昨年、US氏のオーガナイズで始まった60年代ストックカーの再現 ”REDLINE 7000”、

=タミヤA型シャーシ+電関モーター搭載のストックカーも既に11台リリース。

Vol.10&11のFinal Ver.で暫らくは手が離れそうだったが、YS氏より追加オーダー。
何度もよみがえる”宇宙戦艦Y”や、売れない店の”閉店セール”じゃないが、ブログご照覧の方々が食傷気味にならない事を願いつつ、Vol.12&13制作着手。

 

先ずはモーターOH。未使用・未走行でも、いかんせん55年前の当時もの。サビを落とし腐食部を磨き、長すぎるシャフトのカット、ケースはメタル形状の加工やインチ穴にSO-M2ナット付加等々..

赤錆ではないがローター表面は腐食が見られた

 ↑ 左はカツミ、右はケムトロン。 コア表面とコミュテータを研磨して..      

 ↓ハンブロールでコーティングして再組立て。

 

<フロントサス> Vol.12

センターロールタイプの’68年全日本選手権を席巻したムサシノ式船津型、今までと同様の型式だがトーションバーのピポッドを改良し精度向上。

 

<フロントサス> Vol.13

Vol.12まで続けたトーションバーを廃した。

ロール時の踏んばりより路面への追従性、安定性重視のフロントアクスルを上下動させるタイプ。’69年、70年全日本を制したTEAM CHIKYUのシャーシに範をとったものだが、タミヤA型元々のSアームピポッドを使うと見た目もまとまり良く、我ながら良いアイディアだと思う。

  ↓ Vol.2以降のスウィングアーム同様、ピンが左側から入るように加工

’69年当時、チームCHIKYUのシャーシはテールリフトにバタフライの組合せ、カマタ勢や白金の連中も似たような構成のシャーシだったが、’70年このフロントアクスルまでドロップさせるシャーシとなった。

 

当時、 私も真似てFクラスはフロントをドロップさせるようにした。支点も比較的前方でストロークも短いものだが、作用点距離が短いので左右にガタつく事は無い。

Sアーム必須だった白金のウェブコース(上下だけでなく若干左Rにもヒネれてる)で効果的だっただけでなく平坦なコーナーでもスロットからヌケずらくなったように感じた。

下の二枚の写真、Fタイヤ位置の違いがお分かりになるだろうか。

 

さて、思い出すのが、このロータス・タービンを以って臨んだ最後のオール関東戦。

当時のカー雑誌”オートテクニック”がスポンサーとなり、場所は通い慣れた白金レースウェイでチームCHIKYUリーダー、知久君ご提供のトロフィーが掛かっていた。

前年の全日本チャンプ古澤君が出なかった事もあり、気合を入れて参加した私は運よくGTクラスとストックカーでトロフィー頂いた。

だが、両クラスともベテランの馬木さんには全く歯が立たなかった。スタートから離され、一度もホールショットを取ることもなかった。

ところがフォーミュラだけは違った。スタート後の直線からバンクを駆け下り、ヘアピンにかかるまでに馬木さんだけでなく全車をかなり引き離せていたのだ。

唯、かなり無理したハイチューンモーターを使ったせいで、コントロールしきれず最初のヒートはコースアウトしてしまった。

その後、当日の高電圧と油ぎったコースコンディションにも慣れ、さぁ取り返すぞ..と思い慎重にヒートを重ねたが、4ヒート目には既にモーターがボケ始め、以降はテールエンドで周回するハメになり、結果は4位。フォーミュラでお立台に上がれなかった無念と反省は、今でも絶縁対策やマイQCの原点になっている。


脱線話乍ら、当時のレースで活躍されていた馬木さんはスガモをホームコースとされていた。私より半廻り年長の馬木氏は緻密な真面目さが印象的で、レースの数週間前から一人で白金に練習に来ておられ、敵わないなと思う事ばかりだった。

だがフォーミュラの一件からオール関東の後では、いつか彼に勝つことも夢ではないと思うようになっていた。

スガモ勢は人数も多く、はたから見てもコミュニケーション良く、後日、別のレースで”オール関東じゃ勝手なコトしやがって”などとスガモ勢の鈴木兄弟にジョークを言われ馬木さんは苦笑いしていた。

しかし、サーキットが閉鎖されたスガモの方々とも疎遠となり勝負を挑むチャンスもないまま。

彼も、残念ながら20年前に50代でお亡くなりになり、もう会うことは無い。

それでも、このトシになっても細々とサーキット通いをする自分のブログを、もし何か懐かしく思う方がおられれば幸いだ。

 

今日は、新横浜バンプロジェクトで久々のVSCM=ガレージハウス鵠沼オーガナイズのビンテージスロットカー関係方々の集いに参加した。

懐かしいコンペメンバーの方々と会うだけでなく、昨年クリアボディのカラーリングを頼まれたSB氏(1990年西日暮里モデナで年間チャンプ)にもそろそろお渡ししなければいけない。

その1990年はスズキ初の(国内向け)オーバーナナハンとなるVX800が販売された年で、私は予約したスズキ新宿で実車をみる前に(日本国内より先に販売されていた)出張先のスウェーデンのディーラーでVX800に対面した奇妙な年だった。

またスロットカーに触れる機会が少ない年だったが、出張先の欧州で関連グッズやトイを見つけては喜んでいた。

2台ともハンブロールで。1/24感覚で1/32を塗ると仕上りは粗い。あとはご本人に仕上てもらおう。


さて、SB氏に義理を果たしたところで、今の最優先課題は電関ストックカーの再生産。

電関モーター搭載の60sアメリカンストックカー”REDLINE7000”も既に11台をリリースし、先日、スロットカーの専門誌”SLOT CARS MODELING”表紙にシャーシNo.9を掲載頂いた。

ファイナルバージョンNo.11もオーガナイザーUS氏の手に渡り、これでもう、暫くは電関から手が離れるな、と思っていた。  

↑厚板のSアームが特徴のFinai Ver.2台。上側シャーシNo.10、下側はNo.11。全く同じ構成で重量差も1gとなく出力軸も左出し。

KTM製ーターは品質や精度良くバラツキも無くコミュテータもセンター0位置なので前進後進差もあまりない。唯、まれに右軸が好適回転方向のものもあるが電気的な進角ではなく切削加工角度による動的抵抗の差によるものと思われる。

 

そんな折、YS氏から追加制作の打診を頂いた。デザインお任せの2台オーダーゆえ、我が制作意欲をアーティスティックにみたすべく気合も入ろうというものだ。

No.10、11の厚板Sアームは気に入っているので同様のモノとし、前回、ファイナルと言いながらも少々気になったフロントのサス精度とウェートバランスは改善したいところだ。

 

昔々の話で恐縮だが、タミヤが最初に出したダイキャストシャーシ(ジャガーDのブラスシャーシはGOSEN社のOEM)は、その仕上精度とボディ(ロータス30、フォードスパイダー、ランチアフェラーリ)の出来で発売早々人気を得た。

そのため、次に真鍮製のA型サスペンションシャーシ(エルバマクラーレン、フェラーリ330P)が出た時、一部のマニアや雑誌記者から”軽く堅牢で精度の良いダイキャストシャーシを望む”などといわれたものだ。

しかし、直ぐにそんな声は消え去りA型シャーシはあちこちのサーキットを席巻した。(レンタカーで使う店もあったし、後年の”ミニ四駆”みたいにワンメイクの”タミヤGP”なども開催されていた。

当時、タミヤの設計者は「ウェートを積まないと性能が出ないのはメーカーとしては面白くない..重心を低くするためにも意図的に重くした」旨を話されておられた。

 

確かにスロットカーは同じ電圧、同じモーターなら軽ければ加速は鋭く速くはなるが、重量のある電関モーターをサイドワインダーで使う事、即ちテールヘビーの場合、自分の感触でもフロントにはウェートを追加した方が安定性が増すのが分かっていた。

ゆえにタミヤの設計者ではないが、今回は最初からミニマムレベルで前軸下部に着けた。’68年全日本選手権を席巻したムサシノレースウェイ発案のサスを煮詰めたNo.12のフロント。

 

今回はせっかくの2台オーダー、Limited Ver. さらに”カスタム”として..No.13(サーティーンと言えばG13、精度上げたアーマライトカスタムのイメージ(^^;)は、フロントのエクステンションをコの字アングルとし、さらにNo.2~11まで続けた”ムサシノ式船津型サス”+トーションバータイプから..

