未だ戦後11年の1956年は私の生年、 ”鉄人28号”は動き出した。

作者は横山光輝*1) 終戦間際に日本軍が開発していたロボットと言う設定も説得力があった。

何せ当時、祖母に連れられ路面電車やトロリーバスで*2)渋谷や上野辺りに出掛けると、傷痍軍人さん達がしゃがみ込んで物乞いをしていた時代。

「みんな本物とは限らない」とは聞いたが、映画 「 雲ながるる果てに」を観た帰り道の光景、

渋谷ガード下で大勢の手足を無くされた方の姿は今でも脳裏に鮮烈に焼付いている。

当時、実家の押し入れのトランクを開けると、戦時中祖父が使っていた鉄砲の玉、ヤッキョウ、分厚く重いコートやゲートルなどがあった。きっと、同世代の方は今でも独特の匂いを思い出すのではなかろうか。

そして1963年、TVはモノクロ画像の時代に 「鉄人28号」アニメの放映が始まった。

同年末「エイトマン」も放送開始されたが、こちらは鉄のロボットならぬ”鉄のオトコ”、元は人間なのでいろいろ苦悩する主人公がいじらしく感じたものだ。

また主題歌を歌う克美しげるさん(故人)がご近所で、何度かキャッチボールの相手をしてくれた事もあって自分には親近感があった。*3)

一方、鉄人は虚無的な存在。リモコンがないと動かないのは主題歌通り。

 

♪~敵も味方も、リモコン次第、鉄人、鉄人、どこへゆく~

..ビューンと飛んでく テ~ツジン28号、グリコ、グリコ、グッリッコー♪

 

その鉄人28号を操るのは少年探偵、正太郎君。

TVの前の子供心にとっては、その少年探偵の目線で展開してゆくストーリーに親近感と憧憬を覚えずにはいられない..作者の狙いは分かっていても、つい引込まれる。*4)

トム・クルーズ顔負けの大活躍で、ミッションインポッシブルどころかストレートに警察の捜査に協力(と言うより ”署長さん”の方から主体的に動く彼を援護援助)するものだった。 

まるでマリオのモデルみたいな大塚署長も活躍。しばし負傷することもあるがヒラ署員が敵わぬ位に頑張る上に人格者、好感がもてるキャラクターである。

 

時の流れと共に、私の脳内で ”鉄人”はイメージもストーリーも単純化された記憶になっていて今さら余り興味を感じなかったのだが、フトした事で漫画本を読んだら当時のワクワクストーリーに引き込まれ24話を読破、コトのついでに千早町の(ex横山邸)光プロまで散策してしまった。

 

*1) 横山光輝の作品は「漫画少年」などに1951年から掲載されているが、プロとしての公式デビュー作は時代劇「音無しの剣」(1955)とされる。

主人公、高柳又四郎が開眼した必殺剣の噂を聞き、最初に挑戦して敗れたのち三年後に再度の立会を求めて去ったのが村雨次郎。その三年後の勝負が物語のエンディングとなるが、作者の好きな名前だったのだろうか、鉄人28号でも”村雨兄弟”がギャング役で登場する。

 

*2) 実家のあった麻布は今でこそ大江戸線が通り賑わいを見せるが、それまで鉄道網に関しては不便な”陸の孤島”だった。

電車に乗るには国鉄(JR)なら田町、地下鉄なら赤坂(まだ溜池駅も、日比谷線の六本木もなかった)まで行かねばならず、都心の多くは’60年代中頃まで路面電車が充実していた。

消えた都電と電関モーター>  (ameblo.jp)

 

*3) 2年前のブログに記したが、克美茂さんとの楽しい思い出には教訓と自戒がついて廻る。

彼岸の麻布..曼殊沙華その2 (ameblo.jp)

ヒトは普段 意識してなくても、危険と過ちがつきまとう存在。 克美さんを思い出す度に、ヒトが社会の中で人間らしくいられることは綱渡りだと自覚しなければならないと自身に言い聞かせている。それこそが故人を敬う事になるだろう。

 

*4) 魔法使いサリー、コメットさん、バビル二世や三国志など、少女漫画から歴史ものまで、鉄人以外にも有名な作品を残され、かなりワイドな層の方々に愛されたのではなかろうか。

また ”伊賀の影丸”も私が物心ついた頃からポピュラーだったので、最近行政(豊島区)がアピールしている”トキワ荘の住民”先生方々の作品より、横山作品の方が私の記憶に濃い。 勿論、赤塚作品だって面白いし、石森作品の009や仮面ライダーなども好きな作品だ。私感ながら、石森章太郎や小沢さとる等と相通ずる気がする画風は当時の傾向だろうか。

なお、”鉄人”の原作は1965年11月まで続いた。

 

PS.  鉄人28号② vsバッカス/Dr.フランケン作 (ameblo.jp)

 

”モンスター”二度目のリバイブは無い。 しかし 不乱拳酒多飲 博士は蘇った!

60年振りに開いた本から 新鮮な感銘を受ける”鉄人28号”。

実際、当時の子供心に面倒くさい奴だとしか思わなかった仇役のフランケン博士には哀愁さえ感じてしまうものだった。

博士の発明、空飛ぶ”アカエイ”は、航空・海上自衛隊には脅威だったかもしれないが、ヒトに迷惑をかけることもなく 博士の生活は一般社会から乖離していた。

人として性格的に少し歪んだところもあるが(概して悪役は、ヒトとしての感情に左右されず本作に登場する”サスペンス”のように野獣的なのだが、博士は常識・良識もそなえ持ち、例えば北海道の害獣としてのクマみたいな脅威を人間に与えることは決して無い)、戦いのさ中でも正太郎の命を助けてやろうなどと考えている位、お人好しの面も見せる。

それゆえ、いろいろと素晴らしい発明をしている天才科学者を警察と軍隊がここまで追込んで博士の研究施設を破壊しないでもいいだろうに..なんてさえ思ってしまう。

 

