私の居場所と今日一日。

私の居場所と今日一日。

私の人生は死ぬまでのひまつぶし、とかってのブログに書きました。その後に私が見つけた日常の記録です。感情障害や無呼吸症候群、脳脊髄液減少症、アルコール依存症他の病を患っていますが、ブログで健康とヘルスケアを整えたいですね。

 

私の人生ひまつぶしです。

毎日ブログで仲間のみんなと日課の読み合わせています。

 

 

 

白いデイジーと緑の芝生

 

 


 一日二十四時間

 

 

一日二十四時間 Homecoming 本

 

 

 

 

本文

 


5月6日 


 AAに良い貢献をしている人達は、自慢屋ではないことを発見した。もし私が見栄っ張りに突っ走るなら、飲んでしまう危険の中にいるといえる。この威張りたがり屋の思いは飲酒につながっていく。 もしボートの片側があまりにも高く水面から持ち上ったらひっくり返る可能性は高い。自慢と飲酒は同じ軌道上にある。どちらかが始まれば、もう一つも必ず始まる。ソブライエティに止まろうとするなら小さな私に止まろう。


ご提示いただいたテキストは、AA(アルコール・アノニマス)における**「謙虚さ」と「自己中心性(エゴ)」**の危うさを鋭く指摘したものです。このメッセージを5つの視点で紐解きます。

ポイントと解説

- 自慢と飲酒の相関関係: 


自慢(見栄、高慢)は、自分を他人より大きく見せようとするエゴの肥大です。


AAでは、このエゴの肥大が「神(あるいは自分を超えた大きな力)」や「仲間」とのつながりを断ち切り、孤立を招くと考えます。


- 「小さな私」の重要性:


 自分が全能ではないこと、無力であることを受け入れる「謙虚さ」こそが、回復の安全地帯であることを示しています。

- ボートの比喩: 


感情のバランス(平衡感覚)を失うことは、精神的な転覆(再飲酒)に直結するという警告です。

考察と内省

- 考察: 


「自慢」とは、心の底にある「自分は不十分である」という恐怖の裏返しである場合が多いです。


見栄を張ることでその恐怖を隠そうとしますが、それはかえって精神的な不安定さを生みます。


- 内省: 


今日、私は誰かに自分を良く見せようとして嘘をついたり、話を盛ったりしなかったか? 


「自分は特別だ」「自分はこれだけ貢献している」という思いが、仲間への蔑みになっていないか?


 を振り返る必要があります。

問題と解決

- 問題: 


エゴの肥大(グランドシティ)。


自分を大きく見せようとする心の動きが、周囲との壁を作り、ストレスを生み、最終的に「一杯」を正当化する理由になります。


- 解決: 


「等身大の自分」を認めること。 


自分が「特別な誰か」ではなく、単に「今日一日飲まないでいる一人の依存症者」であるという原点に立ち返ることです。

霊的目覚めと回復への導き

- 目覚め: 


自分が「何者か」になろうとすることをやめたとき、本当の平安が訪れます。


自慢する必要がない状態こそが、

霊的に満たされている証拠です。


- 導き: 


「小さな私」に止まるとは、宇宙や社会の歯車の一つとして、自分の役割を淡々と果たすことです。


この謙虚な姿勢が、ハイパワー

(大きな力)が働くための心の隙間を作ります。

AAの原理とメッセージ

- 「謙虚さは回復の土台」: 


12ステップの第7ステップ(自分の短所を取り除いてくださるよう謙虚に求める)に通じます。

- アノニミティ(無名性)の精神:


 AAの伝統である「無名性」は、個人の名前や功績を誇るのではなく、原理を優先することを教えています。


- メッセージ: 


「奉仕は自慢の道具ではない」。


良い貢献とは、誰かに認められるためではなく、自分のソブライエティ(しらふの継続)と仲間のために無私で行われるべきものであるという教えです。

 
「小さな私」でいることは、一見弱く感じられるかもしれませんが、実は最も折れにくい強さを持っています。


最近の生活の中で、ふと「自分を大きく見せたい」という誘惑にかられた瞬間はありましたか?


ありのままの自分を受け入れているか?


