「わ!」
「わぁ! びっくりしたぁ。……えーと、そんなところで何をしてるんですか?」
「あ、柏の葉っぱを取ろうとしているんです」
「はぁ、カシワですか。そうですか」
いったんは納得した私は、そのまま展望台に上がり、飽きもせず崖や磯の荒波を眺めては写真を撮った。
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この日、輪島の朝市でおばちゃん達との駆け引きを楽しみつつ土産物を買い込んだ私は、これまた飽きもせずに海岸線に沿って車を進めていた。
<珠洲焼(すずやき)は、釉薬を使わない素焼きだが、鉄分を多く含む土を使うので黒くなり、高温で焼き上げるので灰が自然の釉となって艶が出る。白いご飯が引き立って美味しい!(自分用の土産)>
四国中国地方を旅行した時の記事(花鳥風月編 1)でも書いたが、半島や岬などできるだけ海岸線の際に沿って隅々まで巡るのが好きだ。
能登半島は大きいので、さすがに全部の海岸線を回るのは時間がかかりすぎるし、そもそも険しくて近づけない海岸線もある。
それでも、高速道路や広い国道などはなるべく使わず、スピードを出さずにすむ狭い道をゆっくり走る。そしてキョロキョロする。そういうのが好みなのだ。
その女性を見かけたのは、輪島市街から西へ車でほんの10分ほどの所にある「ゾウゾウの鼻」とかいう小さな見晴らし展望台。
ところが私はそこまで行くのに、30分以上かかっていた。
地図では分からなかったが、県道を外れて小さな岬をぐるりと回る細い道を見かけたので、雑草や不法投棄のゴミをかき分け乗り越えて、たぶん切り通しができる前の古い道だろう、そこに入り込んで波の写真を撮ったりしていたからだ。
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「ゾウゾウの鼻」は地図に載っているとはいえ、数台分の駐車スペースと数平米の木造展望デッキがあるだけ。
ただそこに、若葉マークをつけた軽自動車の先客がいた。
車を駐めたときには、軽の車内にも周辺にも人影はなかったが、カメラをぶら下げて展望台の階段を上ろうとしたときに初めて、階段脇の崖の縁にいる女性に気が付いたのだ。
あちらも車の音に気付いていなかったらしく、びっくりさせてしまったようだ。
そこはいわゆる断崖絶壁……とは言えないだろう、木や下草が生えてはいるものの、しかしかなりの急傾斜。
見た途端に思ったのは、まさか飛び降りなんてことでは!?
しかし一応、質問の答えは返ってきたし、下を覗き込んでいたわけではなく、上を見ていたので安心した。
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写真を撮り終えて階段を降りながら、頭に浮かんだ疑問を彼女にぶつけた。
「あのぉ、カシワの葉って、柏餅なんかに使うものですよねぇ?」
「そうです」
「でも柏餅といえば、端午の節句のお菓子、5月っていうイメージなんですけど、この時期に作るんですか?」
「そうなんです。でも、緑の葉っぱじゃなくて、赤い葉っぱを使って秋らしさを出すんです」
「へぇ~。あ、ちゃんと高枝切り鋏を持ってきているんですね。ああ、確かにこの崖には柏が生えていますねぇ、、、、下の方に向かって何本か」
「ええ、でもなかなか赤いのがなくて、それに傾斜が急すぎて、ちょっと下りてみたんですけど、登れなくなると困るからすぐ上がったところなんです」
「ふーん……」
まあ確かに急斜面ではある。でも、木が1,2mおきに立っているし、イラクサだかなんかの下草も生えているから、絶望的というほどではなさそう。
いつも、い~っつも、余計なお世話の手出しをするのが悪い癖の私は、ついつい、
「僕は、いつでも趣味の草刈りや木の剪定ができるように、道具や膝当てなんかも全部、車に積んでいるんですよ。もしよかったら、お手伝いしましょうか?」
若い女性だから言ってみたわけでもないが、この女性の方も、別に媚びるでもなく、さりとて徒に警戒するでもなく、見るからに素直に、
「ほんとですか!? ありがとうございます!」
と、いうことになった。
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シャツもズボンも作業着を普段着代わりに着ているから、このままでよし。
うーん、膝当てと厚い軍手と。地下足袋はまだ慣れないから作業用ブーツにしとこう。格好はこんなものか。
腰にベルトと作業用ミニバッグをつけ、剪定鋏を落とし込む。
うーむ、高枝切り鋏があるなら、長い植木鋏を出すこともなかろう。大事な大事な職人さんの逸品、落っことしたら大変だし。
あとは、ロープ? 車のキャリアに植木梯子を縛り付けるための荒縄があるけど、4mのが2本。ちょっと短いなぁ。
まあ、いざというとき使えるように、1本だけ腰のカラナビに付けておくか。
下るときは木や草につかまりながら、登るときは肘と膝をついて、やはり木や草につかまりながら、2度ほど数メートル降りては登り、柏の葉を取った。