フロントアクスルを、Sアーム同様にドロップさせるスウィングシャーシタイプとした。

( No.13のフロンは。 ’69、’70年に全日本で優勝されたTEAM CHIKYUの発案がルーツ)

タミヤオリジナルのSアームを活用した訳でトーションバーがなくシンプルな分、メカニカルなビジュアルは少ないかも知れないが、ヒネリと復元感はちょうどいい感じだ。

さらに言うなら、ピン=ロールピポッドを外せばシャーシのネジれも容易に調整できるだろう。

次回、Limited Custom Ver. 乞うご期待!

 

 

 

S41年は...

 

つげ義春の旅年譜は1966(昭41)年から始まる。

25年間のうち前半の十年間は訪れた場所も多く、よく動き回り一度の日程も長かった、と回顧され、また友人との車旅行も作品のアイディアになっているのは疑う余地がない。

しかし、”蒸発旅日記”はリアリティそのものなので漫画作品にされなかったのだろうと私は思う。

原案、原作に対し、殆どの映画がそうであるように映像化はアレンジして出来上がる。従って映画は映画で、勿論原体験とは違うのだが、”蒸発旅日記”に引き込まれてしまうのは原作者が 「いま思うと軽薄な真似をしたものだと恥じ入るばかりだ」とするリアリティゆえか。。

 

「それはS43年の初秋だった。行先は九州。住みつくつもりで九州を選んだのは、そこに私の結婚相手の女性がいたからだった。といっても私はその女性と一面識もなかった」 

..そんな文面で始まる”蒸発旅日記”に引き込まれてしまった。

↑アバンチュールの始まり、つげ義春が自身よそ者と意識しながら珈琲を飲んだであろう店

つげ作品オリジナルと表現の違いがあっても、映像の ”つげワールド”にも浸りたいと思うのは私だけではないだろう。

自分にとって”蒸発旅日記”は、まさに脳内に再現されるアバンチュールであり、そんな”つげワールド”に自分の感性がにシンクロすると、あたかも自分の記憶も実はあいまいなもので、まるで過去の事実が夢だったのではないかと一度疑う事になるかも知れない。

だが、作品を知らずに旅年譜だけ読むと理解できないだろうと思うのは旅年譜には次の通りサラッと書かれている;

 

「九月<九州>: 九州へ   蒸発するつもりで出発し決意が鈍り三重松坂に一泊。九州では小倉、湯布院、湯平、杖立温泉を泊まり歩く。 帰途、名古屋で一泊。静岡県の清水市でも泊まった覚えがあるが、思い出せない。」

 

作者が一週間待たされる間、小倉から杖立温泉、湯布院を経由し”白雲荘”に泊まったとのこと。なんとも郷愁さそうフォトではないか。この写真を見て、私は群馬の老神温泉を思い出したが、坂道にも電柱にも何とも言えぬテイストを感じてしまう。

そう、興奮も感動も忘れさせない”蒸発旅日記”だが、物語の最後に述べられたのは; 

― 「軽薄な真似をしたものだと」 としながらも続けて 「私の蒸発はまだ終わってはいないような気もしている。-(中略)-私は何処かからかやって来て、今も蒸発を続行しているのかもしれない、とフト思うことがあるからだ。」

 

独特の文章は、「李さん一家」に似た論理的手法で、きっと言霊を緻密に計算されたのかも知れない。

だが私には、なにげない一文から作者の心の情景もニュアンスも正確に、これ以上ない完璧な文章として私の頭の中に展開する。

 

あたかも映画を超えた現実のように

 

そしてまた、自分の夢か?実体験か?とさえ思わせる..。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前 甲府ドームサーキットに参戦させた2台のSHADOW

オークションやメールを通してお名前を知っていたMCZさんの参加車

残念ながら数年前にサーキットは閉店となったが、70年代AYKベース+270Sのクリアカーレースは最高に楽しめた。

が、操縦する方もアドレナリン全開ゆえ疲れた..財津一郎ではないがヒジョーにキビシー!

何といっても’60sビンテージや今のプラフィットのパワーの倍以上あろうかというモーター。

それでいて、昔のハネ(ウィングカー)みたいにグルーでタイヤをコースに張付かせて1、2か所のブレーキポイント以外はずっと全開!では走れず、しっかりドリフトコントロールしないとアチコチでコースアウトする。

帰路はリラックスと疲労感が入り交じってのライディングとなったが、VX800でなかったら、とてもマトモに帰れたものではなかったろう。

ドームサーキット VX800 |  (ameblo.jp)

VX800の米誌上CM ”Nothing More Relaxing than Cruise.”..愛機に感謝したい。

 

ドームサーキットが無くなったのは残念だったが、今回のバンプロは深刻だ。

身近なコースが無くなっては、正に”スロット難民”(by”スロットカーモデリング”誌の安本氏

前回【100】話ブログにて新横浜バンプロジェクトの一時閉鎖・移転に触れたが、やはりスロットカーは走らせて楽しむもの。

昨年末 その新横浜バンプロで行われた神戸ミントホビー杯では、事前のステロイド注射も功をなし、コントローラを握る右手の力が抜けるような事なく、トロフィーを賜ることができた。

3つカテゴリーのひとつ、タミヤクラス(レプリカシャーシ)では1位を取れたが、フォーミュラクラスは最下位..まぁ表彰台ゲットだけでもウレシイものだ。

タミヤクラスはガタの多くなったアルミ製スウィングアームをレストアし、また指定ガイドのキャスター 0度としてアーム廻りのストレスを軽減。勿論、コースに合わせてギヤ比は変えた。

また、3台も用意したディノクラスは元々パワー不足を感じていた。その上、平均スピードも上がるオーバルインフィールド。

そこでノイズと多少のイナーシャには目をつむり、パワー伝達効率の良い金属ギヤに換え、また中低速コーナーで安定感をもたらしていたサブフレームのバランスウェートを取っ払った。

結果、先頭集団でのバトルを楽しめた。

一方、フォーミュラは調子の良いラスキットだからと手つかずだったが、当日は全然廻らず反省しかない。レース後にコレクタブラシを新品に交換。

ところで、ラスキットのガイドシューはタミヤと同じく進行方向に対して支柱がキャスター角をもって寝かされているが、なかなか合理的に出来ていてブラシとリードワイヤはイモネジで圧着するようになっている。 これなら接触抵抗は限りなく”0”Ωだろう。

次回、”MINT GP”は5月14日、町田のレーパラさん。ご参加もご見学も大歓迎。

通い慣れたサーキット場が新横浜から無くなるのは寂しいが、今も神戸ミントホビーさんから60’s当時モノに加えレプリ/リプロ品を供給頂けるのは有難い。

 

神戸といえば...

