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のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

ご訪問、ありがとうございます!!夫&嫁で更新♪
ken(夫)は、中国でのビジネスは中国での出産(天津ローカル病院にて出産)・育児話をメインに♪

前々から恐れていたことに、なってしまいました。


昨日は、蓮世、翔世を予防接種に連れて行き、

お家に戻って、ホット一息。


蓮世はアイさんとお散歩に。

私は翔世とまったり本を読んでいました。


そこへ、『ピンポーーン』


アイさんが、蓮世のお手拭を忘れたので

戻ってきました。


翔世にお手拭を持たせて、

下まで持って行ってきてもらうつもりで。


扉を開けて、すぐに部屋に戻るつもりが、

急に、突風が吹いて、

扉をバターーンと。


一瞬頭の中が真っ白に。


鍵は??

携帯は??

うちって、オートロック??


そうです。

これぞ、恐れていた状況です。

インキーをしてしまいました。


鍵なし、携帯なし、

アイさんが、携帯を持ってたはいいものの、

ken(旦那)の携帯番号なんて、

覚えてないし。


焦りまくりです。


私と翔世は靴も履いてない、靴下状態だし。


落ち着け、私。


とにかく、kenと連絡を取らなくては。

アイさんにお願いし、kenの会社の電話番号を104で聞いて、

でも、会社のお客様センターしか登録されておらず、

お客様センターには固定電話からしか電話できないので、

マンションの管理センターに事情を説明して、

電話を借りに行き、ようやく、会社の電話番号を入手。


それで、kenの会社に電話。

外出中だったようで、社員の方に事情を説明。

社員の方にも、苦笑されました。

kenに至急帰ってきてもらうようにお願いしてもらいました。


その間、家の前で待っていたら、

時間とのにらめっこになってしまうので、

靴下を履いているんだからと、マンションの前の公園で待つことに。


お昼間で人があんまりいなかったからよかったけど、

靴も履かず、変な親子です。


私は、自分のマヌケっぷりに落ち込んでいると、

翔世に

『ママ、大丈夫!!

僕が、パワーをおくっているから、

パパはすぐに帰ってくるよ!!』と嫌な顔ひとつせず、

慰めてくれました。

頼りになる息子に成長したなぁ~っと、ちょっと感動でした。


それから、20分、kenが帰ってきてくれました。


kenの姿を見るなり、


『パパーーーーーーー!!!!!』と猛ダッシュな翔世。

その後に、ちょっと申し訳なさそうに、トボトボ歩く私。


そんな、靴も履かずにマヌケな二人に

kenも????な顔をしながら、笑うしかありません。


お家に入れた時には、幸せいっぱいでした。


トイレに閉じ込められたに続き、

とんだアクシデントでした。


kenが出張中じゃなくて、よかったけど、

これがもしいない時だったらと思うと、

恐ろしいです。


これからは、携帯と鍵はいつも身につけておこうと思います。

kenの携帯番号も覚えておかないとですね。



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さて、久々に更新したブログから、長春シリーズが

続きます。

ちなみに、これを書いている今はどこにいるかというと

昨日長春から瀋陽に戻り、今日は夜に瀋陽の社員同士の

結婚式に参加して参りました。


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↑誰も羨む美男美女の結婚式で、うちの会社にきて

出会った二人が結婚とは、なんともいいお話です。

内モンゴル出身の旦那と、河北省唐山出身の奥さん。

うーん、奥さんはきれいだ。。

っと話は戻り、で今は、夜中の1時で、瀋陽北駅で

AM2時の列車を待っております。とっても荒れた風景で

怪し人たちがそこらにひしめいております。

荷物盗まれないかひやひやしながら、パソコンに向かっております。

瀋陽の社員達とさっきまで激しくディスコで踊って

おりました。

と話は戻り、長春2日目の朝、父が生まれたという

進化街を目指して、早朝マラソンに。。。。

地図を見ながら、実際に道を走ると地図と実際の道が

あっていなくて、少し迷いましたが、だんだんと近づいて

いるのを地図で確認しつつ。。。

ホテルから走ること30分足らずで、とうとう見つけました。

別に名のある通りというわけではなく、今までシャンゼリゼ通り

ブロードウェイ、カオサンストリートと多くの通りを地図で探しながら

たどりつきましたが、それよりもなんだかドキドキする通り。

なんてことはない、ただの中国の片田舎のとおりなのですが

父が生まれたという場所に。。。

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↑↓見つけました!!進化街!!親父よ!!

