令部跡を吉林省共産党委員会としている

官庁街の直ぐ近く)


父曰く、いやあの時代、布教活動のため

多くの植民地に、日本も欧米も寺院や教会を建てたからなあと。


さすが父で、、後で調べたらドンピシャで

旧東本願寺跡と地図にのっておりました。


潰すのか、補修して再利用するのか。。


(⇒父が帰国後日本で調べたらこの旧東本願寺は

なんとちゃんと重要文化財に指定されているそうで

しっかり補修されようとしているとのことでした。すごい感動。)


それにしても、塀でかこまれているといえど、

あの時代の様相を感じ取ることができる建築でありました。


父もよく見つけたなあと。。。


数枚写真をとってのちに、進化街に向かいます。


中心部からタクシーで15分くらい


とうとうたどり着きました。


父が生まれたという進化街↓



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↑何の変哲もない、ただの通りなのですが

一応記念撮影。。



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↑お腹が減ったので、下町の食堂でシュウマイを。。


このシュウマイ、私としては中国のどこにでもある

普通のシュウマイなのですが、


父はとてもおいしいと言って感動して

こんなに美味しいシュウマイは食べたことがないと。


でも1つ8元(96円)で安い。。


腹ごしらえをしながら、父はこの近くに

日本人小学校があるはずと。。


店主に聞いても、わからないと。。


でもこの進化街には4つの小学校があるので

言って聞いみたらと。。


さて一つ一つ聞いてまわろうか。。


そう思っていたら、、


父はシュウマイをもう1つ注文したいと。。


気に行ってくれたみたです。


長春進化街のシュウマイを。。。



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結局父は、ほぼ眠ること無く、夜行列車の中で

朝を迎えた。


私は、先週から腰痛が再発し、這っての旅の始まりである。


朝の7時過ぎに長春に到着。


64年ぶりに、旧新京の地を踏む気持ちは如何と

父に尋ねたが、なんとも言えないとのこと。。。



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↑長春駅到着の父。。

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↑ホテルは、松苑賓館で、このような赤門を

くぐると中は庭園。


なんと中には、旧満州国時代の関東軍司令官邸

の建物があります。


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宿泊するホテルは、新しいのですが、

その向かいに

関東軍司令官邸があります。
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↓↑建物はレストランとして使用されており

旧関東軍と聞いて背が正される思いです。
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松苑賓館(SONG YUAN HOTEL)

長春市新発路1169号

電話0431-272-7001

1泊400元くらい。4つ星。


新発路の並びに、旧関東軍司令部があり

なんとそこは、現在の吉林省共産党委員会

として使われている。

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↑武装警察が厳重に見張りをしており

写真もタクシーの中からしかとれませんでしたが、


父いわく、日本の名古屋城をモデルにしているとか

こんな中国の東北の端まで来て、このような

建物にお目にかかれるとは。。


私の父は、既に定年しているが高校の先生であった。

専門は建築で、工業高校の建築課を数十年

つとめた。


また明治、大正の近代建築について特に詳しく

今回の旧満州国の旅は、このような名建築を

軸に構成されているのである。


私も、実は小さい頃から、大阪でいろんなところを

連れまわされており、正直小さいときはなんとも

迷惑な話だと思っていたが、今となっては

なんとも、うれしい、また興味深い、父との旅である。


私もしっかり勉強させてもらおうと思う。


ホテルに着いて、荷物をおき、腰痛の腰ベルトを

きつくしめなおし、リュックを背負い直す。


まず最初に目指すは、父の生まれた街である

進化街である。


つづく。。






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2011年9月16日早朝7時過ぎ


私の父、正己(まさみ)は、64年ぶりに再び旧満州国、旧新京、現吉林省長春市の

土を再び踏むことができた。


少し肌寒かったが、服装は準備万端である。



9月16日は、2006年である5年前に、私とaiaiが上海で結婚式を挙げた

結婚式記念日でもあった、そんな縁起の良い日でもある。(関係ないが。。)