 

日本国内最初のスロットカーの営業サーキットは神戸市の明石サーキットでS40(1965)年2月からだと言うブログ記事を拝見した。

日本初のスロットカー レーシングサーキット場 | 「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル (ameblo.jp)

 

どこが最初でも構わないのだが、一年前のS39(1964)年11月には後楽園サーキットは営業していたし、同じ年、既に神谷町にもサーキットがあったと記憶している。(神谷町には”はじっこクラブ”メンバーが遊んでいた)

尤もクラブマンサーキットみたいなところは他にもあったはずで、当時(スロットカーとは言わず)モデルカーサーキットは、釣り堀同様に雨後のタケノコと揶揄されていた。

実際、都内に71か所もの営業サーキットがS40年末には存在した(模型と工作S41年1月増刊号に記載)が少なくともS39年11月の後楽園より先にオープンしている所があったのは想像に難くない。

S40年春先の最初の全日本大会、同年11月には関東選手権も中野サーキット(60mのBコース)で開催されていたからだが、その時オープンクラスで優勝されたのが当時のレジェンド、鳥海志郎さん。

3、4年前、新横浜のバンプロで一緒に走ってくれて、衰えを知らぬテクニックを目の当たりにして、参加者皆んな大いに感激したものだが、コロナ禍以降、お会いできてないのは残念。

当時のスロット小僧にとって科学的、論理的な鳥海さんの製作記事はバイブルのようなものだったから、ご本人と一緒に走れた事は、まさにタイムスリップto'60'sだった。

 

今やどこにも無い閉ざされた空間、卓球台のような板張り、あの独特の香りと雰囲気の”モデルカーサーキット”、我が記憶の中で永遠なれ。

 

 

 今年10月に開催された <REDLINE 7000>

白い美肌も経年でアイボリーにヤケてしまった当時モノ、ハセガワ製インパラ’66、に加え新たに制作したAMTのインパラ’67の2台で参加。

さらに次回<’23REDLINE7000>に向け、友人YM氏より頂いた塗装済ダッジチャージャーを載せるため、電関シャーシのファイナルバージョンを2台制作。

 

過去のバージョンを振返ると ;

Vol.1オリジナル :

  タミヤA型、φ1.8ピアノ線補強、ホイルベース固定、前輪リジッド

Vol. 2~3 :

  タミヤレプリ φ1.8ピアノ線+角パイプ補強、ホイルベース可変、前輪サス付 モーターマウント2ネジ+トルクロッド、オーナーKS氏

Vol. 4 :

  タミヤレプリ φ2.4鋼硬線+角パイプ補強、ホイルベース可変、前輪ムサシノ式サス マウント2ネジ+トルクロッド、YM氏オーダー

Vol. 5~8 :

  タミヤレプリ φ2.4鋼硬線+角パイプ補強、ホイルベース可変 前輪ムサシノ式サス マウント4ネジ、モーターUS氏支給

Vol. 9 :

  タミヤレプリ φ2.4鋼硬線+角パイプ補強、ホイルベース可変 前輪ムサシノ式サス マウント4ネジ、モーターYS氏支給

 

そして、今回の2台は ー

Vol. 10,11 :

  タミヤレプリ φ2.4鋼硬線+角パイプ補強、ホイルベース可変、前輪ムサシノ式サス マウント2ネジ+トルクロッド Sアームピポッド可変 Rサス2段スプリング、クイックリリースピン

 

基本的な機能は同じだが、アートイメージとして東京プラモのスウィングアームに範をとり、何より全体のデザインバランス面に気を配った。

元々タミヤA型はホイルベースの短いGTクラス用でインラインマウントのモータースペースの為スウィングアームも短い。

60年代、最初のうちスイングアームは長いほど良いとされたが..

これは前輪が大きくウィリーした時にガイドのスロットへの差込角の変化が少ないと言う理由だ。(この点だけを見れば、スイングはしないがCOXのNewチータに端を発したクカラチャシャーシは変化”0”

だが、60年代後半にはアームのピポッドは車体の重心センターより前が良いとされた。

6~70年代当時のスロットカーの重量配分は、GTクラスの場合で概ね前後45:55、ホイルベースが100㎜ガイド支点と前輪軸間が15㎜なら、アームの長さは55+15-α≦70㎜から、約65㎜以下が理想と言う事になる。AYK最後のアームに至っては軽量化もあって50㎜しかない。

当時のデータとRusskit34 (ameblo.jp)

ストックカーの場合はホイルベースも長く条件が異なるが、今回のアームはL60㎜で制作。

タミヤオリジナルよりやや長くく軽め穴もレトロデザイン、つまり後方から前方に径が小さくなっていくものにし、その穴の大きさの変化に合わせ、1ミリずつホールセンターピッチも変えて、1.0㎜厚板を加工した。シャーシ本体が0.6㎜なので合わせるとグレードアップ感がある。

まあ、今やジャンプはおろかウェ~ブコースはどこにもないし、スウィングアームのメリットは余りないと言っても良い。人によっては、むしろガタによる弊害を嫌って固定してしまう方もおられる位だ。

だが冒頭述べた通り、レトロなデザインと造型には我ながら美しさを感じてしまう。

フロントセクションは前回同様、ムサシノ船津式サスとした。2台分を一緒に作ったので、誤差は0.1グラムもない。

これで用をなさなくなった元のスウィングアームピポッドは、フロントアクスルを押えるトーションバーピポッドに活用、見た目もすっきりした。

今回2台ともモーターは精度や品質の良いKTM製を使った。KTM、即ちカツミはモデルやトレードシップなどコピー品のオリジナル、一番古くからリリースされていたプライドあるメーカーだ。

出力軸側はKemtron同様2箇所ネジ止めだがブラシ側はネジ穴がないのでトルクロッドで固定。またボックス後端に補強バーを付けた。

そしてリヤサスは、前回のブログ同様、テンダースプリングを付加したタイプにした。

スズキVX800ツインサス&スロットカー (ameblo.jp)

ガタの効用は様々だが、プラボディのスポンジマウント同様、クリヤボディ用シャーシに使われたバタフライの効果は誰しも認めるところだ。

だが、振れ幅があまり大きいとボディが揺れすぎて立上がりでスピードがのらない原因にもなる。

当時の改善策はガタを小さくするか、弱いスプリングで定位置への戻しをする事だった。

モリワキ/アイバッハにヒントを得たテンダースプリングはガタによる吸収より可動域のダンピングを与える事で上質感ある走りを目指したものだ。

未だ感触分からないが、柔いスポンジタイヤでは関係なくともハードなシリコンタイヤでは効果あるのでは、と期待している。

出来上がったシャーシ。1台はダッジに使うとして、もう1台はスペアにするよりも誰かにお使い頂く方が55年の眠りから覚めた往年の電関名機、”カツミDV18”も喜ぶだろう。

さてリリースは?.. これから新たに<レッドライン7000>メンバーとなってくれる方を募るか、オークションに出すか。どちらにしても、来年が楽しみだ。

 

 

 ’60年代ストックカーレース再現を目指した<REDLINE 7000/2022>は無事終了。

 

出場に際し、私は白色がアイボリーに朽ちかけたハセガワ製インパラ’66(田宮オリジナルシャーシ)に加え新たに REDLINE企画のプロトシャーシにAMTのインパラ67を載せて2台用意した。

もし同一年代なら違うカラーで仕上げたかったが、マイナーチェンジされた一年違いのモデルを同じ配色で塗るのも面白いと思い、古いハンブロールを引っぱり出した。

大昔の塗料だが、このパープル(No.68)は固着も分離もなく無事、ヤッタ!