当時は気が付かなかったが、ストーリー構成における作者の意図は、少年探偵 正太郎君を主人公にして子供心を掴むためだけのものではなかった、という事だろう。

きっと私感だけではないと思うのは フランケン博士が生き返ることからも読み解ける。

フランケン博士を人工心臓(作中にその記載はないが、同じ働きをするものと敷島博士が分析しているので、あえて言えば人工心肺ユニットだろうか)で蘇らせた”ふくめん団”(..としか作中に名称は出ていない)にしても血も涙もないテロ集団ではない。

暴力的で明らかにイメージの違う ギャング集団のサスペンス一家を先に登場させておくことで 読者に ”ふく面団”への感情移入をリードさせてしまうストーリー作りは素晴らしい。

先輩漫画家の手塚治虫が横山光輝を称賛した所以だろう。

さて、その”ふく面団”が仲間を大事にする組織であることは様々な場面に現れる。最近のヘタな日本企業など足元に及ばない連帯感さえ感じられる。

団員は”閣下”を尊重し、”閣下”もよくある悪人のように部下を使い捨てにはしない。

世には、読者に混乱を与えないよう敵役の部下はシンプルに使い捨てにするストーリーが多いが..

 

正太郎を”暗殺せんと向かった三人が反対に捕まってしまった”時も、その部下を救うために閣下が即断するのは、それまで作りかけていた人工知能(AI)をもったロボットの開発計画をあきらめ戦闘用に作り直すことだった。

概して企業や組織のトップは自分の目先の成果が第一義なので、部下の犠牲や後で起こる事など考えない

リコンストラクトの全てが悪いのではないが、環境破壊だけでなく自らの社会的存在意義がなくなり、結果として破産倒産解散に至る一因には違いない。敵ながら、ふく面団の”閣下”のスタンスには拍手したい..

こうしして生まれたのが ブラックオックスなのだ。

さらには...

 

フランケン博士の協力やアドバイスにより、ふくめん団 は一時、 鉄人とブラックオックスの両方を使えることになる。

正に♪敵も味方もリモコン次第、なのだ。

が、やはり主人公を打ち負かす仇役は存在しない。

まぁ安心してコミックスを読まれたし。

 

前作(全て連続ストーリーなので前話と言うべきか)で、鉄人を盗み正太郎を誘拐したり、またサスペンスから正太郎の身を守ったりと活躍した”ジャネルファイブ”は日本から逃亡に成功してエンドだったが、このヒューマニスト、黒覆面の閣下は祖国に帰ることが叶わず、また一度は生き返った天才、フランケン博士も遂には草葉の露と消えた..

 

..鉄人は勿論、フランケン博士の遺作ブラックオックスの活躍はまだ続く。


 

 

♪ ビュ~ンと飛んでく テ~ツジン28号~♪

 

..1963年、即ちちょうど60年前に放映開始された鉄人だが、時の流れと共に私の脳内では単純化された記憶になっていて、今更余り興味を感じてなかった。

だが、フトした事で漫画本を読んだら当時のワクワクストーリーに引き込まれ、24話を再読破してしまった。

当時、子供心で 敵役のコトは面倒くさい奴だなぁ.位にしか思わなかった。

でも、今また読み直すと、悪役もいろいろあって一人の敵を片しても次の敵に何かしら繋がっていたり、また敵の敵は味方ならず複数複雑にからむ連続的長編なので中々面白い。

 

例えば、主人公の正太郎君が、やたらピストルをぶっ放し殺人を屁とも思わないアメリカンな危ないギャングの”サスペンス”に襲われ殺されそうになった時、別の悪役で殺人を嫌うジャネル・ファイブの部下が正太郎を守ったりする。

そのサスペンスは警察署に収監されている時、後から捕まった人造人間”モンスター”の力を借りて、そのモンスターの生みの親、フランケン博士のところに脱走したのち、バッカスが造られた..等々。

そう、旧日本軍の鉄人製作プロジェクト陣の生残りで、主人公にとって心強い味方であり指導者の筆頭が敷島博士なら、敵役の代表格はやはり、そのフランケン博士だろう。

(その名、Dr.Frankensteinを 不乱拳酒多飲 博士としたの、やはり横山流ウィットか、そして愛飲家諸兄姉ご存じの通り バッカスとは”酒の神様”を意味している。)

そして、曖昧ながらも子供心には、”面倒な敵”のイメージしかなかったフランケン博士だが、読み直してみると、今では味わい深さやシンパシーさえ感じてしまう。

 

 

犯罪者の遺体から作られたモンスターは、最初のうちは何度も脱走したり博士の言う事をきかず、遂には心臓をやられてしまう。

一方、サスペンスは博士が作った強靭なロボット、バッカスを得て警察相手に大暴れ。

しかしフランケン博士が(サスペンスによって埋葬された十字架の下の)肢体を掘り起こし人工心臓で再生させサスペンスに復讐したり、ギャグも交えながら一緒に逃亡したり、さらにはバッカスのリモコンを奪い返そうとした博士が窮地に陥った時にモンスターが博士を助けたり..そんなストーリーは、ワクワクどころか涙モノでさえある。

鉄人同様にバッカスはロケットの推進力で自由に空を飛ぶが、その背中にあるロケットは後付けの鉄人のもの*1と違い、ボディと一体となたスムースな流線形のニュータイプ。

憎たらしい事に、バッカスは空中で闘いの最中に鉄人のロケットをもぎ取り、鉄人は墜落してしまう。

さらには 鉄人の青黒いダークカラー、マニッシュなデザイン、ドラム缶?のような胴体・手足に比べ、バッカスには足首のクビレ、ふくらはぎのカーブまでもあり、妙に明るいボディカラーと相まっていやらしさを感じさせた2

 

