高島屋のぐっちゃりケーキは、冷凍状態から一度とけて崩れたのだろうが、そのとけていた時間や温度が不明だ。5千円以上もするのであれば、ホイップクリーム(バタークリーム)ではなく日持ちがしない生クリームであろう。生クリームが常温の所にどれくらい放置されていたのかわからないうちに食べてしまっては食中毒等が心配だ。やはり食べないほうがよいだろう。

 大谷選手のグラブが続々と全国の小学校に届いているという。

 わが校の教育課程にそぐわない、大規模校で全員が利用できない等、諸々の事情で受け取りたくない学校にも、強制的に送られてくるのだろうか。

 このようなことをすると、その学校で現在、そして将来学ぶ児童全員にとって「素晴らしい人」「立派な人」となる。それが全国すべての小学校となると、将来的に日本人全員が「大谷翔平は英雄だ」と刷り込む教育を事実上受けることになる。そして、それを強制的にやるのは、大谷氏本人だ。全国の野球スポーツ少年団などに送るならまだわかるが、全ての日本人が受ける公教育の場である小学校に個人が自由に物を送って教育活動に利用させるなど、決して許さることではないと思う。今、テレビは大谷選手一色だが、野球に興味がない人や嫌いな人など、関係のない大人や子供もたくさんいるのである。世の中も洗脳されすぎだ。

 そもそも、多くの子供達の興味関心が以前より野球に傾いてしまい、バドミントンや卓球、柔道など、他の競技に興味を持ち、練習したい、学びたいと思う子供たちの割合が減ってしまう心配もある。

 フジテレビの「めざまし8」で、クリスマスの夜に渋谷で路上飲みをして空き缶やごみがそのままにしてある様子の映像が流れていた。映像終了後、司会者やコメンテーターたちは非難することもなく、次の話題に移っていた。

「このように渋谷の街で路上飲みをしてゴミをおいて帰る人がけっこういます」と、やり方(渋谷の街で夜に路上で飲む)を伝え、多くの人がやっていることだよと安心感を与え、結果的に路上飲みを増やそうとする報道姿勢は認められない。

 フジテレビは、やめてほしいという意図で路上飲みの実態を放映しているのであれば、実態の映像後に強く非難をしたり禁止を呼びかけるコメントをしたりしなければいけない(この情報を見た人が「僕もやってみたい」と思わない程度に)。

 テレビ局は、自分たちがやっていることや影響がわからず、興味本位に情報を扱っていることがよくわかる事例だ。公共の電波を使って全国に情報を伝え、世論を作る仕事をしていることを自覚し、採用条件で倫理観や想像力などの観点を厳しくしたり社員研修の徹底を図ったりする必要があると思う。最近の情報番組やバラエティ番組は、何もわからない大学生サークルが仲間内で無責任に作ったような番組が多すぎると思う。

スーパーへ買い物に行くと、嫌だなあと思う人を目にすることがある。気が付いたことをいくつか挙げてみる。

 

何度も咳をしている人は、マスクをしていない。

総菜コーナーの前で携帯で話して居すわっている人は、マスクをしていない。

手を後ろで組み、店内をうろうろ歩いているだけの男性は、マスクをしていない。

レジに並んでいる時、自分の後ろに驚くほどくっついて並ぶ人は、マスクをしていない。

大声で話しながら買い物をしている夫婦は、マスクをしていない(男性だけ)。

汚いかっこうの人や危ないような人は、マスクをしていない。

 

その他の他人に迷惑をかけていない大勢のお客さんは、全員マスクをしている。やはりマスクをしていない人は、自己中で、普通ではない人が多いようだ。

「サンデーモーニング」を見ていたら、自民党の「政治と金の問題」は過去数十年にわたり「ばれては反省」を何度も繰り返されてきたので、緊張感をもって政治をしてもらうためには政権交代の形を作らないとだめだと話していた。

 私も賛成である。これしかないと思う。そこで提案だが、形式だけの参議院は廃止し、衆議院だけで総選挙を行い、当選者はくじ引きでAかBの政党に振り分け、強制的に大きな2つの政権を作るのはどうだろうか。そして、党内での派閥づくりも禁止にする。官房機密費など、全ての収支を透明化する。国家機密にあたるものは、数十年後に開示するようにすればよい。さらに言えば、政治家の給料や手当を国家公務員と同じくすれば、ゆがんだ目的で政治家になろうとする人を排除することもできるだろう。

 今の野党では弱すぎるしイメージもよくない。政権交代は実現しない。強制的に2つの政党に分けると基本政策はどうなるかとなるだろうが、これまでも政党に入れば幹部の言うとおりにやるしかなく、党内で意見が分かれてもそれによって深い議論がなされるだろう。そもそも国や国民のための政治をしたいと全ての議員が思うなら意見は一致する。あるいはバランスの取れた妥協案が生まれる。

