九代目七右衛門の徒然日記 -6591ページ目

白馬 利根川蕎麦店

脊椎狭窄症のリハビリに行っていた爺さん婆さん(両親)と、白馬診療所で待ち合わせをしました。
九代目七右衛門の徒然日記

11時半には終わると言っていたので5分前に着いたのですが、なかなか出てこないので、診療所の周辺を散策しました。この診療所は、祖父の弟が開業したので、病院の前に記念の石碑があります。大叔父の俳句「ほだの火に温めて当つる聴診器」と書いてあるのですが、ほだの火というのは囲炉裏の火の事で、もちろん我家の囲炉裏の火の事を挿しています。私が小学校2年まで、大叔父の母親である、私の曾祖母が生きていたので、何度となく家に来て診察をしていました。その時の事を今でも覚えています。
九代目七右衛門の徒然日記

12時過ぎになってようやく両親が出てきました。どこに昼飯を食べに行こうかというので、6月4日のブログで紹介した、白馬駅前の万国屋に行きたいと言ったところ、辛いものは駄目だというので、4月17日のブログで紹介した飯森地区も茅葺き屋根の蕎麦屋「利根川」に行くことにしました。国道148号線を北に向かって走り、飯森に入ってすぐ右側に大きな看板が見えてきます。
九代目七右衛門の徒然日記

塩の道から行くと、このような看板が目印です。
九代目七右衛門の徒然日記

4月に茅葺き屋根の葺き替えが半分終わったばかりの建物です。江戸時代末期から明治時代初期に建てられた木造2階建ての茅葺き屋根の古民家で、家主の南澤達也さんが隣に新築して空き家になっていたものを店主の利根川篤鋭さん(38)が、2年前に借りて蕎麦屋を開業したそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

早速、車を降りて中に入ろうとしたところ、「臨時休業」の看板が出ていました。残念でした。
九代目七右衛門の徒然日記

利根川さんは東京都出身ですが、須坂市や長野市で蕎麦打ちの修行を重ね、2年前に開業したお店で、けっこう評判のお店のようですので、次に帰省した折には、また寄ってみようと思います。
九代目七右衛門の徒然日記

通常なら定休日は毎週火曜日と、第2第3水曜日。営業時間は午前11時から午後4時までだそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

白馬帰省初日の我が家

田植え 以来、約1か月ぶりの我が家です。上の田んぼの苗もすくすく育っていました。
九代目七右衛門の徒然日記

畑の野菜も、大きくなってきています。
九代目七右衛門の徒然日記

庭には菖蒲が咲いていました。
九代目七右衛門の徒然日記

ジャガイモの花です。真っ白い綺麗な花で、花が散るとプチトマトをさらに小さくしたような実が出来ます。
九代目七右衛門の徒然日記

紅白の大きな牡丹が咲いていました。雨がまた激しくなってきました。
九代目七右衛門の徒然日記

家に入ると爺さん婆さん(両親)が待っていました。しばらくお茶を飲んで一休みすると、爺さん婆さんは脊椎狭窄症のリハビリで、白馬診療所に向かいました。私は少し家の周りを見て歩きました。庭の蕗です。
九代目七右衛門の徒然日記

西側の駐車場には百日草が植えてありました。
九代目七右衛門の徒然日記

西側の茅葺き屋根の修理が終わっ たところです。
九代目七右衛門の徒然日記

北側の茅葺き屋根の修理の跡です。
九代目七右衛門の徒然日記

その後は、合羽を着て、家の周りを中心に草刈りをしました。
九代目七右衛門の徒然日記

爺さん婆さん(両親)のリハビリが11時半に終わるというので、11時20分で仕事を切り上げ、一緒に外で昼食をとるために軽トラで白馬診療所に向かいました。
九代目七右衛門の徒然日記

白馬スノーハープ内「ホタルの里」

クロスカントリー競技場「白馬スノーハープ」の敷地内に、ゲンジボタル生息地「ホタルの里」があります。
九代目七右衛門の徒然日記

私の実家のある内山地区の21会(21件で21世紀にはばたく会です)の方々が、ウッドチップを敷いた遊歩道を整備し、花を植え、ホタルの餌であるカワニナを増やして、ゲンジボタル3千数百匹が乱舞するという「ホタルの里」をつくり、今では白馬村のイベントにも紹介されるようになった場所です。
九代目七右衛門の徒然日記

