ほっしのブログ

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11月16日(日曜日)
秋晴れのいいお天気
真言宗十八本山 五番  京都嵯峨野の大覚寺に行って来た^^
 
日曜日だと言うのに、参拝者もそんなに多くなかったし
外国の方も少なかった
 
真言宗十八本山 五番  大覚寺(だいかくじ)
 
所在地    京都府京都市右京区嵯峨大沢町4
山号    嵯峨山 (さがやま)
宗派    真言宗大覚寺派(しんごんしゅうだいかくじは)
寺格    大本山
本尊    五大明王(重要文化財)(ごだいみょうおう)
創建年    貞観18年(876年)
開山    恒寂入道親王(ごうじゃく にゅうどうしんのう)
開基    正子内親王(淳和天皇皇后)(まさこないしんのう)
正式名    旧嵯峨御所大覚寺門跡
    (きゅうさがごしょ だいかくじ もんぜき)
別称    大覚寺門跡、旧嵯峨御所
札所等    真言宗十八本山第5番
    近畿三十六不動尊霊場第13番
    神仏霊場巡拝の道第89番(京都第9番)
文化財    後宇多天皇宸翰御手印遺告、
    後宇多天皇宸翰弘法大師伝(国宝)
    正寝殿、絹本著色五大虚空蔵像、
    木造五大明王像5躯ほか(重要文化財)
    御所跡(国の史跡)
    大沢池、名古曽滝跡(国の名勝)
www.daikakuji.or.jp
平安のはじめ、嵯峨天皇の離宮として建立されて1200有余年。
絶えず歩みつづけてきた大覚寺。
 今日では“華と心経の寺”として親しんでいただいておりますが、
数々の悲運を乗りこえ、その法灯を守り続けてきました。 
今日までの人と歴史の軌跡を辿り、
この場でしか語ることができない口伝えを織りまぜながら、
ここに記して参ります。
 
弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山。
 正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、
嵯峨御所とも呼ばれる。
 平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を
建立されたが、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。
 嵯峨院が大覚寺となったのは、
皇孫である恒寂入道親王を開山として
開創した貞観18年(876)である。
 弘法大師空海のすすめにより
嵯峨天皇が浄書された般若心経が
勅封(60年に1度の開封)として奉安され、
般若心経写経の根本道場として知られる。
 明治時代初頭まで、
代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を務めた
格式高い門跡寺院である。
いけばな発祥の花の寺でもあり
、「いけばな嵯峨御流」の総司所(家元)でもある。
時代劇・各種ドラマのロケ地としても有名である。
 

 

大覚寺は大きく分けて
・お堂エリア
・大沢池エリア
と二つに分かれています。
 
表門(おもてもん)
こちらがお堂エリアの入り口となっている表門です。

表門をくぐると式台玄関があり、
この左側で拝観受付を行ないます

式台玄関の前には背の低い松が拡がっていました。
この松は臥龍の松と呼ばれ、低いながらも迫力がありました。
臥龍の松(がりょうのまつ)

 
式台玄関(しきだいげんかん)
寺伝では江戸時代に京都御所より移築したものとされ、
現在は特別な賓客がお越しになられた時などに使われる。

玄関内部の障壁画には、
狩野永徳筆の重要文化財
「松二山鳥図まつにやまどりず」が描かれている。
障壁画手前には、第91代天皇の後宇多法皇が使用した御輿あり、
御輿には後宇多法皇の御紋である
「九曜菊くようぎく」が施されている。

いけばな嵯峨御流(さがごりゅう)

嵯峨御流は創流1200年を超える京都門跡寺院
・嵯峨御所大覚寺の流派です。
平安時代初期に
嵯峨天皇が大覚寺大沢地の菊ガ島という場所に咲く
菊を使って生け花を行ったことが発足のきっかけです。
その菊の花の姿があまりにも美しかったことに
心を動かされた嵯峨天皇は
「後世花を生くるものは宜しく之を以って範とすべし」と言い、
自らがお手本となってお花の生け方を広めていきました。
嵯峨天皇の草木を愛する心・積極的に
普及を進める行動力によって
世に伝わっていった流派です。


全て堂内撮影禁止です

 

宸殿(しんでん)
江戸時代、後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物。天皇に入内された徳川2代将軍秀忠の娘、東福門院和子が、女御御殿として使用していたもの。妻飾つまかざり、破風板はふいた、天井などに装飾がこらされている。正面には御所の名残りとして右近の橘、左近の梅を配す。蔀戸しとみどの蝉の飾りは精巧な作りとなっている。牡丹の間と紅梅の間を飾る襖絵、「牡丹図」と「紅梅図」は狩野山楽筆。

 

勅使門(ちょくしもん)

石舞台

境内中に嵯峨菊
村雨の廊下(むらさめのろうか)
宸殿と心経前殿を結ぶ回廊は、
縦の柱を雨、直角に折れ曲がっている
回廊を稲光いなびかりにたとえ
「村雨の廊下」と呼ばれる。
高貴な人が通られる際の防犯の意味で、
天井は刀や槍を振り上げられないように低く造られている。
床は鴬うぐいす張りとなっている。
霊明殿
勅使門(ちょくしもん)と石舞台
 