だが、赤いと言えるような葉はあまりなくて、枯れ葉色がせいぜい、しかも虫食いやら破れているやらのも多くて、枝に付いているのと落ち葉と合わせて20-30枚取るのが精一杯だった。
無事に上まで戻ることができ、道具を片付けながら少しおしゃべりをした。
「あまり赤という感じじゃないですね。こんなんで良かったんですか?」
「ええ。たくさん取って頂いて、ありがとうございました。
いつもそういう道具を車に乗せているんですか。」
「まあ、旅行中なんですけどね、下ろすのが面倒で積みっぱなしなんですよ」
「え? 地元の方じゃないんですか?」
「そう、家は川崎です。でも今は、金沢の親戚のところを拠点にさせてもらってますけど。
貴女は地元なんでしょうね。それで、お家でお菓子を作るんですか? それともご商売?」
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こういうことだった。
彼女は富山の大学で建築の資格を取って、恩師が輪島に開いている設計事務所に勤めている。
その恩師の奥様が和菓子を作る方で、それで柏の葉を頼まれたという。
でもちょっとなぁ。ここに柏が生えていることを知っていて頼んだんだろうけど、危ないことをさせるもんだなぁ。
と、その時はそう思った。
そして話を聞いていくうちに、その奥様は、自家用ではなく販売用に和菓子を作っていて、それも、里山という自然の中にある素材や、自分たちで作った無農薬の作物を使った無添加のお菓子にこだわっているということが分かった。
お店の名前も「のがし研究所」。興味のある人は検索してみるとよろしい。
「のがし」の「の」は、能登の「の」であり、農業の「の」であり、野山の「の」であるという。
ただ、その「のがし研究所」はネットでの販売が中心で、リアル店舗は月に2回ぐらいしか開かない。
実はその後、ネットでいろいろ検索してみたところ、のがし研究所の奥様も興味深い方のようだし、御主人、つまり崖で知り合った女性の恩師も、なかなかの人物のようだ。
東京出身でアメリカに留学もしていながら、輪島の風土に惚れ込んだ挙げ句に移住してきて、昔ながらの萱葺きの家や土蔵などの維持や再生にも尽力しつつ、大学で教えるかたわら、東京など都市部の設計の仕事もなさっているらしい。
しかも、自分たちの住む家を、自分の手で作ってしまうような人。
・・・・・ふふふふふ。面白そう。お近づきになりたいなぁ。・・・・・
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その日は予定があったので、その後は寄り道・道草はほどほどに我慢して、そのまま金沢の逗留先に戻った。
しかしその翌々日は、月に2回の「のがし研究所」開店の日。
前夜になって知ったのだが2日前までに予約しないとお菓子は買えないらしい。それでも構わない。
私はお菓子が第一目的ではない。
非常に興味深い人、そして里山、自然の恵みを最大限に生かす暮らし。私の大好物はそちらだ。
強い雨が降る予報だったが、どーしても我慢できなくなって、再び輪島を訪問してしまった。
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目的地はナビに出てくる「のがし研究所」。
今回ばかりは行き先に目的があり、ナビを使っているので、寄り道は(…ほとんど)せず、「のと里山海道」という無料化された高速道路をひた走った。
現時点での高速の終点が能登空港で、そこから10分ぐらいの所だ。
ところが、ナビが「ここだ」と宣言する場所には、何もない。
いや、何もないことはない。山あいにかなり大きな集落(三井:「みい」と読む)があり、川の両側には田んぼが広がっている。
しかし、「の」は見当たらないし、店舗らしきものは全くない。
狭い道に車を駐めてウロウロしていたら、後ろから軽トラがやってきて、おじさんが不審そうに私の車を眺めている。
「あのう…」声をかけてみた。
「川崎から来たのかね。あの尻の凹みはどうしたん?」
「え? あ、そっちですか。あれはねぇ、免許取って35年にもなるのに、うっかり真後ろにあった舗道のポールにぶつけちゃって。恥ずかしいなぁもう。
あ、それで、のがし研究所ってところはどこでしょう?」
「へぇ?」
「ああ、それじゃ萩野さんは?」
「おお、萩野さんなら、あっちへまっすぐ行って、川を越えてな、1キロもないと思うよ。電柱がそこまでしか立ってないから、すぐわかるさ」
「へー、どん詰まりなんですね。ありがとうございました」
言われた通りに進んでいくと、確かに空中の電線が途切れる場所、道を挟んで田んぼの反対側の斜面に、木を多用した大きな建物が建っていた。
12時開店のところ現時刻は11時50分、中を覗き込むと、明るくきれいなキッチンでビニールのキャップを被った人が何かしている。
邪魔をしては悪いので、強まりだした雨の中で周囲をうろつき回って見学させてもらった。