しかしながら、せっかくの真新しいプラも、塗装は失敗続きだった。日にち経ったマスキングが塗料を侵したり、塗料の密着が悪かったりと、塗っては剥がしてを何度かやり直した。

それでも、新しいプラモはやはりいい。以前記したが、付属のタイヤは回転方向矢印まで左右それぞれ別に造型されAMTのコダワリと意地を感じられる。 

Ref. ⇒60sスロットカー⑬<フロントホイルとタイヤ> | 

 

同系カラーにすると、強調されたコークボトルフェンダーなどシェビーのデザイン変遷がよく分かる。

シャーシは、旧型の前輪が当時モノの硬く細めのゴムタイヤで左右連結。新作の方は左右独立で、モーターも新しいせいか旧型より若干パワフル。

ボディの関係もあって新型の方がやや重いのだが、操安性は逆。

旧型は安心してスロットル(笑)開けられ、キレイなラインで立ち上がるが、新型はジャジャ馬的な走りをみせる。唯、無理な突っ込みで暴れてもレーンアウトしないのは左右独立の恩恵か。

私にはビンテージミーティングで慣れたコースとタイヤゆえ、両車の特性に合わせてブレーキング/加速ポイントを変えて楽しめた。

 

今までMINT会ではフォーミュラ、タミヤGTシリーズレプリカ、ディーノ166Pワンメイク、といろいろあったが、いずれも現行のBMスポンジタイヤ。

<REDLINE>ストックカーで初採用のシリコンタイヤの使い勝手に戸惑われた方も、今回の走行で十分慣れたろうから、次回<REDLINE>はさらなるデッドヒートとなるだろう。

何はともあれ、しまい込む前にアフターメンテしないと..

 

先ずは、クラッシュで約2ミリ狂ったガイドセンターの修正。

コースアウトした他車をマーシャルが戻そうとされた所にフル加速中の私のインパラがガツンと音を立て突っ込んだのだ。 

ごついボディのフロント本体はさすがに無事だったが、メッキバンパーが削れ自車にない別の塗料がついていた。お相手も心配だが、実車でないだけに怪我する事もない。笑って済ませられるのもスロットカーの魅力だろう。

左右のズレは、僅かに曲がってガタも出ていたスイングアームの付根を修正したら正位置に直った。A型シャーシは簡易な構成なので簡単に調整できるのはありがたい。

次に、ギヤクリアランスの調整。 ウラ技ではないが、サススプリングを外さずともピポットのピンを抜けばモーターのマウントネジは調整できる。

クリアランスを調整していたら、歯アタリが一定でなく、Kemtronモーターのシャフトの方が狂っていると判明したのでラヂオペンチでシャフトを修正。

GO-INな作業?に思われるかも知れないが、前にも記した通り、当時モノのシャフトは材質も柔メ。何度か回転させ歯当りが揃えば終了。

まぁ、ヤワメゆえにシャフトには傷もつきやすい。Kemtronモーターのシャフト、それもメタル接触部にキズをみつけ、ペーパーでさらって誤魔化したのは以前記した通り。

その時不思議の思ったのは、KTM(カツミ模型)の場合、シャフト表面がキレイで且つメタルとのクリアランスが狭かった事だ。55年眠ったパッケージを開けた時、固着して動かないのではと思ったくらいだ。

Ref.⇒ 60sスロットカー④<カツミvsケムトロン!> | 

 

そう、↓ここは(特に出力側)サビ易い個所、走行前も走行後も一滴のオイルは必須。

  

また、リヤタイヤの片側がフェンダー内側に接触し、タイヤの削れカスがついていた。

なので、トレッドを0.3㎜狭めてみた。

 

さらに軽量化?も行った。軽量化と言うより、付加ウェートを軽くしただけなのだが、今回ダッシュよく走られていたYM氏にクルマを見せてもらうと全くのノーウェート。ガイドホルダーさえ0.5gとの事。

一方、私の方は約20gものバランスウェートを積んでいた。 ストレートエンドの伸びきったトップスピードが同じでも初期加速は当然鈍くなる。

自分一台で走っているとさして感じないが、こうしてコンペティションになると相対的な性能が良く分かる。そこで..

..フロント下部に20gつけていた鉛を10g程度にしてみた。またダッシュ力はギヤ比の影響もある。最高速をギヤ比16:40でスケールスピードを計算上400㌔とすると、ドリブン側を1枚上げただけでトップスピードは390㌔、即ち10㌔減、2tなら20㌔減となり、その分、駆動力はガバッと増える。実車の6段変速なら1速シフトダウンした感じだろう。

まあその分多く廻してしまうのだから発熱やブラシの耐久力や心配だが

 

今回、無事55年前のモーターを現役で楽しめたのは有難いことだが、これもやはりストックカーならでは。

60年代ストックカーが流行り始めた当時の「模型と工作」、模・ラ、ボーイズライフなど雑誌にいろんな記述がある;

🚙🏁 曰く ..

”一台だけならF1やGTの方が楽しいが、レースとなると全く違う”

”ストックカーは レースにでてこそ存在価値がある”

”大きいためにコーナーではコンコンぶつかり合うが、なかなかはずれない”

”ボディが重いのである程度以上のスピードが出ず、大きな開きがない”

”動きがよく分かるのでコントロールしている実感がある”

 

..等々、まさに半世紀前のマニアと同じように楽しめた。

さて、来年もタイムスリップできるだろうか。

 

 

US氏ご尽力により 10月29日、於新横浜BanProject <REDLINE 7000>ついに開催!

私は2台のChevy Imparaでエントリー。

手前が新作、後ろ側は大昔制作したものでゼッケン”21”もカラーリングも同じ。

塗料はハンブロール、No.68(Purple)はさして変わらないが、白色は経年ヤケでIvoryに。

 

↓ 今回の開催コースとなる新横浜バンプロジェクトさんの オーバル+インフィールド。

三ケ所のバンクは緩く二か所はスピードセーブ要するが、写真中央奥、二つのストレートを結ぶバンクは全開でいける。

 

今回はエレガントに10Vまで落としての開催となったが、それでも250g前後ある大きな車体をドリフトさせるタイヤ音は力強く、いい感じだった。

私にとってはビンテージミーティングで走り慣れたコース、本番では 6ヒートうち2ヒートを運よくトップでゴールできた。

また、私と同じAYKアナログコントローラーで参戦されたYM氏も2ヒートを制された。比較的軽量なボディにイニシャルを少し抜いたサスセッティング、ダッシュ鋭い走りで、ギヤ比や電圧設定の兼合いも当日のコンディションに合っていたようだ。

いつもはブランズハッチコースを限界まで攻める方々もオーバルインフィールドとシリコンタイヤの使い勝手がよく分からないと仰しゃっておられた。

しかしこれで慣れた次の<REDLINE>は混戦になるだろうし、来年=次回もし電圧をあげたら更に迫力ある走りとなるのは間違いない。

クラッシュのリスクは正にレッドライン、かも知れない。

↑ 今回のエントラント、オールスター。

 2列目右端2台が私のImpara67(AMT)と’66(ハセガワ)。

1列目手前から2台目はYS氏のChevy Impara59。 テールフィンが時代を感じさせるが走行性能は素晴らしく氏の巧みなテクニックとあいまって毎ヒートトップを競われ総合も2位。

後方のGTカーは併催のRevell SP600クラス、トップグループがメインのストックカークラスより一周多く廻られ、クラスを制したのはUS氏。

両クラスのウィナー表彰、YM氏に頂いたNo.6ダッジとシャンパンを両手に。

今回 私もUS氏もオーガナイズ側ゆえ、60年代”自動車レース”にあったBP賞

(BestPeformance)は両クラス2位のYS氏だろう..

m(_ _)m 何か用意しとけば良かった。

 

US氏より頂いたシャンパン。..ごちそうサマでした!