とくと見て下さい!!あなた様が生まれたという

通りを見つけました。たどりつけました。

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↑さて進化街に入って行きますが、とくにこれっと

いった特徴もなく。

父が生まれと場所と言われもいったいどこかどうなのか

それもそう。あれから70年以上も立っているのですから

何を手がかりにすれば。。。

父自身も、進化街。。。それかしか知らないとかで、

他に何もてがかりはありません。

それまで走り続けて足をとめて、ゆっくりと通りに

入って行きます。

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↑しばらく歩くと何やら古い胡同っぽいところが



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↑古いマンションが。。

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↑バラック小屋で、まもなく取り壊されそうな


それでも、70年前のものではなさそうです。

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↑進化街全体では、まだまだ古い建物や胡同

っぽい長屋が多く残っておりました。それでも

ここ2,30年前のものと思われます。



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↑餃子屋さんがありました。


実は私の家には、祖母の代から伝わる秘伝の

水餃子があり、うちの母も、aiaiもそれを伝授されて


おり、祖母曰くは、中国にいた頃に教わったものと

言っていたが、それが本当なら、この進化街に


そのルーツがあるのかと、思ったら、小さい頃

から食べてきたあの水餃子に、思いがクローズアップ。


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↑古いたてものがつづきます。

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↑進化街を南に下って歩いていたら、あらびっくり

チンチン電車の線路があります。


ええ。。中国でチンチン電車は大連だけかと

思っていたのだが、こんなところにも。新京の名残でしょうか。


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↑ここで進化街はおわりかと思ったら、まだ続きます。



街を歩きながら、いったいこの街のどのあたりで

父は生まれたのだろう、暮らしていたのだろうと

思いながら歩いておりました。


こうなったら、最近aiaiの読んでって言われた

七田式右脳教育の本の中で、


右脳で波動を感じるということが、紹介されて

いたので、私も心を沈めて、右脳を働かせて

波動で、父の生まれた場所をさぐっていたのです。


これ本当に、うそじゃなく。。。そうしたら。。。

ふっと、見つけたのが。。




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↑なんと七田右脳潜能開発の教室が目の前に

現れて、びっくり。


aiaiと中国にあったらいいのにねえとか、

言っていたので、おそらく偽物の教室だと思いますが


それにしても、びっくりしました。







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↑さらに街を歩いて行くと、だんだんと長屋というか

胡同のような風景に変わって行きます。


なんとなく、波動で、もし生まれたのならこのあたり

なのではという感じがしました。

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↑ここで進化街は終わりです。


別に何の変哲もない、通りなのですが、私にとっては

長春で一番エキサイティングした通りだったのでは。


さて父は、来来週にやってきます。


もう一度この進化街を二人で歩いてみようと

思います。



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さて、大連から列車で4時間10分で瀋陽北駅に到着。

瀋陽から車で5時間ほどかけて、長春へ。


もちろん今回の目的は、父と行く前の下見ではなくて

仕事で、市場調査ということで。。


瀋陽の社員たちと4名で。。


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↑!!!長春駅!!!


夕方17時頃に到着、その日は、みんなで食事をして

はやめにホテルに帰って、明日に備えます。


私は、ホテルに戻り、さきほど3元で買った地図を

みながら、いつもの朝のマラソンコースを確認します。


ホテルは瀋陽の中心部で南湖公園の直ぐ近く。。

明日は、この公園を走ろうかと地図を見ながら

ふと思い出しました。


そういえば、父が今月こちらに来るに当り

父が生まれた場所の地名など分かるか?って聞いたら

あんまり多くの情報はないのだが、進化街(じんふぁじえ)