今日も沢山の花が咲いていました。昼間行っても楽しめる場所です。
九代目七右衛門の徒然日記

ちょうど軽トラに乗って近所の人が来たので、様子を聞いてみました。今年のゲンジホタル観察会は来週27日から約1か月間の予定で、昨夜も何匹か飛んでいるのが見えたとの事でした。夜中でも道に迷わないように、ビニールテープで歩道をセパレートしてありました。
九代目七右衛門の徒然日記

21会の案内人の人たちが詰める、受付のテントも出来ていました。今年も大勢の方々で賑わう事でしょう。

九代目七右衛門の徒然日記

注意書きの看板も新しくなっていました。「懐中電灯には赤いセロハンを貼って下さい。」「フラッシュ撮影厳禁」は守って下さいね。
九代目七右衛門の徒然日記

実家ホームページホタル里」案内掲載てい のですが、先日、白馬村観光局より掲載されている問い合わせ先に電話しても通じないという苦情が何件かあったので削除してほしいという連絡があったそうで削除しました。とくダネ!で放送された頃 には1日40件前後のアクセスがあった我家ホームページ ですが、最近では1日のアクセスは数件となってしまいました。それでも見てくれている人がいるという事はありがたいことです。間違った電話番号を掲載していたことを、この場をお借りしてお詫びします。

ホタルの里から出てしばらく歩いたところに我家の畑があります。すでにカボチャの苗が植えてあり、今日、白馬の婆さんがここに大豆と小豆の苗を植えるそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

先月、田植えをした田んぼも、苗は元気に育っていました。
九代目七右衛門の徒然日記

ここから坂道を30mほど上ると我家です。

名水百選「姫川源流自然探勝園」

荒神社から坂道を下っていくと、そこはもう姫川源流です。前回 すっかり緑が増えていました。
九代目七右衛門の徒然日記

鳴沢川に架かる新しくなった「かたくり橋」です。
九代目七右衛門の徒然日記

ぺんしょん「りこぼ」には、本日休日の看板がかかっていました。
九代目七右衛門の徒然日記

ヤブテマリです。もう花は終わっていました。
九代目七右衛門の徒然日記

バイカモは、前回よりさらに増えて、水面を埋め尽くしていました。
九代目七右衛門の徒然日記

梅花藻というだけあって、梅の花にそっくりです。
九代目七右衛門の徒然日記

これほど川の源流が明確になっているところは、全国的にも珍しいそうです。あちこちから水が湧き出していて、
九代目七右衛門の徒然日記

あっという間に大きな流れになっていきます。姫川の元々の水源は青木湖でしたが、過去に佐野坂の地すべりによって堰き止められて現在に至っているそうで、湧水は青木湖からの水であるという説があります。青木湖の水面は、標高822m、姫川源流の標高は750mで、約70mの差があります。青木湖も流れ込む川は無く、湧水のみの湖です。
九代目七右衛門の徒然日記

名水百選の碑です。
九代目七右衛門の徒然日記

まだ雨がポツポツ降っていました。姫川源流から見た北アルプスは、暑い雲に覆われていました。
九代目七右衛門の徒然日記

白馬さのさかスキー場も霧に煙っていました。
九代目七右衛門の徒然日記

姫川源流 荒神社

親海湿原から姫川源流に向かう途中には「荒神社」という神社があります。
九代目七右衛門の徒然日記

この神社は、甲斐源氏の流れをくむ長澤伊勢守源長信が、正安2年(1300年)に出雲大社にお願いして建てた神社で、その後一時荒廃したものを、弘治2年(1556年)長信の子孫、長澤弥兵衛信正が再興し、さらに嘉永6年(1853年)長澤佐五衛門と同族12名によって改築され、現在に至っているそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

姫川源流は、昭和50年代に整備されるまでは「荒神の清水」と呼ばれて人々に親しまれていたとの事で、塩の道を行き交う人々はここで喉をうるおし、荒神社に旅の無事を祈ったと書いてありました。私も長旅の無事をお願いして、姫川源流に向かいました。
九代目七右衛門の徒然日記

親海湿原(およみしつげん)

8時に南神城駅を降りると、雨はかなり小降りになっていました。今回も親海湿原 姫川源流 に寄っていくことにしました。親海湿原に向かって歩いていくと、ペンションりこぼの前を流れる鳴沢川に架かる「かたくり橋」が新しくなっていました。
九代目七右衛門の徒然日記

