九代目七右衛門の徒然日記 -6593ページ目

夢の庭画廊ローズガーデン鑑賞会

2時半に上田市の塩田平に到着しました。駐車場の上には大きな茅葺き屋根の寺、前山寺(ぜんざんじ)が見えました。
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駐車場の横のトイレです。夢の庭ギャラリー夢庭窯この下2分という看板がありました。
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坂道を下って行くと右側に夢の庭が見えてきました。
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ギャラリー夢の庭陶の建物です。
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ご主人の小澤さんとと奥様が出迎えてくれました。
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小澤さんのとても楽しいお話が始まりました。600坪の庭に200種類のバラが植えられているそうです。
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この白い花はナニワノイバラといって、消毒しなくても良い花だそうです。
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このアーチはサマースノーという薔薇で、1本の根からこれだけのバラが育っているそうです。
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アーチをくぐると、ウッドチップを敷いた庭が広がっていました。
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2009年に上田市の都市景観賞を受賞したとの事で、モニュメントがありました。
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小澤さんから「どこを歩いても良いですよ。」というお話がありましたが、園内には迷路のようにたくさんの道がありました。
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新雪という薔薇もありました。
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小澤さんは68歳と聞き、びっくりしました。とても若々しい方でした。
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サマースノーのピンクは珍しいとの事でした。
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海野宿(うんのじゅく)


食事の後は海野宿(うんのじゅく)を散策しました。海野宿は1625年(寛永2年)に、北国街道の宿場として、江戸幕府によって設置されたそうです。約6町(約650m)にわたり街並みが続き、佐渡の金の江戸までの輸送、善光寺までの参拝客や、北陸諸大名の参勤交代などで利用され賑わっていたそうですが、明治時代には鉄道網の発達により宿場町の利用客が減った為、養蚕業を主に行っていたとの事です。
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海野宿の町並み宿場町開設以前は、海野郷や海野庄などと呼ばれ、東信濃の豪族滋野氏やその嫡流に当たる海野氏の領地として栄え、宿場町開設以前から集落が形成されていたそうです。木曾義仲が挙兵した地や海野平の戦いがあった地、海野氏の子である真田幸隆やその兄弟の出身地とも言われており、1583年には上田城城下町を形成する為に、海野から上田に人を呼び寄せた為、集落を縮小され宿場町開設に至ったとの事でした。
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右手に資料館がありました。
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この建物は江戸時代の寛政年間(1790年頃)に建てられた旅籠屋でしたが、明治時代に入ってからは旅籠屋造りを残したまま養蚕農家として利用したそうです。自由時間は15分間との事で、今回は立ち寄る事が出来ませんでした。
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道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは、歴史のふる里をを想わせる静かなたたずまいを感じさせてくれました。
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1987年(昭和62年)に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、
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1986年(昭和61年)には「北国街道」が日本の道100選に選ばれているそうです。
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「本うだつ」は江戸時代のもの、「袖うだつ」は明治時代のものだそうです。どちらも富裕な家でなければできるものではなかっとことから「うだつがあがらぬ」という言葉が生れたとの事です。「海野格子」と呼ばれている格子は江戸時代のもので、2階の出格子に見られ、長短2本づつ交互に組み込まれ、海野宿特有の美しい模様を織りなしています。「出桁」は江戸時代の旅籠屋造りのもの、「気抜き」は明治時代の蚕室造りの象徴だそうです。
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2時に駐車場に集合して、次の目的地である上田市に向かいました。

海野宿 手打ちそば 福嶋屋

アメーバイチ押しグルメ情報 グルブロ 参加中
九代目七右衛門の徒然日記 福嶋屋
住所:長野県東御市本海野1121
電話番号:0268-62-0514
評価:【 4 】

午後1時過ぎに海野宿に到着しました。
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昼食は蕎麦屋さんの福嶋屋で食べました。
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福嶋屋の建物は、大正初期のもので築100年だそうです。
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外で待っている人もいましたが、我々22人分の席は準備されていました。用意して頂いた食事は、もりそば おはぎセット1100円でした。
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最初にくるみおはぎが出てきました。
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信州産のくるみを使用したタレをからめた名物のくるみおはぎはとても美味しかったです。
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蕎麦は、地元産の食材にこだわり、信州産の石臼挽きそば粉を使用した二八そばだそうです。自家栽培の無農薬野菜を漬けた旬のお漬物も付いていました。
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食事が終わる頃、福嶋屋ご主人の矢嶋直さんが出て来て話をしてくれました。海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設されたそうです。
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前を流れる川は、飲み水であり、生活水であったそうです。
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私が写真を撮っていると、ご主人が、ここを撮るようにと言って、器や生地を飾った箪笥と、
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火鉢越しに格子から外を見る場所に案内してくれました。
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歴史を感じる、重厚な雰囲気のお店でした。
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ガーデニングと民家 パトリシア邸