というところだと言う。


私は地図の上を目を走らせながら。。。。。


みつけた!!!進化街!!しかもここからそれほど

遠くない。明日は5時おきで十分にいける距離にある。


夜10時にはベットに眠りにつき、明日に備えます。


長春の朝は冷え込みます。っと予想以上に寒く9月上旬なのに

朝は10度くらい。


Tシャツを2枚来て、出発。。


ホテルをでると、目の前が南湖公園



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↑ひんやりしますが、最高の環境



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↑朝5時から多くの人が散歩や、マラソンを


実は、長春はとてもきれいな街で、緑がとても多い。

思っていたのとまったく違っており、この南湖も


杭州の西湖に負けないくらい。。


この南湖を走るのは次回におあづけということで


私が目指すは、父が生まれという街、進化街へ。


南湖から走ること30分くらいでしょうか。


地図をみながら、少し道に迷いながら、確実に

近づいていっているの感じながら。。。



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↑途中カルフールを発見。おおこれは後で

要チェックだ。。。


それにしても、考えてみたら不思議である。


こんな中国の東北のはずれに来たと思えば、

こんな見知らぬ街が、父の生まれた場所だなんて。


祖父と祖母と父が暮らしていたなんて。。。


大阪の堺で、当たり前のように暮らし合っていた

自分の親や祖父母が、実はこんなところに67年前

に暮らしていたとは。。信じられない。。。


また自分がそこにいて、まさにその暮らしていた場所に

いつもの日課の早朝マラソンコースに組み込まれているなんて。


父は3歳まで、ここにいたらしいのだが、3歳といえば

今の翔世と同じ年である。これも何かの因果なのか。


考えてみれば、そこで祖父母の営みがあり、父が生まれ

そして回りまわって私も生まれた。


そういう意味では自分にとっても、すごく意味深い場所なのかと


そんなことを考えながら、10度のひやひやしい朝を走る。


父の生まれたという進化街へ。。。



つづく。。



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私の父は、中国吉林省長春生まれである。


いわゆる旧満州国の首都であった新京の生まれである。


あんまり中国では、大きい声で言えることではないのであるが


それでも、自分の父が、この中国の地で生まれ、


そして私の息子である、翔世が中国天津で生まれたことに


なにかしらの、縁または、運命を感じる。


2004年にはじめて上海に留学してきたときから


この長春という地に、なにかしらの思い入れがあった。


いつかは、いかなければ。また行くなら、必ず父親を連れて


そういう思いというか、目標というか、夢とまでは言わないが

そういう思いが漠然とあった。


1944年昭和19年,終戦の前の年に父は、新京で生まれたと

聞いている。


その後3歳くらいまで、そこにいたとか。もちろんその時の記憶

など残っているはずもなく、また3歳で新京を離れて以来

一度もその地を踏んではいないとのこと。


10年ほど前に、他界した祖父と、今は寝たきりの祖母、そして父が

暮らした土地である。


以前まだ元気だった祖母に、中国から時々帰国した私が

新京出のことの話を、聞こうと話をしたことがあるが、

あんまり話そうとはしなかった。


あんまり良い記憶のある土地ではなかったという。


10年前に亡くなった祖父は、旧満州国にいた頃に、大学か

専門学校を卒業したとかで、中国語も話せたとかいう

話を聞いたことがあったが、それは祖父が死んでからで


情けないかな、私自身、10年前、日本で就職して仕事を

していたときや、また大学時代など学生時代には

中国のことや、その時代のことなど、一切興味もなく

祖父に聞くことすらもしなかった。


もったいないというか、情けない話である。


いまそんな自分が、中国の大連や、瀋陽などあの時代の旧満州国

の地にいることは、いったい何の因果であろうか。


さて、そんな父と、祖父と、祖母、長春の話をつづろうと思ったのは