 政治家たちの違法行為や不適切行為、責任逃れ、嘘や詭弁、族議員や自己保身のための政治をとめるには、これしか私には考え付かない。今回、部分的に少し改善させてみても、政治家たちの意識や基本的な仕組みが同じであれば、また繰り返される。今までがそうであったように。

 永遠に繰り返すか、政治家たちの意識や仕組みを強制的に変えてとめるか、これを決める権限を持っているのが、違法行為をしながら税金や権限を好き勝手に使って贅沢をしてきた当の政治家達本人というのが、またまたうまくできた仕組みだ(皮肉)。おいしい蜜を自分から捨てるはずもなく、これでは変わらない。全国民と全マスコミが協力して、途中でやめたりせずに変わるまで毎日毎日主張を続ければ不可能ではないのかもしれないが。

 昨日の会合で、岸田総理が「国民に大きな疑念を持たせていることを謝罪します」と話していた。

 政治家は、「国民に誤解を与えたことを謝罪する」という言葉もよく使う。

 不適切な行動について謝罪するのではなく、国民が勝手に勘違いしていると悪者(愚か者)扱いし、それを上から目線で自分が勘違いをさせたようで申し訳ないと謝って見せて、逆に自分を立派な存在だと印象付ける。

 先日もこのようなことがあった。高市早苗議員は先日の記者会見で、裏金疑惑について「国民の皆さまから疑念を持たれ、政治への信頼を損ねる事態となっていることに強い危機感を感じている。党所属の政治家として心からおわびを申し上げる」と謝罪した。彼女は無派閥で今回の疑惑に関係がないのに、他人のことで謝って見せた。一般社会の中でもこのようなことを言いたいと考えつく人はたまにいるだろうが、もしこのようなことを言ったら自分を大きく見せよう、高潔な人物だと思ってもらいたいという自分の恥ずかしい魂胆に気づく人がいるだろうと気付き、思い直して言うのをやめているのが実情だろう。彼女は、大勢の前で堂々と言ってのけた。私は、これが政治家なんだなあと、ストンと腑に落ちて、妙にすがすがしい気持ちになった。

 利用できるものは何でも利用しようという政治家たちの根性に、感服の念さえ抱いてしまう。政治家になる人は、善悪は別にして、やはり一般市民とは異なる選ばれた特異な才能の持ち主たちなのだろう。

 書店でテレビ番組雑誌をみたら、5種類の表紙がジャニタレだった。

 ジャニタレ一択の優遇措置は、テレビ局だけに限ったことではなく雑誌などにも及んでいる。まさに「メディア業界」全体が一体となって、事件発覚以前にもましてジャニタレ優遇措置を推進している。一時、歌番組もジャニタレ出演を控えていた民放各局も、最近はジャニタレグループ総出演となってきている。メディア全体を見ていると、癒着(不公平・不公正)大国らしい、これぞ「ザ・ニッポン」といった感じだ。メディア業界が、旧ジャニーズ事務所の新会社(新社長)を見て再び旧ジャニーズ事務所と同じ形になる、忖度が必要になると見切ったのだと思う。

 毎日、多くの政治家達の違法行為疑惑がニュースで流れているが、日本は政治家達とメディア業界人達のどちらが悪いだろうか。本来であれば、政治とメディアの2つが、国の意思決定機関と国の世論構成機関として最も重要な存在なのだと思うが、日本ではこの2つが最も悪(不公平・不公正・責任逃れ、嘘や偏った情報伝達、癒着等々)の象徴となっている。

 どうすればこの2つが変わっていけるか考えてみたが、現実的な方法が私には考えつかなかった。

 根拠を示した健全な批判(事実)に対しても、「それは誹謗・中傷だ」と言えば、相手を悪者にしてこちらを正当化できるようになってきた。

 もちろん非難をする際には限度を超えた法に触れるような表現を使うことは論外である。

 まだはっきりしない危険なことをやっている人や業界に対して疑問を呈することも、「風評だ」と言えば、疑問がなく大丈夫だということに社会的になってしまう。

 もちろん根拠も蓋然性もない、ただの悪口や誤った主張、意図的な嘘の主張もネット上にはたくさんあるが、本当の適切な批判や合理的、論理的な反論もたくさんある。それを、「誹謗」、「中傷」、「風評」などといった言葉を免罪符代わりにして、自分を正当化したり不適切なことや悪事を続けたりしている人が多くいることも事実であろう。これは、言い換えれば新手の逆「誹謗・中傷」とも言える。この点をマスコミでは一切指摘や報道がなされない。意図的なのか、気が付かないのか、よくわからない。

