新学期前の休日。
昨日、ある程度、準備をすませることができたこともあり、今日は一日、休養日です。
昨日は温かかったこともあり、今日は軽くミニツーリングでも…と思って9時30分に愛車FATBOY に跨って出発!
このところ忙しかったこともあり、愛車に跨ると気分一新、リフレッシュ!
仕事のことなど、すっかり忘れて自分の時間を堪能できますね。こういう時間が、実は大切。やっぱり、何をするにもストレス解消して取り組まないといけません。
いろんなストレス解消法があるとは思いますが、
今、一番はこれですね!エネルギー発散方式です。
もう一つ私のストレス発散方式として、ものづくり。ものを作り出す脳の使い方は右脳が刺激されるそうです。普段、書類処理などの仕事とは左脳を活発に使っているらしい。左右のバランスをとるといい意味で頭がスッキリする。
学校教育でも主体性だとか、創造力、思考力、判断力、表現力などそれらのバランスをとるような教育がなされているわけですが、それを教えている先生は、知識重視の教育を受けてきた世代。そうなると、知識重視の教育に近づいてしまうんです。
覚えなければいけない。記憶することが大切…。
その例が、ドリル学習…。
同じ問題を2回も3回も繰り返し学習させる宿題って多くないですか?
繰り返すことで、知識が定着するとは思いますが、学習者である子供にとっては、正直飽きがきてしまう。それでも先生に言われるからやらなければならない。だって、やってかないと昼休みに一人でやらなければいけないんですから…。
そうなると、学習することは子供にとって罰になってしまう。だからやるしかない。この繰り返しで、子供たちは先生に怒られないように学習する習慣がついてしまう。すなわち、先生に怒られないことがわかれば、学習をしない。
いかに、学校の学習が、子供たちの学習意欲を低下させているか。
本来、子供たちは知識欲の塊。なぜ?どうして?幼い頃は、子供たちからこな質問を受けた経験のある親御さんは多いでしょう。
教育とは、その子供たちの自然な知識欲を上手にアレンジし、子供達が自ら学びたくなる環境を作るべきなのです。環境を作るのは大人の役目。家庭で、学校で、地域で…。
けれど、学校は国民を統制する機関としての役割を持っている。日本国民としての資質を育てているわけです。日本国民ととしての価値観を身に付け、日本という国を支えることができる国民に育てること。
多くの学校では、一人一人の個性の伸長などが謳われていますが、根本的には今の政府が考えるこれから我が国で必要になる人材の育成が最も求められる教育なのです。近年は、経済界からの圧力からなのか、国際的な情勢の問題なのか教育の外からの影響を多分に受けている。
学校教育は、結局、政治的、経済的、国際的な影響を受けつつ、変化していくものなのです。一方で、子供たちが学ぶべき普遍的な学習内容もある。その折り合いをつけながら、学校教育は構成されていくわけです。
つまりは大人が考えた必要な人材に合うように子供たちを長い時間をかけてプログラミングしていくことが学校教育とも言えるわけです。従順で、指示を理解して、活動できる人材。これは、日本の工業化を支えるために考えられた日本人像です。
そして現在、高度情報通信社会となり、知識基盤社会(インターネットなど必要な知識は情報として学校からだけでなくとも入手できる社会)。求められる日本人像も大きく変わってきました。
それでもなお、学校は従前の方法論で授業を組み立てている。
そろそろ限界を迎えるのではないですかね。戦後の教育体制のまま。今も進行しているこの状況。40人以上の子供が一つの教室に詰め込まれている現実。教師は少人数指導によってきめ細かな指導ができると主張しているが、予算を盾に実現できずにいる。
求められる人材育成のために、英語教育やプログラミング教育、インクルーシブ教育と詰め込まれる。教師は増えない。やらなければいけないことは増える。
医療崩壊が叫ばれている今ではありますが、学校崩壊、教育崩壊も時間の問題かと…。まあ、誰かの命が失われるわけではないから、政府にとっても急務にはならないんでしょうね。
ただその犠牲者は子供たち…。
それでも、学校では教師の自己犠牲のもと、教育が進められている。そのうち、教師が絶滅するかもしれませんね。
明日から、学校再開。
この機会にいい方向に進めばいいんですけどね。学校教育にとって、本当に必要なものが見え始めているように思います。卒業式や入学式、来賓挨拶…こんなことはなくてもいいことだったわけです。
しっかり本当に学校教育に必要なことにこそ、力を注ぎたいものですね。