255.「喜捨」感動体験(第2次旅 28~29日目)世界自転車旅400~401日目)
◆2004年 12月 27日 ~自転車旅日記より~夜中0時ごろ不本意ながら目覚めてしまった。仕方ないので、月明かりで前輪タイヤ交換をおこなう。どこか意識のなかで気になっていたから、目覚めたのだろうか?きっとそうだろう。1時間くらいかかり外で作業をすると、さすがに体は冷え、その後に寝袋にくるまるも、足先は朝まで冷たさを感じていた。今日の走行は、向かい風をうけながらペダルを踏む進行方向。もちろん路面の荒れで押し歩く時間も多かったので、その意味では向かい風の影響はそうなかったのかも。コルゲーション状の凸凹状態の道を押し歩いていると、変わった丸い実がなる植物が生えていることに気付く。「なんだろうか?食べられる?」地球を旅するなかで、見慣れないものを目にすると、すぐ食べられるどうか想像する癖がついてきている。良くも悪くも、よりシンプルな思考を養いつつあるのだろう。それで、試しに1つ割ってみると、粘々した糸を引く感じであり、少しかじってみたら不味かった。残念ながら、生食に適してないことは分かった。もしかしたら調理によったら美味しかったり、体に良かったり、アロエみたいな薬用効果があるのかも知れないが、現状は不要である。そんな感じで先へ進んでいると、こんどはフンコロガシを見つけた。これはまだ食べたくない。珍しかったので一眼レフで撮影したけど、うまく撮れたのだろうか?小さな村を次々あったので、水を少しづついただけ助かった。この砂漠地を自転車旅できるのは、こういった小さな村があり水を分けていただけるから。本当に助かりますよ。サディフェンテの町では、なんとかアエーシを売っているお店があり、ジャムなども購入できた。スーダンを旅すると、売っている品が限られているから、それに食事も合わせる必要があり、順応力が必然と養われていく。これは生きることにフォーカスすれば、己のためになり良いことである。旅の途中では、すすんでウエルカムとは思わないけどね。サディフェンテの町を出ると、ナイル川から更に離れ内陸部の景色となる。丘陵もあり自転車を押し歩く時間が多くなる。16時20分、道沿いで野営とする。サディフェンテから7km地点。◆走行距離 51km ◆総走行距離(1202km/走行 15日間)◆最高時速 24.2km/h◆平均時速 7.2km/h◆時間 7時間 01分ここまでの世界自転車旅走行距離 20774km◆12月27日 出費●パン100×2、ジャム200●計 400総出費 112801USドル ⇒ 107 円1USドル ⇒ 255スーダン・ディナール1スーダン・ディナール ≒ 2.38◆2004年 12月 28日 ~自転車旅日記より~昨夜の短波ラジオ放送は受信状況が悪かったが、インドネシア地震の情報が流れているのは分かった。プーケットなどにも津波が押し寄せ、死傷者も多くあり、まだ連絡の取れていない邦人も多数いて、被害が少ないことを願う。そんなこともあり、やや眠気が失せたようで、しばらく寝ようと頑張ったがダメのようで、お腹に何か入れれば眠たくなるはずと、ピーナッツを食べた。結局、いつの間にか眠り、朝がきてから体が結構ぬくもっていることに気付く。食べれば消化の方へ血液も行くからだろう。さて、今日も砂の世界を進む。更に周囲がいつになくぼやけた感じなのは、砂埃の影響だろう。昼過ぎの暑い時間帯に、少しこちらもボヤ~とした感じで進んでいると、砂地の畑作業を多分していただろう老人に気付いた。多分というのは、もしかしたら遠くから視界には入っていたかもしれないけど、こちらが気づかなかったから。暑くボヤ~とした頭で、どうやら周囲の景色と同化して捉えていたようだ。それで、その老人がクワのようなものを持って何やら私に言葉を発した。「何?」アラビア語だろうけど、まったく分からなかったが、私の進行方向の先を歩き出した。「何だろう?どこへ行くの?」近くは砂だけで木も生えてないけど、クワを持つ老人は進んでいく。自転車は砂が深く漕げない状況だったので、何となくついていくような恰好ではあるが、私はよくわかってない。「あっ、先に家がある」先に日干しレンガで造られた家らしきが見える。スーダンの田舎でよく目にしているので、それが小屋ではなく、この辺りに住む人の家であることは知っている。老人は思った通りに、その家に入った。後をついていく状況の私は、一瞬迷ったが、よくわからなかったので、そのまま先へ歩き進んだ。数秒ぐらいか?家から少し離れたところで、家の方向から声がした。