かつてワーママであった実母。

子育て真っ最中だった当時の気持ちを聞いて、私が感じたことを書いてみようと思います。


少し長くなるので、ご興味ある方よかったら😊


歌うように、愛する喜びを伝えよう♡

聞き方と姿勢習慣で輝く支援者をサポート
姿勢ライフコーチ 井手愛美です。



私の母は、  重症心身障害児の入所施設の職員として働いていました。

職種は保育士。


母の職場には、子どもの頃からイベントに参加したり、夜の会議のときにはパジャマで連れられていたこともあるほど、馴染みがあり楽しい場所でした。


一歳半までの間に、三度の入院手術があった娘の私。

仕事への復帰には、きっと不安があったと思います。

保育園に入園するまでは祖母に預けながら、そして父とも協力しながら、母は好きな仕事を続ける選択をします。


保育園に入園した後も、3つ下の弟が生まれた後も
母は家庭と仕事の両立に奮闘していました。


体力あったから、
二人とも出産ギリギリまで働いたんだよね~

仕事が本当に楽しくてね~

全部近いから、大変な時も続けられたなー

人にも恵まれてたしね、、


と、懐かしんで回想している母。


父の転勤さえなければ、本当は辞めずに一生続けたい仕事だったのだと思います。

引っ越し先でも、障害のある子ども達と関わっていたいと仕事を探していましたが就職は叶わず、、

ボランティアをしていた記憶があります。


そこには、施設で働いていたときのような
いきいきしている母の笑顔がありました。


現在の母は、介護の仕事に就き、自閉症の青年のお出かけの付き添いをし、視覚障害のある方との趣味のサークル活動。

母は、仕事が好きというよりも、障害のある人と関わるのが本当に好きなのだなと感じています。



ワーママの心に、退職がよぎるときって?

私が幼少期当時の、ワーママである母の行動範囲はこんな感じ


・保育園は家から歩いて5分
・職場へは家から車で10分ほど
・母方の祖母宅は、バスを乗り継いで40分ほど
(祖母は泊まることもよくありました)

ちなみに、当時の母の勤め先と、私がお世話になった病院は敷地は広いけど隣りなのです。


うん、確かにそれは勤め続ける条件としてはラッキーだったかもね。

満員電車の通勤ではなく、さらに待機児童問題にも直面していない母の一言。

今の時代だったら
とてもじゃないけど
続けられなかったかもね。


以下、母の回想が続きます

お母さんはやることが多いのよ。

お父さんも子煩悩で、よくやってくれたと思うけど、最後までは責任もたないからさー

通勤時間や保育園の送り迎えが短縮されるだけでも、どれだけ体が楽か。

体がしんどいと、心にも余裕なくなるでしょ?

お母さんは、おばあちゃんに助けられたし感謝もしてるけど、同じくらい子育てについてぶつかってよく喧嘩したよね~ 

愛美は、職場の同僚にもみんなに可愛いがられてたから、お母さんが仕事中に職場で預かってもらったりしてたしね。

地域の人にもよくしてもらって
みんなに育ててもらった感じはある。

娘が病気であっても、仕事があったから精神的なバランスが保てたところがあった。


なるほど。

母は考えて考えて話すタイプなので、これは聞いてすぐに出てきたものではありません。

時間差で話してくれたことをまとめています。


最後にこの質問をしてみました。


\子育てと家庭との両立に悩んだことはないの?/


すると、少し間があってから衝撃の一言が。


一度だけ仕事を辞めようか
本気で迷ったことがある。


次回、仕事を辞めることを迷うきっかけになった出来事です。



どんな一日も、毎日がスペシャル♡


最後まで読んでくださりありがとうございます!