前日の15日の夕方に、大阪関空から大連へ。

大連はダボス会議の真っ最中。。。


調度ダボス会議前の、数日に大連空港の国際ターミナルがオープンしたばかりで

知らなかった私は、国内ターミナルから10分近く歩いて国際ターミナルにたどり着く。


予定通りに、父は大連空港に降り立った。


その夜22時の夜行列車で、私と父は長春に向かった。


列車に飛び乗り、ほどなくして、青島の缶ビールを開ける。

キレもなければ、コクもない中国のビールは酔うこともなく

ほどよく、久しぶりの親子の再会に話をもりあげるくらいの

効果はある。


寝台列車では、4人部屋で上のベッドにカップルが寝ている。


12時を過ぎた頃、私も父も一旦は眠りについた。


夜中に私がふと目が覚めると、父は眠れずずっと窓の外を見ている。


なんでも、暗い真っ黒な車窓の景色をみながら、自分が64年前に

この景色を通って、満州から引き上げてきたのだろうか。


この線路は、満鉄が敷いた線路なのだろうかとか、

色んなことを考えると、興奮した眠れなかったそうだ。



私は、その夜は父には何も声をかけずに、再びねむりについた。


さて、父の念願であった、旧満州国への旅がいよいよはじまる。。




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先日立て続けに長春に行き、朝の気温10度とかいう寒さに

季節の変わり目の寒さに腰痛が敏感に反応し、


また重いパソコンのかばんをもちながら、市場を見て

まわっていたので、今腰が痛く痛くて、おかげで

朝のマラソンもお休みしております。


10月16日の北京国際マラソンフル出場に向けて頑張って

きたのですが、のこり約1ヶ月を残して。なんとかがんばって

出場したいのですが、つらいつらい腰痛。


今は西安に出張でホテルにいますが、朝のマラソンができない

のですが、朝はいつもどおりに4時半に目覚めます。


朝からずっと読書をしておりましたが。


今読んでいる本は、5冊同時に読み進めており、ホリエモン2冊は

あっという間に読んじゃいましたが、他の洋書3冊は読み応えがあり

時間がかかっております。


7つの習慣(スティーブンコビィー)⇒10年前に読んだことがあったのですが、再度。

7つの習慣―成功には原則があった!/スティーブン・R. コヴィー
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これから正義の話をしよう(マイケル・サンデル)

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学/マイケル・サンデル
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出現する未来PRESENCE(ピーターセンげ、Cオットーシャーマー、

ジョセフジャウォースキー、ベイティースーフラワーズ)

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ホリエモンの宇宙論

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まな板の上の鯉正論を吐く(堀江貴文)


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しばらく朝の時間は、読書にあてようと思いながらも

なんだか身体を動かしたい衝動に駆られます。


明日とうとう父が、大連にやってきます。


楽しみにしておりました。一緒に長春へ。。でも長春は朝の気温は2度くらい

だとか、30度近い大阪からくる父が体調を崩さなかい心配です。


私もこの温度変化に腰が。。こんな状態。


それから、大連で今日から世界経済フォーラムダボス会議が

行われ、市内の交通規制が凄まじく、大変そう。


空港のチェックとか厳しいだろうな。おやじ!!覚悟しといてね!!


今日はテーマがなく、ブログのタイトル通りだらだらと書いております。


そうそう昨日西安の社員たちと、一緒に食事をしました。

5月から立ち上げ準備を始めたのですが、既に社員が6名と

なりました。人事、財務、営業などなど。。


天津の立ち上げの頃を思い出します。今のところは順調に

事務所&倉庫の契約もすませ、事務所内装と、冷蔵倉庫建設に

とりかかり、いっきに食品流通許可証を取得し営業許可証を!!


既にいくつかの大手スーパーから取り扱い希望の打診をうけており

天津の時に比べたら、なんとスムーズな立ち上がりかなと。


ちなみに天津のときは、冷蔵倉庫を建設した2007年に3回も

立てて取り壊し、立てて取り壊しの

区画整理や大家の倒産など、大変でしたが。。売上も低空だったし。。


あの頃に比べたら、内陸といえど中国でのビジネスがやりやすくなったかなと。


まだ西安は販売も開始しない立ち上げの真っ最中。みんな夢を膨らまして

来年の販売開始に向けて。。頑張っております。


おっと、いい時間だ、シャワーを浴びて、チェックアウトの準備しなければ

今日は15時の飛行機で大連に戻る。。腰はすこしずつ良くなっているかな。



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最近の蓮世は、だんだんと貫禄がついてきたような気がする。


