父が生まれた進化街を後にして、私達が次に向かった先は
旧官庁街である、新民大街(しんみんだーじえ)である。
ここには、旧満州国時代の国家機関の建物が沢山残っている。
ここ中国東北地方に来て驚くことは、これらの昔の旧満州国時代の
建築をすべて残していること。
しかもすべて国家級若しくは市級の重要文化財に指定されている。
その徹底ぶりには驚かされる。
この長春で保存されている主要な建築物をすべて
父と二人で回った。
最初に言った場所は旧満州国務院である。
いわゆる旧満州の内閣にあたるところであろう。
↑旧満州国、最高行政機関が、この国務院である。
↑今は吉林大学の医学研究院として使われている。
↑建物は1935年に着工し、36年に完成。おそるべき
はやさで完成させている。
西洋と中国の風格を併せ持つ、中西折衷の造りは
興亜式と呼ばれ、日本の国会議事堂を真似て
造られている。
↑当時は地下道で、長春駅や、先ほどの私たちが
泊まっているホテルの横にあった、旧関東軍司令部
(現中国共産党吉林省委員会)とつながっていた
らしい。
↑敷地にあった石碑には、偽満国務院旧跡と
記されている。
ちなみに、中国では、旧満州国とは言わず
偽満州国といって、一番前に偽をつける。
中国東北地方の至る所で、この偽という石碑を
見かける。
父にとっては、この偽という言葉、事実であれど
見るたびに、胸に刺さるようで、、
辞書で偽という感じを調べてみると
傀儡という意味があるようで、傀儡満州国の意味を
偽という文字に封じ込めているのである。
中国側から見れば当然であろう。
私はこの旅で、多くの偽の字を目の辺りにして
その深い意味を、歴史を知るという良い意味で
考えさせれた。
ある博物館で、日本人向けの満洲国の資料を売っている
売店のおばちゃんが、偽という文字は気にしないでくださいと。
旧という意味くらいに受け取っておいて下さいと言われたが
一応中国人の人も気を使ってくれているようでは、あった。
1932年に満州国が設立され、その4年後にこの国務院が完成している
そしてそしてそれから10年立たぬ間に、終戦を迎えこの満洲国は解体された。
たった10年という期間のために造られた、この建築物。
私が下から眺める限り、何十年以上という先を見越して
立てられたような気がする。それほど力強く、そびえ立つ。
あれから70年以上たち、まだこうやって私が目にすることができる
のがその証拠だろう。
いいか悪いかは別として、あの時代に意思をこの建物から
みてとることができる。
少し雨がちらついくる、私の腰がズキズキと疼く、、
父と続けて、この旧官庁街を歩き出す。。
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