不登校について、
たくさん勉強してきた。
最初の頃は、
学校に行かせなきゃ、
昼夜逆転を直さなきゃ、
ゲームばかりさせてちゃダメ、
と思っていたけれど、
今は、
無理に学校に行かせなくてもいいことも、
まずは家を安心できる場所にすることも、
子どものペースを大事にすることも、
わかっている。
実際、
自分もずいぶん変わったと思う。
前みたいに、
朝から子どもを
追い立てることもなくなった。
学校に行かないことを
責めなくなった。
ゲームをしていても、
いちいち口を出さなくなった。
子どもの気持ちを
尊重できるようにもなった。
自分のことだって、
ずいぶん見つめてきた。
子どもを変えるんじゃなく、
まず自分が変わろう。
そう思って、
ここまでやってきた。
なのに。
子どもが動かない。
学校に戻るわけでもない。
何か新しいことを
始めるわけでもない。
進路について
考え始めるわけでもない。
家では前より
元気になった。
会話も増えた。
親子関係だって、
前よりずっといい。
でも。
……いつ動くの?
ふと、
そんな気持ちが出てくる。
そして、
また考え始める。
私、
まだ何が出来てないんだろう。
本当はまだ、
子どもを信頼できてない?
心のどこかで、
学校に戻ってほしいと
思っているから?
私の自己受容が
足りない?
まだ手放せていない
思い込みがある?
もっと自分を
整えた方がいい?
断捨離?
運動?
苦手なことを後回しにしてるから?
あと私は、
何をすればいいんだろう。
不登校について
たくさん学んできた人ほど、
こんなところに
たどり着くことがあります。
最初は、
子どもを
なんとかしようとしていた。
でも、
「変えるのは子どもじゃない」
と知って、
今度は自分を変えてきた。
それでも
思うように現実が動かないと、
今度は、
「まだ私のどこかに
問題があるんじゃないか」
と、
自分の中を
探し始めるんです。
こんな時はスタバでもため息だね
ここにも、
心のとげが
隠れていることがあります。
たとえば、
「私がちゃんとできれば、
子どもはよくなる」
そして、
その裏側にある、
「子どもがよくならないのは、
私がまだちゃんとできていないから」
という思い。
子どものために学び、
自分を見つめ、
一生懸命変わってきたからこそ、
子どもが動かないと、
自分の中に
次の原因を探したくなる。
【子どもがまだ動かない】
↓
【心のとげに触れる】
↓
【痛い!】
↓
「私の何がまだダメなんだろう?」
↓
もっと学ぶ。
もっと自分を見つめる。
もっと手放す。
もっと自分を変えようとする。
そして、
それでも子どもが動かなければ、
また、
「まだ何かあるはず」
と探す。
これ、
終わりがないんです。
だって、
知らないうちに、
「私が変われば、
子どもが動く」
という前提になっているから。
自分を変えることと、
子どもが動くことが、
セットになっているんです。
だから、
子どもが動かない限り、
「まだ足りない」
になる。
もっと学ばなきゃ。
もっと整えなきゃ。
もっといいお母さんにならなきゃ。
でもね。
ここには、
本当は別々のことが
混ざっています。
親ができることと、
子ども自身がやること。
親には、
親ができる領域があります。
家を安心できる場所にすること。
自分の不安を
子どもにぶつけないこと。
必要な時に
話を聞くこと。
助けを求められた時に
手を貸すこと。
でも、
学校へ行くかどうか。
何かを始めるかどうか。
どんな進路を選ぶのか。
いつ動き出すのか。
そこは、
子ども自身の領域です。
親が代わりに
やってあげることはできません。
だけど、
お母さんの中の怖さが
とても強くなっていると、
子どもの領域のことまで、
自分がなんとかしなければ
いけないような気がしてきます。
この子が動かない。
どうしよう。
じゃあ、
私がもっと変われば?
私がもっと手放せば?
私がもっと信頼できるようになれば?
そうやって、
自分が変わることで、
子どもの領域まで
なんとかしようとしてしまう。
だから、
こんなに学んでも、
終わらないんです。
もしかしたら、
ここで抜きたいとげは、
「私がもっとちゃんとできたら、
この子を動かせる」
なのかもしれません。
そして、
そのもっと奥には、
「ちゃんとできない私は、
母親失格なんじゃないか」
そんな、
もっと痛いとげが
隠れていることもあります。
だから、
子どもが動かないことが、
ただ
「この子は今、まだ動いていない」
では終わらない。
「私がまだできていない」
「私がまだ足りない」
という、
自分へのダメ出しに
つながってしまうし
もっともっと、と
自分を追い立て続けてしまうんです。
じゃあ、
そのとげがなくなったら
どうなるのか。
「何も子どものことはしません」
になるわけではありません。
親としてできることは、
ちゃんとする。
必要な時には
話を聞く。
助けが必要なら
手を貸す。
自分の中に
苦しいものが出てきたら、
それもちゃんと見てあげる。
でも、
それを
「子どもを動かすため」
にやらなくなる。
私がやることと、
この子がやること。
それぞれを、
それぞれの場所に
戻せるようになります。
すると、
「あと私は何をすればいい?」
という終わりのない問いから、
少しずつ
降りられるようになります。
もし、
こんなに学んできたのに、
こんなに自分も変えてきたのに、
子どもが動かない。
「あと私は何をすればいいんだろう」
と思っているなら。
次にやることを
探す前に、
ちょっとだけ
自分に聞いてみてください。
子どもがまだ動いていないことで、
私は、自分の何が
足りないと思っているんだろう?
私はいつまで、
子どもの変化で
自分に合格を出そうとしているんだろう?
そしてもうひとつ。
私は今、
自分が学ぶことで、
誰がどうなる結果を得ようとしてるんだろう。
そこに、
あなたを
「もっと学ばなきゃ」
「もっと変わらなきゃ」
へ駆り立てている、
心のとげが
隠れているかもしれません。
