旧国務院を皮切りに、新民大街の旧官庁街にある
偽満州国八大部の建物を見て回った。
偽満州国八大部とは、満州国の国家機関の中で
現存する建築物のことをさす。
軍事部旧址、司法部旧址、経済部旧址、交通部旧址、興農部旧址、文教部
外交部旧址、民生部旧址という8つを満洲国八大部という。
これらの建物を見て回って感じたこと。
前回の国務院同様、本気でここに満州国という国を作り上げ
統治していこうとしたんだということを、今更ながらに痛烈に感じた。
軍事部即ちいまでいう、軍部であり、司法部とは裁判所
経済部とは経済産業省兼大蔵省でしょうか、交通部とは国土交通省
興農部とは農林水産省、文教部とは文部科学省
外交部とは外務省、民生部は今はないが、いわゆる民心の
操作をおこなう部である。
結果としてたった13年足らずしか存在しなかった満洲国であるが
しっかりとこのような部門を設置し、また立派な建物を立てていたのだ。
当たり前なのだが、統治といはそういうことなのだと感じた。
↑偽満州国軍事部旧址。
旧国務院の向かいにあり
1935年の建築であり、先ほどと同様中西折衷の
興亜式である。満州国の軍務や用兵を司っと首脳期間
であった。現在は吉林大学付属第一医院となっている。
↑偽満州国交通部旧址
公路の管理、郵便、航空、水運などの交通部門を
担当管理していた。これも吉林大学の新民校区として
使われている。
↑このようにこれらの建物の門のところには
長春市の重要文化財として保存されているという
↑偽満州国経済部旧址
前身は財政部であり、満州国の税務、金融、国債
投資、貿易などを司った。
これも現在は吉林大学第三医院として使われている。
建築様式は中国式のアーチ型と日本式の
玄関などが入り交じる、和漢折衷型の様式。
これも吉林大学の新民校区として
使われている。
その他、外交部旧址は高級レストランとして使われており
また民生部旧址は、吉林省石油化工設計研究院としてつか
われている。
興農部旧址と文教部旧址だけは既に建物が壊されて
新しい建物になっており、石碑だけが残っていた。
ただ両方共東北師範大学の付属中学と附属小学校に
なっているのだが、その建物は新しい、外観となっているのだが
なんとなくその建物の様相は、昔の興亜式を基軸にした
建築物のように感じる。もしかしたら全面改装はしているが
建物の構造とは残していたのかもしれない。
↑八大部ではないのだが、新民広場のところで
発見してこの建物は、総合法衛といって、
当時の最高法院、最高検察庁であったとか。
現在は中国人民解放軍第四六一医院として
使われている。
これらの官庁街を回って、私が少しずつわかってきた
ことがあった。
なぜ私の父や、祖母、祖父が70年前にわざわざ
この中国大陸の東北部で暮らしていたのか。
もちろん満州国があったということは以前から
わかっていたが、
そこにいた理由は、私が思うよりももっともっと
深い深い意味があり、その時代の思いがあり
私達が後の時代に、簡単に安易に、どうであったとは
言えない時代と理由と思いがあったのだと。
当時の帝国時代の日本人が一体ここで
何をやっていたのか。。
私は、父とこの地を歩くことで、深く深く引きこまれていった。
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