私は近ごろ、外の空気を吸いに出るときに、一本歯の下駄を履く。

これで、腰痛がずいぶん良くなってきたように思う。

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「お? こんなところに下駄屋さんが!」



7月の四国中国地方旅行(*)の最中、鳥取県の北西端、日本海と中海に挟まれた境港に立ち寄った。
(*)この旅行については、今年7月17日~8月5日の記事を参照されたい。おって記事を追加する予定もある。

旅行に出るまえ娘から「山陰に行くなら、水木しげるロードで妖怪がまぐちを買ってきて」とねだられていたため、予定外・不本意ながらの寄り道だった。

件の「ロード」、土産物屋は勿論のこと、酒屋から電気屋に至るまで、みな妖怪関連グッズを扱っているか、さもなくば外装に妖怪が使われていて、まさに「あやかっている」感じ。

この下駄屋さんでも、店先の一番目立つ所には鬼太郎の下駄が積んである。

が、私が足を止めたのはそのためではない。以前から下駄が欲しかったのだ。

温泉宿などで外出用に並べてある下駄。浴衣で下駄をカランコロンと鳴らしながら歩くのは、温泉に浸かることそのものと同じくらいの楽しみである。

そんなわけで、妖怪の妖力とは関わりなく、この店の中に吸い込まれてしまった。

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自らも磨り減ってボロボロになった下駄を履いた御主人は、下駄そのものに興味がある客だとみるや、下駄の材料から作り方、お店の歴史からご先祖の来歴まで、まあ喋ることしゃべること。

例えば、温泉宿などにおいてある下駄は「カタ木」と呼ばれる磨り減りにくい木を使っているので、歩くと硬い音がするけれども、本当に良い材料は「桐」で、音も柔らかく優しい、とか。

桐は会津産のものが一番で、それを使った下駄は高級品。特に、歯を貼りつけて作るのではなく、一枚の材木から歯まで一体的に切り出す「真物(まもの)」は値段も桁違い、とか。

この境港で育った水木しげるさんは、帰省するたびに商店街を歩いて回り、この店にも立ち寄っては「こんな絵を付けると売れるのかい」と笑っていらした、とか。


 

<左は履き古してすっかりすり切れた鬼太郎下駄(子供用)。それでも御主人自ら重ね塗りして付けた絵は色褪せていない!>

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1時間もうんちくと質問のやりとりを重ねた挙げ句に、まあそこそこのお値段の、それでも桐の下駄を買い求め、不図、店内を見回したところ、高い棚の上に一本歯の下駄が置いてあるのに気が付いた。

「おお、天狗の下駄じゃないですか。あれも売り物で?」

「もちろん。広島の寺のお坊さんが修行用に買いに来るし、大阪には一本歯下駄でフルマラソンをするクラブがあるよ」

「へぇ~。バランスを取るのが難しそうですねぇ」

「いや、山登りなんかには、むしろ一本歯の下駄の方が向いてる。それに、整形外科医が自分の腰痛対策で買いに来るよ」

「は~~、バランスを取るのに腰の筋肉が鍛えられるってわけですか」

と、ここまで聞いてしまうと、普段の座り仕事やロングドライブでいつも腰が痛いワタクシ、先の下駄よりも少々お高いにも関わらず、欲しくなってしまった。

「あ、ちょっと高さが違うのがあるんですね」

「三寸と四寸だね」

「やっぱり高い方が履くのは難しいんでしょう?」

「いや、履いちゃえば同じだよ。試してごらん」

履くときは、前に傾けておいて、丈夫な鼻緒を信じてつま先を突っ込む。脱ぐときには、後ろに傾けてスルリっと下りる。

確かに履いてしまえば、歩くのは簡単。自転車や竹馬と同じぐらい、とでも言おうか。

「それに、一寸ってことは3センチ違うわけだから、そのぶん背が高くなるわけだよ」

それで決まった。四寸の一本歯下駄が、私の履き物コレクションに加わることになった。

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さて、この四国中国地方の旅行中も、帰宅後も、機会さえあればこの一本歯の下駄を履いている。

