「民主主義の死に方 著スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット」を読む
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二極化する政治が招く独裁への道
司法を抱き込み、メディアを黙らせ憲法を変える…‥
「合法的な独裁化」が、世界中で静かに進む。
全米ベストセラーの邦訳。
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表
本書を読むと、民主主義体制はいかに、脆弱であるかを痛感する。
池上彰氏解説
裏
ハーバード大学の第一線研究者が明らかにする民主主義の現在と未来。
フランシスフクヤマ(「歴史の終わり」著者)
「民主主義の崩壊を専門とする第一級の政治学者がその知見を用いて今日のアメリカの民主主義が直面する危機について教えてくれる。
ティモシー・スナイダー(「暴政」著者」
「著者たちがその膨大な知識と日々の混乱の間につながりを見出すとき、私たち読者は知的な興奮とともに政治への警告を受けとる」
ダロン・アセモグル(「国家はなぜ衰退するのか」共著者)
「アメリカ民主主義の未来に関心があるなら、この傑作を読むべきだ。もし関心がないなら…絶対に読むべきだ
表紙裏
私たちの民主主義は危機的状況にある
2016年11月、アメリカでは、はっきりと独裁的な傾向を持つ男が大統領にえらばれた。
ハンガリーやトルコ、ポーランドではポピュリズム政権が民主主義を攻撃し、ヨーロッパの各地で過激派勢力が議席を伸ばした。
今、世界中で民主主義がゆっくりと静かに殺されてゆく。
かつて民主主義は革命やクーデターによって死んだ。しかし、現代の民主主義の死は選挙から始まる。
20世紀にヨーロッパやラテンアメリカで起きた民主種主義の崩壊を20年以上にわたって研究してきた著者二人が、世界の民主主義の現を分析し、将来に向けて撃つべき手を提言する。
日本の未来をも暗示する警世の書。
著者の前提としている考え。
歴史を通して、アメリカの抑制と近郊のシステムは極めてうまく機能してきた。しかしそれを可能にしたのは、建国の父たちの作り上げた立憲制度ではない.
(少なくともそれだけではない)民主主義がもっともうまく機能し、より長く生き残るのは、憲法が成文化されていない民主主義の規範によって支えられているときだ。
アメリカの均衡と抑制のシステムはこれまで、二つの基本的な規範によって当たり前のように保たれてきた。まず一つは「相互寛容」…競い合う政党がお互いを正当なライバルとして受け入れるという理解。もう一つは「自制心」…組織的特権を行使するとき、政治家は節度をわきまえるべきという考え。
その規範を育てるのは政党が門番としての役割を果たしているから。
何か違うと感じるのは、ルールを作るときはルールが前に向かおうとする意志だが、慣れてくるとそのルールを自分の考えを押し通すツールとして使うようになる。
それが身についたルールといえばそうだが理想と現実にギャップがある場合、修正が必要だ。
民主主義が生き残るのに不可欠な規範2つ
① 相互寛容…政治家みんなが一丸となって意見の不一致を認めようとする意欲具体的にはお互いを打ち負かすべき敵ではなくライバルとして認め合い権力を循環させることが出来るのではないかという気づきこそがアメリカ民主主義の貴重な土台となった。
② 組織的自制心たとえそれが厳密には合法であっても、制度上の特権を目いっぱい利用したりしない。
環境を変える要因
① 2大政党は世代交代と政治家の長年の経験が相互寛容と組織的自制心を失わせる。
② イノベーションはそれとなく主旨の変更や浸透に影響を与える。
選挙で選ばれた独裁者は権力を強めるために3つの戦略を使う
(トランプ大統領はすべて用いている)
① 審判を巻き込む
② 主要なプレイヤーを欠場に追い込む
③ 対戦相手に不利なようにルールを書き換える
爪を立てる。
この本のテーマは私個人のテーマ分類からすると、システムに対する信頼に関する問題。
結局民主主義の良いところを確認するための作業が常に求められるということ。
物事を決めるのに金も時間も手間もかかる民主主義の長所とは、権力者を非権力者の投票によって合法的に変えられる可能性があること。
非権力者の意見が認められ、多数決で方向が決まるため、一度決まると、力強く動くコト。
2大政党に分かれて勝敗を決める世界に相互寛容とか自制心を求めるというのは、ルールはこうだが、ルールに乗せられない相互寛容とか自制心のようなソフトなガードレールをお互い持ち合おうというのは、ルールに脆弱な部分があるからではないか?
ルールとして第3極を置くことで白黒をつけるという形の勢力図が間に軸が出来て軸をどうしたら自分側に引き付けられるか、そうした制度を作ってあるほうがより、深く討論したり、妥協したりするための理解度が深まってよい結果に結びつくと考えられないか?
だとすればそういうルールにしたらよい。
公平な第三者機関とか、公平なメディアなど最初から存在しないと考えれば、今が過去より悪化していると悩む必要はない。
公平ではなく共通基盤としての情報さえあれば、その基盤の上に各人の考える優先順位や価値観が乗ることになる。
相互寛容や自制心という共通基盤を情報の共有と権力者と非権力者の間の情報の非対称化を防ぐたゆまない努力をする。
白黒つける、勝ち負けを決めるとしても、共通基盤のウエイトが高くなり解決すべき問題は多くが共通のテーマとなり、主張する内容の差は優先順位の妥協が出来れば、残りは少の違いではないか?
すると行政の一層ウエイトが高くなるので主導権争いが一層激しくなるかもしれない。
相互寛容とか組織的自制心というのは共通の歴史を持った社会で暗黙に認められるのであって、民主主義ではない国や、最近民主主義を取り込んだ社会では必ずしも認められているわけではないことを前提にした関係があっていい。
信頼の3層
人格信頼(顔を識別できる付き合いのなかで生まれている信頼)
システム信頼(法規・倫理・暗黙のルールなど社会を支えるシステムに支えられる信頼)
情報信頼(多量で複数の情報を得られる環境の中で自主的に判断できる信頼)
で区分するとシステム信頼における問題
期間を限定された権力者を市民全体で選べるかどうかが、民主主義と独裁の差でこれから政府の力が強化されてゆく。
その訳はイノベーションによる社会管理方法が効率化するため、それを監視ないしコントロールする権力は効率的になる。つまり強化されてゆく方向になると考えられる。
相互涵養や組織的自制心を情報公開とその情報をどう分析しどう政策に纏め上げてゆくかという集団の育成と、その専門集団の継続的アナウンスが替って責任を担ってゆくと考えたらどうか?
情報の非対称性が生まれると、寛容や自制心に求めていた以上のものが急激に失われることは間違いないという危険な状態でいる。
もう一つ厄介なのは、ヒトがどんな信頼に重きを置いているかほかのヒトに判断できないケースが多くあることだ。
時々<3層の信頼>を使い分けたり、どこに重きを置いたりするか、その時々で変えることが可能であり、ヒトなのかシステムなのか、データなのか、それぞれの比率なのかを外見から判断することが難しい。
少なくともこれだけは言える。
<3層の信頼>のもっとも深く狭い部分「人格信頼」から見れば
民主主義でリーダーとして認められるには、行動経歴や発言経歴、または何に影響を受けてきたかをオープンにしていないと難しくなる。これといった発言や、思考法をオープンにしていないリーダーというのは認められないだろう。
説得し信頼を得ることが重要だ。説明責任とか情報公開とは口先の問題ではない。
ヒトに対する信頼の継続性はそのヒトの持つ価値観がそう簡単に変わらないことが示されていなければならない。
信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています
