昨年暮から、夫の状態がよくありません。
右側への傾きは、あったりなかったりですが、体の重心が後ろに行ってしまって、歩行が不安定になったのがずっと続いています。
これまで、何度も同じような状態になって、そして元に戻っていましたが、今回はなかなか戻ってくれません。


毎日夕食を食べた後、気持ちが沈みます。
これから、どうやって、寝かせようかと..。
寝かせる前に、やらなければいけないことが、高い山のように聳え立ち、行く手を阻みます。

第一の難関は階段です。
前から状態の悪いときは私の力仕事でしたが、更に難しくなりました。
信じられないくらい時間がかかります。
たった14段の階段を降ろすのに、1時間近くかかってしまいます。

その次の難関は、歯磨きです。
歯磨きのチューブを開けたりするときなどは、どうしても両手を使う必要があります。
その一瞬、手を離した瞬間、その場に尻餅をついてしまうことがあります。
一旦尻餅をついたら最後、私は立ち上がらせることができないので、看護ステーションに電話して、助けに来てもらっていました。

最後の難関は、着替え、おむつ装着です。
安定して立っていてくれないので、支えながらのおむつの装着は困難を極めます。

やっと寝かせられる頃には、私は体の芯まで疲れ切っていました。
もう無理なのかなぁ..今度こそ本当に限界なのかなぁ..
悪あがきはもうやめて、施設に入れて楽になろうよ...
悪魔が私に囁きます。


その囁きを払いのけながら、必死に打開策を考えました。
歩行は不安定だけども、歩けないわけではない。
階段の登りは、私一人の時は、どうにもならなくて、二階に連れて行くことができないときもあるけど、二人がかりならば、なんとか登れています。
誰も来ない木曜日以外は、誰かしらがいて、二階まで送ってもらっています。

下りも手伝ってもらえば、ずいぶんと楽になります。
そこで、障害福祉サービスを使って、夜ヘルパーさんに来てもらうことにしました。
このサービスは、既に入浴介助で使っています。
使うことのできる時間に多少の余裕があったので、とりあえずそれを振り向けるようにしました。
本格的に毎日来てもらうには足りないので、改めて時間を増やす変更の手続きをしなければなりません。


先週、初めて夜ヘルパーさんが来てくれました。
階段だけでなく、寝かせるまで、手伝ってくれました。
そしてなんと全体で20分で済みました。
一人と二人ではこんなに違うんだなと改めて認識しました。

朝だけでなく、夜も人が入ります。
来てくれる時刻までに、食後の休憩まで済ませておかなければなりません。
もう誰も来ない木曜日はなくなります。
ものすごくありがたい反面、ちょっとストレスがたまるかもと思います。
でもそんなことは言っていられないですね。
そういうリズムに慣れれば、やっていけると思います。


歩行が不安定になって、今回は更に、浴槽への出入りができなくなりました。
足を必要な高さまで上げて、縁を跨ぐことができなくなったのです。
入浴介助のヘルパーさんと二人がかりで足を持ち上げて、やっと入れていました。

これも今、回転式のバスボードを検討中です。
デモ用の現物を持って来てもらって実際に使ってみています。
その回転する部分に座らせるまでが、かなり大変です。
それでもまぁ、あった方が楽だという結論になりました。

でも、これって、すごく邪魔なのです。
使わないときに、浴室の壁に立てかけておいたら、滑って床に落ち、金属質の大きな音が響きました。
水平に置くと場所をとります。
これがずっと浴室に存在するかと思うと、気が重いです。

カタログで、木製のバスボードを見つけました。
重量はむしろ金属製のものより重いのですが、立てかけておいてもし滑っても恐怖を抱くほどの音は出ないと思いました。
メーカーさんに詳細を問い合わせ中です。


夫はもう元に戻らないかもしれません。
でも、笑顔は相変わらず見せてくれています。
その笑顔をいつまでも絶やさないように、状況に応じてその時その時を対処していきたいと思っています。

あきらめたら、そこでおしまいですもの。


いつもありがとうございます。
クリックして頂けると嬉しいです。
  ↓

にほんブログ村

このカテゴリーでは、これまで実際に使って役に立ったと思うものを書いていきたいと思います。
介護生活に入らなければ、私はその存在すら知らないものもありました。
もしかして、当時の私のように知らないで、ただ困っている方もいらっしゃるかと思います。
なにかのご参考になればと思っています。

---------

浴室の手すりを、道具と呼ぶのは、ちょっと抵抗がありますが、おおざっぱに道具とさせてください。

家に戻ってきた夫は、入院前の夫と別人でした。
足腰が弱くなり、体のバランスをとるのが難しくなっていました。
浴槽に入るときも出るときも、危なっかしい様子で、ふらついていました。

手すりは必須になりました。
手すりは適切な位置につけないと、役目を果たさないものですから、どういう風に、どんな手すりをつければいいか検討しました。

家はユニットバスですので、もともとついている手すりがありました。
その手すりは、太さが握りやすく、滑らないように裏側がでこぼこしていました。
後付けの普通の手すりだと、細くて、滑り止めもないので、私は、もともとついている手すりと同じ形状のものを探してつけてくれるように頼みました。
幸い、ユニットバスのメーカーからその手すりを入手できました。

次に形です。
手すりは、直線のものと、L型のものと二種類あります。
L型を取り付けるのが一般的かもしれませんが、私はあえて直線を選び、それを斜めにとりつけました。
実際に洗い場から浴槽に入り腰を下ろすまでをシミュレーションし、ちょうどいい位置に取り付けてもらいました。

手すり
中央にある水平の手すりはもともとついていたものです
写真には写っていませんが、後ろ側にもう一本垂直の手すりをつけてあります。

洗い場に立って右手を伸ばすと、この斜めの手すりの一番上に手がいきます。
手すりを掴んで、右足から浴槽に入り、左足も入れます。
そのまま、手を滑らせながら腰を下ろすと、無理なく座ることができます。

立ち上がるときは、やはり右手を伸ばして、手すりの上の方を掴みます。
丁度いい高さを自分で選べます。
しっかり握れるので、安定して立つことができます。

この手すりは、しばらくの間、夫の入浴にとても役立ってくれました。
今では、手すりを握って体を支えるということがわからなくなりましたので、あまり役には立っていません。
握らせれば握れるのですが、一旦握るともう動かすことができません。
私が足腰が弱くなった時には役立ってくれると思いますが..。


ちなみに、左上にある写真は、窓がない浴室に窓の雰囲気を出すためのものらしいです。
通販で買いました。
これは水だけで貼り付いています。
家の浴室は窓があるので、いらないのですが、この海の風景に惹かれて買いました。

これ、タヒチなんだって~ モルディブに似てるねー
治ったらまた行こうね~

と、夫をお風呂に入れる度、毎回同じことを言っていました。
夫はその度に大きく頷いてくれました。

もう望みがないという観点から言えばウソなのだけど、でも、いいじゃないか...
希望を全部捨てなければならないってことはないじゃないか..
誰に迷惑かかるわけじゃなし
希望は全く持てないんだよと言い聞かせるより、100倍いいと思う
それは、ある意味、私自身に言っている言葉でした。

今ではもう、その言葉をかけることはありません。

いつもありがとうございます。
クリックして頂けると嬉しいです。
  ↓

にほんブログ村
みなさまありがとうございます。
ご心配をおかけいたしました。

再掲を試みたとき、全くアップできなくて、非表示になってしまうのがあまりにも速かったので、これは人間が読んで削除しているのではないなと感じました。
頂いたコメントの中に、

 >それこそ文節の区切りに句読点を入れなかっただけでNGワードに引っかかったり。

というのがありました。

そうか、そういうことなんだと思いました。
私が書いた「文章」を削除したのではなく、内容とか文脈にに関係なく、単にNGワード、或いはNGとされる文字の組み合わせに引っかかっただけかもしれないと思いました。

原稿を再度見直して、それに当てはまりそうな文を削除しました。
で、再びアップしましたが、未だに記事は表示されません。
アップしたときに、編集したものは反映まで時間がかかるみたいなメッセージがでていました。
アップしたのは、昨日の今頃です。
24時間経って、まだ表示されないのは、もしかして一旦非表示になったものは、表示しないシステムになっているのかも?
或いは、この文かなと思って削除したのが、そうではなくて、別の文がNGだったのか..。

そこで、原稿をコピーして、新しい記事にしました。
この記事の中にも、まだNGワードが含まれているかもしれません。
その場合は、しばらく経って、機械が見つけた時にまた非表示とされるでしょう。
問題の記事が非表示になったのも、アップしてから丸二日後でした。



私は、人生を否定されたとか、大げさなことを書いてしまいましたが、単に機械のルーチンワークに引っかかっただけのようです..。
恥ずかしいです。
そして気がつけば、沢山の温かなコメントを頂いていました。
ご心配をおかけして、本当にごめんなさい。

このブログは続けさせて頂きます。
今すぐは、やはりコメントでご指摘があったように、夫の状態が芳しくなく介護量が増えて疲労困憊なのと、今回のことでなんだか疲れてしまっていて、新しい記事を書く気力が沸きません。
しばらくの間は、頂いたコメントやメッセージにお返事をしながら、過ごしたいと思っています。

Amebaを退会して、他へ移ることも視野にいれます。
コメントで、ログごと移転もできるのを教えて頂き、それならばと食指が動きましたが、今まで考えたこともなかったので、他は全く様子がわかりません。
少し検討をしてそれからにしたいと思います。
当面は、このままAmebaで続けてみます。
機械が機械的に処理しているのなら、こちらも機械的に対処すればいいわけですから、なんとかなると思います。


本当にみなさま、ありがとうございました。
みなさまのおかげで、危うく居場所を失いかけたところを救って頂きました。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
2011年12月2日、リハビリ病院を追われた夫は、40日ぶりに自宅へ帰ってきました。
見る影もなく、魂が抜けたような変わり果てた痛々しい姿でした。

お泊まりデイの方からは、引き続きお預かりしますよと言われていたし、ケアマネさんからは珍しく強硬に、そのままデイに行かせた方がいいと言われましたが、私は夫をもうどこにもやるつもりがありませんでした。

夫にとっては、もう充分です。
自分の意思とは全く関係なく、あちこち引き回され、ずっと大勢がわさわさしている環境で、どんな思いで毎日を過ごしてきたのか..。
言葉を失っていて、抗議することすらできず、わずかにのこっていた認知する機能も、自ら閉じていってしまったような気がします。

とりあえず、家に居させたい、落ち着いたらまた以前のように、週末をお泊まりデイでお願いしたい、もし、その前にどうにもならなくなったらSOSを出しますから、そのときはよろしくということで、了解してもらいました。

幸い、危なっかしいながらも、家の階段を登って降りることができました。
引きずるような足取りでしたが、なんとか歩くことはできていました。
自分でお箸を持って食べることもできました。
後はささくれだった神経を、傷口を舐めるように癒してあげようと思いました。


家で寝た最初の夜、明け方4時頃に起き上がりました。
こんなに長い間家にいなかったのに、トイレの場所を覚えていたのにびっくりしました。
トイレでは便器に座れなくて、マットの上に出しました。

一ヶ月以上、こうした状況から離れていたので、どうしていいかわかりませんでした。
とりあえず、浴室洗い場にいれて下半身だけシャワーをかけました。
また放尿を始めたので、そのままにしておきました。
その後、不穏になることもなく、新しい紙パンツを履かせ、パジャマのズボンを履かせました。
パジャマの上も濡れていたので、取り替えました。

シーツが濡れて、羽毛の掛け布団も一部が濡れていました。
シーツと防水シーツを取り替えましたが、掛け布団はどうしようもないので、カバーだけ替えました。

その日は朝から冷たい雨が降っていました。
洗濯物を外に干せないので、浴室に干しました。
浴室には乾燥機がついているのですが、とても全部は干せません。残りは乾くまで洗濯機の中です。

夫はよく眠っていたので、そのままにしておき、10時頃起こしにいきました。
なかなか起き上がりませんでした。
見ると、またお尻の下が濡れていました。
以前は、汚れた服のままで入って、ベッドを汚すことはあっても、おねしょはありませんでした。
やっぱり入院生活は、その神経もダメにしてしまったようです。




まだ二回目の洗濯物が洗濯機の中なのに、更に上乗せ..。
ベランダにあった物干しを、雨を拭って室内にいれ干しましたが、足りません。
はぁ、これからはこういう生活なんだな..と早くも暗澹たる気持ちになりました。

予想通り、連日ベッドは大洪水でした。
来る日も来る日も大量の洗濯物に追われました。

トイレに連れて行っても排泄することが難しくなっていました。
その分、夜間に一気に出るらしく、それも大洪水の原因でした。

夫が家にもどったら、きっと必要になると思い、トイレと浴室に手すりを発注していました。
介護保険の補助をもらうため、書類の手続きとかに手間取り、この時点ではまだ工事ができていませんでした。

トイレに座らせるのが、とても困難になっていたので、手すりがつくまでの間、レンタルで、折りたたみ式手すりを借りました。
これはよくできていて、便器に直接取り付けることができます。
福祉用品はいろいろあるんだなと感心させられました。
この手すりを設置してからは、便座に座るのもすんなりできることが多くなりました。
足元が不安定だったので、怖くて腰が下ろせなかったのだと思います。
相変わらず、排泄は空振りの時が多かったですが..。

お風呂にいれるのは、起きた直後になりました。
大抵背中まで尿でびっしょりだし、毎日ではないものの便失禁もしているので、お湯で洗い流さないことにはどうにもなりませんでした。
冬場なので、シャワーをかけただけでは風邪を引かせそうなので、湯船にも入れました。
浴槽の出入りが、不安定でした。
立ち上がるのも、大変そうでした。
早く手すりをつけて欲しかったけど、工事はしばらく先になりそうでした。


12月中旬、またてんかん発作を起こしました。
その朝もベッドが濡れていたのでそのままにして、まずお風呂にお湯を張っていました。
うぉーーーっという叫び声が聞こえた気がしたので、寝室に戻ってみると、夫は掛け布団の上に突っ伏して激しく痙攣していました。
無理な態勢をしているので、横向きにしたかったけど、ベッドに上げることはできませんでした。
床はびしょびしょの水たまりができていましたが、仕方ありません。
大判のバスタオルを持ってきて頭にあてがい、体を支えながら降ろして床に寝せました。

痙攣は止まっていましたが、白目を剥いて意識がないようでした。
でも、手は温かかったし落ち着いてきたので大丈夫だろうと思いました。

しばらくそのままの状態で寝かせておいた後、起きれそうなので立ち上がらせベッドに腰掛けさせました。
床を掃除したりしている間にかなり落ち着いてきたので、お風呂にいれようと思いました。
全身尿まみれだし、他にいい方法を思いつきませんでした。

尿取りパッドは濡れていず、一旦立ち上がって放尿し、そのままベッドに倒れ込んだようでした。
パッドには少量の大便がついていました。
一旦便座に座らせてウォッシュレットをしましたが、取り切れませんでした。

浴室に入れて石けんで体を洗いました。
髪の毛に多少尿がついているかもしれないけど、頭を洗うのはやめておきました。

浴槽には自分で入りました。
少し早めに上がらせようとしたけど、立ち上がれませんでした。
どうしても立ち上がらせることができませんでした。
そのままにしておくとのぼせてしまうと思い、お湯を抜きました。
お湯を抜いても座り込んだまま立ち上がりませんでした。
その場で体を拭きました。
これなら普通に座っているのと同じ状態だし、このまま様子を見ることにしました。

飲み物を持って来て飲ませました。
洗面所は暖房機をかけているので、汗ばむほどでしたが、このままにしておくわけにもいきません。
後ろから、腕を脇の下に差し込み抱え上げようとしました。
私の力では全くだめでした。
何度目かにやっと自分で力を入れて立ち上がろうとしました。
なんとか片足を浴槽から出すことができ、もう一方の足も出せました。

その後も、浴槽から立ち上がれないことが頻発しました。
お湯を抜かなければ浮力が期待できるかもと思って、やってみましたが、やっぱり抱え上げきれませんでした。
自分から立ち上がろうという気持ちがなくなっているようでした。
というより、そういう指令が脳からいかないんだろうと思いました。

服の脱着を嫌がりました。
嫌がらないときでも、例えばズボンを履くのに、足を上げるということができなくなっていました。
脳からの指令がうまく伝わってないようでした。

下旬に、お泊まりデイを再開しました。
預けた後、いかに自分が疲れていたかがわかりました。
もう身も心もボロボロでした。


夕暮れ時って、なんか寂しいね..
あなたはまだ家に帰って来れるけど、この先、どのくらいの間一緒に暮らしていけるのか..
何ももう話せない
私の言う言葉も理解しない
日常動作の全てのことが、自分ではもう何もできない
ただひとつできるのが、お箸を使って食べることだけか..
排泄関係はもう全くだめだ
せめて汚れたものをすんなり取り替えさせてくれればいいのだけども
その度に不穏になり、胸ぐらを掴んできたりする
たまに見せてくれる笑顔が唯一の救いだけど、それもめっきり減っている
私は何ができるんだろう
どうしたらいいんだろうね

ひさしぶりのお泊まりデイから帰って来た夫は、一段と病状が進んでしまったようでした。


いつもありがとうございます。
クリックして頂けると嬉しいです。
  ↓

にほんブログ村

記事を削除されてから、一週間が経ちました。
問い合わせをしましたが返事が来ないので、「Amebaの健全なサイト運営にふさわしくない言葉・表現」が何であったのかがわかりません。

警告もなしに、いきなり削除されるからには、何か禁止事項に触れたのだろうと思って、利用規約を読んでみました。
いくら読んでも、該当すると思われるものはありませんでした。
しいて言えば、
 (1) 良識に欠けるものや、品位に欠けるもの
  ③ 社会通念上、不適切と解釈され、又はその恐れのある表現・内容の送信等
  ⑨ その他、一般的に他の会員や利用者が不快に感じる、又はその恐れのある表現・内容の送信等
あたりでしょうかね..。

重度の認知症患者を介護している記事を書けば、どうしても排泄関係の話は避けて通れないと思うのですが、確かにAmeba(=一般の人達)には、不快に感じるところがあるのかもしれません。
返事が来ないので、憶測の域を出ず、本当のところはわかりませんが。
排泄関係が問題だったとすれば、これまでの記事で、何度も触れてきましたし、なぜ今回のだけが削除されたのか謎です。


記事を削除されて、最初は、え?なんで?と戸惑いましたが、時間が経つにつれボディブローのようにこの衝撃が効いてきました。
大げさに言えば、ブログには人生を書いています。
それを一言の警告もなく、削除して欲しくはないです。
不適切な表現があったのなら、それを指摘して欲しかったです。
それなら即刻修正したと思います。
削除されたことにより、人生までも否定されたような気分になりました。

もうブログを続けていくことはできません。
書く気力が沸きません。
それと、何が不適切だったかがわかっていない状態で書き続けたところで、また削除される可能性もあります。


このブログは、年内には閉鎖し、Amebaを退会するつもりです。

この記事と同時に、削除された記事をもう一度アップしようと思います。
原稿の方は残っているので、全く修正を加えないで、そのままアップします。
タイトルが同じだと、もしかしたらアップできないのかもしれませんが..。
その場合は、タイトルだけ少し変えてやり直すつもりです。

おそらくすぐにまた削除されるのだろうと思います。
二度に渡って不適切な記事を掲載したということで、Amebaの方から退会処分にされるかもしれません。
その場合は年内ではなく、もっと早くこのブログが消えると思います。
これまで温かな交流をして下さった方達が、これを見てブログ閉鎖に至ったいきさつをわかって下さるまで、残っていてくれるといいのですが..。


ふとしたきっかけで始めたこのブログ。
ここを通じて、沢山の方達と知り合うことができました。
夫が病気になってからは、私は呆れるほど狭い世界に閉じこもっていました。
健常者だけの世界にはもう足を踏みいれることができず、旧来の知り合い友人達の多くをなくしてしまっていました。

ここでは、それぞれ立場こそ違え、介護に関わりのある方達と知り合うことができ、本音で、何のためらいもなくおしゃべりすることができました。
温かい励ましを下さった方々、やりきれない思いをわかって下さった方々、いろいろとアドバイスを下さった方々、更に介護が楽しいものであることも教えて頂きました。
みなさまに勇気を頂いて、辛い毎日ながら、正面から介護に取り組む気持ちが持てました。
本当に感謝しております。

そして今、このブログを消すことによって、失うもののあまりの大きさに愕然としています。
それほどここは、私にとって大事な居場所になっていたようです。


これから頂いたコメントにお返事をして、その後は以前のようなロムラーに戻ります。
自分が書く文章が、他の人を不快にさせることがあるかもしれないと思うと、今はコメントすら怖くて書けません。
いつの日か、立ち直れたら、また皆様のブログにお邪魔させて頂くつもりでおります。

これまで本当にありがとうございました。


追記:
削除された記事を再掲しようと試みましたが、タイトルを変えてもダメでした。
これは想像ですが、自動的に検知して排斥するキーワードが入っているのかもしれません。
読めなくなった記事は、Googleで、「坂道を転げ落ちるように 認知症」で検索すれば、キャッシュに残っています。
お手数ですが、そちらで読んでくださいませ。
夫は、その日によって、ネコの目のように状態が変わります。

調子がいいときは、私の言葉に反応して、笑ったり、時にはおどけた顔をすることもあります。
更にごくたまにですけど、言葉を発する時があります。
自分から立ち上がって、歩き回ることもあります。

調子が悪いときは、霞がかかったような目をして、ぐったりとし、何も反応がなくなります。
日中でも、眠気が強く、傾眠傾向になります。
こういうときは、立ち上がらせるのが大変で、全力を要します。
体の右方向への傾きが治ってからも、全体のバランスがとれず、後ろにひっくり返りそうになります。
両手引きで、引っ張るようにしながら歩かせます。
この状態の時に、階段を降ろすのは、困難を極めます。

夕食後しばらくしてから、階段を降ろして、寝る支度です。
調子が悪いときは、ほんとにどうしようかと思います。
私は、夫を抱え上げることができないので、移動も、階段も、全て、夫が自分で動こうとしてくれないと、実現できません。

普通なら当たり前にできる、その一歩を踏み出すことが、なんと難しいことか..。
特に階段を降りるときは、足が竦んでしまって、尻込みしてその一歩を出すことができません。
それを、なだめたりすかしたりして、長い時間をかけて、時には少々強く引っ張ったりして、足を片方降ろしてもらいます。
もう片方もやっとの思いで降ろしてもらい...。
その間、私はバランスを崩さないように、必死で支えています。
そしてまた、次の段。
こうして、いつ果てるともない繰り返しで、やっと一階に降り立つことができます。


調子がいいときは、格段に楽です。
踊り場に置いた飾り棚のしろくまさんを目印に、割合簡単に一歩を踏み出してくれます。
手すりの使い方もスムーズで、自分の体の位置に沿って、手を上手に滑らせています。

調子が悪いときは、手すりを掴んだ手を離せなくなるので、体は前、手は後ろという形になって、尚更バランスを崩すのです。

踊り場に置いた二つの棚の、しろくまさんと羊さん。
これが結構、いい目印になっているようです。
調子がいいときは、ほら、あそこに羊さんがいるでしょう?あれを目印にして登ろうねと言うと、しっかり頷いてくれ、すぐに登り始めてくれます。
すごく調子がいいときは、6段目まで、一気に登ることもあります。
これは、やっぱり、空間の奥行きを認識できれば、まだ階段が使えるということでしょうか。
はっきりとはわからないですけど、この試みをやってみてよかったと思っています。



調子がよくても、踊り場から二階に登るとき、或いは踊り場から下に降りるとき、また足が踏み出せなくなっていました。
これはその先に目印がないからだと思い、また目印を作ってみました。


$若年性認知症の夫と二人暮らし-ジンベイザメ























踊り場から見上げたところに、ジンベイザメの写真パネルを設置しました




一階の階段の先は、ドアなので、ドライフラワーにしました。
ドアを開閉しても音も出ず、いい感じです。


$若年性認知症の夫と二人暮らし-ドライフラワー

























階段の登り降りが困難になり始めた頃、もっと早く気がついてこういう試みをしてみればよかったなと思います。
そうしたら、夫自身も、もっと楽に階段の昇降ができていたかもしれません。

今は、調子のいいとき限定ですが、この目印がとても役に立っているように思えます。

悪い時は...まぁ、私の力仕事です。



いつもありがとうございます。
クリックして頂けると嬉しいです。
  ↓

にほんブログ村
お泊まりデイから帰った夫は、復活してくれていました。
右側への傾きは、ほとんどわからないくらいになりました。
今回のお泊まりでは、スタッフの方達が、殊更気をつけてくださって、外に散歩に連れ出したり、それができないときは、廊下を歩かせて下さったようです。

おそらくそのおかげで、足取りもしっかりとして大分楽に歩けるようになりました。
一人で立たせても、それほど不安なく立っていられるようになりました。
本当にありがたいです。


水曜日は主治医の診察日でした。

インフルエンザの予防接種も予約していました。
これまでの、針を刺すときの夫の暴れ具合からして、今回もそうだろうな..はぁ気が重いと思って行きました。

ところが!

私は片方の手を握っていましたが、針が刺される瞬間、ちょっとだけきゅっと力が入っただけで、終始穏やかに普通の顔をしていました。
すごい~~♪
私は嬉しくて、誇らしくて(?)たまりませんでした。

先生に、採血の時に暴れた話をして、こちらではなんでこんなにうまくいくんでしょと言ったら、うちは静かな環境だし、待たせたりしてないからと言っていました。
それだけなのかな~?
それだけで、こんなに違うものかと思いました。


4月にけいれん発作を起こした後、イーケプラという抗てんかん薬を飲ませていましたが、9月にまた発作を起こしました。
先生には、イーケプラを増やしましょうと言われましたが、もう少し様子を見たいと言って、その時は断りました。

先月の末、また発作を起こしてしまったので、もうやむを得ないと思って、増やしてもらうことにしました。
今回の右への傾きやふらつきは、発作のせいだったかもしれないし、副作用も怖いけど、なにより発作を起こさないことを優先しようと思いました。

これまで飲ませていたのは、イーケプラ250mgで、通常使用量の1/4です。
それを250mg2錠に増やしました。
この量で効いてくれるといいんですけど..。


夫は、薬に異常な位に過敏に反応します。
薬のせいで、死んでしまうのではないかと思ったことさえありました。
また他の薬でも、少し飲み続けると、具合が悪くなったり、体が傾いたり、ふらつくことが過去に何度もありました。

このことと、時折、空中の何もないところをつまむような動作をしたり、何もないところを凝視したりすることがあって、もしかしてレビーの可能性があるのかもと思っています。

まぁ素人の判断です。
でもいずれにしろ危険は冒したくないので、薬については必要最低限にとどめたいと思っています。


アリセプトに関しては、診断されてすぐ3mg開始の後5mg、その後、10mgが使えるようになった時点で、10mgを処方されました。
まもなく具合が悪くなったので、5mg+2.5mgの7.5mgに減らしてもらいました。
2.5mgは、薬屋さんが5mg錠を半分に割ってくれました。

7.5mgでは、目に見える副作用が出なかったので、それをずっと続けていました。
そのうち、少しずつ不穏な状態になることが増えていきました。
やがて暴力が始まって、ネット上に救いを求めてさまよった頃、コウノメソッドを知りました。
そこで初めて、アリセプトが興奮を引き起こしていることを知りました。
先生にアリセプトを減らしてくれるように頼みましたが、その時の先生の返事は、一気に進みますよ、それでもいいなら減らしますけど、でした。
素人の悲しさで、そう言われればそれでもとは言い張れず、そのまま7.5mgを続けてしまいました。

暴力は他にも様々な要因があるとは思いますが、夫の場合、アリセプト7.5mgが大きく作用していたのは間違いないと思います。
無知からとはいえ、そのせいで、私は辛い思いをしたし、それよりも夫に不要な興奮を与えてしまって、本当に可哀想なことをしてしまったと思っています。


思い返せば、薬を減らしてもらおうとする戦いだったような気がします。
2011年6月に、なんとかアリセプトを5mgに減らしてもらいました。

10月の入院後、夫は身体的にも別人になってしまいました。
浴槽から立ち上がれなくなったり、ベッドから一人では起きれなくなってきました。
けいれん発作も頻発し、私はもうどうしていいかわかりませんでした。

もしもレビーならば、アリセプト5mgは多すぎると思いましたが、レセプトが認められなくなるからということで、それ以上は減らすことができませんでした。
どうしても減らしたかった私は、2012年3月から、一日おきに飲ませることにしました。
こうすれば、一日あたり2.5mgということになります。
その後間もなく、アリセプトを後継品のドネペジルに変えて、先生が3mgを処方してくれました。

いざ3mgが実現してみると、今度は、減らすのが正しいのかどうか不安になりました。
レビーだという確信があるわけでもなく、病気の進行が更に早くなるだけかもしれないと思いました。
くよくよと思い悩みましたが、やはり長期間飲ませることの弊害はあると思うし、いずれにしろ完治させる薬ではないし、なるべくなら体に入れる異物は少なくしたいと思いました。

完全にやめてしまえばよかったのかもしれませんが、そこまでの踏ん切りがつきませんでした。
コウノメソッドによれば、1.67mgでも効果があるとのことでした。
その位の少量でも、薬として機能するなら、更に減らしたい。
今飲ませている3mg錠を半分にすれば、1.5mgになってそれに近づけるなぁとずっと思っていました。

けいれん発作を起こすのも、歩行障害がでてきたのも、日中、時々傾眠傾向があるのも、全て病気が進んできたせいで、最終ステージに入ったから当たり前だと先生はこともなげに言います。
それは正しいのかもしれません。
というか、正しいのでしょう。
でも、私は往生際が悪いので、はい、そうですねとあきらめがつかないんですよね..。


イーケプラを増量する話の後、ドネペジルを更に減らすわけにはいかないですか?と聞いてみました。
それじゃOD錠(口崩錠)にする?と聞かれました。
私が半分に割って飲ませることは可能ですけど、お泊まりデイにそれを頼むことはできません。
お泊まりデイに持参するのは、きちんと個別に包装されたものでなければなりません。
結局、3mg錠を薬局で半分に割って、分包してもらえることになりました。
この頃は低量でもレセプトが通るみたいだからと言っていました。

レビーかと思ってるようだけど、この方(=夫)は絶対にアルツハイマーですからと言われました。
アルツハイマーが、レビーも発症することはあり得ないとも言われました。

でもいいんです。
念願だった1.5mg錠を手に入れることができましたし。
これで歩行が改善するとか思っているわけではありません。
ただ、夫の体に入れる異物を最小限にしたいだけです。


いつもありがとうございます。
クリックして頂けると嬉しいです。
  ↓

にほんブログ村
認知症の進行..。
わかっているし、止められないこともわかっています。

この先夫がどうなってしまうのか。
それもわかっているつもりです。

でも..。
実際のところ、私は何もわかってない。
現実に向き合っていないのです。
覚悟が足りないのですよね。


このところ、夫の体の傾きがひどくなってきました。
お泊まりデイから帰った時が一番ひどいです。
右側に傾いて、ちょっと気を抜くと後ろに倒れそうになります。

食事をした後、しばらくそのまま座らせておくのですが、右に傾いて座位を保てなくなりました。
家の食堂は、椅子ではなく、ベンチです。
脇息みたいなものが必要になってきました。
とりあえず、クッションを丸めて肘の下に入れて凌いでいます。

歩くとき、今までも小幅なすり足歩行でしたが、さらに小刻みになって、両手で引いていても危なっかしくなってきました。


立位を保つのが難しいので、私一人で、シャワー浴をさせるときは、ほんとに冷や冷やものです。

夜は、テープ式の紙おむつを使っているのですが、それを装着させるときは、大格闘です。
シャワーの時もそうですが、両手を使わないとうまくできません。
手伝うつもりなのか、夫の両手は、おむつのあたりを往復して邪魔をします。
その手を払いのけながら、きちんと装着しようと、引っ張ったり形を直していると、後ろに倒れかかります。
夫は、どうも最近体重が増えたようで、65㎏あるみたいです。
咄嗟に支える夫の重いこと..。
腕が抜けそうです。

おむつを着ける前に、便座に座らせて、ズボン、パンツを脱がせ、パジャマに着替えさせるのですが、また立ち上がりが困難になりました。
二階のトイレは、後方が空いているので、私が後ろに反り返るように体重をかければ、なんとか立ち上がらせることができます。
でも、パジャマに着替えさせるのは一階のトイレでするので、こちらは、後方に空きがありません。
いくら引っ張っても、私の腕の力だけでは夫を立ち上がらせることができません。
はぁ..もうダメかなと思う頃、立ち上がる気配を見せてくれます。
その機を逃さず、頑張って!と声かけしながら、立ち上がってもらいます。


こうした状態は、これまでも何回も経験してきました。
その度に治ってくれて、普通に歩けるようになってくれていました。
今回はどうなのでしょう..。
また一過性のものであってほしいです。

治ってくれたとしても、前の状態までは回復せず、少しずつ下降線を辿っていくのだと思います。
悲しいけど、それが現実..。
早く私はその現実に向き合わなければならないですね。

認知症の診断を受けたのが、7年前の10月。
今、8年目に入りました。
発症がおそらくその1~2年前だろうとのことですから、9年~10年目になるということでしょうか。
主治医に言わせれば、寝たきりになっていてもおかしくない時期ではあります。

私は往生際が悪いので、夫が寝たきりになるとは思っていませんでした。
思いたくないだけでしたけど..。
でもこのところ、時折、体、手足をどう動かしていいのかわからないような様子を見せる夫を見ると、ああ.運動神経にも障害がでてきてしまったのかな...と思います。


一方、思いがけずというか、あきらめていたことが、復活しました。
最近、わずかですが、言葉を発するようになりました。
一番驚いたのは、入浴介助で来てくれているMさんの名前を呼んだことです。

頭をシャンプーして顔を洗って、タオルで拭いて。
パッと目が合った瞬間、「○○○○さん」とはっきり言ったそうです。
私はその時、二階にいましたが、Mさんが大声で呼ぶので、何事かと思って慌てて降りていきました。
そうしたら、その嬉しい出来事を教えてくれました。

大抵の場合は、もにょもにょという感じで、聞き取れないのですが、時折、クリアに、しかも適切な言葉を言うときがあります。
デイからの連絡帳にも、最近は、そういう記載が多くなりました。

私からの話しかけも、あ、理解してくれているなと思うことが増えてきました。
まぁ、無表情で、何も理解してないときの方が多いのですが..。



お泊まりデイに出掛ける前、夫は、なにか言いたげに私を見ていました。
これから、俺は行かなきゃいけないのか?と聞いているのだと思いました。
不服も言わず、おとなしく誘導されるままに、出掛けてくれる夫..。

私は夫に申し訳なくて、心の中で、ごめんなさいと何度も謝りました。
自分の家があるのに、何故よそに行かなければならないのか..。

自分の意思で動くことがままならない夫を介護するのは、とても力がいります。
朝起こす時から、夜寝るまで、全ての動作に介助がいります。
私の体のいろんなところが、悲鳴を上げています。
腰もちょっと怪しいし、今、一番痛むのは右手首です。
階段の上り下りで、倒れないようにしながら引っ張ると、あり得ない角度に手首を曲げないといけないのです。
やっぱり、お泊まりデイで、肩代わりして頂かないと、続かないなと思っています。


送り出した後、ああ、これで一息つけるという安堵感と、夫への申し訳なさと、虚脱感と..
いろんな思いが渦巻いて、私の心は引き裂かれそうです。


いつもありがとうございます。
クリックして頂けると嬉しいです。
  ↓

にほんブログ村
11月24日に、待ちかねていたリハビリ病院から電話がきました。
ケアマネさんが催促してくれたので、動いてくれた様子でした。
12月1日10:30amの入院と決まりました。

入院するための書類の作成が、大変でした。
何枚にも渡る申込書やら、誓約書やら、家の見取り図まで書きました。
それに家中の写真を撮って添付しました。
リハビリして家に帰った時に、指導するために必要なんだということでした。



2011年12月1日。
この日は長い一日でした。
お泊まりデイから送ってもらいました。途中道が混んでいて、ぎりぎりの到着でした。
受付で名前を言うと、休む間もなくすぐ検査に入りました。
身長はなんとか測れましたが、体重計には乗れませんでした。
その後の採血で、夫は暴れて抵抗しました。
採血は延期になり、そのまま病室がある3階に連れて行かれました。

部屋はナースステーションの真ん前で、ベッドも入り口そばの看護婦さんからすぐ見える位置でした。

間もなく食事になり、デイルームに行きました。
おいしそうな塩鮭が出ていて、夫は、なんと箸を使って食べることができました。
途中から食べるのを忘れてしまったので、残りは食べさせました。


家においた薬をとってこないといけないし、私は昼食を食べていなかったので、一旦家に戻りました。
夫は、ナースステーションのカウンターに向かって、椅子に座らされていました。

病院へ戻ったら、夫は、車いすに座っていて、ベルトで立ち上がれないように縛られていました。
私がいない間に、事件を起こしてしまったらしいです。
最初椅子に座っていたけど、立ち上がって、自分の部屋じゃない部屋に入って行こうとしたとのことでした。
それを制止したら、暴力を振るいそうだったので、3人がかりで取り押さえたということでした。


その後すぐ、担当の医師の面談がありました。
相談員の人、このフロアの婦長さん、他に2人ほどが同席していました。
医師から、開口一番、今日これから退院して下さいと言われました。
一瞬、何を言われているのかわかりませんでした..。

私は呆然としながらも、これまでの施設では、穏やかに過ごしていたし、知らない環境で知らない人達の間に入って、相当混乱していると思う、慣れれば落ち着くと思いますのでと言いました。

それに対して、婦長は、事情はわかるが、慣れるまでこちらは待つわけにはいかない、例えば呼吸器をつけている人の部屋に入って、管を一本抜いたりしたら、それで死んでしまうからと、最悪のケースを上げて、どうしても追い出そうとしていました。
担当医師も、この数時間見ていたけども、何かあったら大変なことになるし、家で過ごさせた方が当人にとっていいことだと思うと、おためごかしを言っていました。


ここで追い出されてしまったら、今までの苦労が水の泡になる..。
何のために、Sクリニックの入院を長引かせてまで我慢したのか..。
夫が元通りになる機会が失われてしまう..。


私は、ともかく下手に出て、それじゃ、これから24時間だけでいいので、なんとか置いてもらいたい、その時点でダメなら、あきらめて家に連れて帰りますと食い下がりました。
それでダメなら、もう仕方ないと思いました。
夫の運もそれまでだし、家に連れて帰ろうと思いました。

薬を使うことも了承しました。
薬を使ったら、それの回復がまた大変だし、リハビリじゃなく、返って逆効果になるかもしれませんよと脅されましたが、それでもお願いしますと言いました。

病院側の態度がだんだん軟化し、個室に入るだけの資金力があるかとか、もし、心肺停止の状態になったとき、人工呼吸をするかどうかとか、どこの病院に運ぶかとか、具体的なことを聞かれはじめました。

個室は、2人部屋までなら用意はあるが、個室となるとちょっときついですね、でも、必要とあればなんとかします、でも、今入っている部屋と場所が、一番目が届くし、最高の場所だと思うと答えました。
そうしたら、婦長は、そう思ってあのベッドを手配したんですよと満面の笑みを浮かべながら言いました。

婦長はその後、思い切ったように、わかりました、それでは一日だけやってみましょうと言ってくれました。
担当医師はそれに対して何も反対しませんでした。
婦長の決定で、全てが決まるようでした。
向精神薬を飲ませることと、今夜夫が寝るまで付き添っているのが条件でした。


痛み止めの薬を持ってくるのを忘れたので、もう一回家に戻りました。
リハビリ担当の人が、状態を見たいと言ってきて、夫を歩かせたりしているので、そのままお願いしました。

家に戻って、お泊まりデイに電話で状況を話しました。
話を聞いて、一緒になって、憤慨してくれました。
病院を追い出されるようなら、すぐ受け入れする態勢をとってくれるとのことでした。

病院へ戻ったら、今回は何事もなかったらしく、ナースステーションのカウンターの前に、車いすに縛り付けられて、おとなしく座っていました。
私がいるときは、外してもいいとのことだったので、外して、デイルームのソファに二人で座って、食事になるのを待っていました。


次々と車いすの人達が運ばれてきました。
大抵はお年寄りで、認知症らしき人も沢山いました。
もっとも、認知症でも、車いすから立ち上がれないし、お年寄りなので、夫と違って、害はないのだろうな..と思いました。

食事は豚肉のショウガ焼きで、これもおいしそうでした。
Sクリニックの食事とは比べものになりませんでした。
夫は、箸を使って、ほとんど全部を自分で食べました。
わずかに残ったのを食べさせて完食しました。
お昼の時、おにぎりの方が食べやすいと言ったら、ちゃんとごはんはおにぎりになっていました。

スタッフの方達の対応はとてもいいものでした。
明日までかもしれないけど、そんなことはおくびにも出さず、これからずっといるような対応をしてくれました。
このリハビリ病院が評判がいいのも頷けました。

消灯までいることが条件になっていたので、私も食事をしなくてはなりません。
コンビニがそばにあるので、おにぎりと暖かい紅茶のボトルを2本買ってきて、デイルームで食べました。
夫はもともと紅茶好きなので、おいしそうに飲んでいました。

フェルガードは飲ませてくれることになっていたので、聞いてみたら、今日はまだ飲ませてないとのことだったので、部屋の冷蔵庫からヤクルトとフェルガードを持ってきて、それも飲ませました。
飲ませるスケジュールも決めてくれて、朝10時にフェルガードとBIO、夕方4時にフェルガードとヤクルトを飲ませてくれることになりました。

このままここにいられて、リハビリを受けて、ある程度元通りになって帰って来てくれるのを、どれほど望んだことか..。
人影もまばらなデイルームで、夫と二人、手を繋いでソファに腰掛けながら、お願い..お願い..問題を起こさないでね..と祈りました。


向精神薬は、グラマリール25mgでした。
飲んだのを確認しないといけないというので、今夜の夜勤の男性スタッフを呼びました。
夫はグラマリールをすんなり飲んでくれました。

8時過ぎに、靴下を脱がせてベッドに寝かせました。
おとなしく横になって、しばらくしたら眠っていました。
まもなく男性スタッフが来て、どうですかと聞くので、眠ったようですと答えたら、それじゃもう結構ですからと言うので、後をお願いして家に帰りました。
まもなく9時になろうとしていました。

疲れたなぁ...でもとりあえず、今日のところはなんとかなった..



翌朝8時半に相談員の人から電話がありました。
夕べはあのままぐっすり眠ったけど、朝になってそわそわするので、トイレに連れて行ったら、暴力を振るったとのこと。
今日の午後、退院して欲しいとのことでした。

もう何も言えないので、わかりましたと答えました。
夫は、やっぱり..運がなかったのです。
でも、夫にとっては、精一杯だったのでしょうね..可哀想に...。


退院すると決まっても、予定にいれたスケジュールはやってくれるとのことでした。
リハビリが1時半からありました。
リハビリは階段室を使って昇降をやっていました。
登るのは後ろに少し倒れそうでしたが、降りるのはかなり安定して降りていました。

夫が階段を使ったのは、発作で倒れて入院して以来のことです。
また昇降ができると知って、ほんとに嬉しくなりました。

リハビリの担当の人に、いろいろ教えてもらいました。
これまで、コルセットはしたりしなかったり、柔らかいサポーターばかりさせていた時間が長かったのですが、それではいけなくて、骨が固まるまでやらなければならないと言われました。
背中が丸まると余計負担をかけてしまうとのことでした。
既に一ヶ月以上経っているので、背中は丸まり始めていました。
コルセットの形が、立っているときはいいけど、座ると腹部に食い込んで苦しそうなので、他の形がないかどうか聞いてみましたが、なさそうでした。

夫は、かなりリラックスして、ここに馴染んできているようでした。
時折笑顔も出ていました。


リハビリが終わったら退院ということでしたが、姉が迎えに来てくれることになり、退院は4時になりました。
いろいろ書類を渡されたり、持って行った薬を一式返してもらったりしました。

4時10分前に支度ができたので、挨拶に行きました。
フロアの看護婦さん達、全員ではないでしょうけど、10人以上、一斉にエレベーターホールに来て見送ってくれました。
たぶん、退院の時はこうして見送るのが慣例なのでしょう。
夫は、みんなが見送りにきてくれたのがわかったらしく、あれ?っと驚いたようで、笑顔になって、看護婦さん達を指さしました。
それを見て、看護婦さん達が、どよめきました。
笑顔の、気持ちのいい別れでした。

昨夜の夜勤の男性スタッフを見つけたので、暴力を振るったお詫びを言いにいきました。
そうしたら、なんということでしょう..。
暴力をふるったわけではなかったそうでした。
ズボンを下ろそうとしたら、抵抗して、その時、夫の手が肩に当たっただけだったそうです。
だから気にしなくていいですよとその人は言っていました。


一気に全てのことが鮮明に理解できました。
これまで、病院の人達が「暴力」と言っていたのは、暴力ではなかったのです。
夫は、自分に加えられる「危害」から逃れようとして、抵抗しただけなのです。
言葉が話せない、言葉を理解できない悲しさで、それ以外に逃れる道がなかったのです。

病院に着いたとき、時間はぎりぎりではありましたが、ちょっと一息つかせて落ち着かせてくれていたら..。
よその部屋に入ろうとしたとき、穏やかに、「ここじゃないですよ」と言って誘導してくれていたら..。
夫は暴れることはなかったと思います。


以前、私に殴りかかってきたような、自分から他人に危害を加えようとする夫はもういませんでした。
今はもう罠にかかった小動物のように、逃げようとして逃げられず、暴れる他に道がなかったのです..。

それを一般の人、病院の人達は理解しませんでした。
ただただ、認知症、暴れる、危険のレッテルを貼っていました。


若年性認知症であるが故に、本来普通に受けることができるリハビリも受けられず、拒絶されました。
もう夫は、元通りに歩けないでしょう。
その機会も奪われてしまいました。

もういいよ

帰ろうね...おうちへ。

寒風が吹きすさぶ病院の玄関で、やっとの思いで夫を車に乗せました。
私は打ちのめされ、傷ついていましたが、不思議と落ち込んではいませんでした。
この先、どんな生活が待っているのか、果たして私はやっていけるのか。
そんな事も全く気になりませんでした。
今はただ、夫を家に連れて帰りたいだけでした。



いつもありがとうございます。
クリックして頂けると嬉しいです。
  ↓

にほんブログ村