『今を生きる』
喜びは苦難のはてに
小さな善因
お釈迦さまある日、阿難という弟子を連れてヌグダ樹という大きな樹のある村にお出かけになりました。そして、村も近くなった時、一組の夫婦と出合いました。その夫婦がお釈迦さまがたに気が付き、妻の方がお釈迦さまを見て、「なんという神々しいお姿をしたお方かしら」と言うなり、心から敬いの気持ちを起こし持っていた麦焦がしを取り出し、お釈迦さまにお布施しますと、お釈迦さまは阿難に、「この婦人は尊い布施の功徳によって悟りを得るであろう」と確信されました。
それを妻の横で聞いていた夫は、「バカなことを言っちゃあ困るな。そんな僅かばかりの麦焦がしでそんなに大きな果報が得られるはずがないじゃないか」と言いましたが、お釈迦さまは、「それではあなたはこの村にある大きなヌグダ樹を知っているでしょう」と語りかけると、夫は「アーあの大きな樹ならよく知ってるが、それがどうした。」とぶっきらぼうに返事をしました。お釈迦さまはその夫に向かって「あのヌグダ樹はけし粒の四分の一位の小さな物ですよ。そのほんの小さな種からあの様な大きな樹になるんですよ。それて同じようにどんな小さな善行からでも大きな果報が生ずるのだよ」と、さとすように教えられたのです。
布施の功徳は物の量や、大きさでなく、その中に込められた心がけが大切だとお釈迦さまは教えられているのです。
日蓮聖人も「事理供養御書」に、「仏になり候事は、凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり」と書かれておりますように、やはり我々の志ざしというものが大切であると申されております。
◎田畑に種を蒔くと収穫が得られます。仏・僧・父母・貧者等に布施を行が大切です。財があれば財を、力があれば力を、どんな方法でもいいのです、他の人、一切衆生を思う慈悲の心を表したいです。
