1年前に読んだ書籍。
小さくされた者の側に
立つ神
本田哲郎著
『小さくされた者の側に立つ神』は、本田哲郎によって書かれた本です。この本は、社会的に弱い立場にある人々や貧困者に寄り添う神の存在について探求しています。
本田哲郎は、日本のカトリック神父であり、社会正義や貧困問題に取り組んできた人物です。彼の著書『小さくされた者の側に立つ神』は、エリート神父がホームレスとの出会いを通じて自身の人生を変えていく物語です。
この本は、社会的な弱者や貧困者との接触を通じて、神の愛と平等の重要性を伝えるメッセージを伝えています。本田哲郎の人間性や信仰に基づいた視点から、社会的な格差や差別に対する問題提起や解決策を提示しています。
『小さくされた者の側に立つ神』は、社会正義や人間の尊厳について考えさせられる一冊です。本田哲郎の著作は、社会的な問題に関心のある読者や信仰を持つ人々にとって、深い洞察と啓発をもたらすでしょう。
本田哲郎の著書は、社会的な問題に関心のある読者や信仰を持つ人々に向けられています。彼の著作は、特に以下のような読者にとって興味深いものとなっています:
1. 社会正義に関心のある人々:本田哲郎は社会正義や貧困問題に積極的に取り組んできた人物です。彼の著書は、社会的な格差や差別に対する問題提起や解決策を探求しており、社会正義に関心のある読者にとって価値のある情報源となるでしょう。
2. 宗教的な信仰を持つ人々:本田哲郎はカトリック神父であり、彼の著作は信仰に基づいた視点から書かれています。彼の著書は、神の愛や平等の重要性について考えさせられる内容となっており、宗教的な信仰を持つ読者にとっては心に響くものとなるでしょう。
3. 社会問題に敏感な人々:本田哲郎の著書は、社会的な問題に敏感な読者に訴えかけるものです。彼の著作は、貧困や差別、社会的な弱者の問題について深く探求しており、社会問題に関心を持つ人々にとっては啓発的な読み物となるでしょう。
4. 自己啓発や成長に興味のある人々:本田哲郎の著書は、彼の人間性や信仰に基づいた視点から書かれています。彼の物語や考え方は、読者に自己啓発や成長の機会を提供します。
私は1年前の私と同じ。いまここで、生きてます。
2023年3月1日
記
私の場合は「いまここで」の行動といきさつと結果をよく振り返ります。
「悔い改める」って、私は行動結果や生活を改めることだと思っていました。
今読んでいる本の冒頭には、
時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい。
(マコ1・15)
「福音」はキリスト教の用語であり、ギリシャ語の「εὐαγγέλιον(euangelion)」に由来しています。直訳すると「喜ばしい知らせ」や「良い知らせ」といった意味です。
福音は、キリスト教においてはイエス・キリストの教えや救いのメッセージを指します。イエス・キリストは神の子として人々の罪を贖い、永遠の命を与えるために世に送られたとされています。その教えや業績、十字架での死と復活によって、人々は罪から解放され、神の愛と救いを受けることができるとされています。
福音は、神の愛と恵みによって人々が救われる道を示すものであり、信仰者にとっては喜ばしい知らせです。また、福音は人々に悔い改めを促し、神との関係を回復するために信じることを呼びかけています。
マコ1・15の聖句では、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」と述べられています。
これは、イエス・キリストの到来によって神の国が現実のものとなり、人々は悔い改めて福音を信じることによって神の恵みを受けることができるというメッセージです。
福音はキリスト教の中心的な概念であり、救いのメッセージとして信仰者に勇気と希望を与えるものです。
ここでの悔い改め(メタノイア)とは、立場・視点を移すことです。生活を改めることではない。
メタノイアという言葉は、ギリシャ語で「心の転換」という意味ですね。視点を低身に移すためには、心の転換が必要です。
まず、自分自身の思考や信念を見直すことが大切です。自分の考え方や価値観に固執せず、柔軟な思考を持つことが視点を変える第一歩です。他の人の意見や経験にも耳を傾け、新しい視点を取り入れることで、自分の視野を広げることができます。
また、他の人との対話やコミュニケーションを大切にすることも視点を低身に移すための方法です。他の人の視点や感情に共感し、相手の立場に立って考えることで、自分の視点を変えることができます。
さらに、新しい経験や挑戦をすることも視点を変えるために効果的です。新しい環境や文化に触れることで、自分の視野を広げることができます。旅行や趣味の開拓など、自分を新たな経験にさらすことで、視点を低身に移すことができます。
これらの方法を試してみてください。新しい視点を得ることで、より豊かな人生を送ることができるかもしれません。
自分の思考や信念を見直すことで、視点を変えることができるいくつかの方法があります。
まず、自分の思考パターンに気付くことが重要です。自分がどのような思考パターンを持っているのかを認識し、それがどのように自分の視点に影響を与えているのかを理解することが必要です。例えば、過度な一般化や固定観念、ネガティブな思考など、自分の思考パターンが偏っている場合は、それを見直す必要があります。
次に、他の人の意見や経験に開かれることが重要です。自分の思考や信念に固執せず、他の人の視点や経験を受け入れることで、自分の視点を広げることができます。他の人との対話や議論を通じて、新たな視点を得ることができます。
さらに、情報や知識を積極的に取り入れることも視点を変えるために役立ちます。新しい情報や知識を学ぶことで、自分の思考や信念を見直し、新たな視点を得ることができます。本を読んだり、インターネットで情報を調べたりすることで、自分の視野を広げることができます。
最後に、自分自身の経験や感情にも注意を払うことが重要です。自分の経験や感情に素直に向き合い、それを冷静に分析することで、自分の視点を客観的に見つめ直すことができます。自分の思考や信念がどのように形成されているのかを理解し、必要に応じて調整することができます。
真に生活を改めることができるのは、福音が信じられるようになってからのことのようです。と、
悔い改める者には、立ち帰る道を開き、耐える力を失った者を励まされる。
(シラ17・24)
シラ17・24の聖句は、「悔い改める者には、立ち帰る道を開き、耐える力を失った者を励まされる」と述べられています。
この聖句は、悔い改めることの重要性と、神の恵みによって人々が助けられることを示しています。
悔い改めることは、罪や過ちに対して反省し、心から謝罪し、新たな方向に向かうことを意味します。
この聖句は、悔い改める者には神からの恵みによって立ち帰る道が開かれると述べています。つまり、神は悔い改める者に対して赦しと導きを与え、新たな人生の道を示してくださるということです。
また、聖句は「耐える力を失った者を励まされる」とも述べています。これは、神が弱い者や困難に直面している者に力と勇気を与え、励ましてくださるということです。神は私たちが弱い時にも傍にいてくださり、支えてくださる存在です。
この聖句は、悔い改めと神への信頼の重要性を教えてくれます。悔い改めることによって、私たちは神の恵みと導きを受け、困難な時には神の力と励ましを得ることができるのです。