 

 

 

 

 

 

前回考察~⑫操作編は昔懐かしいモデルカーサーキットについて思い出すまま書込んでしまったが、今回<REDLINE7000>*は、目も廻るスピードで走る訳じゃない。

タイヤサイズもF26、Rシリコン28**、テイスティに優雅に楽しみたいものだ。

 

ボディの選択は昔のアメリカンストックカーであれば自由とはいえ、ワンメイクシャーシなのだから切迫したデッドヒートが期待される。が、やはりセッティングと走りの方には半世紀前同様に個性溢れるバラエティがあった方が楽しいだろうと思い、エントラントの皆様には選択肢を提案したい。

 

<フロントホイール仕様>

実車で言うMidR-R、さらにガイドシューの存在があるスロットカーは、ガイドセンターとリヤタイヤを結ぶ3点が最重要で前輪はあまり関係ないとも言われる方も多い。コーナー入口での回頭コントロールさえクリアすれば前へ前へと全加速で突き進み(ウィングカーみたいに)正に前輪はシャーシより先に接地して抵抗なく回ってれば、それで良い感じがする。

だが、限界アベレージが低い、良く言えばテイスティなビンテージスロットでは前輪制御も楽しめる要素だ。

今回、シャーシフレームの前輪はアクスルパイプ(INφ3.2、プロトは3.1)にφ3㎜シャフト。

それゆえキャンバーもトーインも関係なく、選択肢としては左右固定か独立のいずれかとなるだけだが、それぞれ一長一短、個性を楽しめる。 

その操向性、操作性/安定性のバランスは前々回考察⑫をご参照されたし。

 

さて、前輪独立=フリーホイールにするのには別段難しくない。

AYKで販売されていた型番Rx:100のシャフト、学研やCOXを使うか、ホイルに固定用イモネジを使わず左右シャフトエンド部だけ袋ナット等でシャフト外側を固定するなどいくつも方法がある。

↓ 左からCOX前輪シャフト、学研1/24キット付属のシャフト、青柳製RX100

実際、私は72年のオール関東に学研のシャフトを自分のマーキュリーに使ったことがある。

独立と連結タイプの両方試してみたところ、連結タイプの方がシリを振りにくく安定感あったがタイム的に大差なく、ストレートではむしろ独立タイプの方が速い感じがしたため、レース本番は前輪独立で臨んだ。

予選では私以外にも前輪独立タイプの方もいたと思うが、決勝(8台)に残ったのは私以外は皆んな左右連結だったように思う。

結果は2位、今にして思うとツッコミだけは最速だったかも知れないがコーナーで安定感なく絶対スピードは一歩引いていた。走る実験室ではないが、もし連結タイプだったらどうなっていたかと今更想像してしまう、

だが、今でもクイックな操縦性は捨てがたいと思う。

 

<ガイドシュー>

60年代販売されたキットでは、Russkitなど海外製品を除き、唯一タミヤ製ガイドシューがキャスター角を持っていた。

下はラスキット製ガイド。キャスタだけなくリード線圧着など素晴らしいアイディア

当時、海外販促ビジネストリップにA型シャーシを持って行かれた田宮専務もガイドのキャスター角は安定感を狙ったものだとコメントされていたと記憶している。

だが、このガイドには想定外の外れ方をしたりコーナーでクセを感じられた方もおられただろう。実際、キャスター角無しのモノに比べて上下方向のクリアランスに神経質な感がある。

キッチリ、路面・スロットシューと面一(ツライチ)である事が必要なのだ。

キャスターはその名の通り、バイクのテレスコピックサス、フロントフォークを支持する回転軸を寝かせて直進安定性を確保するものと同じ。

下図のキャスター角で支点延長上の作用点とタイヤの接地位置との差、”トレール”距離が長い程、高速での直進安定性が強くなる仕組みだ。

因みに、このトレールを得るためにキャスター角なしに考えられたのがキールガイド。

キールガイドは台車のキャスタ同様に、作用点が動いても90度に保持された支点の角度は変わらない

ところが、タミヤ製ガイドは支点についた角度でトレールを得ているので、ガイドが左右に動くとコース溝に入っているガイド下端が垂直に入っていない状態、即ち90度ではなくなってしまう。この動きこそが、タミヤ製ガイドのクセの正体なのだ。

※ 矢印は進行方向

> 写真左側 ; 60年代 ガイド <     > 写真右側 ; rm-Craft製 ガイド <

    ☆ 上段 : 一般型                            ☆ 上段 : 一般型

    ★ 下段 : タミヤ製                         ★ 下段 : キール型

 

今回<REDLINE7000>は、一般的な明治屋製ガイド、又はタミヤ製キャスタ付ガイド2種類からの選択となっている。

60年代当時、タミヤ製ガイドはワンメイクのタミヤGP以外では使われる事なく、私の記憶ではリザルトに残った事もないが、今回蘇らせて使ってみるのも一興だろう。***

タミヤ製はコーナーツッコミ=進行方向にガイドが向く時、本体はコーナー外側にツッパってガイドセンター(支柱)をコーナー内側に倒しこもうとする力が働く。

だが、一瞬のツッコミ後テールスライドすると(スロットカーではイン側後輪がスロット溝のアウト側に出た時)、ガイドシュー突起の外側へのツッパリ(傾き)は逆になる。

つまり内側にツッパリ外側に指向性をもつ。

これは四輪実車なら自然な逆ハン、バイクの場合は車体全体がリーンして(傾いて)いるのだから後輪に対して前輪がやや起きた状態になる好ましい操安性となるがスロットカーは違う。

この状態は、後輪より前輪のグリップを上げ前後輪の同時ドリフトから”逆ハン”状態へのフォースとなる。四輪ではスピンアウトの抑制、前輪が滑ると抑えが効かなくなるバイクの場合もキャスタ角による動的姿勢変化は問題とならない。

しかしスロットカーにおいては、車体を大きくリーンさせている訳じゃないし、テールスライドした途端にガイドが内側にツッパっリ外側に指向性をもつ事は歓迎されない。

たとえ後輪に掛かるフォースは低減されたとしてガイドシューがスロットから外れたら、スロットカーは一貫の終わり。

つまり、アウト側に外れやすい状態になるという事が”クセ”の正体なので、ドリフトコントロールもテールスライド量ではなく、ガイドの忍耐力と相談しながらレバー操作する事となる。

このタミヤ(とRusskitの)クセは、論より下の三輪車がテールスライド状態の写真を見られたし。前輪がガイドシュー、フロントフォークをキャスター角のあるガイドセンターに見立てると分かり易いかも知れない。

 

これは右コーナーでなく、左コーナーでのもの。車体全体が外(右方向)にはらめる余地がある時は良いが、コースのスロットに沿って左に行きたいガイドに対しキャスター角は右方向への向心力を与えてしまうのだ。

 

<サス・フレーム剛性>

サス本来の役割からしたら、ド・カルボンやオーリンズみたいな、或いはリンク式サスアーム構成で荷重に応じて動くのが理想だろうが、スロットカーの場合はフレームの捻れやアクスルのガタでカバーされるケースが多い****

クリヤボディ全盛期の60年代後半、ハイチューンモーターにハイグリップのスポンジタイヤで剛性の弱いフレームの場合、実際リヤタイヤがブルブル上下に踊り出してしまう事もあった。しかしそんなパワーバランスは過去の話。

唯、精度も剛性も確保されていても、コースが鏡面仕上げでない限りアクスルのガタは有効だろう。その上で私の結論から言うと、フレームが捻れにくい場合⇒ストローク多めスプリングレート固め、フレームが捻れ易い場合⇒ストローク少なめスプリングレート軟め、といったトコロだ。

<リヤサスセッティング>

今回のワンメイク、タミヤA型シャーシゆえのリヤサスセッティング、などと言うのはエントラントの皆様にとっては釈迦に説法となりそうだ。実際、スプリングの硬軟、プリロードや、タイヤハウスの干渉と車高調整の兼ね合いもあって各自工夫される事だろう。

