今を生きる
『今を生きる』喜びは苦難のはてに身延から池上へ人はその生涯にいろいろな出合いと、そして別れを経験します。そして人は、最後に大きな別れ、絶対の別れ、誰も会うことなく、何事とも出合うことのない別れ、それを持たねばなりません。日蓮聖人は身延のお山にお入りになって九年目、弘安五年の秋九月、身延を下って池上へ向かわれたのですが、これは身延のお山との、そして聖人をとりまく全ての人々、全ての事柄との旅となったのでした。九月八日身延ご出発、道中十一日を費し、十八日に池上ご到着でした。秋の深まりの早い身延の峰みねはもう赤く色づき、肌にふれる秋風は冷たくもありました。「ゆるぐ草木、流れる水の音」にまだ妙法五字を聞かれた聖人は、万感いちずにこみあげ、感慨うたた去来して、栗鹿毛の駒の歩みも進みかねたでありましょう。池上宗仲の邸へ着かれた翌十九日、身延からの道中を護衛し終わって帰る人々に託して、池上到着の手紙を波木井実長に送られたのですが、病み衰えたもうた聖人は、長の旅路の疲れもあって、おん自ら筆をとる気力さえなかったのです。日興上人の代筆になる「波木井殿御報」はついに聖人最後のお手紙とはなったのでした。その中に「所労の身にて候えば、不定なる事も候わんずらん。いづくにて死に候とも、墓をば身延の沢にせさせ候べく候」、病も重く、疲れもひどい、どこで死ぬにしても墓は必ず身延に建てて欲しいと遺言されたところをみると、常陸の温泉で病を養い、できるならば今一度、安房の故郷を訪ねたいとのひそやかな願いも、今は果せぬそれとあきらめたもうて、しのびよる死の影を静かにみつめていられた事が判るのであります。しかも聖人は集まりきたった門弟たちに立正安国論を講じたといわれますが、安国論の講義をとうして大きな別れを告げたもうたところに、聖人不滅の命の輝きをみるのであります。◎日蓮聖人は、命をかけられ立正安国論を鎌倉幕府に上程されました、志を受けつぎ今年も身延で修行させて頂きます。