「ありのままの自分を受け入れる」というテーマは、先ほどまでの「恨みの解消」や「謙虚さ(小さな私)」という教えを実践する上での、最も重要な**「土台」**となる問いです。

ポイントと解説

- 「ありのまま」は「今のまま」を認めること: 理想の自分になろうとしたり、過去の過ちを消そうとしたりするのではなく、今の自分の「弱さ、狡さ、醜さ」も、同時にある「良心、温かさ」も、すべてパッケージとして認めることです。
- 否定も肯定もしない観察: 「自分はダメだ」と否定することも、「自分はすごい」と肯定することも、実はエゴの働きです。ただ「今、こうである」という事実をジャッジせずに見つめることが、真の受容です。

考察と内省

- 考察: なぜ私たちはありのままを受け入れられないのでしょうか。それは「ありのままの自分では愛されない、価値がない」という恐怖があるからです。しかし、AAやスマナサーラ長老の教えが示すのは、「ありのままの自分を認めない限り、本当の変化(回復)は始まらない」という逆説的な真理です。
- 内省: 私は、自分の嫌いな部分を隠すために、見栄を張ったり(自慢)、誰かのせいにしたり(恨み)していないか? 自分の「欠点」を直そうとする前に、まず「それが自分の一部である」と優しく抱きしめることができているか?

問題と解決

- 問題: 自己一致の欠如。 「理想の自分」と「現実の自分」のギャップがストレスを生み、その苦しみから逃れるためにアルコールや怒り、虚栄心に逃避してしまいます。
- 解決: 「降伏(サレンダー)」。 自分の力で自分を完璧にコントロールしようとするのをやめることです。「自分はこの程度の人間である」と良い意味で諦めることが、心の平穏をもたらします。

霊的目覚めと回復への導き

- 目覚め: ありのままの自分を受け入れることは、自分の中にある「ハイパワー(大きな力)」や「仏性(真理)」に気づくことと同じです。泥の中に蓮の花が咲くように、自分の不完全さの中にこそ、真実が宿っています。
- 導き: 回復とは「素晴らしい別人になること」ではなく、「本来の自分に帰ること」です。取り繕うのをやめたとき、人は初めて他者と深く、正直につながることができます。

AAの原理とメッセージ

- 「正直(Honesty)」: ステップ1で「無力」を認めることは、ありのままの絶望的な状況を直視することから始まります。これがなければ回復のスタートラインに立てません。
- 「今日一日」の受容: 未来の不安や過去の悔恨ではなく、「今の自分」に集中することは、ありのままを受け入れる実践そのものです。
- メッセージ: 「私たちは神(ハイパワー)の欠陥商品ではない」。欠点も含めて、今の自分は「あるべきプロセスの中にいる」と信じることが、AAにおける霊的な安らぎです。

 

ありのままの自分を受け入れようとしたとき、あなたの心の中で「これだけは認めがたい」と抵抗を感じる部分はどこにありますか?



黙想

生きることは時に果てしなくしんどく思われることがある。きょうも多くの人々が苦しみ疲れている。周りにいる他の人々の重荷に無関心であることはよくない。重荷に苦しむ人が私を訪れた時、私が見い出した安らぎをその人も見い出せるように援助したい。人の苦悩に対する唯一の確かな癒しはスピリチュアル (霊的)な事柄に目を向けることである。苦しみにとらわれた心を神の存在に気づかせるよう援助するために、私は敢えて困難を受け止め、自分の中の自己愛を克服し、あらゆる苦しみに直面した時にも平安が私の心を満たしているように訓練したい。


この「黙想」のテキストは、個人の救済を超えて、**「他者への献身と自らの霊的訓練」**という、回復のより高い次元(ステップ12の精神)を表現しています。

ポイントと解説

- 相互扶助の精神: 自分が得た「安らぎ」を自分だけのものにせず、重荷を背負う他者に分け与える決意です。これはAAの「分かち合い」の根幹です。
- 唯一の癒しとしてのスピリチュアル: 物理的な解決(お金、環境、酒を止めることだけ)ではなく、物事の捉え方や大いなる力とのつながり(霊的な事柄)にこそ、根本的な癒しがあると定義しています。
- 自己愛の克服: 自分の苦しみにばかり目を向ける「自己愛(エゴ)」を、他者を助けることで克服しようとするパラドックス(逆説)の実践です。

考察と内省

- 考察: 「困難を敢えて受け止める」とは、人生から苦しみが消えることを願うのではなく、苦しみの中でも「平安」でいられる力を養うという、非常に能動的な姿勢です。
- 内省: 私は今日、自分の悩みだけで頭がいっぱいになっていないか? 他者の苦しみに気づく心の余裕があるか? 私がこれまでのプロセスで見出した「安らぎ」を、言葉ではなく「態度」で示せているか?

