『今を生きる』

喜びは苦難のはてに

 

松葉ヶ谷法難

今からおよそ七百年の昔、戦乱の巷鎌倉は地震、洪水に見舞われ、人々は疫病、飢えに苦しんでいた。その光景を日蓮聖人は「立正安国論」にこう記されている。「牛馬巷に弊れ骸骨路に充てり、死を招くの輩既に大半に超え」と。時の幕府はこの現状を救おうと、国家安泰の祈祷を寺々に命じた。しかしいっこうに効き目はなかった。

 

 

その中にあって日蓮聖人は、人々を苦しめるこの悲惨な現状はなぜにおこるのかを問い、そして悩まれた。そして書かれたのがあの有名な「立正安国論」である。その中で宗祖は「この打ち続く災害の原因は、人々がみ仏の正しい教えにそむき、いたずらにあの世のみを願う念仏を信じているためである」と説かれ、さらに「法華経に帰依するならば、この世界はすべて仏国土となり宝土となって破壊される事はない」と力説された。

 

 

苦しみ悲しみに迷う人々は次第に宗祖に集まっ来た。しかし宗祖を取りまくこの信者の集まりは、幕府にとって不穏なものと写り、また宗祖の念仏に対する激しい批判は念仏者の怒りを買う結果となった。「立正安国論」を幕府に上程してから間もない八月二十七日、憤りを爆発させた浄土教の僧侶と信者は、大挙して松葉ヶ谷の草庵を襲った。「夜中に日蓮が小庵に数千人の押し寄せて殺害せんとせしかども、いかんがしたりけん、其の夜の害もまぬかれぬ」と記されているように、危うく難は逃げれたが、宗祖はこれを法華経の加護によると受けとめられた。

 

 

草庵の焼き打ちは、これから度重なる法難の幕開けだった。

島に流され、あるいは首をはねられんとする迫害によって宗祖は法華経を行ずる者としての確信を深められてたのである。迫害をむしろ喜びとして受けとめられた宗祖の果敢なご精神を学び、我々も不退転の信仰を持ち続けてゆきたいものです。

◎「難あって有り難し」四度の法難にも屈せず、お題目を広宣流布された日蓮聖人の魂魄に近づきたいですね。