暴力が本格的に始まったのは、2011年3月からでした。
診断を受けてから4年半が過ぎていました。
主治医に依ると発病はおそらくその2年位前からだろうから、6年位経過していて、通常の進み方だと言われました。
その位の期間が経過すれば、暴力がでてくるのが当たり前みたいに言われました。
今の私ならば、当時7.5mgを処方されていたアリセプトを減らしてみると思いますが、その頃は何も考えずに、言われるままに薬を飲ませていました。
リスパ○ールという向精神薬を処方されました。
いよいよ向精神薬かと思いましたが、もう仕方ないのだろうと思い直しました。
精神病院で入院できるところの資料ももらいました。
説明を聞いて、とてもじゃないけど、入れたくないと思いました..。
クリニックからの帰り道、電車に乗るときに、また不機嫌になりました。
ここで暴力をふるわれても、誰かが助けてくれるだろうかと、ぼんやり思いました。
家にいるより、外にいた方が安心できるなんて...暗澹たる思いでした。
私自身の精神がボロボロでした..。
向精神薬は飲ませたくはないけども、一緒に暮らすためには仕方ないと割り切ろう..
一緒に暮らせなければ、どのみち入院先なり、施設なりで、薬は使われるのだし..
もし、在宅で薬がうまく効けば、お泊まりデイで凌ぐこともできそうだし..
家に帰って、リスパ○ールを乳酸飲料に入れて飲ませました。
味がおかしいのか、ちょっと変な顔をしていましたが、全部飲んでくれました。
翌日、食事の後しばらくして、急に服を脱ぎ出しました。
額に汗をかいていました。
リスパ○ールの副作用だとすぐ思い当たりました。
病院に連れて行った方がいいのかと悩みました。
その日はクリニックは休診日で電話は繋がりませんでした。
それから1時間位経った頃、落ち着きなく歩き回っていましたが、いきなり嘔吐して、テーブルの上にまき散らしました。
その後は多少気分はよくなったようでしたが、顔色が黄色みを帯びて、白っぽく血の気がなくなっていました。
今まで見たことのない顔色でした。
私は夫が死んでしまうのではないかと思って、半狂乱になりました。
ああ、とんでもないものを飲ませてしまった..どうしよう..どうしようと..
それまで救急車を呼んだことはありませんでした。
でもこれはダメだ、思い切って呼ぼうと思った時、問い合わせしていた薬局から電話が入りました。
昨日の夜に飲ませた分は、12時間後位に最高に効いてくるのだそうで、吐いたことによってかなり出しているし、このまま薬が切れてくれれば大丈夫じゃないかとのことでした。
もう少し様子を見ようと思い、救急車は呼びませんでした。
しばらくして、顔色が戻り、落ち着きました。
傾眠状態で、目を閉じて下を向いていましたが、話しかけると返事をするので、意識は問題なさそうでした。
下に連れて行ってベッドに寝かせました。
非常に穏やかで、ここしばらく感じていた恐怖は全く感じなくなり、以前の夫が帰ってきた気がしました。
無事一晩が過ぎて、普通の状態に戻っていました。
同時に、不穏状態も戻ってきました..。
その日は、あの大地震の日でした。
その影響もあったのか、いつも行っていた歯医者さんで、口を開けることができず、怒り出しました。ここではこれまで怒りを見せることはなかったのに..。
地震の後は、計画停電があり、障害のない人にも辛い日々でした。
夫にはそれも堪えたようでした。
排泄の失敗が頻繁になりました。
便器の中への排泄よりも、玄関や廊下、室内に放尿する方が多くなりました。
台所で放尿し、その上に乗ったスリッパで、びしゃびしゃと歩き回りました。
私は気が狂いそうでした。
スリッパを脱がせようとすると、怒り狂って、殴りかかってきました。
どこにも救いはありませんでした。
以前相談に行った交番のお巡りさんが、しょっちゅう電話をくれました。
まだ家にいるのか、早く病院に入れて、薬で暴力を抑えてもらいなさいと何度も言われました。
薬は怖い...私はこんな状態になっても、夫を病院へ入れる決断はできませんでした。
その度に私は言い逃れをしていました。
しまいには、そのお巡りさんからの電話に気が重くなりました。
誰かに相談しても、その助言を実行できない場合は、苦痛になってしまいます。
私は、相談することもできなくなりました。
お泊まりデイへ初めて頼みました。
送り出して、なんとほっとしたことか..
