晴走雨読 菊千代 -91ページ目

オーパ!!

ザ・開高健―巨匠への鎮魂歌

とうとう出た。開高 健。


芳醇で、崇高な、酒飲み、文学者、釣り人、コピーライター、ジャーナリスト

いや、飲んでこの人を語れるほど私はあつかましくない。


この本は巨匠への鎮魂歌という副題がついている。


寿屋(現サントリー)時代から亡くなるまで、開高健と同じ時代に生き抜いた人々からの

鎮魂歌である。


サントリー時代の社長、佐治敬三との対談、「四畳半襖の下張」裁判での証言はユーモアと皮肉タップりで満員の傍聴席は爆笑の連続。


1989年、58歳で亡くなるまでその生き方の密度は並みの人生の数倍も濃く劇しい

ものだったと妻の開高道子は語っている。


愛する魚たちを求めてさまよった人生。

酒、食、色、人そして神。

男の森羅万象を語る。そして語られる。


私の開高健に対する好奇心ははこの本から始まった。


ベトナム戦争で100人の部隊がベトコンにやられ17人となった

人生最期の写真と思って撮った写真



寿屋時代のトリス節




バッタ

昨日、妻から聞いた話です。

車の運転中に誰かの視線を感じたらしいんです。


はっと、横を見るとなんと大きなバッタがサイドウインドウにへばりついていたそうです。

それで振り落とそうとスピードを上げても

やつは、足をふんばり振り落とされないようにしがみついたようで。


妻は、高松橋でさらにスピードを上げ、今度こそ振り落とそうとしたのですが

さらに腰を落として耐えたそうです。


よくよくそのバッタをみたらスピードに長いひげがたなびき

さらに、口の周りが黒かったそうです。


こんな感じのやつ

ふんばるバッタ


バッタながらなかなか根性のあるやつで。


しかし、話聞いただけで笑っちゃいました。

can't  help  ~ing

高校時代に can't  help  ~ingという熟語を習った。

~せざる得ないという意味だった。


エルヴィス・プレスリーの歌にそれがあった。

can't  help  falling in love 「好きにならずにいられない」という歌だ。


SCREEN特別編集
Elvis on Screen エルヴィス・プレスリーの伝説

私は英語が不得意だ。

しかし、NHKの英会話をかかさず見ていた時期があった。

半年してもぜんぜん上達しない、

なぜだろう?

ある日解明した。

私は英語を習ってるつもりが、アシスタントの外人の女性ばかりを見ていたのだ。


おっ!!今日はいい服きちょるが!!

おっ!!今日のブレスレッドは君の瞳と同じエメラルドグリーンやが!!


ただ一つ習得したのが、なんと外人さんが話す日本語のイントネーション。

「こ~のフレ~ズは、よ~くきいてくださ~い」

とかいう抑揚だ。


その成果が、牧師 菊千代がしゃべるあのあやしいイントネーションの基礎となった。


あなーたたちは

やめーるときも・・・・


なんのことはない、日本語を話す外人の言葉づかいを学んでいたのである。



カラオケで「好きにならずにいられない」をたまに歌う。

好きな英語の歌をマスターしたり

好きなアーティストの本を読んだほうが


よっぽど英語に興味がわくんじゃないかなと思ったしだいでした。



人間機雷「伏龍」特攻隊

瀬口 晴義
人間機雷「伏竜」特攻隊

図書館でふと目に付いたこの表題の本、とりあえず借りました。

神風や回天、そして桜花などの特攻は知ってましたが、「伏龍」って何なんだろうと。


伏龍とは、終戦直前、本土決戦の為、潜水服を着た潜水兵が海底に潜伏して、大型戦車を乗せた米軍の上陸用舟艇に向かって浮上、棒に付けた機雷を突き上げ自爆する特攻でした。


日本軍が飛行機不足のため、予科練生約4000人をこの伏龍特攻に訓練したそうです。

本土上陸の前に敗戦になったので実際は実行できなかったんですが、その訓練中に呼吸で吐き出された炭酸ガスを苛性ソーダで吸収させる呼吸法を誤り何人もの犠牲者を出したそうです。


日本軍は米国の物流作戦対竹やりみたいな、まさしく背水の陣の作戦をどうして実行しようと決断したのでしょうか?

それを特攻隊の若者達はどう感じてたんでしょうか?


筆者はその当時の特攻隊員を何人も取材し、この隠された戦争の歴史を書き出しました。



チャレンジャー

通勤途上の今朝8時ごろ、日向駅近くの10号線で見たんです。

久しぶりに。汗まみれのサイクリストの2人を。


その格好はなんと

ママチャリにしかも、後ろのキャリアに荷物をたくさん乗せれるように大きな板をのせ

その上にテントや寝袋をゴムひもでくくり

前かごにはリュックをそしてペットボトルを積んで元気に北上してました。


帽子やサングラスもかけず、日焼けした肌に短パン姿がまぶしくワッセワッセと走ってました。


これから宗太郎峠を上るんだろうな・・・

今日はどこで野宿するんだろうな・・・



そういえば以前、こんな話を聞きました。


トライアスロン黎明期、ハワイのアイアンマンにエントリーしている米人のアスリートの一人が

誇らしげに

アイム スイマー


もう一人の米人が

これまた自慢げに

アイム ランナー


それでたまたまそばにいた日本人にお前は何なんだと聞いたら

大きく胸を張り

アイム チャレンジャー!!