鉄人は生命体でないので死ぬ事はない。とはいっても、手足がモゲるなど何度か壊されそうになる度にヒヤヒヤしたもので、ライバルのロボットは中々手強い。

また鉄人28号は、リモコンの存在ゆえ ゴジラのような無茶苦茶な破壊的傍若無人ぶりはなく、機械ゆえの修理はできるが無敵ではない。

より大きなロボットやパワフルなロボットも登場するが、正太郎君の知恵、策略と操作テクニック、警察や自衛隊との共同作戦、大塚署長の協力と敷島博士のアドバイスでようやくライバルに打ち勝つ事ができるのだ。*3

 

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*1 鉄人は最初の頃、空を飛べなかった。背中に背負っているロケットは、一度PX団に盗まれたときに彼らが改良し取付けられたものを元に、敷島博士が作ったリプロ。

 

2 ”バッカス”は鉄人にとって最初の強敵と言えるだろう。バッカス以前に登場したライバルは鉄人に大したダメージを与えることはなかったからだ。

バッカスのボディは鉄人の鈍く渋い”青味掛ったクロガネ”と違い、プラチナゴールドのような色味で流線形で、スムースに隆起したバックウェスト末端からロケット推進力を得るデザイン。

なお、モンスターは博士の見ている中で、警察の集中砲火を心臓を受け絶命する。

その直後、 今度はフランケン博士は自らが作ったバッカスに襲われる。

異変に気付いた正太郎と大塚署長は狂ったバッカスを鉄人で止めようとしたが間に合わず、博士は絶命してしまう。

*3 正太郎君は1950年生まれ(漫画本と放映アニメだけでなく、設定の違うストーリーがいくつかあるが)、小学校高学年から中学生位の年頃のハズだが、何しろ自動車は運転するわ、拳銃の名手で、ジェット機も難なく操縦、敵に殴り倒されても直ぐに回復し、推理力も行動力も大人以上。

TVでは65年(66年再放送、1980年の第二作は別)までだったが、  66年まで約11年間続いた漫画の中では、正太郎君も途中ルーズソックスからハイソックスに履き替え(62年頃)成長と共に顔つきも若干変わっていった。

博士によって墓場からリバイブしたモンスターは、原作同様儚い生涯を終える。

また、フランケン博士の死後、バッカスも鉄人によって破壊される。

 

 

 

 

 

 

 

フランケン博士が無しえなかった考えるロボット、”ロビー”はドラグネット博士の友人、牧村博士によって作られた。(AIロボットのロビーは博士の助手=悪人に育てられ犯罪を繰り返すようになる経緯がプロローグとして存在する。全話連続してるのストーリーだが、スピンアウト的な一話となっている。

電子頭脳に憧れていたドラグネット博士は牧村博士に教えを乞うが、人工知能の行末を案じ、もう二度と作らないと言われてしまう。

そこで、ドラグネット博士は何とかロビーの電子頭脳の秘密を得ようと、ロビーにコンタクトして頭脳を見せてもらう交換条件を出す。

それは”鉄人より強い”ロボットをロビーのために作ってやるというもので、完成させたのが”ギルバート”だった。

ロビーは、後に鉄人に破壊されたが、ギルバートはドラグネット博士の元助手で改造人間の”ケリー”に操られ、鉄人に戦いを挑むこととなる..

ライバルロボットはスマートなのが多い。ギルバートも例外ではなく、人間っぽいフェイスと動きながら性能も鉄人を凌駕している。

まぁ ある意味、鉄人はムチャクチャ強いだけの無敵の存在でないのも良い、と言えるのは そこに正太郎君の知恵やストラテジーが反映されるから。

この、鉄人では敵わなかったかも知れないギルバートに勝利したのは、前回記事のフランケン博士が残した もうひとつの名作ロボット”ブラックオックス”によるものだ。

かって、フランケン博士を復活させた”ふくめん団”は人工知能(AI)をもったロボットを計画していたが、仲間が日本警察に捕まったことで計画変更して生まれた戦闘ロボットだが、ある特徴をもっていた。)

オックスのボディはフランケン博士の初期の作品”アカエイ”同様、磁気を帯びており動くたびに出す電磁波により周りの電波が乱されてしまう。(∴遠隔操作されているロボットでは近付くと、狂ってしまうか マトモな力がだせなくなる)

空を飛べないオックスだが、ギルバートとの戦いでは鉄人の力をながら熱線対決となり、これを制した。

ブラックオックスは鉄人の戦友にしてベストパートナーとも言えるだろう。

 

鉄人は生命体でないので死ぬ事はない。とはいっても、手足がモゲるなど何度か壊されそうになる度にヒヤヒヤしたものだ。

のちにギルバート的なロボットに達磨よろしく黒目を入れた当時(漫画で)流行りの太い眉を加えた濃いめのフェイス、LV2号相手に戦った時も、敷島博士のアドバイスや大塚署長の協力や正太郎君の機転で勝利を得た。

偶然の勝利やヒヤヒヤものばかりでなく、鉄人とオックスを使って悪人から日本を守る..子供が安心してみられる、そんなシンプルな話もある。

当時の子供読者へのサービスだったと同時に、次の強敵に備えるメリハリをつけたのかも知れないが、本当に横山ストーリーは読者を惹きつけるのが上手い。

 

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作者、横山光輝に何かと縁を感じてしまうのは、私の生年に師が上京され、その後 ”鉄人28号”が放映された1960年(実写版、アニメは63年~)から千早町に移り住まわれた。

私が親元から離れて住んだのも同じ千早町は、都心から近い割に田舎的自然の良き空気を感じさせる所。

今年の暑い夏、鉄人28号の24巻(KIBOコミックス原作版)を読み終え、何となく作者の元私邸、今のプロダクション玄関先を訪ねてみたら、”モリのいた場所”のすぐ近くだった。