実は、この9月の中旬から2週間ほど、父を中国に招待して

一緒に、長春や、瀋陽、丹東、大連を回ってもらおうという

旅行企画を提案した。


大連に来た昨年から、ずっと父親に打診していたのだが、

寝たきりの祖母をおいて、こっちに来ることはできないと

かたくなに拒み続けた、父親が、とうとう来ると言ってくれた。


父自身もいつかは必ずいかなければとは、言っていたのだが

年をとると、なかなか海外に行くのは大変である。


仕事も土日をからめて、隔日的に休みを取り

父の長春生まれの話は、ずっと上司にも

話していたので、快く休暇を許可してくれた。

繁盛記にもかかわらず。


そんな私は、実は今長春に向かう列車の中にいる。


偶然というか、何の因果か、急遽長春に行きの出張の

用事ができたのである。


まあちょっした下見もできるかもだが。。


つづく。。



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前回からの続きで。。


中国で新卒を採用するというテーマで。。


やはり部門内異動、部門間異動など人事異動がないと

人はだんだんと、モチベーションを保つことが難しくなり


また中国では、其の部門や役職につくと、既得権益が

露骨に発生します。


しかし、大連市なら大連市、瀋陽市なら瀋陽市と

地元の社員だと、支店内での異動しかできないので

自ずとそのポストや役職が限られて来ます。


新卒を採用しても、やはり地元限定となり、すべての部門に

振り分けることが出来ず、自然と経験者を採用し、その部門に

定着しがちとなります。


日本だと、毎年定期に新卒を採用し、最初は現場の最前線から

勉強させながら、5年8年とたって、いろんな部門に異動したり

または現場内で、四国支店とか関西支店とかに異動したり

まあ日本人としては、当たり前なのですが、中国では

それが当たり前にいかない。


それでも新卒や、若い世代をどのように戦力化して育てていくか。


その中で、私の経験とテクニックとして、こんな社員がいいと。


うちのでは、IBMやマイクロソフトなどと違って、超一流の人を採用

するのではなく、普通の新卒や、大専卒である。


どちらかと、地元ではなく、外地の人が、こらえ性があり

また他支店へ異動になるにも、比較的柔軟性がある。


黒龍江省や内モンゴルの人は、私の経験上、優秀であり

こらえ性があり、貢献度は高い。


新卒より準新卒の方が、1年、2年と仕事経験がある

ほうが、社会の現実をしっており、こらえ性があること。


まっさらの新卒である場合、実家が商売をしていて

仕事の手伝いをしたことがあり、労働の厳しさなどを

わかっている人が、比較的生き残りやすい。


いまうちの社で生き残っている、新卒は2名で、

どちらもピカイチ!。上の条件にばっちり当てはまっています。


まあ私の狭い経験ないの積み上げなので、もっと時間が

たてば、いろんな条件がでてくるとも思いますが。


それにしても、このように成功している人材にスポットをあてて

どのような背景の持ち主で、面接時に何をどう確認すれば

よいのか、個人的に研究しております。なんて。。


後2年もすれば、90年生まれが22歳、23歳と新卒として

はいってきます。


しっかりこの新人類世代を研究していきたいなと。


そういえば、日本での90年生まれってどんなんなんだろう。


私は日本をでて6年なので、日本より中国の世代のほうが

詳しいのですが。。。



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先週半ばから、蓮世が高熱を出してしまいました。


原因としては、急に夜に寒くなったのもあるだろうけど、

一番の原因は翔世の風邪がうつってしまったようです。


以前は、翔世が風邪をひいても

蓮世にうつることはなかったのですが、

最近は2回続けて、うつってしまってます。


一般的に言われるように、生後6ヶ月を過ぎると

母乳からのママの免疫も少なくなっているんでしょうね。

今回は、またすごい高熱で最高で39.6度まで上がってしまい、

回復まで4日もかかってしまいました。


赤ちゃんに強いお薬を飲ませるのはよくないからと熱が出れば、

解熱剤を飲ませただけで、

特にその他にお薬を飲ませることなくやっと回復しました。


