皆様はよく本を読まれる方ですか? 神経質者の会の方々は本好きな方が多いようですが、それでも良く読むのは小説であったり、自分の好きな分野の本であったりします。勿論それで良いのですが、時には「難しい本」や「分からない本」に挑戦してみるのも面白いかもしれません。
例えば哲学書とか宗教書などはいかがでしょう。「難しくてさっぱりわからん」と言う方が多いかと思いますが、何回も何回も読んでいくうち、理解できるところが出てくるかもしれませんよ。
ただ読み流すのも良いのですが、出来れば「著者は何を言いたいんだろ」とか、「どうしてこんな表現をしたのだろう」などと推論しながら読むと、もっと面白くなるかもしれません。
ここで注意を一つ。これは決して読書量を増やそうという試みではありません。また、速読の技術を磨いてもらおうと言うことでもありません。
それはボジティブ・ケイパビリティの物差しです。ここでは決して読書に達成度や効率は持ち込みません。ただ「分からない時間」を楽しんでほしいのです。迷子の子供のように、本の中を何回も何回も行ったり来たりしてください。わからなければわからないほど、「分かった」時の感激がひとしおになるのですから。
ちなみに私の場合は、「国語辞典」を愛読しています(笑)。言うまでもなく国語辞典とは単語や言葉の意味を調べるためのもので、決して「読む」ものではありません。もちろん私も調べるために使う方が多いのですが、ただ「読物」として、「あ」から読んでいくのもなかなか面白いのです。わからない言葉はその場でわかりますし、言葉の由来なども詳しく載っていたりします。これがなかなかの蘊蓄話になるのですね。
分からない単語や言葉を調べるのは、ほとんどの方はスマホかPC
だと思います。確かに便利なのですが、調べた言葉しかわかりませんよね。その点、本の国語辞典ですと、調べた言葉の前後の眼に入りますので、スマホやPCの数倍の知識が得られるんです。通信代もかかりませんし、こちらの方がお得ではないでしょうか。
法隆寺に佐伯定胤と言う高僧がおりました。彼は講師として地方から学びに来た学僧たちに学問を教えていました。しかし彼の講義は中々に難しく、どうしても理解できない学僧は、自分の頭の悪さを嘆いて、地方に帰りたいと、定胤に相談しました。すると定胤は、
「千日聞き流しせよ」と答えました。わからなくてもいいから、とにかく聞き流していなさい。その中にきっと理解できる言葉が現れるはずだ。それを後生大切にしなさい。と、学僧に伝えたそうです。
「分からない」ことは決して恥ずかしいことではありません。わからないからこそ、「不思議だなぁ」と、素直に感動できるのです。大人の皆様! これは貴重な体験ですよ。
参考および引用・・・「答えを急がない勇気」、「笑って死ぬヒント」