モリのいた場所、即ち熊谷守一美術館も、師を題材とした映画(主演:山崎努、樹木希林)の雰囲気を残している。そこから2分と離れていないのに、昨年行った時は気付かなかった。

 ⇒ ”モリのいた場所”  (ameblo.jp)

 

過去にもし自分が千早町を訪ねていたら師のサインを頂けたかも知れないが、表札を拝めただけで良しとしよう。 

横山作品が今も心の財産である事に変わりはない。

1990年、スズキ70周年記念車として販売されたVX800。

自分にとって三代目は乗り手より長生きすると思っていたが、それも段々怪しくなってきた。

メンテ必須のビンテージバイクでも、自分の手が動かせるうちは何とか延命したい。

そんな最近の忘備録として ;

 

ウォーターポンプ (2022.01)

<冷却水モレ修理>  (ameblo.jp)

 

ブレーキキャリパーOH・ディスクローター (2023.03)

スズキVX800 Continental+EBC  (ameblo.jp)

 

イグナイタ・点火系 (2023.05)

スズキVX800 イグナイタ修理 (ameblo.jp)

 

さて今回は普通のバイクで言えばチェーン+スプロケの部分にあたるファイナルギヤ。

 

よくシャフトドライブはメンテナンスフリーとされる。

なんてったって、チェーンの清掃やコマへの給脂、テンション調整など不用。

実際、前の2代目VX800(E21)は、ギヤBOXオイル交換だけで10数万㌔超えても尚、摩耗も異常もなかった。

しかながら今の3代目はある時からオイル交換の度に鉄粉が増え続けた。

 

一年半前位は3~5,000㌔走っても、ドレンボルトに付着する鉄粉はこの程度だった

それが、最近では1,500㌔も走ると..

マグネットのせいでスラッジが尖ってみえるが、実際は微細な粉末状の鉄粉)

 

一度、バックラッシュの調整をしたかったのだが、もう調整シムはメーカー廃版。

ギヤ歯の摩耗粉が更にまた摩耗を進行させるので短いスパンで換えるようにしていたのだが、さすがにカウントダウンか?と心配になる減り方だ。

そこで、ギヤケース一式のドナーを廃車に求めて移植する事にした。

このギヤケースとスウィングアームの間にはロックプレートがある。スズキワールドで注文しようとしたら、これも廃版。なぜかパーツNo.が二つあるので、尋ねたら担当窓口の方は”両方とも使いますが、どちらも、もう在庫なく出ません”の冷たい一言。

仕方ないので、既存のものをキズつけないよう うまく外せばイイワイ、と決心して分解開始を

..したら、アレっ!一枚しか入ってない。

この部分は廻り止めを兼ねたロックプレートになっているのだが、厚さが足りない事で(ロック機能よりスペーサーの意味で)アームとケースの密着やプロペラシャフト受けのスプラインへのストレスが気になったので、シムを作ってみた。

スロットカー工作で手慣れたプロセスだが、さすがに模型とは大きさが違う。

ハンドニブラーを百回以上ストロークさせ、次いで手でヤスって仕上なければならない。

そのうち、疲労による握力低下どころか、手が左右とも何度かつってしまい、しまいには指の皮がむけてしまった..が、何とかできた!

と喜んでるのもつかの間、ドナーのケースはプレートの爪の位置が合わない。まあ1000Kgものトルクで締めるトコなのでと、ケースのスタッドボルトをダブルナット作戦で一旦外して、

リテーナー状の切欠にカワサキのオプション工具を挟みハンマーを使ってガンガン締込み、かつプレートをチョットだけ切り欠いてピッタリにした。

ここで、疑問..。本当に2枚入れる必然があるのだろうか?

と、浜松本社 スズキ二輪ワークスに聞いてみたら、「交換の際は2枚両方のプレートをお買い求めいただき、閉め込んだリテーナーの位置に合わせて”どちらかを”選んで入れて下さい。唯、申し訳ありませんが当社では廃版となっております。」 との事。

 

何だ、あの営業窓口のヤロー!両方とも使う~なんていい加減紛らわしい事言いやがって、などと恨んでも後の祭り。

まぁ、自身の、口先より手が動く男性的性格?による結果の作業タイムロスと、人の言う事は再確認すべき教訓として、この金色に輝く(何の価値もない)プレートは記念に取っておこう

(゚Д゚;)

スウィングアームのピポッドカバーを外し、その穴から左手でユニバーサルジョイントの位置をクリクリ合わせながら、右手で重いギヤケースを持って穴の中のスプラインをマサグりながら押し込むのは重労働。

何せ手足の筋肉疲労なんか気にする前に、合わせ面に塗った液体パッキンのスリーボンド”1215”が乾いてしまわないかとヒヤヒヤものだったが、数度のトライで入ったからホッとした。

 

後は関連してバラした各パーツの組立、のはずが、一難去ってまた一難。

ギヤケースサイドのリヤサス取付スタッドボルトのネジ山先端がつぶれている!

きっと、ドナーは転倒事故車だったのだろうか?でもまぁ、頑丈なケースだし内部には問題ない事を祈りながらツブれてる部分をサンダーでカットする事にした。(アーム取付部のスタッドボルト同様、ダブルナットかましてみたのだが外れなかったのだ

さて、ファイナルギヤボックスにはMOTULの高級オイルをキッチリ入れ、アームの液体パッキン安定に鑑み試走は一日置いてから。 

作業結果に不安が無いと言えばウソになるが、良くなることを夢て..楽しみだ。

 

前回レッドライン7000用前輪独立キットについて書いた後で、<REDLINE7000>用シャーシを2台追加オーダー頂いたYS氏や レッドラインメンバーのTK氏にもフリーホイル用シャフトを提供したが、今回またチョット別の細工「モケイと工作」をしてみた。

