私がいま金沢で滞在している、親戚の所有する建物は、明治の古い商家を改造した素敵な町屋珈琲で、なんとも居心地の良い木の温もりと、現代の快適さを同時に享受できる有り難いところだ。
中でも気に入っているのは、お風呂。
小立野という細長い台地の縁にあるため、窓からは夕焼けや紅葉が展望できる。
ところで、そのごく現代的なお風呂の給湯器のスイッチを、ちょっとご覧頂きたい。
この写真を見て、何かおかしいな、とは思いませんか?
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私も入浴してみるまでは気が付かなかったのだが、このお風呂では「追い焚き」ができない。
溜めたお湯の温度がちょっと低かったので、熱くしようとしたところ、それができず、初めて気が付いた。
親戚や、この町屋珈琲の常連客、というか、ここを溜まり場にしている近所の人達とおしゃべりをしているときに、この疑問をぶつけてみた。
すると、この辺では(それは、金沢ということか、石川ということか、北陸ということなのか、よく分からないが)、追い焚きができる風呂はあまりないだろうということだった。
「ぬるかったら、熱い湯を足せばええ」
「この辺は雨がダラみたいに降るから、気にせんでどんどん使いまっし」
(*)「ダラ」という加賀言葉は、バカ、アホよりも使用頻度が圧倒的に高く、どちらかと言えば優しい言葉のようだが、言い方次第では強い非難にもなるようだ。
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うーむ。
雨が多くて水が豊か、というのはそうなのだろうけれど、川の水を人力で汲んでくるならいざ知らず、上水には浄水や送水のエネルギーとコストがかかっているはず。
もちろん、お湯を沸かすのにもエネルギーと費用がかかる。
お風呂に上水道の湯を張る、というのは、それなりの環境負荷がある行為だ。
溜めたお湯を沸かし直すだけですむところを、足し湯をしてしまうというのは、どうも抵抗があるなぁ。
そう思って、初回以降は、少し熱めの湯を張って、冷めないうちに浸かるようにしているのだが……。
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それにしても、なぜ「この辺では」追い焚きをする習慣があまりないのだろう?
源泉掛け流しの温泉が市内や近郊にいくらでも、それこそダラみたいあり(使い方が誤っていたらゴメンナサイ)、風呂というのはそういうものだという感覚なのだろうか。
子どもの自由研究に、こういうテーマはどうだろう?