高速を下りてここまで来る間、杉の林の中を通ってきた。昔は林業が盛んだったのだろう。
杉林は今でもそれなりに手入れがされているようで、荒れた感じではなかった。
家の周りには薪がたくさんあるのは当然だろう。厳しい冬に欠かせないはずだ。
しかし珍しいのは、稲藁の束がたくさん積んである。そしてベランダの上にあるのは、たぶん昔の籾摺り機。それから私には用途の分からない、古そうな道具もある。
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崖っぷちの彼女(まゆさん)は、私とのやりとりから察して、もしかしたら変なヤツがのがし研に現れるかもしれないと警告していたらしい。
「萩の ゆき」さんとおっしゃる所長?店長?は、それほど驚くこともなく私を迎え入れて、半時間ほどおしゃべりにつきあって下さった。
記事が長くなりすぎたので、要旨のみ書こう。
・ 山の高いところの柏は、紅葉して本当にきれいな赤になる。植えようと入手した苗木の葉を見せて頂いたが、これなら和菓子の彩りになるだろう。
・ 崖っぷちの柏葉は、やはりアレでは枯れ葉。まゆさんと私は二人して無駄なことをしたわけ。
・ ゆきさんは、柏が海岸沿いにあることを知っていたが、紅葉の状態は知らなかったし、「ガードレールの外には出ないように言ったつもり」だった。まゆさんが真面目すぎたのだろうし、それに私がお節介を重ねてしまった次第。
・ ゆきさん自身も、崖で何か採集しようとしていて、飛び降りじゃないかと心配された経験があるそうだ。
・ お店(自宅兼用かも)は、御主人が地元の大工さんと一緒に自分の手で建てたもの。仕事をしながらなので何年もかかった。
・ 木材はやはり地元の杉と、能登では建材として重用される「アテ」というヒバの一種だそうで、丈夫で良い香りがする。
・ 男はロマンチストだから、思い切って移住してきたはいいが、現実の生活は厳しい。特に冬は大変。
・ 子ども達は、大きくなってから東京の実家近くに住み替えて学業などを続けているが、やはり幼い頃を過ごした能登が恋しくなることも多いそうだ。
・ ここに住み始めた頃には、昔ながらの道具や材料を使った、自然の恵みの中での生活のしかたを、教えてくれる人達がまだ元気だったので、いろいろ教わった。だから、古い道具や稲ワラの束があったのだろう。
・ そしてその知恵を、自分の子ども達を含む地域の子ども達に伝える活動をしていた。
・ 我が子が大きくなったのでその活動をやめる際に、国連とのコラボで集大成の記録を作成した。私も冊子を頂戴したが、ネットにも記事が色々出ているようだ。
・ 和菓子を始めてまだ日は浅いが、曹洞宗の「甘茶和菓子コンテスト」で受賞した縁もあり、市内にある総持寺祖院の茶会にお菓子を供給している。
・ 材料には、実際に自分で山から集めてきたものや、田んぼの畦で作る小豆などを使っていて、もちろん無農薬無添加。
・ 「和のピスタチオ」「和のブルーベリー」と呼ばれる植物などを、自分で挿し木して育てている。
・ 例えば、普通に売られている栗は、相当な量の化学肥料や農薬を使って育て、実にはガスを吹きかけるのだそうだ。
・ その点、山に自生している柴栗(山栗)は、実は小さいが、完全に無農薬無添加だし、味が濃厚らしい。
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要旨のみといっても長くなってしまった。
ここに書いたことは、私が聞き取った(と思った)ことなので、誤りがあれば私の責任である。
お話をしながらもゆきさんは手を動かし、小豆の餡子を濾したりなさっている。
と思ったら、なんとまあ、私のためだけにお土産を作って下さっていたのだ。
件(くだん)の柴栗と、田んぼの畦で育てた小豆(能登大納言)を使ったお菓子。
それに蕎麦饅頭……だったかな。あんこの艶に見とれていて、聞き逃してしまった。
もちろん、お茶をいれられる場所についてすぐ、頂きましたとも!
味を表現する力はないので書かないが、ここまで書いてきたことと写真を見れば、想像して頂けよう。
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予約をしていた客が来始めてゆきさんがお忙しくなったので、もっともっとお話を聞きたかったが辞去した。
この日は昼頃から土砂降りになり、里山をうろつくにも適さなかったので、後ろ髪を引かれる思いのまま、再び高速に乗って金沢へ戻った。
30分ほどのお話と美味しい和菓子を頂いたこと、これは私にとってプライスレスの楽しみであり、価値があった。
とはいえ、正直なところ1時間半かけて行って、それで戻って来てしまったのは、もったいなかった。
御主人ともお話をしてみたかったし、三井という場所のこと、里山の恵みのことも、自分で歩いて見て体験したかった。
せっかく出来た、崖っ縁(フチ)の柏の御縁(エン)。そして「和菓子の恩」。
今度は輪島か珠洲か穴水か、とにかく能登の北部に足がかり・拠点・根城を探してみようかなぁ。(^^)