問題と解決

- 問題: 孤立と自己憐憫(じこれんびん)。 「自分だけが苦しい」という思い込みが、心を閉ざし、他者への無関心を生みます。
- 解決: 「利他的な行動と訓練」。 他者の援助をすること自体が、実は自分の心を「自己愛」という檻から解放する最大の解決策(セラピー)になります。

霊的目覚めと回復への導き

- 目覚め: 自分の平安が「周囲の状況」に依存しなくなったとき、真の霊的目覚めが訪れます。嵐の中にいても、心の中に神(ハイパワー)の静寂がある状態です。
- 導き: 苦悩を癒すのは「理屈」ではなく、「共感とスピリチュアルな気づき」への同伴です。自分が訓練を積むことで、他者にとっての「光」となることが、自らの回復を完成させます。

AAの原理とメッセージ

- 「運ぶ(Carrying the Message)」: ステップ12の「このメッセージをアルコホーリクに伝え、また私たちのあらゆる歩みにおいてこの原理を実践するように努めた」という誓約そのものです。
- 「愛と奉仕」: AAにおいて奉仕は義務ではなく、自分を生かしておくための「生命線」です。
- メッセージ: 「あなたが救われたのは、まだ苦しんでいる誰かを助けるためである」。自分の過去の苦しみさえも、他者を援助するための「貴重な道具」に変わるという、救済のメッセージです。

 

この黙想にあるように、他者の重荷を共に背負おうとするとき、あなたは自分の中にどのような「平安」を感じますか? あるいは、どのような「自己愛」が邪魔をすると感じますか?


祈り

絶望を味わっている人の目を、あなたに向ける援助ができますように。絶望から光に向かう道を知らない人々に、手を差し出す勇気を与えて下さい。



この短くも力強い「祈り」は、AAの精神における**「橋渡し役としての使命」と、自らの「霊的な謙虚さ」**を象徴しています。

ポイントと解説

- 媒介者としての役割: 「私が救う」のではなく、「絶望している人の目を、あなた(ハイパワー)に向けさせる」という表現が重要です。自分はあくまで道具(チャンネル)に過ぎないという謙虚な自覚があります。
- 勇気の要請: 絶望の淵にいる人に手を差し出すことは、相手の暗闇に触れることであり、恐怖を伴います。そのために、自分の力ではなく、大いなる力からの「勇気」を求めています。
- 絶望から光への転換: どん底(絶望)こそが、霊的な光(回復)へ向かうための反転攻勢の場であることを示唆しています。

考察と内省

- 考察: 「絶望」を知っている者だけが、同じ絶望の中にいる人の「光への道」に説得力を持って同行できます。この祈りは、自分の過去の痛み(絶望)を、誰かのための希望に変えるための「聖なる錬金術」の願いです。
- 内省: 私は、苦しんでいる仲間に「自分の意見」を押し付けていないか? ただ、相手が「大きな力」を信頼できるように、静かに手を差し伸べられているだろうか?

問題と解決

- 問題: 無力感と無関心。 相手の絶望が深すぎると、自分には何もできないと諦めたり、関わるのを恐れて目を背けたりしてしまいます。
- 解決: 「祈りを通じた行動」。 自分の無力さを認めた上で、ハイパワーの力を借りて「勇気」を出し、ただ隣に寄り添うこと。解決を与えるのではなく、「光の方向」を指し示すことが解決への一歩です。

霊的目覚めと回復への導き

- 目覚め: 絶望のどん底で、自分の目が「自分自身(エゴ)」から「あなた(神・真理・ハイパワー)」へと向けられた瞬間、それが霊的目覚めの始まりです。
- 導き: 回復とは、暗闇を消し去ることではなく、暗闇の中で「光に向かう道」を見つけ出し、そこを歩き続けることです。

AAの原理とメッセージ

- 「スポンサーシップと12ステップの精神」: 自分が受け取った恩恵を、絶望している新しい仲間に無条件で手渡す(Pass it on)というAAの伝統的なメッセージです。
- 「神の道具となる(Instrument of Peace)」: 聖フランシスコの祈りにも通じる、「私をあなたの平和の道具として使ってください」という自己滅却の原理です。
- メッセージ: 「一人で苦しまなくていい」。かつて絶望の中にいた私たちが、今は光の中にいるという事実そのものが、今苦しんでいる人にとっての最大のメッセージとなります。

 

絶望の中にいる誰かに手を差し出そうとするとき、あなたの心にはどのような「ためらい」や「勇気」が湧いてきますか?