『今を生きる』
喜びは苦難のはてに
法身常住の妙理
結婚して八年間もお子さんが無く淋しがっていらした知人の奥さんが、一昨年、玉のようにまるまる太った男の子を生みました。その喜びは筆にも口にも表すことのできないものでした。ところがちょうど可愛さもいよいよ増した誕生日直後、たった三日の患いで死んでしまったのです。
この奥さんはいわいる大学出のインテリです。けれども少しばかりの知性や知識などこの場合何の役にも立たなかったのです。
お悔やみを述べた私に向って「なぜ坊やは死んだでしょう。どこへ行ってしまったんでしょう。あの子は!あの子は!」と叫ぶように言うばかりでした。
やがて涙を拭いながら「人間って、死ぬものなのですね」と言うのです。
私は言葉も無くこの奥さんの取り乱した悲しみに相対していました。
そしてハッキリ確信しました。この悲しみのドン底にある奥さんの心に温かい光を与えられるものは信仰、そう、宗教的救いあるのみだ、そう思ったのです。
そうです、人はみんな死ぬものなのです。今までも死の場面は見てこられたはずですが、それは皆他人の死であり、いうなれば一個の生物体の生物死であったわけです。今度はそうはいかない。坊やの死は彼女自身の死と同じでした。「信仰の道にお入り下さい。信仰をつかむ事です。亡き坊やのために」私は言葉を尽くしてお話しました。そして、二、三冊の日蓮宗関係の信仰書をお貸ししたのです。
信仰の書はよくこの奥さんの心の救済になりました。奥さんは次第に平静を取り戻し、今度は自分で仏教や法華経に関する本を見つけては読み、法話の聴聞に出かけ、悲しみの中にも一つの心の安らぎーーー真の諦めといったものにたどりつかれたのです。日蓮聖人は生死を論じて「我等いと悲しめる生と死は法身常住の妙理なり」と仰せられています。実に素晴らしいお言葉ではありませんか。
◎仏は仏滅後も永久に常にこの世におられ一切衆生を見守って頂いています。感謝、感謝させて頂き仏の命、法華経を学び善根を積み重ねます。