肉付きがいいので、翔世の小さい時とは又違うが

兄弟なのでよくは似ている。


基本ほったらかされてる蓮世くんですが


自分で遊び、何かおおらかで、貫禄があります。


どっちがお兄ちゃんかわからないくらい。


そん蓮世くんですが、最近誰かに似てきたなと

aiaiと二人で言っておりました。


それは、死んだaiaiのお父さん。去年の12月1日亡くなられて

その30日後の12月31日に生まれてきた蓮世くん。


後に聞いた話で、お父さんは一番aiaiが好きで、そしてその次が

翔世が好きだったとか。


そんなお父さんですが、蓮世くんと入れ替わりで、蓮世が生まれてきて

aiaiと翔世を見守っているのでしょうか。


そういえば、aiaiの言うこともよく聞くし、お兄ちゃんの翔世のことも

よく聞きます。


私が、翔世に。。。


最近蓮世は、なくなったじいじいに似てきたねえ。。。


たぶん蓮世の中にじいじい、入ってるよ。


そういうと、翔世が顔をしかめながら、蓮世をトントンと叩いて


入ってないよ。パパ、入ってなかったよ。と言います。


蓮世くんのこの落ち着きと、貫禄、そしてこの気立てのよさ


お父さんどうか二人をお見守り下さい。それから蓮世くんも。



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私は今、長春の空港にいます。タクシーが来ないので、空港バスで

市内に向かうところです。


実は先週にも長春に行ってきたばかり、

そして今週もなぜか急遽。。

そして来週は父が来るので、一緒に。。


なんだか急に。。


この9月の中旬を父の生まれ故郷を訪れる

父と子の旅と企画して、その2週前から

急遽この出張。。。


なにか、ここにきて、新京の街に引き寄せられている

そんな気がします。


なぜだか心地の良いこの街を、


先週来てから今週、もう寒い。昼間でも10数度の気温。。


明日の早朝はどこを走ろうか。。。


新京(ウィキペディアから)


新京(しんきょう)は満洲国の首都。新京特別市。

現在の中華人民共和国吉林省長春市にあたる。


満洲国建国直後の1932年(大同元年)3月9日、長春に於いて

建国式典及び清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀の満洲国執政就任式

が執り行われた。翌3月10日、満洲国国務院は満洲国の国都(首都)


を長春に定め、3月14日には国都長春を新国家の首都に相応しい

名称として「新京」と命名し、新京特別市が誕生した


沿革




1800年 嘉慶 5年) - 吉林将軍管轄下の「長春廳(庁)」が長春堡(新立屯)に設置され、理事通判を駐箚させる。

1825年 道光 5年) - 長春庁の所在地が南に偏在していたため、北方の寛城子(後の長春城)へ移転する。

1882年 光緒 8年) - 理事通判を廃止して撫民通判が置かれる。

1889年 (光緒15年) - 長春庁が長春府に昇格し、知府が置かれる。

1908年 (光緒34年) - 吉林兵備道台が設けられ、長春府及び伊通州を行政下に置く。

1909年 宣統 元年)

満鉄附属地 と城内の間に商埠地が画定され、その一般行政を管掌するために商埠局が設置される。

吉林兵備道台が吉林西南路観察使と改称され、農安、長嶺、徳恵の3縣をその管内に加える。

1912年 民国 元年) 観察使を道伊と改め、吉長道伊公署と改称する。

1913年 (民国2年) - 長春府を長春縣と改称し、縣公署を設置する。

1925年 (民国14年) - 当時の道伊が新たに「長春市政公所」を設立し、「市自治制」による市制を企画する。

1929年 (民国18年)

9月、長春市政公所が商埠局を合併し「長春市政準備処」と改称する。

道伊公署の廃止により長春交渉員(長春市政準備処長を兼任)が配置され、城内及び商埠地を行政下に置く。

1932年 (民国21年/大同元年)

1月1日 - 軍閥政権消滅に伴い、長春市政準備処は「長春市政府」と改称し、長春市が正式に成立する。

2月25日 - 「東北行政委員会」が発表した「新国家組織大綱」で、満洲国国都を長春に定め「新京」と改称する事が発表される。

3月10日 - 満洲国国都が長春に定められたのに伴い、特別市に指定される(長春特別市の成立)。

3月14日 - 長春が新京と改称されたのに伴い、長春市政府は「新京特別市政公署」と改称し、新京特別市が成立する。

8月17日 - 「特別市制」(大同元年8月17日教令第77号)を公布。

10月15日 - 首都警察庁が正式成立し、長春市公安局及び長春縣公安局を統合する

11月1日 新京に於ける各郵電局台の名称を「長春」から「新京」に改称する。また、満鉄附属地側も新京と称するようになる。

933年 (大同2年)4月19日 - 特別市制実施に伴い、新京特別市政公署は「新京特別市公署」と改称する。

1936年 (康徳3年)2月1日 - 北満特別区公署の廃止に伴い、寛城子を編入する。

1937年 (康徳4年)