振り返ると、あの老人が入口に立ってこちらへ向かい何か言っている。何を言っているかわからなかったが、この状況なら”家に寄っていきなさい”なのか?暑かったので、家の内の日陰で休むのもありがたく、家へ戻り自転車を家に立て掛けた。内に入ると驚いた。床はなく外の砂と同じ砂、家財道具は一切なく、壊れたようなボロボロのマットレスベットのみ。そして老人が・・・いない?一瞬だけ、いないと感じたのは、角でこちらに背を向けしゃがんでいたからだ。何かゴソゴソしているが、とりあえず私は壁に背を預け砂の上に腰をおろした。何もない薄暗い狭い空間に、私とスーダン人のおじいさん。お互い無言で、彼がゴソゴソしている音だけがしている。少し不思議で、居心地がよいわけでない。少しして、私も入口の方向をボヤ~と見つめていたので、スッと私の前にガラスコップが現れ驚いた。その欠けたコップには水が入っていた。「シュクラン(ありがとう)」受け取り飲んでいると、暗がりがオレンジ色になる。火を起こしたようでそのせい。あっ、チャイをごちそうしてくれるのか?そう想像していたら、やはりそうだった。私が先ほど飲みほした水が入っていた欠けたガラスコップに、煮立った紅茶(おそらく中国製のお茶)を入れてくれた。いびつな形の砂糖の破片も添えられている。チャイはイスラム教の国を旅するときに、よくいただくが、この状況は今までにない。老人はさっきからひと言もしゃべっていない。たいて、どこから来たのか?など興味を持って色々聞かれたりするものだが、何も話しかけてこない。わざわざ火を起こしチャイをごちそうしてくれたのに・・・・どういうことか?居心地が悪くなり始め、急いで熱いチャイを飲み終え、すぐ発とうと考えていたら、もう1杯チャイが注がれてしまった。”もしかしたら、後でお金や食べ物などを請求されるかも?”そんな気持ちも過ってしまい、チャイを飲み終え、もうたくさん頂きましたと、ゼスチャー混じりで伝え家の外へ出る。”何か言ってくるかも?”そんな思いはまだ残っていたが、何もなかった。その老人自身は、何も言わず、私を入口で見送る。後で調べたらイスラム教の六信五行(信ずべき6つの信条と実行すべき5つの義務)というものがあり、その5行には「喜捨(ザカート)」がり、それは、貧しい人や旅人へ自分の財を与えることとあり、納得した。あの老人は、旅人の私へ自分の財を与えてくれたのだ。この砂漠地では、水は貴重だし、茶葉や砂糖なども、私が想像するより数倍も貴重なものであるはずで、それをどこの誰かわからない旅人へ与えてくれたのだ。しかもわざわざ離れた家へ招き入れ、火を起こしてまで。イスラム教に対する私の認識が大きく変わっていく、今までテレビや新聞などで報道されるテロなどのイメージがどうしても拭いきれずにいたけど、今日のこの体験は、それを払拭するには十分だった。世界はまだまだ知らないことが多い。そこへ行き体験したり見て聞いて味わったりしないと分からないことは多いのだろう。改めて、世界自転車旅やスーダン共和国の素晴らしさを感じた。感動の体験をした後も、今日はもう1軒、同じような日干しレンガ造りの家へ招かれチャイを呼ばれた。そこでは、後から2人のスーダン人も混じり3人で、チャイを飲んだ。「ブレックファスト?」と英語で話しかけてくれた男がいて、遠慮なくよばれた。薄いアエーシ(アラブパン)とフール(ぺイスト状に近い豆を煮たもの)の定番であったが、この状況でいただくことが、いつもより美味しく感じさせてくれた。英語が少しわかる男がいたので、地図を広げこれから進む道を説明したりする。彼は川向うに家があり、4人家族とのこと。仲良くなり、久々に腕相撲をしたら負けてしまった。3連敗だ。ルクソール(エジプト)では勝ち、アスワン(エジプト)で負け、スーダン行きフェリーで負けたので・・・。悔しいが、これもコミュニケーションのひとつでもある。別れ際、自宅前で3人の写真を撮らせてもらう。感動する体験の後は、良い出会いもあり素晴らしい1日となった。その後も、平坦に近い勾配ながら、砂が深く、自転車に乗れず押し歩いたりしながら16時30分、走行終了。村はずれの岩山付近で、風がないので、やや蒸し暑さも感じる。◆走行距離 52km ◆総走行距離(1254km/走行 16日間)◆最高時速 25.2km/h◆平均時速 8.7km/h◆時間 5時間 54分ここまでの世界自転車旅走行距離 20826km◆12月28日 出費●シーチキン85g100●計 100総出費 113801USドル ⇒ 107 円1USドル ⇒ 255スーダン・ディナール1スーダン・ディナール ≒ 2.38