 奇怪・難解・改悪だと思われたらご容赦を。

既に今まで私のインパラで使用、セッティング編で考察を述べたが、その操縦性の違いは中々楽しめるものであり、制作工程と60年代当時の変遷は紹介した通り..。

60sスロットカー⑭<REDLINE7000セッティング編> (ameblo.jp)

60sスロットカー<フロントフリーホイル> (ameblo.jp)

前輪のフリーホイルは普通のパイプアクスルに比べ回転接触箇所が3か所になり、また質量ある鉄シャフトに対してホイルがフリーになるのだから軽く廻るのは当然なのだがメリットばかりではない。

低抵抗の前輪は、加速がよくなるだけでなく”ツッコミ”の一瞬もクイックになり、ガイド先端からいきなりヌケることも軽減される。

それは、車体の質量がガイドセンターを軸とした回転モーメントになる事にも抵抗が少なく(タイヤ自体の横方向へのエッジ効果は変わらないが、デフを思い浮べれば明確なように回転差を押えないので)テールスライドが大きくなりやすいのだ。

つまり、せっかくガイドシューがヌケずに速くツッコめても、その直後にテールが振り出してしまうので、次の加速操作を躊躇してしまうのだ。

唯、実際に走行しているプラボディのストックカーを良く見てみると、コーナーでボディが外側に傾きテールが振り出し、グッと沈んだリヤ側が踏んばる時にはイン側前方は浮き気味になっているから、この状態に至っては左右連結でもフリーでもとさほど変わらない状況とは言える。

 

別の視点から、この車体ロール状態について言うと、私はスウィングアームは走行限界にヘルプフルなものだと思っている。

スウィングアームは、白金レースウェイの少し左右にヒネれながら上下にウェブがかったコースでは不可欠だったが、ジャンピングスポットがない今日のバンプロ/レーパラコースでも車体の挙動が大きいビンテージカーでは下の写真のようにガイドを残すのに有効だ。

それゆえ、私は今までレッドライン用シャーシは全てのスウィングアーム付で制作した。

上下とも写真は、懐かしの66年モデルスピードライフ、萩原氏の記事から借用したもの。

萩原氏は下の写真は転倒直前のものだ云うが、以前私はリンドバーグでツッ込みすぎて同じような状態になった時もアームのお陰でレーンアウトを免れたことがあった。

 

現在 🏁レッドライン7000はカタいシリコンタイヤでやってるので、写真程大きくロールしないが、今回LSDのようにイイトコ取りを考えたのが ;

もし、フリーホイルの回転角に制限を与えれば..

 ⇒ 突っ込みの一瞬は、フリーな左右がガイドを残す(フリーホイルのメリット

 ⇒ 数センチの車体の挙動でフリー状態から左右連結状態となり

 ⇒ ロックしたタイヤはスライドへの抵抗となる(左右連結のメリット

勿論この後、即ち車体が外側にロールしてからは内輪も浮くだろうから影響もエフェクトもないはず。だが、この僅かな一瞬の挙動の間に思惑通りなればとの愚案なのだ。

構成としては実車のようなビスカスカップリングはスロットカーでは無理なので、イモネジ固定に代えピンを差込んただけだが、3㍉シャフトに1㍉の穴を開ける悪魔的な模型工作は楽しかった。

まぁ実際のトコロ走ってみないと分からないし、フリーホイルのような低抵抗のメリットはなくなる。Eトコ取りのつもりが悪いトコ取りにならなければ良いのだが..

(^^;)

さて、前々回記事通り、明日6月11日はRacing Paradise町田で ”REDLINE”。

1990年、スズキ70周年記念車として販売されたVX800。

ちょうど33才とはいえ機械モノ。身体中不具合と劣化が深刻な66才の乗り手よりは長持ちするだろうと思っていた。

しかし、先日ディスクローターを交換しブレーキキャリパーをOHした時は生き残れるかヒヤヒヤものだった。

既にキャリパーピストンもローターも廃版となっているが、キャリパーシールだけは統一品番となって未だ残っており、ローターは英国EBCから入手でき、何とかサバイバルできた。

スズキVX800 Continental+EBC |  (ameblo.jp)

 

今回は電気系の治療話。ご照覧あれ。

先月は騎西城まで足を延ばしたが、帰路、突然エンジンがボコつきはじめ 急に回転が上がらなくなった。 それに70㌔以上出すと異音が大きくなる。

関越自動車道を走行中の事なのだが、9年前 場所も同じ関越自動車道でエンジンが爆発した(曲がったコンロッドがシリンダー壁を突き破った)悪夢のような記憶が頭をよぎった。

その時は、勿論メーカーで廃版のクランクケースをドナーの中古廃車から入手し、訪ねたアチコチ修理工場に断られ続けながらも、恵比寿GOODSPEEDさんに救われ延命できたのだった。

 

一旦 路肩に止めてから、バッテリーのターミナルやプラグキャップの接触など点検しセルを掛けるとアイドリングは問題なさそう。

恐るおそる空部ぶかしで回転を上げると、上は苦しい感じだがマフラーから煙も出ていないので焼付きやオイル上がり等でもないだろう。

仕方なしに路肩を60㌔程度で流して次のICで降りた。その後、エンジンに負担を掛けないよう、だましだまし命からがら帰宅し翌日いろいろと点検。

前シリンダ側プラグが後シリンダ側に比べて変だ..前回のメンテで前より後ろがヤケていたのでキャブレーション調整して前は薄くしたハズ、タペットも正常範囲なのに? ..だとすると点火系。

スズキのトラブルシューティングマニュアルで①スパークプラグ、②イグニッションコイル③イグナイタ、以下スイッチやワイヤーハーネス..となるので、勿論プラグとプラグコードは交換した。コイルはテスター当てても(プロにはテスター位で分かるか?なんて言われそうだが)問題なさそう。

それにしても、VXのコードは前が約70cm(後35cm)もある。今まで低抵抗とうたい文句の内部がスパイラル上の巻線タイプのものを使っていたが、うたい文句はあくまでノイズ防止性能が十分ある上での低抵抗、実抵抗はメートル当り約1KΩも。