ローラ邸の次は、ローラ邸から徒歩で5分ほどのパトリシア邸に案内して頂きました。上の道からは2階部分だけが見えました。
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アメリカ人のパトリシアさんとご主人のマークさんが出迎えてくれて、お話を聞くことが出来ました。
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この地域の公民館(古民家)を移築した建物だそうです。パトリシアさんは、公民館が解体されることを聞き、解体しないでほしいと訴えたのですが解体することが決まり、それなら引き取ると決めて、自宅に移築再生したとの事でした。
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入口です。
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天井には竹が張ってありました。
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油圧シリンダー手動式の薪割り機がありました。
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古い自在鉤(じざいかぎ)もありました。
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これは下駄箱だそうです。
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薪ストーブです。
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マークさんの秘密の作業場との事でした。
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この部屋の天井も竹が張ってありました。
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火鉢を利用したテーブルです。
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品の良い茶箪笥です。
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建具を外すと一部屋になる広い空間です。
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小学校から譲り受けたという木の机です。
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トイレは板張りで、木の香りが漂っていました。
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風呂も木の蓋でした。
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作業部屋の奥には石が積んであったり、
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瓦を使用した土壁がありました。
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2階に案内して頂きました。
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2階の居間は大きな梁がすべて見えるオープンな部屋になっていました。
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当初は家の中央に階段があったそうですが、部屋を広く使うために押入れを潰して階段を移設したそうです。
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太い梁です。
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薪ストーブの煙突が、2階まで突き抜けていました。
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ここでみんなで座って、パトリシアさんとマークさんのお話を聞きました。
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窓際には鏡台がありました。
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ご主人のマークさんは小さいころから日本で育ったそうです。
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パトリシアさんは、日本人より日本の事を良く勉強されている方でした。
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移築再生時の
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写真を見せて頂きました。
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お二人の楽しい話にみんな聞き入っていました。
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近くでとれた、加工用の石だそうです。
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奥様はホテルオークラの季刊誌や
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全日空のウイングなどにも日本文化について執筆されているそうです。
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台所は2階にありました。
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畳を敷いた和室です。
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古い箪笥がありました。
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古い茶箪笥と器です。
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机です。
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食器棚です。
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この部屋の畳を敷くのに、ご夫婦が四苦八苦したのに、畳屋さんがあっという間に入れてしまい、びっくりされたとの事でした。
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竹を縛って作った梯子がありました。
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天井を見上げたところです。
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パトリシアさんのお陰でこの古民家が解体されずに済んで本当に良かったです。
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ご夫婦は最後まで熱心に色々説明してくれました。
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これが玄関までのアプローチです。
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ここで和久井さんとはお別れになり、私は本城さんの車に乗せてもらって、海野宿に向かいました。

ガーデニングと民家 ローラ邸

和久井邸からさらに山道を上って、ローラ邸へ到着しました。
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急斜面に建つ家でした。
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ローラさんはイギリスへ帰郷中との事で、ご主人に案内していただきました。
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この建物は、塩尻にあった160年前の本棟造りの古民家を移築されたものだそうです。
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本棟造りは雀脅し(すずめおどし)がシンボルマークです。
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玄関の上には、下屋根がありました。
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入口です。
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玄関です。
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室内は板張りになっていました。
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キッチンです。
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部屋の中央に薪ストーブがありました。
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断熱がきちんと施工されているので、この薪ストーブ1台で快適に生活しているそうです。
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ご主人は陶芸家で、世界の陶芸品が置いてありました。
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天井を天窓からの光で明るいLDKでした。
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読書スペースです。
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天井からの採光のお陰で、古民家にありがちな暗い雰囲気は全くありませんでした。
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北側の部屋です。
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2階へ続く階段です。
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広い和室もありました。
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2間続きです。
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床の間の後ろは窓になっていました。
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ぐるっと回って
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居間に戻ってきました。
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天窓からの採光です。
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弓なりになった梁が見事です。
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玄関を内側から撮ったところです。
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陶芸資材のトラックが入るため、門は広く取ってあるそうです。
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上の道から見下ろしたところです。
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イギリス人の方がお住まいとは思えないほどの、純和風の素敵なお宅でした。