こういう気分は初めてでした。ああ、今日明日は楽になる..
一泊して帰ってきた夫は落ち着いて元気そうでした。
ところが、スタッフの話によると、スタッフを蹴ったり、利用者さんの椅子を蹴ったりしたそうでした。
あきらかに迷惑そうで、なるべくなら断りたいという気持ちが見えていました。
お風呂に入るのを拒否したそうで、お風呂に入れてもらっていませんでした。
リハビリパンツを履かせられ、取り替えたそうですが、汚れていました。
翌日、今まで通っていた普通のデイに行き、ちゃんとお風呂に入れてもらってきました。
こちらは普通のデイで、お泊まりの方は認知症対応と謳っているのにね..。
翌週、二泊三日の予定で、またお泊まりデイに送り出しました。
夜10時過ぎに、お泊まりデイから電話が来ました。
夫が暴れている、すぐ来て、引き取ってくれとのことでした。
一応姉に連絡してから着替えてタクシーを呼び、お泊まりデイに行きました。
男の人が二人いたのに、押さえられなかったとのことでした。
部屋の中からは夫の叫び声が聞こえてきました。
なにするんだ!バカヤロウ!!と...
ほどなく連れてこられた夫は、私を見つけるとほっとしたように表情が緩みました。
用意していった厚手のコートを着せ、さ、うちに帰ろうねと言ったら、素直に靴を履いて、むしろ機嫌良くタクシーに乗ってくれました。
家に帰ると姉が玄関の前で待っていてくれました。
家に入り、しばらくゆっくりしてから、ベッドに寝かせようとしました。
まだ興奮が冷めていないのか、ふざけていて、上機嫌でした。
一旦ベッドに入ったのに、また起き出してきて、二階にきました。
もう一度寝かせようとしたとき、急にスイッチが入れ替わったかのように、怒り出しました。
姉がいたので、いざというときには110番してもらえばいいと思い、それほど恐怖感はありませんでした。
放置しておいたら、怒りが収まったようでした。
姉は1時半頃に帰って行きました。
その後は二人きりです。
この3日間、私は楽になると思って、あてこんでいたのに、とんでもない幕切れでした..。
ケアマネさんに、事の顛末を話しました。
プロらしい提案とか解決方法の提示はなく、困りましたねぇだけでした。
デイサービスは一人だけ見ているわけじゃないですからねとも言われました。
暴力行為が始まったお客には、どう対応しているのだろう..全く親身になってくれている様子が感じられませんでした。
そのお泊まりデイ以外はそういうサービスをしているところはないと言い切っていました。
暴力をふるうからいけないと言いたそうな口ぶりでした。折角見つけてあげたのにと言いたかったのでしょう。
ネットで探したら、他にも近いところで、2件そういうところを見つけました。
他にもあるみたいですよ?と言ったら、ほどなくして、ありましたから!と電話がきました。
早速訪問の予約をとりますが、いつにしますか?と今度はせっつかれました。
なんなんだろ..やっぱりこのケアマネさんは替え時なのかなと思いました。
荒れていないときの夫は、昔と変わらない優しい夫でした。
野菜炒めを作っていると、私から黙って箸をとって炒めてくれました。
昔はよくこうして一緒に食事の支度をしたものです。
そういう夫を見ると、病院へ入れるなんて、できっこないと思いました。
でも、その後、鏡や、魔法瓶を持って、部屋の中をうろうろ歩き回っていました。
夜も寝ないで歩き回っていました。
これが徘徊なのかな...徘徊も、いよいよ始まってしまったのかと思いました。
診断を受けてから4年半が過ぎていました。
主治医に依ると発病はおそらくその2年位前からだろうから、6年位経過していて、通常の進み方だと言われました。
その位の期間が経過すれば、暴力がでてくるのが当たり前みたいに言われました。
今の私ならば、当時7.5mgを処方されていたアリセプトを減らしてみると思いますが、その頃は何も考えずに、言われるままに薬を飲ませていました。
リスパ○ールという向精神薬を処方されました。
いよいよ向精神薬かと思いましたが、もう仕方ないのだろうと思い直しました。
精神病院で入院できるところの資料ももらいました。
説明を聞いて、とてもじゃないけど、入れたくないと思いました..。
クリニックからの帰り道、電車に乗るときに、また不機嫌になりました。
ここで暴力をふるわれても、誰かが助けてくれるだろうかと、ぼんやり思いました。
家にいるより、外にいた方が安心できるなんて...暗澹たる思いでした。
私自身の精神がボロボロでした..。
向精神薬は飲ませたくはないけども、一緒に暮らすためには仕方ないと割り切ろう..