実際に計るとフロント用(長い方)が600Ω、

リヤ用(短い方)は200Ω。

もしかしたら、このプラグコードの長さが、前後シリンダーのプラグ焼け方が違う一因だったかも知れない。

以前アメリカ製のプラグキャップ付きコードをバラした時に分かった事だが、プラグコード自体に抵抗があるので、キャップ自体は0Ω、つまり抵抗が入っておらずにコードでノイズや逆起電力を防ぐからイイ、と言う考えだったのだろう。

国産の大メーカーで出しているキャップとコードが一緒になっているアフターマーケット製品は、律儀にもプラグに抵抗が入ってコード自体にも抵抗があるものだ。

(流石に我が日本人は建前をよく守る)

導体は、上の写真のように極細のステン系材質の巻線だが、これだけ抵抗があっては前後シリンダーでコードの長さが異なるVXには向いていない..事を(今更、恥ずかしながら)気付いた次第。

だから、メーカーオリジナル即ちスズキ純正は、普通の0Ω銅芯コードだったのか!

それならプラグキャップ ~ コイル間の抵抗は同じに揃うリクツだ。

 

また念のため、キルスイッチも分解清掃。大昔、レース中に回転不具合を感じた とあるロードレーサーが自分でキルスイッチコードを引きちぎり直結、再スタートして入賞した話を思い出したからだが、私のVXは問題ない位キレイだった。

しかし手間どってしまったのは、分解作業中に直径2㍉程度のポイントボールを落としてしまったからだ。

スイッチ内部には上下と左右方向2か所、即ち、ON/OFFの操作釦の位置固定と接点の圧着のため、それぞれスプリングが使われていてるのだが、片方に操作釦がスムースに動かし且つ操作後にピッチリ位置を固定するためスプリング先端にボール玉がついているのだ。

空中サーカスよろしくハンドルからコードがぶらぶらしてバラした状態ではチョットしたことで小さなタマなど落ちてしまう。

結果、オモチャ用パーツのなかから、ひとつ使えそうなベアリングを破壊してその玉を流用した。冷や汗モノだが、接点スイッチとはいってもマイクロSWみたいに圧しつけられてるだけあって接触抵抗”0”に敬意を表し、構造に文句は言うまい。

 

そういえば、一度も換えてないイグナイタは電解コンデンサが使われてる話を思い出した。

某メーカーで働いていた時、8~10年程度でのインバータユニット更新は高額なビジネスになっていたが、その時の理由がコンデンサ等の基盤素子の寿命だった。

私のVXに限ったハナシではないが旧車の電気部品は、勿論メーカーは対応しないのでユーザーの責任で色々ヤル事になる。

早速ネットで探すと近所に持込歓迎と云う ”スマートまっくす” なる会社があったので訪ねてみた。

残念なことに宣伝は宣伝、”はんだ付け作業もプロに..” ではなく、”はんだ付け作業の代行”だけ、だと言う。

つまり、「自分でケースを開けて部品を手配し、どこをどう交換するのか書いた指示書と一緒にお持ち下さい。」と云うものだ。

そんなコトなら自分でやるワイ!とマイナスドライバーでケースをこじ開け、秋葉のラヂオデパートに向かった。

以前、スロットカーのパーツを探していた時、確かここの2階で親切なオヤジさんにコンデンサの事を詳しく聞いたからだ。

ホットメルト?(ゴム系セメダインのような質感)をナイフで削るとコンデンサが頭を出した。

今回、その方はおらず対応してくれたのは、多分?女子大生やJKと言っても違和感ない若い女性だが、失礼乍ら知識もあって信頼できた。

曰く、16Vはもうメーカーで出してないから50V用を使って下さいとの事。今回は電解コンデンサのみ交換するつもりだが 耐熱温度は 85⇒105℃にUPして買い揃えた(費用約200円)。

古いコンデンサを外した後はピンバイスで0.12㍉の穴を皿ってから新しいのを挿入した。

コンデンサを交換後、念のため無溶剤シリコン系接着剤でカバー、プリント部はソルダーレジストで補修

忘備にイグナイタ修理日を書いておいたが、乗り手よりも長持するのかなぁ..

イグナイタの修理後の試走では中速以上に回転上げても問題起きなかった。

低速も何だか力強くなったような気がする。

まぁ、始動性の悪さはあまり変わらないが、以前、キャブを開けた時ニードルに摩耗が見られたから今後対策すべきかも。

あぁ、ビンテージバイクの悩みは尽きない..。

 

VX800のタイヤをコンチネンタルに替え3カ月走った。

今まで履き続けた慣れと安心感で続けようかとも考えたAVON SPRITは円安下の値上りもあってContinentalを選択。

エイボンのHPでVX800を検索すると”SPRIT”が適用推奨されるのと同様、コンチのサイトで車種をチェックすると”ROADATTACK3”がオススメされる。

Continental Motorcycle Tires (continental-tires.com)

唯、残念なことにコンチの最新作にしてパターンもクールなロードアタック4は、残念ながら18インチ対応なく、”ロードアタック3”を履くことに。

大昔、Z750Bに履いたコンチはグリップも乗り心地も良かったが、ライフは国産よりかなり短かったと記憶しているが、(今や逆転してる国産タイヤの短命は誰もが思うトコロ)40年振りのコンチは如何なものか !?