ガーデニングと民家 和久井邸

和久井邸の室内は、古材を使っており、どこかエスニックな雰囲気が漂っていました。
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和久井さんのお話によると、インテルのCMに使われるはずで、何度も下見が行われたのですが、最終的には機材運搬などの都合で、別の場所で撮影されたそうです。
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古い箪笥とミシンです。
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窓からは、庭が一望できます。
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キッチンです。
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半分がロフトになっていて、室内窓がついていました。
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ここは和室です。糸巻きや火鉢が置いてありました。
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和久井さんによると、ここはグリーンシーズンのみ過ごしており、冬は毎年東南アジアで暮らす生活だそうです。
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キッチンストーブです。
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ロフトスペースを見上げたところです。
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2階に続く階段です。
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テーブルも一枚板でとても素敵でした。
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玄関を出たところには、井戸がありました。和久井邸は、何もかもが絵になっている家でした。
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和久井さんと奥様にお礼を言って、和久井邸を後にしました。
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和久井ガーデン

ここからは6台の車に分乗して移動となりました。私は和久井さんの車に乗せて頂きました。和久井さん の自宅でもある和久井ガーデンに到着しました。和久井さんと奥様です。
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ここは和久井さんの自宅兼、苗を育てているところであり、一般には公開はしていないところを特別に見せて頂きました。
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箒に乗った魔女の形をした洒落た風向計がありました。
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この小屋を最初に造ってから、本宅を建てたとの事でした。小さな小屋は庭にあるとアクセントになって良いそうです。
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クレマチスのモンタナだそうです。
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この庭には色んな工夫をしているという事で、早速案内して頂きました。
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ベランダからは室内の様子も見る事が出来ましたが、とても良い雰囲気でした。
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ベランダから見た庭の様子です。
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軒は半分までベランダにかかっていました。
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荒れていた隣の土地にも許可を得て花を植えているそうです。
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葉の色の組み合わせを考えて植えてあるそうです。
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照り返しを防ぐため草屋根にしたとの事です。
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奥まで行ってベランダを見たところです。
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玄関です。古井戸のポンプが置いてありました。
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高台になっていて、とても見晴らしが良かったです。
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エノキです。
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日本ミツバチを飼っているそうです。ミツバチは蘭の匂いに誘われてやってくるとの事でした。
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再び本宅の方に戻って行きました。
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西側から見た全景です。
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雨水を溜めるタンクで、イギリス製だそうです。
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この下駄箱は先日作ったばかりだそうです。
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手前は葱帽子、奥はジギタリスという植物で心臓の薬にもなるそうです。
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アルプス乙女というリンゴの木をエスパリエにしたそうです。
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草屋根を下から見上げたところです。
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こちらにも雨水タンクがありました。
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水やりに使っているそうです。
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クレマチスで、モンタナとテトラローズという種類だそうです。
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奥様がハンモックを持ってきてくれて、和久井さんが木と木の間にセッティングしました。
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早速、一人の方が乗っていましたが、とても気持ち良さそうでした。ガーデンにハンモックは良く似合います。
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2日前に造ったフェンスだそうです。
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苗を育てるスペースとの仕切りとの事でした。
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ホームセンターの建築部材コーナーに売っているコンクリートの中に入れるワイヤーメッシュを利用したそうです。
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道具小屋です。
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ここから振り返ってみた本宅です。
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焚き火をするスペースだそうです。男は焚き火(火遊び)が大好きとおっしゃっていました。()
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東側から見た全景。
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南側から見た全景です。
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コンポストです。
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ビオトープ(地域の動物が来訪して食物や水を補給するなどに資する事が出来て一体として地域の生態系を保護し促進する目的を持った庭やベランダ園芸)です。
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家の中を見せて頂けるという事で、本宅に戻りました。
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ベランダを下から見上げたところです。
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停車場ガーデン 明治時代の建物