普通、お薬を飲ませるんでしょうが、

今回見てもらった先生が中国漢方の先生だったので

自力で回復しないようだったら、

お薬を飲ませましょうってことでした。


今は、鼻水とせきはありますが、元気はいっぱいになってきました。

一安心です。


これまでは、翔世と蓮世、私と同じベットで寝ていましたが、

これからはベビーベットをくっつけて、蓮世を離すことにしました。


これから、どんどん涼しくなっていくだろうし、

体調には気をつけないとですね。


皆さんも風邪には気をつけて下さいね。


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また、ブログの更新が出来てませんでした。

早いもので、今月末で蓮世は8ヶ月になります。


体重は8.5キロになりました。

まだ上手にハイハイは出来ないけど、

寝返りをコロコロしながらの移動が上手になってきました。


意思もどんどん強くなり、

欲しい物を見ては、『とって!!』といわんばかりに

泣きます。

足をよくバタバタさせては、翔世にぶつかり、

翔世は怒ってますが、

蓮世は満面の笑みです。


翔世も蓮世がどんどん大きくなってきていることに

脅威を感じているのか、


『蓮世、どんどん大きくなってるね。

小さい蓮世がいい』 と言ってます。


これからの二人のからみがまた楽しみです。




私が、2006年頃から天津で、会社立ち上げに従事した頃

多くの社員は、80年~85年世代の社員がほとんどでした。

20代半ばの社員達ばかりで、


中国でよく言われている、80年代以降生まれの若者は

わがままで、使いにくいということは、一切感じられませんでした。


どちからかというと、70年代生まれに近い感覚で

忍耐強く、どんな仕事でもこなし、またしっかり教育も受けており

また素養も高い、そのような印象を強くうけ、大変優秀で

心強い社員が多かったように思います。


あれから、6年が経過する現在、


当時の85年以前の生まれの世代は、30歳前後となります。


どうしても新し会社を立ち上げるときは、やはり20台中頃の

社員を多く採用しがちになります。


そうなると、現在は85年以降生まれ、90年代に近い人達が

メインとなってきます。


正直、80年代前半や、一番いいのは70年代後半の人材が

真面目にコツコツと、仕事をやる傾向があると感じており


私の今の会社も、そんな派手なホワイトカラーの職種などポストは

なく、泥臭い営業や、配送などとなるため、


人材としては、80年前半、70年後半が理想なのですが、


時代が進むと共に、そのようなことは言えなくなってきます。


80年前半、70年後半となると30歳から30歳を越える年齢。


結婚して、子供もいて、家のローンもあり、総じて給料は高くなります。


また今30歳の人を採用すると、10年後にはみんな40歳。。

会社の若返りのバランスを考えると、どうしても20前半から中盤の人を

採用していかなければなりません。


そうなると、やはり新卒に近い、90年代にちかい人たちを採用するという

ことは避けては通れません。


そうなるとこの世代をどのように、教育し、人材として鍛えていくか

取り組むべきテーマであると、私はずっと前から考えておりました。



この取組は、実は天津にいた時から、ずっと取り組んでいたのですが

なかなか成功しておりません。


今年に入り、大連で、人事と一緒になって、大学の新卒の説明会を

やったりもしました。


中国で日本の東京化みたいに、新卒を定期的に採用して会社の成長に

合わせて、ゼロから育てていくという試みはなかなか難しいものがあります。


先にも言ったように、中国では、まだまだ地元への執着が強く

省をまたぐ、異動や転勤は、日本に比べてはやりづらいものがあり

実際には多くの会社がそのようなことはしておりますが、

やはり離職率は高くなります。


また各地域での支店で採用した社員は、やはりその地域内でしか

働けないので、社内での労働市場を創出するのは難しく

立ち上げから5年くらい過ぎると、モチベーションの低下がおこり

みんな安定的になります。


つづく。。




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日本では、新卒の就職内定率がここ数年低下し、私が99年頃に

