「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 著ナオミ・クライン」を読む
「ショック・ドクトリン(上・下)惨事便乗型資本主義の正体を暴く著ナオミ・クライン」を読む「NOでは足りない トランプ・ショックに対処する方法」を読む前の下敷きとして読んでおくとより深く著者の言っている意味が伝わるので、広告の紹介。3・11時に起こるかもしれないと心配された惨事便乗型資本主義。2011年出版の本、最近週刊誌でコロナウイルス問題が大きくなり始めたころ小さく紹介されていた。広告紹介上・表「格差」と「異質」を狩場とするマネー資本主義の正体。国と国、人と人、あらゆる格差をついて自己増殖するマネー。素子って「異質」とは戦争、恐慌、巨大災害人間の不幸を「利益チャンス」の餌食に変える新自由主義の酷薄。「創造的復興の欺瞞」を剥ぐショック・ドクトリンの警鐘に多くの日本人が覚醒されることだろう。…内橋克人上・裏ピノチェト独裁政権下のチリソ連崩壊後のロシアアパルトヘイト後の南アフリカアジア危機9・11語の米国とイラク戦争スマトラ沖津波ハリケーン・カトリーナショック・ドクトリンというレンズを通して立ち現れる、衝撃の現代史表紙裏本書はアメリカの自由市場主義がどのように世界を支配したか、その神話を暴いている。ショック・ドクトリンとは、「惨事便乗型資本主義=大惨事に付け込んで実施される過激な市場原理主義改革」のことである。アメリカ政府とグローバル企業は戦争、津波やハリケーンなどの自然災害、政変などの危機につけこんで、あるいはそれを意識的に招いて、人々がショックと茫然自失から覚める前に、およそ不可能と思われた過激な経済改革を強行する…・・。ショック・ドクトリンの源は、ケインズ主義に反対して徹底的な市場至上主義、規制撤廃、民営化を主張したアメリカの経済学者ミルトン・フリードマンであり、過激な荒料理の発想には、個人の精神を破壊して言いなりにさせる「ショック療法」=アメリカCIAによる拷問手段が重なる。全2冊下・表この翻訳を待っていた!大規模な民営化導入に災害を利用する(ショック・ドクトリン)3・11以後の日本は確実に次の標的になる。国境を超えた「恐怖のゲーム」に呑まれる前に,真実を変えるのは今しかない。…・・堤未果(ジャーナリスト)下・裏本書は(中略)表向きの物語の中心をなし、最も重視されている考え方…規制なき資本主義の成功は自由にあり、歯止めのない自由主義市場と民主主義とは矛盾なく両立する…に真っ向から異を唱える。そして資本主義原理主義ともいうべきこの形態がいかに残忍な弾圧によって育まれてきたか、その政治団体及び幾万の人間の体を痛めつけてきたかを明らかにしていく。現代の自由市場主義・・・より適切なコーポラティズムの台頭・・・歴史は。家事数の「ショック」という文字で書かれているのだ。表紙裏ショック・ドクトリンは、19780年代チリの軍事クーデター後の独裁政権の下で押し付けられた「改革」をモデルとし、その後、ポーランド、ソ連崩壊後のロシア、アパルトヘイト政策廃止後の南アフリカ、さらには最近のイラク戦争や、アジアの津波災害、ハリケーン・カトリーナなど、暴力的な衝撃で世の中を変えた事件とその後の「復興」や、(IMFや世銀が介入する)「構造調整」という名の暴力的改変に共通している。2004年のイラク取材を契機に、4年をかけた努力が結実した本書は、発売後すぐ、絶賛する反響が世界的に広がり、ベストセラーとなった。日本は、大震災後の「復興」という名の「日本版ショック。ドクトリン」に見舞われていないだろうか?奥の書である3・11以後の日本を考えるためにも必読の書である(全2冊)著者の紹介文1970年、カナダ生まれのジャーナリスト、作家、活動家デビュー作「ブランドなんかいらない」が世界的ベストセラーとなり、一躍、反グローバリゼイションの語り部となるダウ2作目の「貧困と不正を生む資本主義をつぶせ」を著したあと、アメリカによるイラク侵攻と占領の現実、戦後の「復興」に群がるグローバル企業に注目し、2004年に現地取材したことが、3作目の本書につながる。「ニューヨーク・タイムズ」「ガーディアン」「ネーション」など、様々な媒体で記事を発表している。訳者あとがきから引用著者のナオミ・クラインが本書で徹底して批判しているのは、シカゴ大学の経済学者ミルトン・フリードマン(1976年ノーベル経済学賞受賞)と彼の率いたシカゴ学派の影響のもと,1970年代から30年以上にわたって南米を皮切りに世界各国で行われてきた「反革命運動」である。言い換えればそれは、社会福祉政策を重視し政府の介入を是認するケインズ主義に反対し、一切の規制や介入を排して自由市場のメカニズムに任せればおのずから均衡状態が生まれるという考えに基づく「改革」運動でありその手法をクラインは「ショック・ドクトリ」と名付ける。「現実の、あるいはそう受け止められた危機のみが真の改革をもたらす」と言うフリードマンの言葉に象徴されるように、シカゴ学派の経済学者たちは、ある社会が政変や自然災害などの「危機」に見舞われ、人々が「ショック」状態に陥ってなんの抵抗もできなくなった時こそが、自分たちの信じる市場原理主義にも続く経済政策を導入するチャンスだと捉え、世界各地で実践してきたというのである。爪を立てる自由と民主主義が持つ揺らぎの中に、ここまでやるかという不信さを植え付けたというより良いところばかりではなく、リスクはあるぞと言う警告を読み取る。グローバリゼイションが悪いのかよいのかと言ったらどちらにも転ぶ。それが、イノベーションによる選択肢を広げた結果で、全米ライフル協会の言い分である、「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ。」という言い分も世の中に有る。人の持つ選択肢が増えただけと言い飛ばして、グローバリゼイションの良いとこ取りができるよう全能を傾けよう。何故か、人は一度手にした技術は絶対手放さないのだから。問題は昆虫学者エドワード・ロウソンの言うように「人類は石器時代の感情と神のようなテクノロジーを持っている」とすれば自分をコントロールするしか生き残る手段はないだろう。ナオミ・クラインが「NOでは足りない」で書いているように惨事便乗型資本主義での勝者はいないくらいに大きな問題として<標環境破壊>をという人類共通の目標にできれば、ローカルに生きながらグローバルに貢献できるかもしれない。いずれにしろ、科学の進歩(人文化学も含め)はより良い方向に行く可能性も高めるが、それは揺らぎの片側にすぎず、反対側を常に意識するしかない。そして、ナオミ・クラインがこの本で目の敵にしたシカゴ学派で学んだ日本人も相当いるはずだ。学ぶことを人生の途中で休まず、ずっと継続していかないと思わぬところで毒を吐くことになる。しかしアメリカ人学者の行動力はあると言わざるを得ない‼‼信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けていますにほんブログ村