2011年12月2日、リハビリ病院を追われた夫は、40日ぶりに自宅へ帰ってきました。
見る影もなく、魂が抜けたような変わり果てた痛々しい姿でした。
お泊まりデイの方からは、引き続きお預かりしますよと言われていたし、ケアマネさんからは珍しく強硬に、そのままデイに行かせた方がいいと言われましたが、私は夫をもうどこにもやるつもりがありませんでした。
夫にとっては、もう充分です。
自分の意思とは全く関係なく、あちこち引き回され、ずっと大勢がわさわさしている環境で、どんな思いで毎日を過ごしてきたのか..。
言葉を失っていて、抗議することすらできず、わずかにのこっていた認知する機能も、自ら閉じていってしまったような気がします。
とりあえず、家に居させたい、落ち着いたらまた以前のように、週末をお泊まりデイでお願いしたい、もし、その前にどうにもならなくなったらSOSを出しますから、そのときはよろしくということで、了解してもらいました。
幸い、危なっかしいながらも、家の階段を登って降りることができました。
引きずるような足取りでしたが、なんとか歩くことはできていました。
自分でお箸を持って食べることもできました。
後はささくれだった神経を、傷口を舐めるように癒してあげようと思いました。
家で寝た最初の夜、明け方4時頃に起き上がりました。
こんなに長い間家にいなかったのに、トイレの場所を覚えていたのにびっくりしました。
トイレでは便器に座れなくて、マットの上に出しました。
一ヶ月以上、こうした状況から離れていたので、どうしていいかわかりませんでした。
とりあえず、浴室洗い場にいれて下半身だけシャワーをかけました。
また放尿を始めたので、そのままにしておきました。
その後、不穏になることもなく、新しい紙パンツを履かせ、パジャマのズボンを履かせました。
パジャマの上も濡れていたので、取り替えました。
シーツが濡れて、羽毛の掛け布団も一部が濡れていました。
シーツと防水シーツを取り替えましたが、掛け布団はどうしようもないので、カバーだけ替えました。
その日は朝から冷たい雨が降っていました。
洗濯物を外に干せないので、浴室に干しました。
浴室には乾燥機がついているのですが、とても全部は干せません。残りは乾くまで洗濯機の中です。
夫はよく眠っていたので、そのままにしておき、10時頃起こしにいきました。
なかなか起き上がりませんでした。
見ると、またお尻の下が濡れていました。
以前は、汚れた服のままで入って、ベッドを汚すことはあっても、おねしょはありませんでした。
やっぱり入院生活は、その神経もダメにしてしまったようです。
まだ二回目の洗濯物が洗濯機の中なのに、更に上乗せ..。
ベランダにあった物干しを、雨を拭って室内にいれ干しましたが、足りません。
はぁ、これからはこういう生活なんだな..と早くも暗澹たる気持ちになりました。
予想通り、連日ベッドは大洪水でした。
来る日も来る日も大量の洗濯物に追われました。
トイレに連れて行っても排泄することが難しくなっていました。
その分、夜間に一気に出るらしく、それも大洪水の原因でした。
夫が家にもどったら、きっと必要になると思い、トイレと浴室に手すりを発注していました。
介護保険の補助をもらうため、書類の手続きとかに手間取り、この時点ではまだ工事ができていませんでした。
トイレに座らせるのが、とても困難になっていたので、手すりがつくまでの間、レンタルで、折りたたみ式手すりを借りました。
これはよくできていて、便器に直接取り付けることができます。
福祉用品はいろいろあるんだなと感心させられました。
この手すりを設置してからは、便座に座るのもすんなりできることが多くなりました。
足元が不安定だったので、怖くて腰が下ろせなかったのだと思います。
相変わらず、排泄は空振りの時が多かったですが..。
お風呂にいれるのは、起きた直後になりました。
大抵背中まで尿でびっしょりだし、毎日ではないものの便失禁もしているので、お湯で洗い流さないことにはどうにもなりませんでした。
冬場なので、シャワーをかけただけでは風邪を引かせそうなので、湯船にも入れました。
浴槽の出入りが、不安定でした。
立ち上がるのも、大変そうでした。
早く手すりをつけて欲しかったけど、工事はしばらく先になりそうでした。
12月中旬、またてんかん発作を起こしました。
その朝もベッドが濡れていたのでそのままにして、まずお風呂にお湯を張っていました。
うぉーーーっという叫び声が聞こえた気がしたので、寝室に戻ってみると、夫は掛け布団の上に突っ伏して激しく痙攣していました。
無理な態勢をしているので、横向きにしたかったけど、ベッドに上げることはできませんでした。
床はびしょびしょの水たまりができていましたが、仕方ありません。
大判のバスタオルを持ってきて頭にあてがい、体を支えながら降ろして床に寝せました。
痙攣は止まっていましたが、白目を剥いて意識がないようでした。
でも、手は温かかったし落ち着いてきたので大丈夫だろうと思いました。
しばらくそのままの状態で寝かせておいた後、起きれそうなので立ち上がらせベッドに腰掛けさせました。
床を掃除したりしている間にかなり落ち着いてきたので、お風呂にいれようと思いました。