就職活動した時代ですらも、超氷河期とか言われておりましたが、

今はそれすらも比較にならないくらい、厳しいのだとか。


景気が停滞し、金融危機やら、震災やら、円高やら負の要因が

たくさんあるので、厳しいというのは理解ができます。


しかしここ中国でも、景気がよく、経済が成長しているにも

かかわらず、新卒の就職内定率は深刻です。


もちろん、人口が多く、毎年の新卒者が700万人近くも

いると言われていますので、日本とは比較にならないくらいのボリューム。


それに合わせて、国全体で、大卒のプライドを満たす、ホワイトカラー

層の雇用創出が圧倒的に足りないのが、現状。


よって毎年多くの、就職浪人が溢れかえっております。


中国で新卒を採用されにくい理由が他にもいくつかあり

わたくし的に感じるのは、企業自体が、新卒から人を育てて

中国全体で事業を広めていくにあたり、人材資源を有効に

分配させていくことをしない、いや、しにくい現状があると考えます。


一般的に企業は、即戦力のある社員がほしい。よって仕事経験が

ある人を採用しがちである。


実際に私も、新卒を採用するより、経験者を採用するほうが

多い。本当は意識的に、新卒者をとろうとするのですが

うまくいくことは少ない。


日本のように、新卒を採用し、東京で一括して人事部付にして

いろんな地域に配置していくのが、中国で難しい理由の

一つに、やはり中国では、人はその土地に土地に土着しております。


北京人は北京、上海人は上海、天津人は天津、大連人は大連と


あまり違う土地に行くことを好みません。

それでも最近は、そういう人も増えた気がしますが。。


あと社会保険や、住宅積立金などを、省をまたいでもっていくことが

できず、日本のように全国都道府県で統一されておりません。


これが、中国で、本社のある上海や、北京を日本のような東京化して

経理財務、人事を本社で一元管理していくのが、なかなか難しいと

思います。


やってやれないことはないかもしれませんし、超大手の中国企業や

国営企業などはやっているのかもしれませんが。


しかしまだ日系や外資などで、中国に進出してきて10年足らず

であると、まだまだそこまでやれないのが現状です。


私も、日本から来たので、日本の東京化のようなイメージでの

本社からの一元管理しか、頭にないので、


どのような管理体制が今の中国、これからの中国に

向いているのか、またどのような方向に向かうべきなのかは

わかりません。研究してみるとおもしろかも。


で最近思うことは、人の採用について。。


天津で5年やってきて、今遼寧省の瀋陽大連で2年目、、、

今後の社員のキャリアップなどを考えたときに、


日本のように、じゃあ四国支店へとか、九州支店へ。。

などは先の理由により簡単にはできません。


また、最近社員を採用するときに意識するのが

70後(ほう)、80後(ほう)、、85後(ほう)、、90後(ほう)、


中国語で、70年代生まれ、80年代生まれ、85年以降生まれ、90年代生まれ

という意味で。。


この世代間の仕事に対する意識、認識が顕著に違うと感じること。


また80年代も85年を境に考え方が変わります。


中国のこの激動の時代を象徴する世代間ギャップ。


これまた大変興味深いものであります。


つづく。



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よく昔から、年寄りの言うことは聞きなさいと言われる。


私も小さい時に、よく祖母から、夜に爪をきっちゃだめだとか


なんかったら、アロエを塗りなさいとか、夏には熱お湯を飲みなさいとか。


いろんな年寄りの智恵を聞かされて、

ハイハイとか、ほとんど真剣に聞いていなかったと、思います。


しかしここ中国に来て、そのような話は、年寄りどころか

若い人達からもよく聞かされます。


よくよく考えれば、このような類の話、特に健康などに関しては

日本も中国から伝わっった漢方や、儒教や、いろんな影響がある

はずなので、年寄りの知恵袋みたいなものは

中国が本家本元だと、ここ中国に6年くらい住んでいて

しみじみと思います。


またその真実度は、身をもって実感いたしております。


最近びっくりしたのは、


先々週から、翔世、aiai、蓮世と風邪でダウン。


翔世は40度の熱、aiaiも39度、蓮世までも。。。


そしてaiaiは、母乳を蓮世にあげている身、あんまり

解熱剤とか飲めません。


そこで、翔世が40度の高熱を出したときに、病院でした処置。


アルコールを5倍くらいに薄めた液を、脱脂綿に浸して

首の後ろや、耳の後ろ、脇の下をふきます。


そうするとみるみる、熱が下がるのです。

なんでも動脈のところをアルコールで吹くことで

はやく熱を蒸発させてしまうそうで、


これをaiaiにも、蓮世にもやったらおそるべき効果でした。


さすが、中国。なんだろ中国医学なのでしょうか。


また、よく翔世が頭を打って、たんこぶを作るときにも

すぐにごま油を塗ると、腫れ方が前々違います。


最初はバカにしておりましたが、最近塗った時と

ぬらなかった時の違いは、顕著で。。。


これは天津のときの、シッターさんの智恵。。


あとは、やはり風邪を引いたときに、冷たいものを飲んではいけない

これは、日本でもよく昔の年寄りはよく

言ったものですが、


こっちは若者の間でも常識で、aiai曰くは

最近は本当に、冷たいものは身体に悪いと、身にしみて感じているようで

冷たいものを飲むのを控えるし、クーラーもかけません。


実は、本当にたくさんの中国年寄り!?だけでなく、智恵がたくさんあるのです。


アルコールについては、一度ためしてみてください。

アルコールとか手に入らなかったら、中国は白酒の50度でもOKらしいです。


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