「明日は学校行く」
夜、子どもがそう言った。
その言葉に、
うれしくなったり、
あんまり期待しちゃダメ、と思いながらも
ちょっとホッとしたり。
明日は行けるかもしれない。
そんな気持ちで眠った翌朝。
起きてこない。
声をかけても動かない。
そして、
「やっぱり今日は無理」
と言われる。
……え。
昨日、行くって言ったじゃん。
期待したぶん、
ガッカリする。
腹も立つ。
「行くって言ったよね?」
「ちょっとだけでも行ってみたら?」
「遅刻でもいいんじゃない?」
言わない方がいいとわかっていても、
何か言いたくなる。
あるいは、
言いたいことをグッと飲み込んで、
「そっか。わかった」
と答えながら、
心の中では全然
「わかった」じゃなかったりする。
不登校の子どもと過ごしていると、
こんなことが何度もあります。
そして、こんな時、
「私、まだ子どもを信頼できてないのかな」
「一喜一憂しちゃダメなのに」
「もっとどーんと構えていられる母親になりたい」
なんて、
今度は自分のことまで
責めたくなったりします。
だけど
こういう時に見てほしいのは、
「どうしたら一喜一憂しない母親になれるか」
ではないんです。
どうして私は、
こんなにガッカリしたんだろう?
どうして
「今日は行けない」と言われることが、
こんなに苦しいんだろう?
こっち。
そこには、
あなたの心に刺さっている
「とげ」があるかもしれません。
たとえば、
「このままずっと学校に行けなかったらどうしよう」
という怖さ。
「そろそろ動き出してほしい」
という焦り。
「行くと言ったなら行ってほしい」
という思い。
期待して、
またダメだった時に傷つくのが怖い、
という気持ち。
同じ「今日は学校に行かない」
という出来事でも、
そこに触れて痛む「とげ」があると、
私たちの心は
大きく反応します。
つまり、
子どもが学校を休んだから苦しい、
だけじゃないんです。
【子どもが学校を休む】
↓
【心のとげに触れる】
↓
【痛い!】
↓
焦る。
ガッカリする。
腹が立つ。
なんとかしたくなる。
こんなことが
心の中で起きています。
だから、
「もっと見守らなきゃ」
「一喜一憂しないようにしよう」
と、
反応する自分を
一生懸命おさえようとしても、
なかなかうまくいきません。
だって、
とげが刺さったままだから。
触れたら痛いものは、
痛いんです。
じゃあ、
そのとげがなくなったら
どうなるのか。
昨日は
「明日は行く」と言っていた。
でも今朝になったら
「今日は無理」になった。
それを、
「またダメだった」
「振り出しに戻った」
「このままずっと行けないかもしれない」
と、
その先のストーリーまで
一気に作らなくなります。
「昨日の夜は、行けそうだったんだね」
「でも今朝は、無理だったんだね」
今日のことを、
今日のこととして見られるようになる。
すると、
お母さん自身が
ものすごくラクになります。
そして、
お母さんが一喜一憂しなくなると、
子どもにとっても
「行くって言ったら、絶対に行かなきゃ」
「またお母さんをガッカリさせる」
というプレッシャーが減っていきます。
「行けそう」
と思ったら、
そう言っていい。
朝になって
やっぱり無理だったら、
それも言っていい。
そんな安心が
親子の間に増えていきます。
子どもの波に合わせて、
お母さんまで毎朝
ジェットコースターに乗らなくていいんです。
一喜一憂してしまう自分を
直さなくていい。
まず見つけたいのは、
「私は、何がこんなに痛いんだろう?」
ということ。
そこに、
あなたをずっと苦しくさせてきた
「心のとげ」が
隠れているかもしれません。