と答え2人の米人におおうけしたそうです。



2人の若者は

装備や格好は二の次で、純粋に旅をしたかったのでしょうきっと。

その手段に自転車を選んだんでしょう。


でもたぶん、これが冒険の原点だと思います。

若者の特権だと思います。


二人のチャレンジャーさん。今年の夏、いい思い出をつくって下さいよ。

その思い出はいつまでも語れると思いますよ。


車の中から、二人の姿が消えるまでバックミラーで追いつづけた朝でした。




8月15日

今日はお盆休みでした。チームフィオーレ主催の練習会に参加させて頂きました。

大淀川学習館に8時集合1時解散でした。コースは綾~木城の往復98kmでした。


終戦記念日と、お盆、それと集合場所に行く途中に見た宮交バスのナンバーが666というオーメンのダミアンを思い出す不吉な予感がしましたが、6人無事に皆走り終えました。


初めてごいっしょする方もいて最初は緊張気味でしたが、2時間休みなく48kmを走るとそれどころではなくこぼれないように必死でした。コーチ、一度も先頭ひかなくてすんませんでした。というよりひけませんでした。(^_^;)


西都の最高気温が36・3度だったそうで、私は今でも少し頭が痛く熱中症気味です。

しかし、、時速30kmをちょいきるぐらいのスピードで2時間連続で走れたことはいい勉強になりました。ありがとうございました。



8月15日、戦後60年です。終戦に生まれた方がもう60歳なんですよね。私の親父は大正14年生まれであと数ヶ月戦争が長引いたら学徒動員でかり出されたそうです。もし戦争が長引いたら今、こうして自転車に乗ったりビールを飲みながらブログを書いたりする事もできなかったでしょう。


今日12時にどこかの町でお昼ののサイレンが鳴りました。甲子園は1分間の黙祷をささげたんでしょうね。

戦争責任や靖国問題、核開発等ニュースに出てますが2度と戦争のない平和な生活を望みます。


戦争で亡くなられた方、若くして特攻や玉砕された方、戦争に巻き込まれて亡くなられた世界中の民間人の方のご冥福をお祈りします。

人のふんどしで相撲をとる

もう、おきずきでしょうが、私が紹介した本をクリックするとアマゾン・ドット・コムにとび本を注文できるようになってます。


(おや?これはなんだろう?なんでアマゾンヘ・・・)


そして、その本を注文すると本代の3%が私に紹介料としてはいるしくみです。


(牧師 菊千代 はかったな・・・聖職者ともあろうものが・・・)


日経パソコンでこの仕組みを知りました。今流行のアフィリエイトというインターネット上の仕組みらしいです。


Ameba Blogや外のブログサイト上でブログを開設し、Amazonアソシエイト・プログラムに申請して承認されれば誰にでもできる仕組みです。


(ほほ~それで)


紹介料が1500円を超えたらAmazonギフト券が送られてくるみたいです。


私がブログを始めたのは、ずーっと前からホームページを作ろうとしてましたが、そのなんやらHTMLやら

めんどくさいのであきらめてました。


しかし、ブログというものがはやりだし、これなら出来るんじゃないかと思い始めました。

テーマは自転車(スポーツ)と本です。

スポーツは見るのもやるのも好きですし、本は電車通勤中に読んだ本です。

自分で買ったり、図書館で借りたりしてます。


(図書館で借りたのを紹介して、紹介料をもらうつもりか 菊千代・・・)


そう、これをを日本伝統の「人のふんどしで相撲をとる」という仕組みです。

ちなみに7月24日に始めて、いまだに1件の注文もはいってません。


これを「とらぬ狸の皮算用」というらしいです。





スポーツマン

以前、「スポーツマンシップ」とはなんだろうという事が書かれてある本をよんだ。
「宣誓!!我々はスポーツマンシップにのっとりうんぬん・・・」という昔のお決まりの選手宣誓に出てくるあれだ。

そういえば深く考えたことはない。スポーツマンシップの前にスポーツという定義についても書かれていた。


スポーツ発祥の英国では、スポーツ=エンジョイとかファンとか楽しむことらしい。だからチェスやダーツなんかもスポーツの一種でオリンピックの種目にエントリー希望をだしているらしい。