ここが親海湿原と姫川源流の分岐です。
九代目七右衛門の徒然日記

親海湿原は、カキツバタは1番花は終わり2番花が咲き出していました。
九代目七右衛門の徒然日記

道沿いの開花は少なかったのですが、
九代目七右衛門の徒然日記

奥の方にはたくさん咲いているのが見えました。
九代目七右衛門の徒然日記

さらに歩いていくと、木道沿いにもたくさん咲いていました。
九代目七右衛門の徒然日記

カキツバタが終わると、ヤナギトラノオ、クサレダマが咲くようです。10月まで色々 が楽しめる湿原です。
九代目七右衛門の徒然日記

大糸線 平岩駅 大所川発電所

平岩駅(ひらいわえき)で15分の待ち合わせがありました。雨も小降りになってきたので、外に出てみました。
九代目七右衛門の徒然日記

駅舎はホームより低いところにあります。
九代目七右衛門の徒然日記

駅舎です。1995年(平成7年)7月12日に水害 により、駅構内および姫川に掛かる橋梁が流出するという災害が発生し、列車の運行が休止状態になってしまいました。1996年(平成8年)1月16日からは、平行する国道148号の復旧に伴い、不通区間のバス代行輸送を開始し、1997年(平成9年)11月29日に、約2年4か月ぶりに全線復旧し運行を再開しています。この日の水害では、私の実家と、小谷村にある祖母の実家も被害にあったという苦い思い出があります。
九代目七右衛門の徒然日記

駅前には白馬温泉の先、当分の間通行止めという看板がありました。災害からずっと開通していないのでしょうか?
九代目七右衛門の徒然日記

平岩駅は、蓮華温泉行きバスの乗換駅であり、白馬岳登山の入り口です。蓮華温泉まで21.6㎞という看板がありました。
九代目七右衛門の徒然日記

駅から出て左に行くと、大所川橋という橋がありました。この道は旧148号線で、上に見えるのが新しい国道です。その奥にはまだ雪をかぶった白馬岳と蓮華岳の下の方が少し見えました。
九代目七右衛門の徒然日記

大所川橋を渡って少し行った左側に発電所が見えてきました。
九代目七右衛門の徒然日記

電気化学工業の大所川水力発電所と書いてありました。
九代目七右衛門の徒然日記

大正12年(1923)12月に運用開始したという古い水力発電所です。
九代目七右衛門の徒然日記

認可最大出力8400kW、常時出力:3300kW、最大使用水量:7.37立方メートル毎秒、有効落差:146.36メートルという規模です。
九代目七右衛門の徒然日記

出発時刻になったので、駅に戻りました。この付近には、車窓からもたくさんの水力発電所が見えました。
九代目七右衛門の徒然日記

大糸線 キハ52気動車

糸魚川駅からは大糸線のキハ52気動車 で南小谷に向かいました。キハ52には旧国鉄時代の色の3種類の気動車が(5月16日の記事参照 )あります。糸魚川駅の改札を入ると、キハ52の標準色(オレンジ、クリーム色)と、首都圏色(オレンジ)が止まっていました。
九代目七右衛門の徒然日記

今まで乗ったのはこのどちらかだったのですが、今日乗るのは、横須賀色(紺色とクリーム色)でした。
九代目七右衛門の徒然日記

2番ホームに行くと、横須賀色が止まっていました。他の暖色系2色と比べると引き締まった感じです。
九代目七右衛門の徒然日記

車内には3人しか乗っていませんでした。
九代目七右衛門の徒然日記

定刻通り6時4分に糸魚川駅を出発しました。糸魚川駅は売店はまだ営業しておらず、近くにコンビニもないため、今までは駅のホームでカロリーメイトを買って食べていたのですが、今日は途中でパンを買ってきたので、ホットコーヒーを買って朝ご飯にしました。
九代目七右衛門の徒然日記

車内は、終点の南小谷まで、私を含めて4人しか乗客はいませんでした。
九代目七右衛門の徒然日記

後方の窓から見た景色です。思わず「線路は続くよどこまでも」を歌いたくなるような光景でした。
九代目七右衛門の徒然日記

糸魚川駅 史跡相馬御風宅

朝、5時28分に糸魚川駅に到着しました。雨降りです。
九代目七右衛門の徒然日記

ここで36分間の待ち合わせがあるので、いつもだと海を見に行ったり前回は天津神社 を見に行ったりしていたのですが、雨の中を動くのも億劫だと思い、駅前をぶらぶらしていました。
九代目七右衛門の徒然日記

駅前広場に石碑があるので見てみると、相馬御風と書いてありました。
九代目七右衛門の徒然日記

相馬御風は、早稲田大学校歌「都の西北」、日本初の流行歌「カチューシャの唄」、童謡「春よこい」など、今も日本中で愛されている名曲の作詞者で、糸魚川出身だそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