全身尿まみれだし、他にいい方法を思いつきませんでした。
尿取りパッドは濡れていず、一旦立ち上がって放尿し、そのままベッドに倒れ込んだようでした。
パッドには少量の大便がついていました。
一旦便座に座らせてウォッシュレットをしましたが、取り切れませんでした。
浴室に入れて石けんで体を洗いました。
髪の毛に多少尿がついているかもしれないけど、頭を洗うのはやめておきました。
浴槽には自分で入りました。
少し早めに上がらせようとしたけど、立ち上がれませんでした。
どうしても立ち上がらせることができませんでした。
そのままにしておくとのぼせてしまうと思い、お湯を抜きました。
お湯を抜いても座り込んだまま立ち上がりませんでした。
その場で体を拭きました。
これなら普通に座っているのと同じ状態だし、このまま様子を見ることにしました。
飲み物を持って来て飲ませました。
洗面所は暖房機をかけているので、汗ばむほどでしたが、このままにしておくわけにもいきません。
後ろから、腕を脇の下に差し込み抱え上げようとしました。
私の力では全くだめでした。
何度目かにやっと自分で力を入れて立ち上がろうとしました。
なんとか片足を浴槽から出すことができ、もう一方の足も出せました。
その後も、浴槽から立ち上がれないことが頻発しました。
お湯を抜かなければ浮力が期待できるかもと思って、やってみましたが、やっぱり抱え上げきれませんでした。
自分から立ち上がろうという気持ちがなくなっているようでした。
というより、そういう指令が脳からいかないんだろうと思いました。
服の脱着を嫌がりました。
嫌がらないときでも、例えばズボンを履くのに、足を上げるということができなくなっていました。
脳からの指令がうまく伝わってないようでした。
下旬に、お泊まりデイを再開しました。
預けた後、いかに自分が疲れていたかがわかりました。
もう身も心もボロボロでした。
夕暮れ時って、なんか寂しいね..
あなたはまだ家に帰って来れるけど、この先、どのくらいの間一緒に暮らしていけるのか..
何ももう話せない
私の言う言葉も理解しない
日常動作の全てのことが、自分ではもう何もできない
ただひとつできるのが、お箸を使って食べることだけか..
排泄関係はもう全くだめだ
せめて汚れたものをすんなり取り替えさせてくれればいいのだけども
その度に不穏になり、胸ぐらを掴んできたりする
たまに見せてくれる笑顔が唯一の救いだけど、それもめっきり減っている
私は何ができるんだろう
どうしたらいいんだろうね
ひさしぶりのお泊まりデイから帰って来た夫は、一段と病状が進んでしまったようでした。
いつもありがとうございます。
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見る影もなく、魂が抜けたような変わり果てた痛々しい姿でした。
お泊まりデイの方からは、引き続きお預かりしますよと言われていたし、ケアマネさんからは珍しく強硬に、そのままデイに行かせた方がいいと言われましたが、私は夫をもうどこにもやるつもりがありませんでした。
夫にとっては、もう充分です。
自分の意思とは全く関係なく、あちこち引き回され、ずっと大勢がわさわさしている環境で、どんな思いで毎日を過ごしてきたのか..。
言葉を失っていて、抗議することすらできず、わずかにのこっていた認知する機能も、自ら閉じていってしまったような気がします。
とりあえず、家に居させたい、落ち着いたらまた以前のように、週末をお泊まりデイでお願いしたい、もし、その前にどうにもならなくなったらSOSを出しますから、そのときはよろしくということで、了解してもらいました。
幸い、危なっかしいながらも、家の階段を登って降りることができました。
引きずるような足取りでしたが、なんとか歩くことはできていました。
自分でお箸を持って食べることもできました。
後はささくれだった神経を、傷口を舐めるように癒してあげようと思いました。
家で寝た最初の夜、明け方4時頃に起き上がりました。
こんなに長い間家にいなかったのに、トイレの場所を覚えていたのにびっくりしました。
トイレでは便器に座れなくて、マットの上に出しました。
一ヶ月以上、こうした状況から離れていたので、どうしていいかわかりませんでした。
とりあえず、浴室洗い場にいれて下半身だけシャワーをかけました。
また放尿を始めたので、そのままにしておきました。
その後、不穏になることもなく、新しい紙パンツを履かせ、パジャマのズボンを履かせました。
パジャマの上も濡れていたので、取り替えました。
シーツが濡れて、羽毛の掛け布団も一部が濡れていました。
シーツと防水シーツを取り替えましたが、掛け布団はどうしようもないので、カバーだけ替えました。
その日は朝から冷たい雨が降っていました。
洗濯物を外に干せないので、浴室に干しました。
浴室には乾燥機がついているのですが、とても全部は干せません。残りは乾くまで洗濯機の中です。
夫はよく眠っていたので、そのままにしておき、10時頃起こしにいきました。
なかなか起き上がりませんでした。
見ると、またお尻の下が濡れていました。
以前は、汚れた服のままで入って、ベッドを汚すことはあっても、おねしょはありませんでした。
やっぱり入院生活は、その神経もダメにしてしまったようです。