この蔵は明治時代の駅の建物の一部であり、元々ここに建っていたそうです。
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明治時代に日本に鉄道が導入されたとき、列車が止まる場所はみな停車場と名づけられたので、この蔵にちなんで停車場ガーデンと名づけたそうです。脇にはニリンソウや、秋田県の寒河江というなのついたサガエギボウシを植えたそうです。
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こちらもロックガーデンです。背の低い植物を集め、ロッキー山脈の一角をイメージして水辺の植物も植えたそうです。
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この池の下には、10tの雨水が溜まる地下タンクを埋めてあり、水やりに使っているそうです。
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カナダオダマキです。ピンクの綺麗な花が咲くそうです。
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香りの花壇です。座るところにはカモミールが植えてあり、座るとクッションになり、ハーブの香りが漂ってくるそうです。
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ナエマ(Nahema)というフランスの薔薇だそうです。下には小諸スミレがありました。バラの新芽には虫がつきやすく、木酢液や海藻エキスなどが虫除けに効果があるそうです。
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ウォールガーデンといって、植物が立体的に楽しめるようにしたそうです。ここに植えてあるのは、コガネノザという寒さに強い植物だそうです。
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園主の中村勝廣さんの紹介がありました。中村さんは多肉植物を45年間に亘って研究してきた方で、日本多肉植物の会の理事を務められており、多肉植物のことなら右に出る人はいないというほどの豊富な知識をお持ちだそうです。
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エッチュウミセバヤ(越中見せばや)といって、人が近寄れないような絶壁や崖に生える貴重な植物だそうです。
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階段に溝を掘って植えており、行政の造る公園では絶対に有り得ない手法との事でした。
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小諸駅 停車場ガーデン

ここ停車場ガーデンのガーデニングを担当された、地元小諸市 和久井ガーデンの和久井道夫さんから説明がありました。
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停車場ガーデンは通称で、正式名称は大手門公園(小諸市民ガーデン)だそうです。運営主体は和久井さんが立ち上げたNPO法人こもろの杜(小諸市から指定管理者として3年契約で運営を受託)敷地面積は1800㎡、建物面積は124㎡、平成21年4月に開園したそうです。
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園内の配置図です。
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300種類の四季の草花をボランティアの協力で育てているとの事でした。
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2009年4月に第19回緑のデザイン賞・国土交通大臣賞(主催:都市緑化基金+第一生命保険相互会社)による緑化助成金800万円によって造られ、3年目を迎えたそうです。設計は、造園家の河合継生さんとの事でした。市の公園になるはずだったそうですが、助成金のおかげで、通常の行政の公園事業ではできなうような凝ったものになっているそうです。
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園芸好きな人が楽しめる庭にしたかったとお話されていました。
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これはウェルカムガーデンで、井戸をイメージして、鉄と古電柱で造ったそうです。ここにはいつも何かの花が咲いているようにしたとの事でした。
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これはジューンベリーといって、6月に真っ赤な食べられる実がなるので、この名がついたそうです。虫が付かず、紅葉も楽しめる木だそうです。
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ベロニカ、オダマリです。
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アルプス乙女というリンゴの木です。この木も虫がつかないそうです。
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ロックガーデンです。日差しの強いところを好む植物を植えているそうです。園主が多肉植物が好きということで造ったそうです。冬は片付けるとの事でした。
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ボーダー花壇です。これはイギリスの手法だそうです。
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コンポストです。ガーデンにマッチするよう、木で造ったそうです。
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信州民家の会 ガーデニングと民家を楽しむ

9時近くなったので、「信州民家の会 信州スタイル 第3弾 ガーデニングと民家を楽しむ」集合場所の停車場ガーデン入口に行ってみました。
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すると「○○さんですか?」と信州民家の会 事務局の本城さんが声をかけてきてくれました。事前にfacebookで友達になっていたのですぐに分かりました。上諏訪で有限会社 田(でん)空間工作所を経営されている方です。第2回の「蔵に暮らす」 で、アトリエ兼住居を紹介されていた新村さんもいらっしゃいました。暖かく声をかけてもらって嬉しかったです。
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参加者の多くは鉄道利用のようで、東京発6:52あさま503号→軽井沢着8:11しなの鉄道快速に乗換 軽井沢発8:39→小諸駅着9:01というルートで来られたようです。
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9時10分に停車場ガーデンに集合しました。今までのJMRAのイベントは男性中心だったのですが、今日はガーデニングがテーマということもあってか、参加20名中、13名が女性でした。
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事務局の本城さんから、本日の説明がありました。今までの民家の会のイベントは、古民家の見学が主だったのですが、本日は古民家になくてはならないガーデニングをテーマにしたとの事でした。信州には都市もあり、農村もあり、高原もあって、別荘地もあり、その土地の気候、風土から制約を受けますが、一方でそれが個性を生み、その土地ならではの景観を生み出しもします。また日本の庭には昔から借景(自然の風景を庭に取り込む)という素晴らしい技法がありますが、残念ながら近頃私達の住む周りから懐かしい里山風景が急速に失われつつあります。民家に取り込みたくなるような美しい信州の景観をいつまでも残したいということで、民家に暮らす方のガーデニング見学会を計画したとの事でした。
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まずは、停車場ガーデンの説明から始まりました。
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