しかし、未だ26Dが各サーキットを席巻する前の一時期、タミヤA型は東京タワーのレンタカーにも使われていたし、36DのパイプシャーシのGT カーが高速バンクをぶっ飛ばしていた白金レースウェイでも、タミヤA型はプラボディのストックカーには使われていたので、拙くも懐かしい当時の感想感慨を記したい。

 

タミヤA型やD型(SW)など、ある程度ストロークのあるスプリングサスペンションシャーシで車高・重心下げるには当然の事だが ;

  サスストローク(コンプレッション)  : 少(Better)>大、

  スプリングレート : 大(Better)>小   

..つまり、あまり動かさず固めてしまった方がいいように思えるが、ガチガチのリジッドよりサスがあった方がコーナー通過速度が速いのも事実。スロットカーが独自の理論を要求すると言われる所以でもあろう。

つまり、実車ではないのだから乗心地が関係ないとしても、サスペンションシャーシの意味がなくなる訳ではなく、要はコンプレッションストロークが僅かでも リバウンド側のストロークを稼ぐことで安定感を得られる、という事だ。

プラボディの後、70年代のシャーシに流行ったシャーシのTiltingMount”バタフライ”やボディ後部がリフトするタイプなどはコンプレッションほゞ”0”、リバウンド側だけ、即ち路面からのショックはそのままボディに伝えるが、ボディのガタつきや振られなどはシャーシにいきなり伝えないものだ。

これらは軽いクリアボディの時代になってからのモノだが、重いプラボディでもスポンジマウントが有効なようにシャーシとボディの間のコンプレッション側のストロークは無駄ではない。

また、元々A型シャーシの可動ピポッドは多少のガタがありメイン/サブフレーム間は僅かながら捻れるようにロールする。さらに言うならプリロードをマイナス、即ち重いボディを載せた1Gで僅かにボディが沈み込む位にするとロールも大きくなる。たとえ、硬めのスプリングでもプリロードを掛けない(つまりスプリングをあまり強く圧縮した状態でセットしない)ことで、そんな状態にできる。

 車体の動きを見ていても違いがわかるので、車体(ボディ側)がアウト側にロールさせるセッティングの方が一見走らせやすいように思える。 しかし、ドリフト状態でのロールは即ちそのコーナーの通過速度の限界なので、ロールを抑えるセッティングの方が、概して速く走れる。(尤もダウンフォースを極めたウィングカーは例外だが、ワンメイクでよく使われるオートコースト位までなら今でも言えることだろう。

だからと言ってリジッドにしてしまうと、ちょっとしたミスや路面の凸凹などでいきなりコースアウト、なんてこともある。

この二律背反こそがセッティングの巾、味わいの妙なのだが、これが正解なんてものがなかったのが当時のスロットカーだった。現在のプラフィット系でも表裏一体のセッティングは楽しいものだ。

 

* 「REDLINE7000」を今月29日於バンプロジェクト(新横浜)で開催予定。

 ’66年公開の米パラマウント映画の題名をそのままスロットカーのイベントに拝借。

 昔のクルマは中々7000rpmに至らなかったが、それだけリスクある高速運転を表現していた。

 当時、叔父がダットサンのとなりに私を乗せ、六本木から麻布への長い下り坂を降りる時に

 エンブレでレッドライン!やってくれた時は興奮した。

 

**  n.B : 今回の走行会は重めの当時モノホイルでなくてもOK、又シリコンタイヤはグリップ低いが

 ロングライフゆえ今用意すれば、我々人間の寿命より長いかも知れない。

    eg : '66年連盟ルールGT-Ⅱ:23㍉以上/28㍉以下、STOCK:25㍉以上/33㍉以下

 

**** 

「攻めていない時はガイドが良く喰いついてると思ったのだが..」

「突然、前からフワっと力なく抜けた」 

 「抜けないハズと感じてたのにコースアウトした」

...等と当時のマニアには「変なクセ」 があるとされ、良い評価ないままだった。

 

**** 大昔から(童友社のキットなど)前輪支持部ガタの有効性は当時のレジェンド、鳥海氏も認めておられた。

 実際スロットカーの場合、ベアリングでガタなくピッチリ固定されたものより軸受にガタがある方が路面の凹凸やタイヤのアバレをここで吸収してくれる。

それゆえコーナーで安定して走らせ易かったりもするし、それは今回のようなハードタイヤが(ソフトなスポンジタイヤより)より顕著だ。

しかし、今回はフロントはアクスルタイプながらトーションバー付、リヤはベアリングながらA型サスシャーシなので大きなガタなくてもいける、と判断。

 

 

 

 

ビンテージモノには現行品のネジ一本でロール調整するのとは違うセッティングやパーツ選定の楽しみがある。

前々回ガイド編⑪ではスタンダードな明治屋製を使ったが、今回の<REDLINE7000>ではキャスター付きタミヤ製ガイドも使用OK。

また、操作編⑫のように前輪を独立タイプさせるのも、操安性が違って面白い。

 

フロントホイルを独立タイプにするのは割と簡単なので、今回は60年代当時の前輪の変遷と共に制作工程を紹介したい。

60年代を代表するキットと言えばタミヤ。前輪は最初、やや角ばったものだったが、クライマックス製円形断面が流行ったように、タミヤも円形断面のものになった。材質も天然ゴムに近いNBR系から硬質のモノとなり、最終はプラ質にものになった。

中央がローラT70に附属していた刻印”15-7”。右がロータス40やカレラ6に使われた最終型、刻印”17-7”。ローラの物は少数しか出回らなかったが、若干のクッション性も有しており理想的だと思う。

左は明治屋製穴あき軽量ホイル、タイヤは当時レースの常連に好まれたクライマックス製。右はAYK青柳製の三角断面硬質タイヤとそれに合うホイル。 67年全日本選手権を制したムサシノ勢が三角断面だったため、すぐに青柳から販売された。

26Dのクリヤボディが白金のロングストレートをぶっ飛ばしてた頃、前輪サイズのレギュレーションが変わり(23㎜⇒19㎜以上)、殆どのユーザーはホイルの色違い(シルバーorブラック)で、同じ青柳製を使っていた。

唯、そんな小径サイズがOKとなって、丁度以前の1/32用がサイズ的に使えることとなった。

そのため、スガモでもトドロキでもAYK以外の古い32用を使う方は少数ながら存在した。

インナーにベアリング入りのものは1/32用がジャストサイズ。低抵抗で良かったのだが、一度のクラッシュでセンターが狂い使い物にならなくなる。写真左端は1/24用で出番がなかった。

トルクフルな26Dや低重心で高速コーナーが早いNEW16Dも、270SとなりシャーシもAYKが7000系を出す頃に、タイヤ径はさらに小さくなり独立フリーホイルがスタンダードになり、左右連結は少数派となった。

 

今回、加工材料はAYKとタミヤのホイル+軽いプラフィット用ハードスポンジ”ドーナッツ”。

唯、硬質でもスポンジはミテクレが60年代にふさわしくないので、外側をプラモデルから拝借。

接着剤で貼り合わせる。

これはAMTのものだが、タイヤレターは同じに見えても左右回転方向が別に造られている。

ワザワザ金型を代えてるコダワリ、アメリカン魂も大したモンだ。

僅かながらAYKの方が軽い。タミヤ製は軽量化の為ため穴をあけたが、AYKは厚さが薄いので穴はあけずにセンターのネジ切られた穴をφ2.9ドリルでサラってφ3.0ハンドリーマーで仕上げ、エンド部をネジ切ったシャフトとナイロンナットをセットして完成。..やはりこれは元AYKスタッフのYM氏に謹呈しよう

 

閑話休題

お彼岸で目黒の実家に行ったら、母より井戸水ポンプが故障と聞いて修理。

とりあえずカバーを外して、エラーコードを調べるとユニット頂部高温による保護停止。

電源入り切りしたら動き出したが、なぜかモーター廻りっぱなし。

圧力を下げたら、蛇口を締めて一定時間後に止まるようになった..。

(だが、もしインペラなどの不具合で高温になっていたのなら不安だった)

米と麦の好きな弟の為に、一両日後にコシヒカリとビール持参を兼ね、実家に再度様子を伺うと問題なくON/OFFしてる。メデタシメデタシ!