一緒に暮らせなければ、どのみち入院先なり、施設なりで、薬は使われるのだし..
もし、在宅で薬がうまく効けば、お泊まりデイで凌ぐこともできそうだし..
家に帰って、リスパ○ールを乳酸飲料に入れて飲ませました。
味がおかしいのか、ちょっと変な顔をしていましたが、全部飲んでくれました。
翌日、食事の後しばらくして、急に服を脱ぎ出しました。
額に汗をかいていました。
リスパ○ールの副作用だとすぐ思い当たりました。
病院に連れて行った方がいいのかと悩みました。
その日はクリニックは休診日で電話は繋がりませんでした。
それから1時間位経った頃、落ち着きなく歩き回っていましたが、いきなり嘔吐して、テーブルの上にまき散らしました。
その後は多少気分はよくなったようでしたが、顔色が黄色みを帯びて、白っぽく血の気がなくなっていました。
今まで見たことのない顔色でした。
私は夫が死んでしまうのではないかと思って、半狂乱になりました。
ああ、とんでもないものを飲ませてしまった..どうしよう..どうしようと..
それまで救急車を呼んだことはありませんでした。
でもこれはダメだ、思い切って呼ぼうと思った時、問い合わせしていた薬局から電話が入りました。
昨日の夜に飲ませた分は、12時間後位に最高に効いてくるのだそうで、吐いたことによってかなり出しているし、このまま薬が切れてくれれば大丈夫じゃないかとのことでした。
もう少し様子を見ようと思い、救急車は呼びませんでした。
しばらくして、顔色が戻り、落ち着きました。
傾眠状態で、目を閉じて下を向いていましたが、話しかけると返事をするので、意識は問題なさそうでした。
下に連れて行ってベッドに寝かせました。
非常に穏やかで、ここしばらく感じていた恐怖は全く感じなくなり、以前の夫が帰ってきた気がしました。
無事一晩が過ぎて、普通の状態に戻っていました。
同時に、不穏状態も戻ってきました..。
その日は、あの大地震の日でした。
その影響もあったのか、いつも行っていた歯医者さんで、口を開けることができず、怒り出しました。ここではこれまで怒りを見せることはなかったのに..。
地震の後は、計画停電があり、障害のない人にも辛い日々でした。
夫にはそれも堪えたようでした。
排泄の失敗が頻繁になりました。
便器の中への排泄よりも、玄関や廊下、室内に放尿する方が多くなりました。
台所で放尿し、その上に乗ったスリッパで、びしゃびしゃと歩き回りました。
私は気が狂いそうでした。
スリッパを脱がせようとすると、怒り狂って、殴りかかってきました。
どこにも救いはありませんでした。
以前相談に行った交番のお巡りさんが、しょっちゅう電話をくれました。
まだ家にいるのか、早く病院に入れて、薬で暴力を抑えてもらいなさいと何度も言われました。
薬は怖い...私はこんな状態になっても、夫を病院へ入れる決断はできませんでした。
その度に私は言い逃れをしていました。
しまいには、そのお巡りさんからの電話に気が重くなりました。
誰かに相談しても、その助言を実行できない場合は、苦痛になってしまいます。
私は、相談することもできなくなりました。
お泊まりデイへ初めて頼みました。
送り出して、なんとほっとしたことか..
こういう気分は初めてでした。ああ、今日明日は楽になる..
一泊して帰ってきた夫は落ち着いて元気そうでした。
ところが、スタッフの話によると、スタッフを蹴ったり、利用者さんの椅子を蹴ったりしたそうでした。
あきらかに迷惑そうで、なるべくなら断りたいという気持ちが見えていました。
お風呂に入るのを拒否したそうで、お風呂に入れてもらっていませんでした。
リハビリパンツを履かせられ、取り替えたそうですが、汚れていました。
翌日、今まで通っていた普通のデイに行き、ちゃんとお風呂に入れてもらってきました。
こちらは普通のデイで、お泊まりの方は認知症対応と謳っているのにね..。
翌週、二泊三日の予定で、またお泊まりデイに送り出しました。
夜10時過ぎに、お泊まりデイから電話が来ました。
夫が暴れている、すぐ来て、引き取ってくれとのことでした。
一応姉に連絡してから着替えてタクシーを呼び、お泊まりデイに行きました。
男の人が二人いたのに、押さえられなかったとのことでした。
部屋の中からは夫の叫び声が聞こえてきました。
なにするんだ!バカヤロウ!!と...
ほどなく連れてこられた夫は、私を見つけるとほっとしたように表情が緩みました。
用意していった厚手のコートを着せ、さ、うちに帰ろうねと言ったら、素直に靴を履いて、むしろ機嫌良くタクシーに乗ってくれました。
家に帰ると姉が玄関の前で待っていてくれました。
家に入り、しばらくゆっくりしてから、ベッドに寝かせようとしました。
まだ興奮が冷めていないのか、ふざけていて、上機嫌でした。
一旦ベッドに入ったのに、また起き出してきて、二階にきました。
もう一度寝かせようとしたとき、急にスイッチが入れ替わったかのように、怒り出しました。
姉がいたので、いざというときには110番してもらえばいいと思い、それほど恐怖感はありませんでした。
放置しておいたら、怒りが収まったようでした。
姉は1時半頃に帰って行きました。
その後は二人きりです。
この3日間、私は楽になると思って、あてこんでいたのに、とんでもない幕切れでした..。
ケアマネさんに、事の顛末を話しました。
プロらしい提案とか解決方法の提示はなく、困りましたねぇだけでした。
デイサービスは一人だけ見ているわけじゃないですからねとも言われました。
暴力行為が始まったお客には、どう対応しているのだろう..全く親身になってくれている様子が感じられませんでした。
そのお泊まりデイ以外はそういうサービスをしているところはないと言い切っていました。
暴力をふるうからいけないと言いたそうな口ぶりでした。折角見つけてあげたのにと言いたかったのでしょう。
ネットで探したら、他にも近いところで、2件そういうところを見つけました。
他にもあるみたいですよ?と言ったら、ほどなくして、ありましたから!と電話がきました。
早速訪問の予約をとりますが、いつにしますか?と今度はせっつかれました。
なんなんだろ..やっぱりこのケアマネさんは替え時なのかなと思いました。
荒れていないときの夫は、昔と変わらない優しい夫でした。
野菜炒めを作っていると、私から黙って箸をとって炒めてくれました。
昔はよくこうして一緒に食事の支度をしたものです。
そういう夫を見ると、病院へ入れるなんて、できっこないと思いました。
でも、その後、鏡や、魔法瓶を持って、部屋の中をうろうろ歩き回っていました。
夜も寝ないで歩き回っていました。
これが徘徊なのかな...徘徊も、いよいよ始まってしまったのかと思いました。