歩くのは簡単なのだが、ピタリと止まって立っていようとすると、これがなかなかうまくいかない。

自転車やバイクを想像してみて欲しい。

走っているときには、べつに左右にグラグラと揺れたりはしないだろう。

しかし、(足をつかずに)止まってバランスを取るとなると、そう簡単にはいかない。

それと同じだ。

いい気になって一本歯を人に見せびらかしていたりすると、グラッとずっこけて足をくじきそうになったり、石やアスファルトのギザギザで足の裏を痛めてしまったりする。

そこで考えた。

「天狗がスクッと格好良く立っているイメージは、どんなだったろう?」

ネットで画や像の写真、イラストなどを眺めてみたが、どうもピンとくる物がなかった。

そもそも「現物」が存在するわけではないから、想像・妄想してみるしかない。

とにかく、両足を横に開いた仁王立ち、ではなかろう。それだと立ってはいられない。

やはり、左右の足を少し前後にずらしていないと、安定しないようだ。

これで、だいぶマシになった。

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ところが、今度は別のことに気が付いた。

私が一本歯下駄を履く時はいつでも、右足が前、左足が後ろになるようにずらしている。

だいたい右利きの人は左足を軸足にするらしいし、さらに私は子どものころ剣道を習っていたので、その構えの癖もありそうだ。

ただ、そうするとどうも、左足の踏ん張りに頼って立っている感じになる。

試しに右足を後ろへ、左足を前に出したスタンスをとってみると、全然安定しない。

無理な力が入ってしまうから、足の指だの、足裏だの、脛だの、腿だの、たちまち筋肉痛になってしまった。

これはマズい。

腰の筋肉、体幹、インナーマッスルを鍛えようと一本歯の下駄を始めたはずだ。

ところが、特に左足を前に出すと、体幹どころか末端の筋肉ばかり使ってしまうようだし、下手をすれば腰まで痛めてしまいそうだ。

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というわけで、左右均等に体幹・腰を鍛えるべく、右と左の足を交互に前にしては、しっかりと揺れないように立つ練習をしている。

こんな感じになれるかな。


(出典:nippon.comのHP掲載物)

手元の携帯なんかいじっているとダメだ。真っ直ぐ前を向き、背筋を伸ばして、腰で身体を支えているイメージを思い浮かべながら立つ。














えーと、この話のオチは何なんだ、って?

オチはない。オチはないが、無理やりサゲてみよう。

この四寸の一本歯下駄、身長が170センチに届かない私でも、ほとんど180センチくらいの高さになれる。

普段なら目を合わせるのに見上げる相手でも、同じくらいか、ちょっと見下ろすくらいになって、実に良い気分だ。

ところが!

昨日、四寸≒12センチで間違いなかったよな、と確認するために、歯の高さを測ってみた。

それが、11センチ5ミリに満たないくらいになってしまっていた。

アスファルトの道路なんかを歩き回っているから、軟らかい桐の歯がどんどん削れてしまっているのだ。

寄る年波に削られて縮んでしまった身長(過去記事「コラム つれづれ2 -身長は縮み視力は上がる-」参照)に、下駄を履かせてみたところで、それもまた削られて、サガってしまうのが運命であった。











 

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 おお、こんばんは。ようこそここへ。

 

 さあ、もっと火の近くへどうぞ、奥さん。

 

 だいぶ寒くなりましたなぁ。焚き火が嬉しい季節というわけだ。

 

 いま珈琲を淹れようとしてたところ……おっと、紅茶の方がよろしいか?

 

 いえね、あれは去年の今時分だったか、ある娘ッコがここへやって来ましてな、紅茶が飲みたいなんぞと言うたんですよ。

 

 それ以来、紅茶も用意しておくようになったんですがねぇ。さあて、あの娘は今どうしているやら。

 

 え? お茶の方が? おや、ちょうどお持ちでしたか。

 

 それじゃ早速それを頂きましょう。ほう、加賀の棒茶?