10月1日 - 行政区域の拡大に伴い、双陽縣 及び長春縣の一部を編入する。

12月1日 - 治外法権撤廃により満鉄附属地の行政権が新京特別市に移譲される。市区条例の実施に伴い、18区(市街区12区・農村区6区)を設置する。

1940年 (康徳7年)1月1日 - 14区(市街区8区・農村区6区)に改編する。

1942年 (康徳9年)1月1日 - 16区(市街区10区・農村区6区)に改編する。

1943年 (康徳10年)6月1日 - 行政区域の拡大に伴い、通陽縣及び長春縣の一部を編入し] 、18区(市街区10区・農村区8区)に改編する。

1945年 (康徳12年/民国34年)

8月13日 - ソビエト連邦の満洲侵攻に伴い、通化省臨江県大栗子へ遷都。

8月17日 - 重臣会議により、満洲国の解散及び新京から長春への改称を決議。

8月18日 - 満洲国皇帝退位。満洲国解散。

8月19日 - 旧政府出身者による「東北地方暫時治安維持委員会」を設立。

8月20日 - 赤軍(ソビエト連邦軍)に占領されて軍政下に置かれる。新京特別市公署は「長春市政府」と改称。

9月1日 - 旧称の長春市に正式に改称する(新京特別市の消滅)。

12月20日 - 中華民国国民政府により、改めて長春市政府が設置される。



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最近、ますます愛しく愛しく愛しい2人の息子たち!!


翔世は3歳半、蓮世は8ヶ月に。


最近二人の関係がますます良くなってきており

翔世はものすごく弟蓮世くんにかまってくれます。


あんなにケチケチだった、翔世が、自分のおもちゃを

すこしずつ差し出すようになりました。


最初の頃は、ゴミしかもらえなかった蓮世。


そのゴミで、眠くなるまで遊んでいた頃もあり


今では、翔世の大事な大事な宝物のゴセイジャーの

人形まで時々貸してくることもあります。


蓮世はお兄ちゃんの言うことをよく聞きます。

たぶんお兄ちゃんが大好きで、ずっと目で

翔世を追っており、


翔世も、蓮世の前で踊ったり、わらかしてくれたりと

大助かり。


そんな二人の兄弟を見ると、愛おしくて、抱きしめたくなります。


7月2日から始めた家族会議は、毎週末に行われ、先週で

第十回を迎えました。議事録を残しており、みんなのその週の

目標と達成を書いております。


スティーブン・コビィー氏の7つの習慣ファミリーにaiaiがはまっており

それを読んで始めた、家族会議で、先々週は蓮世は病欠だったとかで

本格的に出席、議事録、目標の復唱、結果の点数化など

盛り上がってきました。


翔世の中国語は、磨きがかかってきて、もう発音などでは完全に負けて

おります。ネイティブのような発音で、蓮世も、シッターさんといつも

一緒のコンビで、近所のベイビー友達と遊んでいるので、中国語を

理解しております。


こうなって辛くなるのは幼稚園の宿題を見てあげること。全部中国語なので

aiaiは大変です。また連絡ノートのやりとりも、中国語でaiaiの中国語は

ものすごくレベルアップしてきております。


毎朝大連にいるときは、翔世をバス停まで送るのですが

いつも見送る時、翔世もしっかり中国社会で頑張っているんだなと

感心します。初めの1ヶ月は毎日泣いていたのが嘘のようで


そして私も元気をもらい、今日もがんばろうと思うのです。


中国は今、高度経済成長まっさかりです。みんな前を向いて

ギラギラと生きております。ホームレスでさえも、そんな眼光を

感じます。


そんななかを、生きていく二人の翔蓮兄弟!!


成長をが楽しみです。



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↑なぜか同じポーズで!!


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↑よく眠っています。


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↑蓮世くんも!!



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↑チョコアイスが大好き!!もうアレルギーのぶつぶつも

でなくなりました。よかった。昔は私が食べたアイスの棒を

ゴミ箱から拾って、隠れてた舐めていた翔くんでしたが。。



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↑まるまる太った蓮世くん!!愛くるしてく

たまりません。


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