日本では昔から学校教育の体育の一環としてスポーツを楽んだり(苦しんだり)したのが、日本人の一般的なスポーツの定義だろう。


次にスポーツマンシップ、これも英国の子供にスポーツマンシップってなに?て聞いたところ

「相手を敬い、審判に文句を言わず、礼儀正しく、負けても腐らず次のステップとする事。」と答えたらしい。


むむ!!すごい答えだ。子供でもあなどるなかれ。


それとHe Is a Sportmanという英訳はなんと「彼は信頼できる人だ!!」という事らしい。


スポーツに対する考え方や文化の違いがはっきりでていておもしろかった。


その昔、米国のグレッグ・レモンが、ツールの最終日でフランスのローラン・フィニョンを数秒差で逆転し米国人初の優勝をした。その翌朝のフランスの新聞の見出しは「ヤンキー上陸」だったらしい。

フランスにとってツールは国民的なもので、フィニョンの優勝を信じていたフランス人にとってはおもしろくなかったのだろう。かつてノルマンジーに米国が上陸したみたいに。

しかし、ランスにはもはやフランスも敬意を表しているという。


さて、この本、自転車仲間のmataさんからお借りしました。

ランス・アームストロングは以前米国のベスト・オブ・スポーツマンに選ばれている。

癌を克服しツール・ド・フランスで7連覇を成し遂げた。

しかも、ランス・アームストロング基金を立ち上げ黄色いシリコンのブレスレッドの収益をその運営基金にあてている。今回の世界陸上の選手も何人もこれをしていた。


そう、たしかに彼は最高のスポーツマンであり、人々に生きる希望と勇気を与えた。

「星条旗よ永遠なれ」を歌って。


英国、米国、フランス、日本、そして自分のスポーツマンシップについて考えた1日でした。


ランス・アームストロング, 曽田 和子
毎秒が生きるチャンス! ナリッシュブックス

7410デュラエースの悲劇

先の今中大介の本で、「クランクの剛性は大切」というページがあった。

そこにはこう書いてあった。


クランクは人間のパワーを伝達するための要となるパーツだ。


(ふむふむ そうだそうだ)


僕がプロとして走っていた時に使っていたシマノの7410デュラエースは、クランクに細身のデザインを採用していたためムチャクチャたわんでどうしようもなくダメだった。


(ダメだった・・・ 7410か 前の前の型だなたぶん)


ハッ!! 


そういえば自分のデュラエースは前の前の型ぐらいじゃなかったかな。そういえばちょっと細かったな。

おうおう見らんといかん!!


階段を駆け下り玄関にあるトレックのクランクを調べた。


ガ~ン!! 7410やんけ!! しかも立派な刻印やんけ!!



今中さぁ~ん いまさらそんなむごい。10年間まわし続けて愛着のあるクランクを・・・


雨の日も風の日も激坂の日も、皆に遅れまいと必死で上ったのに・・・

いまさらそんなことを暴露して・・・・


しか~し、これも運命である。前向きに考えよう。この際クランクをコンパクトドライブに変えよう。

しか~し、コンパクトドライブにしたら、10段のギアも欲しくなる、チェーンも変えないと、前後のディレーラーも、さらにはシフトレバーも。


なんたる事か・・・


人生にはそっと秘密にしてほしかった事がある。

それを知らずにいれば、どんなにか幸せな自転車人生を送れたはず・・・


いやいやこんなことで落ち込んでいてはいかん。


10年前の7410のデュラエースをお使いの皆さん。

ほとんど皆無に等しいと思いますが、8段のギアを堂々とこいでいきましょうや。

そして、7410同好会でもつくりましょうや。





そこでイマニャーカの本です

1996年、イマニャーカはイタリアのポルティというチームに所属し、日本人で初めてツール・ド・フランスに

出場した。3週間でフランスを1週するレースである。


アシスト役である彼は、献身的にエース、フランス人のルブランのため信じられないような走りをした。体調を崩しながらも神がかり的な精神力で彼は走った。しかし、14ステージで・・・


その年のツールのダイジェスト版がNHKで放送された。14ステージのゴール、イマニャーカが来ない。カメラは集団から遅れたイマニャーカをずーっと待った。


集団のゴール約20分後ようやく彼はよろよろとゴールにたどり着いた。そしてチームカーへ進んでいった時、監督のスタンガがやさしい目をして両手を広げて迎えた。スタンガは言った。

「ここまでよく走った。」


エースのルブランも「ありがとうイマニャーカ」と声をかけるために、宿舎へ帰らずゴール地点で待っていてくれた。


やせ細りぼろぼろになったアシスト・イマニャーカはその役目を終え、嗚咽しながら背中を丸めレースカーに乗った。14ステージ・リタイアである。そのシーンは今も覚えている。(もらい泣き クックックッ)


この本は今中大介の自転車の出会いから、プロロード選手の思い出、シマノ時代の部品開発の話、トレーニングの方法や、最新のパーツについてなど、自転車に関する魅力が一線の現場から語られている。

今中 大介
今中大介のロードバイクバイブル