 

最近のメインは街中ばかりだが、先日 権現堂林道から顔振峠まで軽く走った。さすがに若い時の反射神経も運動能力もない自覚から大きく安全マージンを取って、トレッドエッジをかなり残してしまったが、タイヤの感触は十分確かめる事ができた。

前に履いたエイボンのマッチングは良いと思ってたし、恵比寿GoodSpeedの依田さんにもいい選択だと言われたのだが、実はフロントの空気圧を少し下げていた。

ピレリのAngel GTを履いていた時にフォークにチタンコートと低抵抗オイルシールをオゴッたら、例えばマンホールを通過するときなどは雲の上?のような極上の乗心地になって、後でスプリングを強化した位だった。

それが、エンジェルからエイボンに替えたらコツコツ路面を伝えてくるので、依田さんのアドバイスもあって少し空気圧を下げていた。

つまりカタいとも言えたのだろうが、その分?エイボンSpritはダンロップのGPR300に近いハンドリングの軽さを感じる。

また、エイボン得意のVBD(ベルト張力をトレッド位置により変えている)の恩恵でコーナーリング中のギャップはしなやかに吸収しながら、GPR300のような高速コーナーの腰砕けもない。

GPR300も決して悪いタイヤではなかったが、分割コンパウンドではないので、高速ばかり走っていたらセンターが偏摩耗してライフは非常に短かった。

 

さて、期待のコンチは、エイボンと同じ(低めの)空気圧では重く感じたので、空気圧を上げたら、今度はフラフラと座りが悪いような、落着かないハンドリングを感じてしまった。

この辺りはケース剛性やトレッド面のシナリ、サイドウォールの柔軟性など複雑な要素が多く神経質になっても仕方ないコト。慣れで対応すればいいのだろうが、コンパウンドによる路面の掴み方も結構違うものだ。

 

例えば、先の信号が赤。スピードもギヤも落としていってセカンドからニュートラルになったところで、十分な安全確認ができたら十数メートル位はニュートラルのまま惰性で停止線までコロがそうと云う時のコト。

コンチは、エイボンと同じ感覚では想定より手前で止まりそうになってしまう。

つまり、エイボンはコンチより転がり抵抗が少なく、 

          コンチはエイボンより路面粘着力は高い   ..のではないだろうか。

実際サラッとした表面のエイボンに比べ、コンチはザラッとした感がある。スロットカーのシリコンタイヤとブラックマジックほど差がある訳じゃないが、これが”路面を掴む”感触を与えるのかも知れない。

 

そう勝手に解釈すると、空気圧を無理に上げる必要もない。また同じ空気圧でも直進状態から左右への寝かし込み自体は、むしろコンチの方がヒラヒラ軽くライン取りも楽だが、自分の身体にしみついたエイボンの特性への依存は改めなければいけない。

”路面をつかむ” と云えばメッツラーROADTECH01デビュー時のうたい文句でもあったハズ。

だが、ロードテックは、確かにムチムチしたtトレッドゴムのフィーリングと合わせて力強いグリップ感はあったが、荷重がかかる時等VXではシャーシがタイヤに負けている印象が強かった。前後方向に長い、チョットした段差のペイントの上を通過する時などでも、車体がグラッとくるのだ。

エイボンやピレリ、ブリヂストン(T31)等ではタイヤがしなってくれているのか、そんな突き上げるようなフィードバックは無かったのだが、ロードテックの剛性を確信したのは、後日エイボンに戻したら同じ複数の場所で同じように走っても車体が負けるような事が無くなったからだ。

コンチも剛性は強いが、今のところメッツラーみたいにオラオラ煽られる事はない。タイヤ自体のバランスなのか?車体がウォブルを出してしまう程の事もない。

あくまでも私のイメージなのだが、グリップ感もメッツラーのムチムチしたゴムっつぽい接触感ではなく無垢の材木に紙ヤスリを圧しつけたようなザラザラした?ガッチリ感じなのだ。

 

また、先に寝かし込みが軽いと記したが、今までのエンジェル、メッツラー、エイボンの何れより”コンチはプロファイルが”尖っている”気がする。

例えば、軽く振り回しやすいGPRはロードアタックのような倒れ込み感はなかったので、イージーな親しみやすさがあった。

ロードアタックに親しみを感じるまでには至っておらず、とがってるゆえのクセに慣れるまで自分には未だ時間が必要だろう。

ひと皮むけた500㌔程度では何とも言えないが、深いバターンはライフが期待できそう。

 約1500㌔走行後、”ContiATTACK”の文字はもう消えかかってきた。

Ref.>

メッツラー ロードテックのインプレ

METZLER Roadtec01 (ameblo.jp)

AVON Spirit AV75/76 (ameblo.jp)

同じくAVON、2018年の印象を..

AVONインプレ!スーパーベノムとスピリット  (ameblo.jp)

 

今回、40年振りのコンチを履いてタイヤの馴らしとインプレのつもりで、権現堂林道から顔振峠まで走った。

だが、帰路に越生の佐藤酒造に寄ったところ ”まりこのさけ ”新作を入手したので、ロードアタック3のインプレは次回とし、先ずはこちらから..

”まりこのさけ”、一代目即ちNo.1は2015年からだったと記憶している。

女性は穢れの概念から酒蔵にも入れなかった大昔とは違い、利酒で女に敵う男はいない とまで言われ始めた21世紀。それでも当時尚、女性杜氏はめずらしかったので、”まりこの酒”は確か新聞でも取上げられたはずだ。

No.1は纏まりよい酒だったし、No.2はフレッシュ感が強められたが酸味とのバランスも良く呑みやすかった。その後、毎年順調に2018年No.4まで続いたが、2019年訪れた時は ”まりこのさけ”がなく、季節限定の生酒を入手した。

 ⇒ まりこの酒 (ameblo.jp)

その後、No.5とNo.6を入手したのは2021年初春だった。当時、コロナの影響もあったかも知れないが、僅か1、2カ月の短期間にNo.5とNo.6の2バージョン出されたのは、No.6に採用した酒造好適米の五百万石(新潟の契約農家から仕入れたそうだ)を早く試したかったからだろうか。

まぁ女性のフォトパッケージに誘はれ買ってる訳では決してないのだが、下のフォトは、以前 ”佐藤麻里子”さんに店頭でお会いした時のもの。御当家初の女性杜氏は落着いた雰囲気ながら、今もきっとなおチャーミングな方であるに違いない。

そんな、”まりこのさけ”、今年はNo.7に..

