未だ戦後11年の1956年は私の生年、 ”鉄人28号”は動き出した。

作者は横山光輝*1) 終戦間際に日本軍が開発していたロボットと言う設定も説得力があった。

何せ当時、祖母に連れられ路面電車やトロリーバスで*2)渋谷や上野辺りに出掛けると、傷痍軍人さん達がしゃがみ込んで物乞いをしていた時代。

「みんな本物とは限らない」とは聞いたが、映画 「 雲ながるる果てに」を観た帰り道の光景、

渋谷ガード下で大勢の手足を無くされた方の姿は今でも脳裏に鮮烈に焼付いている。

当時、実家の押し入れのトランクを開けると、戦時中祖父が使っていた鉄砲の玉、ヤッキョウ、分厚く重いコートやゲートルなどがあった。きっと、同世代の方は今でも独特の匂いを思い出すのではなかろうか。

そして1963年、TVはモノクロ画像の時代に 「鉄人28号」アニメの放映が始まった。

同年末「エイトマン」も放送開始されたが、こちらは鉄のロボットならぬ”鉄のオトコ”、元は人間なのでいろいろ苦悩する主人公がいじらしく感じたものだ。

また主題歌を歌う克美しげるさん(故人)がご近所で、何度かキャッチボールの相手をしてくれた事もあって自分には親近感があった。*3)

一方、鉄人は虚無的な存在。リモコンがないと動かないのは主題歌通り。

 

♪~敵も味方も、リモコン次第、鉄人、鉄人、どこへゆく~

..ビューンと飛んでく テ~ツジン28号、グリコ、グリコ、グッリッコー♪

 

その鉄人28号を操るのは少年探偵、正太郎君。

TVの前の子供心にとっては、その少年探偵の目線で展開してゆくストーリーに親近感と憧憬を覚えずにはいられない..作者の狙いは分かっていても、つい引込まれる。*4)

トム・クルーズ顔負けの大活躍で、ミッションインポッシブルどころかストレートに警察の捜査に協力(と言うより ”署長さん”の方から主体的に動く彼を援護援助)するものだった。 

まるでマリオのモデルみたいな大塚署長も活躍。しばし負傷することもあるがヒラ署員が敵わぬ位に頑張る上に人格者、好感がもてるキャラクターである。

 

時の流れと共に、私の脳内で ”鉄人”はイメージもストーリーも単純化された記憶になっていて今さら余り興味を感じなかったのだが、フトした事で漫画本を読んだら当時のワクワクストーリーに引き込まれ24話を読破、コトのついでに千早町の(ex横山邸)光プロまで散策してしまった。

 

*1) 横山光輝の作品は「漫画少年」などに1951年から掲載されているが、プロとしての公式デビュー作は時代劇「音無しの剣」(1955)とされる。

主人公、高柳又四郎が開眼した必殺剣の噂を聞き、最初に挑戦して敗れたのち三年後に再度の立会を求めて去ったのが村雨次郎。その三年後の勝負が物語のエンディングとなるが、作者の好きな名前だったのだろうか、鉄人28号でも”村雨兄弟”がギャング役で登場する。

 

*2) 実家のあった麻布は今でこそ大江戸線が通り賑わいを見せるが、それまで鉄道網に関しては不便な”陸の孤島”だった。

電車に乗るには国鉄(JR)なら田町、地下鉄なら赤坂(まだ溜池駅も、日比谷線の六本木もなかった)まで行かねばならず、都心の多くは’60年代中頃まで路面電車が充実していた。

消えた都電と電関モーター>  (ameblo.jp)

 

*3) 2年前のブログに記したが、克美茂さんとの楽しい思い出には教訓と自戒がついて廻る。

彼岸の麻布..曼殊沙華その2 (ameblo.jp)

ヒトは普段 意識してなくても、危険と過ちがつきまとう存在。 克美さんを思い出す度に、ヒトが社会の中で人間らしくいられることは綱渡りだと自覚しなければならないと自身に言い聞かせている。それこそが故人を敬う事になるだろう。

 

*4) 魔法使いサリー、コメットさん、バビル二世や三国志など、少女漫画から歴史ものまで、鉄人以外にも有名な作品を残され、かなりワイドな層の方々に愛されたのではなかろうか。

また ”伊賀の影丸”も私が物心ついた頃からポピュラーだったので、最近行政(豊島区)がアピールしている”トキワ荘の住民”先生方々の作品より、横山作品の方が私の記憶に濃い。 勿論、赤塚作品だって面白いし、石森作品の009や仮面ライダーなども好きな作品だ。私感ながら、石森章太郎や小沢さとる等と相通ずる気がする画風は当時の傾向だろうか。

なお、”鉄人”の原作は1965年11月まで続いた。

 

PS.  鉄人28号② vsバッカス/Dr.フランケン作 (ameblo.jp)