 

 へえ。わざわざ茎だけ集めたお茶なんですか。それをほうじ茶にして。ふぅん。

 

 ・・・ほお。これは透き通った綺麗な色合いで。優しい、円やかな味ですな。気に入りました。

 

 奥様は金沢の方なんですね。

 

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 あ、いや、気付いていましたよ、耳がご不自由らしいということは。

 

 ワシの姉貴も耳が不自由でしてな、それにまあ、年配の方と話すことも、いろいろ多いですからな。

 

 だから話をするときには、こちらの口元を見せてゆっくり話す。目を見て、分かってもらえたかどうか確かめる。それだけのことですよ。

 

 ・・・・・はあ、そういうふうに話してもらえなくて、相手の話が分からないことが多いと。それはまあ、そうでしょうなぁ。

 

 ・・・・・ふーむ、成る程。奥様としては、自分が話したいことを話して、聞いてもらっているのに、相手の話を分かってあげられないのが、心苦しいと。

 

 でもねぇ、そんなに気になさるこたぁ、ないんじゃありませんかね?

 

 ま、本当に聞いてあげたいとお思いなら、「口を見せてゆっくり話して」って頼めばよろしいでしょう?

 

 なんなら、紙と鉛筆を渡して書いてもらっても良い。ああ、いつもお持ちでしたか。

 

 でもね、ワシはそこまでしなくてもええんじゃないか、と思うんですよ。

 

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 あ、ちと火が消えかけてますな。

 

 そっちに竹があるでしょう。取って頂けますか。竹は脂分が多いんで、小割にしてくべると薪が良く燃えるんで。

 

 え、割ってくださいます? こりゃどうも恐縮で。

 

 ああ、ちゃんと先の方からお割りになりますな。「木元・竹先」っていう割り方は、ワシはわりあい最近になって知りましたよ。

 

 どっちが先でどっちが根元の方か、薪だと分かりにくいですけど、竹なら節を見れば分かりますからねぇ。

 

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 それで、と。

 

 奥様は奥様で、話したいことがあって話す。相手も相手で、話したいことがあって話す。

 

 それを聞く方は、ただ聞けば良い。耳を傾けて「聴く」ってだけで良いんじゃありませんかい?

 

 何かアドバイスをしてもらいたいとかいうんでもなければ、別に批判も意見も欲しいわけじゃない、ただ「フンフン」と頷いて欲しいだけでしょう?

 

 だったら、多少は細かいところまで分からなくても、聴いてますよって印に首を縦に振ってりゃぁ、それで良いのと違いますかい?

 

 いえね、これはワシが最近、この歳になって判ってきたことなんですよ。

 

 ワシには悪い癖がありましてなぁ。

 

 他人の話を聞きながら、細かいところまで根掘り葉掘り確かめる。それで、自分だったらこうする、なんて余計ことを、ついつい言っちまう。

 

 ところがね、それは話の腰を折ることだし、実はワシの拙い意見なんて、求められてはいない、っていうことに、ようやっと気付いたんですわ。

 

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 ヒトっていう生き物は、ただ話したいだけ、ということが、実に多いと思いませんかい?

 

 ことに、独り暮らしだったり、身近に話し相手がいなかったりすると、そりゃぁもう、話したくて話したくて、たまらなくなっていることもあるようですわ。

 

 例えばですけどね、ワシが以前に居候していたお寺の奥様は、普段はお一人で黙々と、境内の草を取っておいでなさるんです。

 

 でもって、見知らない人が境内をうろついていたりすると、「あんた誰?!」なんて、ちょっとおっかなかったりするんですよ。

 

 ところがね、ちゃんと挨拶をしてお見知りおきいただくと、今度は実に饒舌におなりなんです。

 