今回、その最大の特徴は”生原酒”であること。

生貯みたいに一度でも火入してれば常温保存できるが、今回は 要冷蔵品なのだ。

以前、こちらで”生酒”を入手したのは冬場だった事とリーズナブルな価格だったゆえだが、”まりこ”シリーズでは今回初の試み。

売り子さんからも、ご自宅に帰ったらすぐ冷蔵庫入れて下さいね、と念を押されたが、如何にVXで高速走ろうが県内のご近所に持って帰るのとは訳が違う。(ビジネスのQAとして保冷パック用意した方がベターでは..

さて、晩に早速、栓を開けた。

う~む、さすがに生の原酒。吟醸香がハンパない。それにアルコールも容赦なく強い。

マイルドな古酒であればアルコールが高くても舌に馴染むが、これは若くフレッシュで香りも華やかなのに、酸味もありドロッと強い..今回は かなりオテンバさんだ。

私だって、たまにはビリーバンバン聴きながらキレのある”いいちこ”をロックで呑むが、しかしこのNo.7のバランスはないだろう..と云うより「もったいない」。

普通のメーカーだったら仕込水でバッティングして飲みやすくして出荷するだろうし、氷を入れロックでもイケる類のものだ。

邪道かも知れないが人によっては炭酸水で割るのも良いだろう..実際試したら、某大手メーカーの発泡日本酒よりも全然美味しかったし量換算でも割安にもなる。逆に云えば、メジャーな発泡日本酒は、いくら購買層クラスターがリッチな女性とはいえ、薄すぎるし設定価格が高すぎるのだ

 

こうして、日本酒に言いたい放題言ってるが、私は決してマニアではない。

唯、周囲が気を利かせてか、年が明けると暫くの間、我家のストックルームは樽酒の香が充満し、先週も新潟のアンテナショップで唎酒セットの御接待だった。

左から、麒麟山「ぽたりぽたり」、鶴齢、想天坊。

表参道のアンテナショップ”ネスパス”は新潟の酒であふれている。それにしても、最近でこそ寒梅を置いているが、一昔前は なぜか何時行っても寒梅はなかった。

まぁ二昔前は仕込み水の採取地を限定したり流通する絶対量も少なく、また地元優先のプライドも石本さんにはあった為、こちら東京では他のマイナーな酒との抱合せ販売が横行していたのだから。だが、今やその辺のデパートでもスーパーでも当り前のように入手でき、希少性など、今や獺祭にカンパイ..イジの悪さと駄洒落ご容赦あれ。

さて、その寒梅が珍しかった二昔前、衝撃的だったのが正に新潟は五泉の地酒、 「菅名岳」。

当時、雪中梅や峰の白梅も好んで飲んでいたが、これはヒトに勧めたくなかった。

最近では都内でも手に入るが以前は地元から送ってもらっていて、何より売れるようになると品薄になったり、味わいが落ちたりと、そんな心配をしたからだ。

さて、越生は佐藤酒造で入手したワンカップとTシャツ、日本酒の分かる友人に送ろう。

 ――   乞う勘弁、生酒や樽酒を送る訳にはいかない。

 

 

60年代スロットカーの再現、電関モーターストックカー。

Final Ver.に続き制作した、LimitedとCustomVer.をオーナーYS氏にサブミッション。

Limited:Vol. 12

FinaiVer.と共通仕様だが、Kemtrom8Vモーター搭載。またトーションバーとピポッドパイプ変更し最適化と精度向上を計った。

スィングアームピポッドを止める端子とナットは上下寸法合わせたので、ネジを一度外して180度ひっくり返す事でよりワイドにアジャスト可能。

Custom: Vol. 13

モーターは56年前販売のカツミ製”レーシングカー用 DV-18E”デッドストック。

Kemtronと違い、ブラシ側は取付穴が無い(もしケースに穴を開けたとしても、ネジを入れるスペースがない)、固定はFinalVer.同様トルクロッドを用意。

スィングアーム本体はFinalVer.以降、4台共ほぼ同寸で制作したが、ピポッド位置はフロントセクションに固定。

また前サスをセンターロールから上下にストロークするタイプとし、メインフレームの補強は角断面を採用し、CustomVer.らしくメッキ仕上。

かって二輪の世界チャンプになった片山敬済が好んだニコ・バッカ―フレームはクラックが分かり易くメンテしやすいからとニッケルメッキをかけていた話を思い出し、またAYKが60年代26D用パイプシャーシ”R-555”はシルバー色だった事にインスパイアされたからだ。

↑ 左Vol. 12、右Vol. 13

今やダイバーシティの世の中、スロットカーシャーシもこれがベストはない。

同じ規格の中で2台をバリエーション持たせての制作は楽しかった。

知人の口癖、”酒も女も2号まで”..私に言わせれば”スロットカー、楽しいのは2台制作”

 

また、アピアランスだけかも知れないが、ドライブ側ピニオンを軽量化しVol.13に採用。

 

美観ばかりを気にするようだが、スプリングサスのロッドを止めるピンも、キット付属のものはφ0.8でガタつくし、キレイに収まっているとは言えない。

クイックリリースピンを2種類作ったが、ひとつはφ1.4のSUS割ピンを指先加工。

もうひとつはピアノ線に外径1.4㍉のパイプをかぶせて制作。ナイロンのリテーナーと一緒に使えばスプリング頂部がナナメに収まる事もなくなる。

タミヤA型共通パーツなので作ってみようと思う方は参考にして下されば幸いだ。

 

さぁ 次回”REDLINE7000”は6月、町田はレーシングパラダイスで開催予定。

ご興味ある方の新規ご参加ご見学大歓迎。