 今、世の中は「誹謗だ、中傷だ」と言ったもの勝ちになってしまっている。テレビ局は、情報の正確性について番組で特集する場合には、「誹謗・中傷だ。風評だ」という言葉を発した側を事実と見てその対策を伝えるのではなく、個人個人が対照的な主張を必ず含め広く情報を得て多様な視点から検討するように伝えることが重要であろう。ジャニーズ問題で、第三者委員会による自主検証から逃げ切ったようなテレビ局の情報や主張なども、そのまま鵜吞みにしないということだ。

 卓球の伊藤美誠選手が中国選手に負け、パリオリンピックシングルス出場が厳しくなってきた。来年1月の全日本選手権でシングルスの代表2名が決まる。

 彼女は技術は世界一だと思うが、なかなか試合に勝てず、卓球選手としてとても残念に思う。練習や試合、日常生活での「気持ちの持ちよう」が原因で試合になかなか勝てないのだと私は思っているが、詳細はこのブログで繰り返し詳しく書いてきたのでここでは省略する。

 彼女は、来年の全日本に向けて、「体調管理をしっかりし、楽しんでやりたい」と語った。まだ言っているのかと思った。この「試合を楽しみたい」という気持ちの持ちようがよくないのだが。試合を楽しまなくていいから、プライドを捨て、ハッタリをやめ、自分の気持ちに正直になった状態で、真剣に、集中して試合をしなければ勝てない。試合前にハッタリを言ったり自分の気持ちをごまかしたりすることは、さらに試合中の自分の緊張感を高めてしまい、ミスを連発したり思った通りの試合ができないことに直結するのである。彼女は試合前に自分の気持ちを自分を悪い方向へ追い詰め、自爆していると思う。

 彼女は心の底で自分の力に酔っている所があるので、プライドを捨て、何事に対しても謙虚に誠実に、他人に対して思いやりをもって生活や練習、試合をすれば、世界一の実力が出せるようになると思うのだが、来年の全日本までに本人も、監督や仲間もそれに気づくことはないだろう。親だったら気づくようにも思うが。

 彼女のプレーを見ていると、中国選手以上の技術を持っているように見える。それが発揮できるようになることを願っている。やはり、強いものが勝つべきであろう。

 嘘でも100回聞けば、本当のことだと思えてくる。隣に住んでいる普通のおじさんでも、毎日テレビに出てテレビ局(や制作会社)の演出に乗っかっていれば、素晴らしい芸能人だと思えてきて、全国的な有名人になる。

 特に15年ほど前から、なぜこの人がM1で優勝?、なぜこの人が突然こんなにテレビに出てくるようになったの?、なぜこの人が・・・、ということが起こり始めた。つまり、芸能事務所との癒着によって、テレビ局がゼロから大きな虚像を作り上げるようになってきた。これは決してジャニーズ事務所に限ったことではない。お笑い界にもあることだ。

 この構造は、ドラマや歌謡番組、バラエティ番組、そしてニュースや情報番組(キャスターやコメンテーター)まで入り込んでいる。つまり今のテレビ番組のほとんどが、テレビ局と芸能事務所との癒着(圧力や忖度、ハワイ接待等)によって作り上げられた大きな虚像だと言える。このような実力主義から離れた状態をやめようということで、「メディア業界の生まれ変わり」を第三者委員会から提言されたのではなかったのだろうか。

 その先頭に旧ジャニーズ事務所が立つよう期待されたが、芸能事務所の上にあるテレビ局だけが反省もせず(第三者委員会の社内調査を拒んだり、都合のいいように自分たちで結果を発表したりなど)、いまだにジャニタレドラマやジャニタレ司会の歌謡祭ばかり作っていては、メディア業界の改善など、むちゃな話である。

 喜多川氏による被害者に対しては現在補償交渉が続いているようだが、それがもたらしてきたメディア業界における忖度や圧力などの癒着関係、大きな芸能事務所だけが実力に関係なくタレントを使ってもらえるという構図は変えられなかった。私には、喜多川氏の事件は個人的な問題で(個人の犯罪)、それに付随して起きていた「不公平・不公正なゆがんだメディア業界」の問題のほうが、社会や国民にとって大事件だと感じていた。しかしテレビ局はこれまでと何も変わらず、大改革のチャンスとなるであろう次の大事件が起きるまでの数十年間は、このまま突き進んでいくのだろう。残念である。

 わずかな期待もまだ残っている。NHKだけが、これまでのジャニタレ一択とは異なった番組作りを、発覚から数か月たった今でも貫いている。NHKも第三者による自身の検証は行っていないが、その後の内部の話し合いなどで「真の反省」が社内全体でできた可能性もある。NHKのある番組に、ゲストとして毎週知らないジャニタレ(数あるジャニタレグループのうちの1人)が必ず1人、交代で出てくる番組が9月頃まであったので、私が「ジャニーズ枠を設けることはどうなのか」とNHKに投書したことがあり、その数週間後から今までジャニタレは1人も出ていない。いずれにせよ、もう少し見てみないとわからない。