 ついこの前、顔を出したときにも、「こんど公民館の人達がこのお寺の見学に来るから、あそこの所をきれいにしとかなきゃと思って、草取りをしているのよ。ほら、あそこまで済んでるでしょ。つぎはあっち」。

 

 てな具合に、話が止まらなくなって、マンドリンの稽古に遅刻しそうに……あ、そりゃどうでもいいこってすな。

 

 あるいは、そのお寺の隣に住んでるお人もね、猫をたくさん可愛がっていて(ワシにもお気に入りの子がいますけど)、実は猫が主な話し相手じゃないかとも思えるんです。

 

 でもワシが顔を出そうものなら、その猫たちの話から、畑に蒔いた種の話から、手に入れた古~い耕耘機(なんとクランクでエンジンをかける)の話から、ありとあらゆるコトに話題が絶えなくてねぇ。

 

 そりゃ面白い話ばかりではあるんですがね、あっという間に1時間や2時間も経っちまう。

 

 それからね、これもつい最近のことですがね、やはり独り暮らしをしてる親類の所に行ったらば、このおしゃべりなワシが口をはさめないぐらい、次から次へと話が出てくる。

 

 お暇しようとして最後に聴いた話といえば、具合が悪くて買い替えなきゃならないかもしれないと思っていた家具を、自分でよく調べて、直せたよ、っていう話。


 

 いずれの話にしても、ワシにできることは、ただ「聴く」だけでしたサ。そういうものなんですよね。

 

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 たしか徒然草でしたかね、「おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざなれば...」とかいう名言があるそうじゃぁないですか。

 

 話したいことは、話してしまう。それが健康に良いわけですよ。

 

 でもって、聞く方は、たとえ解っても解らなくてもいいし、むしろ、たとえ意見したりしたくなっても、それをやっちゃぁいかん、ということのようなんですわ。

 

 だから奥様も、あんまり気にせずに、言いたいことを言っておしまいになればよろしいんではないかと。

 

 相手も、言いたいことを言うだけのことで、それはお互い様。たがい「ウンウン」って頷けば、それで万事、問題なし。

 

 と、思うんですよネ。いかがです?

 

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 えへ。お気づきでしたか。

 

 こ~んな説教臭いことを垂れて、ワシは今言ったことと完全に矛盾したことをやらかしてる。ですよね?

 

 まあこりゃ、性(サガ)ってヤツですね。死ぬまで治りゃせんですわ。

 

 え? 普段は聴き手がいないだろうって?

 

 そんなこたぁないですよ。ワシは自分の「健康」のために、あっちこっちに「聴き手」をキープしとるんでサ。

 

 それでも足りなきゃ、ひとりごとをブログに書く、と。

 

 あはははは……






 

Acknowledgments:
   It's all sincere thanks to Y.K, S.M & R.S.
 
 
 
 

 

金沢の町屋(あの記事この記事を参照)は、浦島太郎になってしまうのではないかと思うほど、居心地が良かった。

 

知遇を得た人たちも、「まだまだずっと居たらいい」と言って下さる。

 

だが、まだ居てと言われるうちが花、というもの。

 

それに、今月はマンドリンのレッスンにまだ一度も行っていない。

 

そこで重い御輿を上げて、東京方面に戻ることにし、出立したところまでは前回書いた

 

せっかくここまで来たのだ、名にし負う白骨温泉にも行ってみようと思い、北アルプスの南端を越えた。

 

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白骨温泉での委細は省略するが、到着するなり玄関先でマンドリンを弾いて、宿の人たちと仲良くなってみたり、独特の白濁した湯に都合5回も入ったりして、名湯の地を楽しんだ。

 

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翌日は、気持ちよく晴れたのを幸い、木曾の山中をドライブして回り、富士見の温泉に寄った後、いとこの住む小淵沢を一年振りに再訪

 

翌朝は、旅行中に増えた体重を少しでも何とかしようと、1万歩ほど歩いてみた。

 

今回の放浪旅行最後の朝、久しぶりの早朝散歩。それも清々しい高原の朝。

 