 

ロシア産”バルティカ9” 名の通りアルコール9%、ぷー助のせいでコイツも飲めなくなる 

家に帰ると、彼岸花の曼殊沙華が..

今年も ほゞカレンダー通り。タイマーリセットされたかな。

 

彼岸入り..去年の自然界タイマー(曼殊沙華)は狂っていた? | VXのブログ (ameblo.jp)

彼岸の麻布..曼殊沙華その2 | VXのブログ (ameblo.jp)

 

来月末のイベント計画<<レッドライン7000>>は10月29日於バンプロ

シャーシ制作は60年代当時の白金レースウェイ、デイトナクラブレースがイメージの源泉、半世紀前のシャーシがコーチワークのベース。

白金と言えばかって東洋一のハイスピード+バンクコースのイメージだが、熱気あふれるクリヤボディのレースに比べ、当時でもプラボディのストックカーは景色がゆっくり流れ、その分リラックスしてドリフトも楽しめたものだ。今回もガンガンリスキーに突っ走れるコースでない事に、逆にホッとしてしまうのは、我が身の老いの象徴だろうか。

だが、元々実車の3~4倍ものスケールスピードを誇るスロットカー、もはや目の回る絶対スピードの追求しなくても十分スリリング。よりホビーとしてのテイストや操作のフィードバックを求めるのもいいだろう。

 

操作のフィードバックと言えば実車では背中や尻に感じるGや車体姿勢の変化、スロットルコントロールに対するキックバックやスライド、車体の傾きやドリフト感覚だろう。

今回、絶対的スケールスピードよりテイストを..とは言え、誰しもニチモのスリッピーなホームコース等のドリフトだけでは物足りない。また、最近仕上り良くなったとは言え1/32では実感も感動も薄く、もっとゼイタクに楽しみたい。

そこで出番となるのが、大型車体の 1/24-25スケールのアメリカンストックカー

コイツは車体のロールやドリフトも実感的で楽しいが、高速大Rの”バンク”も良く似合う。

 

スロットカーも、最初の頃は営業コースでもヨーロピアンな加減速忙しいレイアウトばかり。

短い直線と連続するコーナーの組合せで本格的なバンクコースは見なかった。

(いくらかでも走りやすいように、わずかなカントや上り勾配程度のコースはあった)

1965年オープンした、東京タワーサーキットにはコントロールボックスのメインストレート先はバンク要素が取り入れられていた。

15度の角度は半端なようだが400Rと緩いカーブなので、バンクに入りさえすれば先のコーナー前まで全開でイケる。

東京タワーサーキット<スロットカーがモデルカーレーシングだった頃> 

対して、翌66年にオープンした白金レースウェイは倍以上ある17Mものメインストレートからのバンクだ。

大昔の話で理解頂けない方もおられるだろうが、白金のバンクは実車の富士スピードウェイより大きく立っていて(38度)タワーのバンクより回り込んでいる(320R)。

白金レースウェイ<スロットカーがモデルカーレーシングだった頃

もしバンク途中でノロノロ走ろうものなら(ゴムタイヤは現在のスポンジタイヤのようにはグリップしないので)蟻地獄のすり鉢のようにズルズルとバンクからズリ下がってしまいインコースエプロンのさらに下のシューター穴に入り込み、くぐり穴から自分のスロットカーを拾い上げる事となったものだ。

勿論、ストレートから全開のままでは’67年日本GP ブルーボンネットのゼッケン7=酒井選手のカレラ6のようにバンクを飛び出してしまい、大クラッシュ!

 

..興奮と恐怖、緊張とアドレナリン全開の快感がクセになる白金レースウェイは最早ないのだから、残念ながら心配はいらない。

白金の場合は、ロングストレートをぶっ飛ばして心臓バクバクさせながらバンクに入り、わずかなスピードコントロール(と言うよりガイドシュー先端が抜けないよう一瞬のパワーオフで前方荷重を増やすだけ)の後、すぐまた全開。

そんなバンクから抜けるとイヤが応でも更にスピードがのってしまう下りストレート

そしてその先は、とにかくフルブレーキング!のコースで一番キツいヘアピン

ここを曲がり損ねてコースアウトすると、1M通路をジャンプで飛越して半周先のループコースに着地?するか、ボディを割るようなクラッシュとなる..。

*(;^^)*

実際、ダウンフォース無しハイスピード時代はボディを真っ二つに割るようなクラッシュもあったが、平成ならぬ昭和JUMPや派手なアクシデントもレイワの時代には合わないだろうし(このトシになると)期待もしたくない。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶと言うが、当時の幼い自分が学んだのはチャレンジとその結果だ。経験、それも失敗は多くの教訓を与えてくれる。キレイに言えば、トライ&エラー、PDCA、KAIZEN..の繰返しだが、たとえ理解しているつもりでも、趣味的に考察するのも悪くないだろう。

 

先ずはフラットなコーナーへの進入。白金のヘアピンカーブを想定できれば良い。

下図の通り、突込みにおいては即ちガイドシューが角速度(単位時間毎の回転する角度)が与えられる初期なので、遠心力Cf1<慣性力If1であるのは言うまでもない。

上図でCf1とIf1の両方が”突込み”の時にシャーシにかかる力であり”F1”で表せられる。

つまり、もしもこの時ガイドが抜ければベクトルの和であるF1の力がかかる方向に車体は進もうとすることになる。

そのフォースのかかる位置は、有効ホイルベース(ガイド支点から重心センター)が長ければ実距離が増える。単純に言えばショートホイルベースがクイックに、ロングホイルベースはその分ワンテンポ遅れてフォースを受ける訳だが、その長短だけで向き変えがしやすくなるものではない。

 

次のまた、概してタテマエの好きな日本人は、幾何学的に図に書くとそれで満足してしまいがちだが、”ツッコミ”と一定のRをキレイにこなす”コーナーリング”は、当り前だが別の事象。

”ツッコミ”あとのコーナーリング中にかかる力を描き分けると次のようになる。Cf2とIf2が前図と違うバランスになる。

重心点からかかる力、即ち実質ガイドと後輪が受けているその反力がグリップの限界からほゞF1≒F2である時、If1 > If2、Cf1<Cf2であるのは言うまでもないが、感覚的にもご理解頂ければ幸いだ。

厳密には、コレクターガイド支点と前輪軸間の問題もあるが、物事先ずは単純化からとし、前輪はシステムの一部としての作用を後述することとし*、ガイド支点は有効ホイルベースの位置設定として考えれば良いと思う。

一見、ヘッドヘビーの方がスロットへの追従性が良いように思えるが、そのマスの分だけ遠心力も前方に掛かるので”ツッコミ”の一瞬はテールヘビー車に分がある。

逆に一定速のコーナーリング中はテールヘビー車の方がガイド側より後輪にかかるフォースが大きくなるのでシリを振りやすくなる。

ではガイド周辺に重心を持っていけばテールスライドしにくくなると思えてしまうが、遠心力Cfがかかるので、そのフォースに耐えられなくなるとガイドから外側に外れることになる。

 