まだ二回目の洗濯物が洗濯機の中なのに、更に上乗せ..。
ベランダにあった物干しを、雨を拭って室内にいれ干しましたが、足りません。
はぁ、これからはこういう生活なんだな..と早くも暗澹たる気持ちになりました。
予想通り、連日ベッドは大洪水でした。
来る日も来る日も大量の洗濯物に追われました。
トイレに連れて行っても排泄することが難しくなっていました。
その分、夜間に一気に出るらしく、それも大洪水の原因でした。
夫が家にもどったら、きっと必要になると思い、トイレと浴室に手すりを発注していました。
介護保険の補助をもらうため、書類の手続きとかに手間取り、この時点ではまだ工事ができていませんでした。
トイレに座らせるのが、とても困難になっていたので、手すりがつくまでの間、レンタルで、折りたたみ式手すりを借りました。
これはよくできていて、便器に直接取り付けることができます。
福祉用品はいろいろあるんだなと感心させられました。
この手すりを設置してからは、便座に座るのもすんなりできることが多くなりました。
足元が不安定だったので、怖くて腰が下ろせなかったのだと思います。
相変わらず、排泄は空振りの時が多かったですが..。
お風呂にいれるのは、起きた直後になりました。
大抵背中まで尿でびっしょりだし、毎日ではないものの便失禁もしているので、お湯で洗い流さないことにはどうにもなりませんでした。
冬場なので、シャワーをかけただけでは風邪を引かせそうなので、湯船にも入れました。
浴槽の出入りが、不安定でした。
立ち上がるのも、大変そうでした。
早く手すりをつけて欲しかったけど、工事はしばらく先になりそうでした。
12月中旬、またてんかん発作を起こしました。
その朝もベッドが濡れていたのでそのままにして、まずお風呂にお湯を張っていました。
うぉーーーっという叫び声が聞こえた気がしたので、寝室に戻ってみると、夫は掛け布団の上に突っ伏して激しく痙攣していました。
無理な態勢をしているので、横向きにしたかったけど、ベッドに上げることはできませんでした。
床はびしょびしょの水たまりができていましたが、仕方ありません。
大判のバスタオルを持ってきて頭にあてがい、体を支えながら降ろして床に寝せました。
痙攣は止まっていましたが、白目を剥いて意識がないようでした。
でも、手は温かかったし落ち着いてきたので大丈夫だろうと思いました。
しばらくそのままの状態で寝かせておいた後、起きれそうなので立ち上がらせベッドに腰掛けさせました。
床を掃除したりしている間にかなり落ち着いてきたので、お風呂にいれようと思いました。
全身尿まみれだし、他にいい方法を思いつきませんでした。
尿取りパッドは濡れていず、一旦立ち上がって放尿し、そのままベッドに倒れ込んだようでした。
パッドには少量の大便がついていました。
一旦便座に座らせてウォッシュレットをしましたが、取り切れませんでした。
浴室に入れて石けんで体を洗いました。
髪の毛に多少尿がついているかもしれないけど、頭を洗うのはやめておきました。
浴槽には自分で入りました。
少し早めに上がらせようとしたけど、立ち上がれませんでした。
どうしても立ち上がらせることができませんでした。
そのままにしておくとのぼせてしまうと思い、お湯を抜きました。
お湯を抜いても座り込んだまま立ち上がりませんでした。
その場で体を拭きました。
これなら普通に座っているのと同じ状態だし、このまま様子を見ることにしました。
飲み物を持って来て飲ませました。
洗面所は暖房機をかけているので、汗ばむほどでしたが、このままにしておくわけにもいきません。
後ろから、腕を脇の下に差し込み抱え上げようとしました。
私の力では全くだめでした。
何度目かにやっと自分で力を入れて立ち上がろうとしました。
なんとか片足を浴槽から出すことができ、もう一方の足も出せました。
その後も、浴槽から立ち上がれないことが頻発しました。
お湯を抜かなければ浮力が期待できるかもと思って、やってみましたが、やっぱり抱え上げきれませんでした。
自分から立ち上がろうという気持ちがなくなっているようでした。
というより、そういう指令が脳からいかないんだろうと思いました。
服の脱着を嫌がりました。
嫌がらないときでも、例えばズボンを履くのに、足を上げるということができなくなっていました。
脳からの指令がうまく伝わってないようでした。
下旬に、お泊まりデイを再開しました。
預けた後、いかに自分が疲れていたかがわかりました。
もう身も心もボロボロでした。
夕暮れ時って、なんか寂しいね..
あなたはまだ家に帰って来れるけど、この先、どのくらいの間一緒に暮らしていけるのか..
何ももう話せない
私の言う言葉も理解しない
日常動作の全てのことが、自分ではもう何もできない
ただひとつできるのが、お箸を使って食べることだけか..
排泄関係はもう全くだめだ
せめて汚れたものをすんなり取り替えさせてくれればいいのだけども
その度に不穏になり、胸ぐらを掴んできたりする
たまに見せてくれる笑顔が唯一の救いだけど、それもめっきり減っている
私は何ができるんだろう
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