「スクエア・アンド・タワー 著ニーアル・ファーガソン」(上下)を読む

 

(上)ネットワークが変えた世界

帯の広告

「もっともすぐれた知性」による文明を見る目

フリーメイソンからジョージ・ソロス、トランプ大統領まで

ウォルストリート・ジャーナル紙

ガーディアン紙

インディペンデント紙

スペクター紙

各紙絶賛

表紙裏

私たちの未来は楽園か、それとも無法地帯か?

あなたの歴史観を一変させる圧倒的スケールで描かれた文明論

 

(下)権力と革命500年の興亡史

世界のバランスはどう保たれるのか?

宗教改革からイスラミックステート、ダヴォス会議まで

歴史の知識を大きな問題へと関連づける…インディペンデント紙

ファーガソンはシリコンヴァレーが必要とする歴史を呈示してみせた…エリック・シュミット(元グーグルCEO)

クエア・アンド・タワー(富をめぐる人類の繁栄と滅亡の暦史を洞察世に広める)

ニーアル・ファーガソン(歴史学者、ジャーナリスト、スコットランド生まれ)

あとがきにこの本の題名の由来とテーマが書かれている。

広場と塔の起源…14世紀シエナ(都市名)におけるネットワークと階層性から生まれている。

本書の中心的テーマは、分散型のネットワークと階層性の秩序との間の緊張関係は人類そのものと同じくらい古いということだ。

その緊張関係は、テクノロジーの状態とは関係なく存在する。

ただしテクノロジーは両者のどちらが優位に立つかに影響しかねないが、シエナはこの点を体現している。

今日、多くの人が、インターネットが世界を根本的に変えたと誤って考えている。

だが、最近、アメリカの最高裁判所が判決で指摘して越しているように、アンソニー・ケネディ裁判官の言葉を借りれば、インターネットはたんに、「現代の公共広場」に過ぎない。

 

おすすめは訳者のあとがき

稀に訳者が的確なあらましを<あとがき>で紹介していることがある。

訳しているのだから思い入れもあるだろうし、深く読み込んでもいるのだから言ってみればそのあらましで十分という人もいるだろう。そのレベルのあとがきだと感じる。

著者の紹介や本書の要約が手際よく6ページに纏められているので、最初によく価値あり。

何故こんなことを言うのか、上下巻とボリュームがあり、人物名、場所等具体例が多く検索機能が付いていれば具体例を深堀出来るレベルです。

 

感想

歴史家としての著者の立ち位置からかウインストン・チャーチルの言葉を引用している「過去を遠くまで振り返れる人ほど未来を遠くまで見通すことが出来る。」という言葉を胸にこの本の前半より多い3/4を読むしかない。

あくまでも具体的例で記述されていて、地域的な隔たりや歴史的な拘束を逃れている人の場合、それを乗り越えられるほどの想像力を持たないと理解できない部分が生まれるのは自分の薄学の為と溜息をつくしかない。

併せて言わせてもらえばネットワークと階層性を切り口にしていると言われるが、本当に整理できているのかという疑問を持ってしまったので提案しておく。

昔から階層性(官僚組織、会社組織など地位や資格で支えられて継続する立場)のなかにもネットワークはあるし、ネットワーク(エビデンスが有るかどうかを別にして知や情報をつなぐ神経組織のようなもの)のなかにも階層性は生まれるのではないかと考える。

とすれば、ネットワークには官僚組織の伝達のように一方通行に近いネットワークなのか、交易をするための情報の対称性を確保する方向に向かうネットワークなのか?

そして、階層性に関しては階層性を維持しようとする組織なのか、フラットな組織を目指している組織なのかという対比の中で考えるのはどうか?

階層性のある組織とは秩序を維持する、権力を効率的に行使することから生まれている

階層性を初めて乗り越えたのは交易だった。ここでは上下関係のない交易するかしないかという選択肢から始まったと考えるのでベクトルの方向は逆になる。

階層性のない組織は現実にはない。つまり継続して組織形態を維持しているフラットな組織はまだないと言える。なぜなら組織にはコントロールが必要で、それを乗り越えるには、ブロックチェーンのような発想から生まれる形が具現化する必要があるから。これがまわりまわって群知能の世界にもどるのか?

それはイワシやメダカの群れをイメージしている。誰が先頭かとか、だれの指示でとかのルールはなく、ほんの少しのルールで動く。

 

爪を立てる

少し長くなるが著者はこう言っている。

ーク・ザッカーバーグの2017年ハーバード大学の学位授与式で演壇に立ち、新入生に向けて、「誰もが目的意識を持つ世界を作り出す」のを手伝ってほしいと訴えた。「そのために、大規模で意義深いプロジェクトにともに着手し、あらゆる人間が目的を追求する自由を得られるように平等の意味を再定義して、世界にまたがるコミュニティを築こう」とはいえザッカーバーグ自身は、巨大企業が牛耳るスーパースターの経済学の不平等さを体現している。彼の考える解決策、すなわち、「万人に共通の最低所得保障や手ごろな費用での育児支援サービス、1つの会社に縛られ「ない」医療サービスや・・・・継続教育のほとんどは、世界全体で達成することは不可能で、20世紀の古い福祉国家が打ち出す国威策としてのみ実現の見込みがある。また、「この時代の戦争」は、自由や開放性やグローバルなコミュニティの勢力と、権威主義や孤立主義や国家主義の勢力」との間で起こっていると彼は言うが、自分の会社がどれほどこの後者の役に立ってきたかは失念してしまったようだ。

イノベーションをなしとげた人にその後、社会に及ぼす影響に対する責任を求めるのはいかがなものか?