話は逸れるが、私の時代の二輪車コントロール、ライテクでは良く”リヤステア”が感覚的に言われていた。実際、路面のグリップもアベレージスピードも段違いのサーキットを走り込むと、フロントより太くガッシリした後輪が傾くことでグイグイ旋廻していく感じがシリの下から伝わってくる。

しかしまた、同時に車種によるハンドリングの違いでインプレされるものが”回頭性”。

そう、”回頭性”と言えば、軽いフロントと重いフロント、どっちが素早く向きを変えやすいか分かりやすい。スロットカーのガイドシューもしかりだ。

勿論、テールヘビー車がツッコミで一瞬のアドバンテージがあったとしても、後方のイナーシャはヘッドヘビー車より大きくテールを振らせてしまうし、限度を越せばアタマ(ガイド)はミゾに残ってたのにスリップしたリヤから”引っぱられるように”コースアウトしてしまうことになる。

ここで、レバーを廻して推進力を与えればドリフトが止まり前に進む..なんてライテク本ならぬ昔のスロットマニア本は宣うが、実際はそうはいかない。

テールスライド中、即ちリヤタイヤをブレークさせている程の遠心力を上回る推進力などレバー全開にしたって与えられるものではない、と言うよりも、ゴムタイヤがグリップを発生させる原理を無視しているから、空想的な理屈がでてくるのだろう。

勿論、テールスライド中にコントローラーのレバー操作で、一定のドリフトを維持するのはスロットカーの醍醐味でもある。唯、円周方向の角速度Afを上回る推進力Pfが与えられると蛇行の原因**やイン側へのコースアウト***を引き起こすこともある。

何でも実際に手で触れると実感できるが、例えば自転車の前輪を取り外して左右シャフト先っぽをつかんで車輪を回すとジャイロ効果が大変良く理解できる。

少しリーンさせただけでタイヤが横に回り込もうとし回転が速いと手で押さえているのも大変力がいるし、無理に抑え込むと暴れ出す程。<特に勢いがついてると危険なので、もし実験される時はご注意されたし

四輪の実車で失敗してスリップアウトしても直ぐにケガするとは限らない、だけでなく身にも付かないからバイクでやると(或いは、ケガしたくなければ想像すると)良い。

例えばダート路面のブレーキングでロック寸前まで締め上げたまま曲がろうとすると、タイヤは全く横方向へのグリップを忘れスリップダウンしてしまう。 これはゴムのグリップ力をブレーキング=タテ方向の減速側に使っているからで、スリップした状態からブレーキを開放すると前後方向への抵抗もグリップも必要なくなり横方向へのグリップを途端に回復する(が、後述のハイサイドを引き起こす事もあるので要注意)

もし逆説的な回りくどい話と感じられたら申し訳ないが、例えば、コーナーリング中に”急加/減速”をすると横滑りをする、と言った方が分かり易いだろうか。

遠心力に負けまいと頑張っていた横方向のタイヤのグリップが縦方向の負荷により滑ってしまうのだ**** それゆえ特に二輪ではコーナーリング中のギヤ変速は厳禁がセオリーだが、逆に言うとバンク角にも余裕ある時で大きなショックさえ与えなければギヤチェンジもOK。

大昔の小排気量レーサーのギヤが十数段あったのは、そんな昔のスター達の老練テクニックを見越してのものだったろう。

 

話が逸れてしまったが、実車でもスリップしたらブレーキ操作でも加速でもなく、アクセルを戻し軽いエンブレ程度で収まる..と教習所でも教えたられたはずだ。

スロットカーも同じでテールが流れ出した時に弱いパワーオンによる推進力はある程度期待できる。

勿論、実車で急操作はアウトだが、スロットカーは素早い操作が求められる。冒頭記した通り、スケールスピードは実車の数倍ゆえ、集中力が必要だ。

その動きは頭で分析するより、低速で滑りやすい、例えばゴムタイヤを履いてのニチモホームコースのドリフトコントロールが分かりやすい。要はグリップを探りながらのパワーオンなのだが、上手くいけばコーナー前半で向き変えして、コーナー後半でヨコに逃げずに前に推進力が与えられるとキレイで効率的なコーナーリングとなる。

 

大昔、限界を超えたところを少しづつカウンターを当てて高いコーナーリングスピードを維持する高橋国光選手が田中健次郎(元日産コーチ)に絶賛されていたが、それとは対照的な、前半でクルッとスライドさせ向きを変えて直線的に立ち上がろうとする北野元選手の理想に、ガイドシューの存在あるスロットカーの場合は近いのかも知れない。

25年位前だろうか、北野元選手の経営される二輪タイヤショップ”ウルフ”でのスナップ、

左端は2代目のスズキVX800。JapanJack92でアタマを取り十万キロオーバーを走った相棒だった

 

n.B. >>

*(;^^)*  

  ブレーキングはマイクロスイッチによる回路ショートでも直前の回転数が半端ないため、それなりに回生抵抗が効く。それでも足らず、さらに今では禁止されている逆電ブレーキが必須だった。 

  現在のガングリップ型コントローラーが指を離せば回路ショートによる回生抵抗ブレーキが効くと分かっているが、私には半テンポ遅れる。

そんなコトやっていたら手根管症候群になりかねない。

  いまでもAYKGOSENのマイクロSW付アナログコントローラーが手放せないのはそのためだ。

 

* 勿論、前輪にも遠心力はかかるし内輪が浮くこともある。だが初期においては両輪接地しているため左右連結の場合はテールスライドを抑制する。逆に前輪独立は即ちフリーなのでクルッと回り込むような動きを見せる。

  つまりツッコミの一瞬は独立タイプ、その後の安定性は連結タイプに分がある、と言うのが私の結論。

  これらの違いはコーナーだけでなくストレートでも見られ、連結タイプより独立タイプの方が低抵抗な分、僅かだがスピードのノリも早い。

** コーナー立上りの場合、例えば白金の最終右コーナーでテールを(左外側に)振り過ぎて直線に入ると、1~2m後その反動でテールを逆(右)に振ってしまう。

  レバーをやや戻せば収まるが、もしそのまま全開を続けると、その直後また反動で左に、つまり左右に蛇行し、結果としてスピードが乗らなくなってしまう。

*** ソフトでハイグリップなスポンジタイヤの場合、急加速+急グリップがガイドをイン側に押上げてウィリー状態でイン側にコースアウト。現在の小径ローターのモーター+ブラックマジックタイヤやビンテージカー+シリコンタイヤでは、先ずない事だが..。

****バイクはステアリングでなく車体をリーンさせることで曲がっているので、”ハイサイド”状態になりかねない。

  例えば、コーナーリング中にアクセルを開けすぎ(たりブレーキングが強すぎ)後輪が滑る →あわててスロットルを戻す→グリップ回復 →車体が起き上がろうとする力が急に働く →車体がリーンさせている方向と反対側に振られてしまう →その反力でまた元の方向へ車体が戻ろうとする →を繰り返し、まるでロデオみたいに左右に激しく振られてしまう状態。

  正直、こうなってしまうと(振り落とされないようハンドルにしがみついた状態)、例えば左右に振られているハンドルをまっ直ぐにしようとするとフレが車体側にくるし、力を抜くともっとフレがヒドクなるので、人間ダンパーに徹するしかない。(両足で車体を挟み、ハンドルのフレを徐々に小さくしてやる..)といっても、よほどトレーニングしたプロでない限り天任せの運になってしまう。

何もサーキット上のロードレーサーでなくてもハイサイドは起こる!

市販車で一般公道でも、滑りやすい新品タイヤの時は要注意!

上記、北野さんのアドバイス。

 

さて、次回はセッティングによる操作と車体の動きの違いについて。

オール関東レースに臨んだ懐かしきフィードバックなど述べてみたい。