レンズが1本しかなかったが、思わずカメラを向けたくなる光がそこかしこにあふれていた。

 

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やっぱり旅はいい。
 
 
 
 

 

朝靄に 鈴の音細く 幽くも

 

   頼りなるらむ 最上級生

 

          各務由紀


 

【追記:かそけし(幽し)の漢字が間違っていました。謝罪して訂正いたします。】



 

早朝、金沢を発ち東へ向かった。

 

久しぶりの晴天の予報で、県境の山を越えた先の町は、朝モヤに包まれていた。


 

と、いつも開け放っている車の窓から、微かに「ちりーん……ちりーん……」鈴の音が流れ込んできた。

 

信号で止まっていると、正面の朝陽に輝く靄の中から、赤いジャージを着た数人の子どもの列が現れ出でた。

 

見回すと、そのような赤い塊がいくつかある。

 

そして耳を澄ませば、鈴の音も方々からしているようだ。

 

そうか、平日の朝、小学生の登校時刻だ。しかもこの靄。慎重に運転せねば。

 

赤いジャージと鈴。うまいこと考えたものだ。


 

その数人ずつの先頭に大きな子が立ち、先導している。

 

護送船団方式だな。

 

先頭の子は、ときどき後ろを振り返り振り返りしながら、下級生達がちゃんとついてきているか、確かめている。

 

なんとも心温まる情景であったが、信号が変わってしまい、私はそのまま街を走り抜けた。


 

胸の内にのみ残る、一幅の絵である。
 
 
 
 
 
 

 

金沢の「町屋」に居候をして(過去記事参照)、2週間以上経った。

 

この間、日帰りで行ける温泉だの神社仏閣だのへあちこち出かけたし、数日かけて能登をぐるりと回ってみたりもした。

 

ところが、金沢市内となるとろくに道も分からない。それどころか、兼六園にも行っていない。

 

兼六園も見ずに金沢へ行ってきました、と言うのは失礼かもしれないと思い、今日は行こうと思っていた。

 

近いし車では混むので、自転車を借りて行くつもりだった。

 

ところが、雨。

 

このところ、午前中くらいは降らずにすむことも多かったのだが、今日は完全に一日中の雨。

 

出鼻をくじかれて、町屋で顔なじみになった人達とおしゃべりをしたり、マンドリンを弾いたりしてダラダラ過ごしてしまった。

 

それでも充分楽しい。ここ町屋は、私にとってそれぐらい居心地が良い。

 

ただ、辛うじて再開したブログ投稿には、写真がなくてはなかなか気が進まない。

 

おお! そうだ、こういう時こそのシリーズがあるじゃないか。

 

というわけで、久々の「Curiosity シリーズ」。

 

バックナンバーはこちら。

 Curiosity on the Street 02

 Curiosity on the Street 03

 Curiosity on the Street 04

 

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今回は簡単に、金沢市内で見かけた「標識の謎」だけに絞ろう。

 

まず1枚目。

 

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町屋のある小立野の市街地の、いわば抜け道にある。

 

これ、見た瞬間に「???」と思った。

 

下の標識は分かる。この交差点は、まっすぐに行ける細い道があるが、おそらく学校が近いためだろう、朝はその細い道には入れない。

 

それは結構。

 

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しかし、「止まれ」が「終日」なのは、当たり前でないかい?

 

よもや、「7-9」以外は止まらなくていいなどと、思う人は居るまい?

 

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次も「止まれ」の謎。

 

金沢城の北西角にある尾崎神社の前のT字路。

 

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この標識は「予告標識」ではない。6m先には標識がないのだ。

 

あとで詳しい地図で見たら、横断歩道が少し手前にあり、そこに停止線があるが、その6m先のT字路自体でも停止、ということなのだろうと思われた。
 
それにしても「ここへ止まれ」という場所に標識が立てられないのだろうか?

 

たかが6m、されど6m。みんなちゃんと止まるのかな?