相馬御風にちなんだ何かがあるのかと思い、駅にあった地図を見てみると、駅前のアーケードから少し入ったところに「相馬御風生家」というのがあるようなので行ってみる事にしました。
九代目七右衛門の徒然日記

アーケードのタイルにも道順が書いてあったので、すぐにわかりました。
九代目七右衛門の徒然日記

糸魚川駅から3個目の信号、駅前海望公園を右に曲がります。
九代目七右衛門の徒然日記

この駅前海望公園にも相馬御風の歌碑がありました。
九代目七右衛門の徒然日記

2個目の路地の左側が相馬御風生家でした。
九代目七右衛門の徒然日記

御風記念館と書いてありました。
九代目七右衛門の徒然日記

相馬御風宅は昭和27年12月10日、新潟県の史跡として指定されたそうです。御風が日本文学界の発展と良寛研究に尽くした業績を永久に保存するため、家屋を当時の姿のまま残していると書いてありました。
九代目七右衛門の徒然日記

入館時間は午前9時から午後4時までで、入館料は100円だそうです。入館したい人は向かいの建物を訪ねて下さいと書いてありました。相馬伴治と書いてあったので、御子孫の方でしょうか。
九代目七右衛門の徒然日記

御風(本名相馬昌治)は、明治16年7月10日、新潟県糸魚川町大字大町(現在の糸魚川市大町2丁目)で、糸魚川町長も務めた父徳治郎と母チヨのひとり息子として生まれたそうです。相馬家は代々社寺建築を生業とした旧家で、相馬家一族による建築物は糸魚川市内に数多く見られるとの事です。
九代目七右衛門の徒然日記

御風は、明治・大正・昭和の三代にわたり叙情歌人、詩人、随筆家、小説家、自然主義評論家、作詞家と、文芸全般にわたって活躍したそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

また、収蔵されていた資料は糸魚川歴史民俗資料館に保存し、調査・研究や展示等に利用しているとの事でした。
九代目七右衛門の徒然日記

入口には「振る舞い茶会」というポスターが貼ってありました。バタバタ茶は、糸魚川地域に古くから伝わる「たて茶」のひとつで、この風習を受け継ぎ、広めるために活動している「バタバタ茶の会」という団体があり、会では、より多くの皆さんからバタバタ茶を味わっていただくため、6月から10月の第一水曜日にここ相馬御風宅で「振る舞い茶会」を開いているそうです。このバタバタ茶については、相馬御風も一人雑誌「野を歩む者」の中で、「私達のまちに昔からタテ茶という珍しい風習がある。今なお最良風習となっている。私はこの風習を大に宣伝したく心がけている。」と述べているそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

通りに戻ってくると、バンビーノという洒落たカフェがありました。
九代目七右衛門の徒然日記

アーケードの途中に糸魚川てくてく地図のいう手書き風の地図があったので見てみました。糸魚川では塩の道を別名「白馬通り」というそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

急行「きたぐに」で白馬に帰省

明日、明後日と会社が停電で休みになったので、白馬に帰省しました。仕事が終わってすぐに社宅に帰って、シャワーをあびて出発。夕食は広島駅の「つけ麺本舗 ばくだん屋 広島駅新幹線口店」で食べました。ばくだん屋のつけ麺は広島名物で、腰のある麺と、少し辛めのたれがポイントです。辛さは0から20倍まで選べますが、わたしは辛いのが苦手なので1倍にしました。
九代目七右衛門の徒然日記

新大阪からは今回も急行「きたぐに」に乗りました。

九代目七右衛門の徒然日記

(過去記事は昨年5月20日今年の3月13日4月3日5月16日
九代目七右衛門の徒然日記

前回、前々回と寝台車に乗ったので、今回は節約して自由席にしました。
九代目七右衛門の徒然日記

今までは休前日の利用だったので、自由席もわりと人が多かったのですが、今回は平日ということもあってか、お客さんは少なかったです。自由席は1つの車両に2~3人程度の乗車率でした。
九代目七右衛門の徒然日記

ボックス席ですが、通常の列車と比較してかなり広く、ヘッドレストも高いです。靴を脱いで足を投げ出すと、けっこう快適に眠る事が出来ます。
九代目七右衛門の徒然日記

窓側にも紅色の肘あてがありました。
九代目七右衛門の徒然日記

反対側の座席に足を投げ出して、ボックス全体を使って熟睡する事ができました。