とびぬけた才能が一つだけある人や、たまたま時流に乗って新しいテクノロジーに挑戦する人にその後の倫理や責任を押し付けるのだろうか?

ザッカーバーグはフェイスブックを作ってその経営にあたっている。

そのフェイスブックを評価し、活用するかしないかを判断し、その後どう管理するのか、新しい税を作るのか、公共インフラとして規制の網にかけるのか、それはその技術を受け取った人の仕事ではないのだろうか?

GAFAMのどの創設者も結果の影響を考える余裕はなかったろう。

単純に、今まで世の中に無い物を作れるかもしれないという好奇心と情熱、そして競合する他者との生存競争に明け暮れていたはずだ。責任がないとは言わないが、イノベーションの結果を出した。

世界がその便利さを認めた。

その後の問題は受け取った社会が検討するべきで、法体系を変えるとか税金をどうかけるとか、イノベーションを起こした人とその恩恵、ないしは問題を受ける人たちが問題の解決策を考えるべきだと考える。

それが、ダイナマイトであれ、原子力であれ受け取らないという選択肢もある社会が問題として受け取る、というのはおかしいだろうか?

数人が技術革新を起こし、社会に大きな揺らぎを与えたとしてもその責任は社会全体で解決すべきではないか?

そして程度はあるが開発者利得は認められるのではないか?

その限度も社会が決めるという制度を作っておけばいい。

なぜこんな爪の立て方をするかといえば

「NHK欲望の資本主義2020スピンオフ・ニーアル・ファーガソン大いに語る」でこう言っている。

日本に関しての部分の引用

私は1990年代から2000年代にかけて日本を苦しめてきた低成長とデフレに対して安倍政権の様々な政策を注意深く追ってきました。金融政策、財政政策そして構造改革についてです。

過去10年間の日本経済のパフォーマンスを見てみると、いくつかの改善点はあったものの革新的な成功があったとは言えないと思います。

なぜならデフレもしくはゼロ・インフレの流動性の罠がまだ支配しているようだからです。

日本銀行はインフレ目標を達成できておらず、国民はゼロもしくはゼロに近いインフレを期待しているようです。

そして利率は10年物でさえ0%付近にあります。

ディスインフレの壁をアベノミクスが打ち破ったとは言えません。

2019年もこんな話をし、財政刺激はどの程度の大きさにすべきか、という同じ議論をし続けている構造改革もやや残念なものだったと思います。

外国人投資家による日本経済への投資についての改革もありますが、アクティビスト投資家が出ることを制限する法律も作られるようで逆の方向に進んでいるようにも思われます。

日本の企業統治文化の変化と経営陣や取締役会がアクティビスト投資家にもっとさらされることを期待していました。それが日本の経済的パフォーマンスを向上させると私は思います。

アベノミクスはパラダイムシフトを起こさなかった。でも日本人を満足はさせた。

人々が安定を望むようにする点で成功したのです。

日本はとても低い成長と、とても低いインフレのある種、安定状態にあるようです。

アベノミクスはそれで満足するようにしたのです。

私の記憶している1990年代の日本にあったような危機感はもはやない。

これはある種、成功です。

安定性が例外である世界のほかの国を見ると羨ましい結果にさえ見えてくるのです。

 

イノベーションが起こせない国ではなく、起こそうとしない国として安楽死させられる社会なのでしょうか?

「定常状態」にある日本が変化を起こせるには戦争か、大きな自然災害しかないと言われます。

しかし3・11でも大きな変化が起きなかった。

何が言いたいか?イノベーションが社会に揺らぎを起こしパラダイムシフトが起きることを恐れるよりも定常化状態に何も感じなくなることのほうが、恐ろしいと感じているからです。

変化のない社会は、歴史的拘束性・地理的拘束性に絡めとられて、底なし沼に引きずり込まれてしまうのではないかという、危機感を抱くからです。

この10年は日本の社会を安楽死させようとしたリーダーの下で生活してきたのでしょうか?

3・11でも動かなかった社会がウイルス性肺炎で動くのでしょうか?

人々の経験が変容することで、ヒト・モノ・カネの移動にも影響が出ると考えられます。

そんなことを考えさせる歴史を踏まえて、未来を考える一冊です。

 

投資家の行動変容は国内投資から海外投資への一層の加速です。

 

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています

 

 

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