私の父は、中国吉林省長春生まれである。
いわゆる旧満州国の首都であった新京の生まれである。
あんまり中国では、大きい声で言えることではないのであるが
それでも、自分の父が、この中国の地で生まれ、
そして私の息子である、翔世が中国天津で生まれたことに
なにかしらの、縁または、運命を感じる。
2004年にはじめて上海に留学してきたときから
この長春という地に、なにかしらの思い入れがあった。
いつかは、いかなければ。また行くなら、必ず父親を連れて
そういう思いというか、目標というか、夢とまでは言わないが
そういう思いが漠然とあった。
1944年昭和19年,終戦の前の年に父は、新京で生まれたと
聞いている。
その後3歳くらいまで、そこにいたとか。もちろんその時の記憶
など残っているはずもなく、また3歳で新京を離れて以来
一度もその地を踏んではいないとのこと。
10年ほど前に、他界した祖父と、今は寝たきりの祖母、そして父が
暮らした土地である。
以前まだ元気だった祖母に、中国から時々帰国した私が
新京出のことの話を、聞こうと話をしたことがあるが、
あんまり話そうとはしなかった。
あんまり良い記憶のある土地ではなかったという。
10年前に亡くなった祖父は、旧満州国にいた頃に、大学か
専門学校を卒業したとかで、中国語も話せたとかいう
話を聞いたことがあったが、それは祖父が死んでからで
情けないかな、私自身、10年前、日本で就職して仕事を
していたときや、また大学時代など学生時代には
中国のことや、その時代のことなど、一切興味もなく
祖父に聞くことすらもしなかった。
もったいないというか、情けない話である。
いまそんな自分が、中国の大連や、瀋陽などあの時代の旧満州国
の地にいることは、いったい何の因果であろうか。
さて、そんな父と、祖父と、祖母、長春の話をつづろうと思ったのは
実は、この9月の中旬から2週間ほど、父を中国に招待して
一緒に、長春や、瀋陽、丹東、大連を回ってもらおうという
旅行企画を提案した。
大連に来た昨年から、ずっと父親に打診していたのだが、
寝たきりの祖母をおいて、こっちに来ることはできないと
かたくなに拒み続けた、父親が、とうとう来ると言ってくれた。
父自身もいつかは必ずいかなければとは、言っていたのだが
年をとると、なかなか海外に行くのは大変である。
仕事も土日をからめて、隔日的に休みを取り
父の長春生まれの話は、ずっと上司にも
話していたので、快く休暇を許可してくれた。
繁盛記にもかかわらず。
そんな私は、実は今長春に向かう列車の中にいる。
偶然というか、何の因果か、急遽長春に行きの出張の
用事ができたのである。
まあちょっした下見もできるかもだが。。
つづく。。
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