安井堂(御霊殿)(やすいどう)
京都東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂を、
明治4年(1871)に移築。
堂内部は、
内陣の格天井鏡板ごうてんじょうかがみいたに花鳥などを描き、
その奥の内々陣の折上おりあげの鏡天井に
壮麗な雲龍が描かれている。
中央には鳳輦ほうれんに坐す僧形の後水尾天皇を祀る。
 
心経前殿(御影堂)(しんぎょうぜんでん)
大正14年(1925)建造。
大正天皇ご即位に際し建てられた
饗宴殿きょうえんでんを式後賜り移築したもの。
心経殿の前殿にあたるため「心経前殿」と呼ばれ、
内陣正面は心経殿を拝するため開いている。
大覚寺の歴史上
特に重要な嵯峨天皇、弘法大師(秘鍵大師)、後宇多法皇、
恒寂入道親王の尊像をお祀りするため「御影堂」とも呼ばれる。
 
五大堂(本堂)(ごだいどう)
江戸時代中期(天明年間)創建。現在の大覚寺の本堂。
不動明王を中心とする五大明王を祀る。
大沢池のほとりに位置し、正面中央は板唐戸いたからど、
両脇各2間は蔀戸となっている。
大沢池に面する東面には池に張り出すように
観月台(濡れ縁)があり、
大沢池の眺望がすばらしく、
大沢池エリアへの共通参拝口もある。
 
大沢池 国指定名勝(おおさわのいけ)
大覚寺の東に位置し、周囲約1kmの日本最古の人工の林泉(林や泉水などのある庭園)。嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営にあたって、
唐(中国)の洞庭湖を模して造られたところから、
庭湖とも呼ばれる。
当時は最先端の文化の発信地となった。
池のほとりには、
茶室望雲亭、心経宝塔、石仏、名古曽の滝跡があり、
国指定の名勝地になっている
心経宝塔(しんぎょうほうとう)
昭和42年(1967)、嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立される。基壇内部に「如意宝珠」を納めた真珠の小塔を安置する。宝塔内部には秘鍵(弘法)大師尊像を祀る。
大沢池のほとりに位置し、
嵯峨野の四季の風景にとけあった朱塗りの端正な姿が美しい。
石仏群(せきぶつぐん)
大沢池の北岸、
樹木に蔽われた傍らに20基を超える如来や菩薩の石仏が
ひっそりと佇んでいる。
これらの石仏群は長年の風雪で表情はうかがい知れないが、
古いもので平安時代後期の作と伝えられている。
天神島
嵯峨碑
竹林とモミジ

心経宝塔

大覚寺入口
自宅から約1時間
久々に嵐山方面に秋の京都
秋晴れのいいお天気で、良かった^^
帰る頃には、外国の方の団体が来られていたw
 
マンション付近の紅葉
 
今回も長い写真ブログ見て頂き、誠にありがとうございます。
日に日に、寒さが厳しくなって来ましたね。
どうぞ、暖かくして服装で調整して下さいね^^
晩秋の京都、大覚寺でした(^▽^)/
 
では、またね(@^^)/~~~
 
 
10月23日(木曜日)
秋晴れのいいお天気
真言宗十八本山 第四番  宝塚市の中山寺に行ってきた
 
聖徳太子創建  日本最初の観音霊場
北摂の地に、紫雲たなびくといわれる中山寺は、
聖徳太子の創建によると伝えられるわが国最初の観音霊場です。 
安産祈願本邦随一の霊場として武家・庶民に古くから親しまれ、
豊臣秀吉は当山に祈願して秀頼を授かったとされています。 
幕末には、当山の鐘の緒を受けた中山一位局が
明治天皇を御平産されたことにより明治天皇勅願所となり、
「安産の寺」として
全国から多くの方々にご参拝いただいております。
 
所在地    兵庫県宝塚市中山寺2丁目11-1
山号    紫雲山(しうんざん )
宗旨    真言宗
宗派    真言宗中山寺派(しんごんしゅうなかやまでらは)
寺格    大本山
本尊    十一面観世音菩薩(重要文化財)(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)
 開基    伝・聖徳太子
正式名    紫雲山 中山寺(しうんざん なかやまでら)
別称     中山観音(なかやまかんのん)
札所等    西国三十三所第24番
    真言宗十八本山第4番
    摂津国八十八箇所第69 - 71番
    摂津国三十三箇所第1番
    聖徳太子霊跡第26番(開山堂)
    近畿三十六不動尊霊場第21番
    川辺西国三十三箇所第1番
    西国七福神(寿老人)
    中山寺山内七福神
    神仏霊場巡拝の道第80番(兵庫第15番)
文化財    木造薬師如来坐像、木造聖徳太子勝鬘経講讃坐像、
    木造大日如来坐像ほか(重要文化財)
    本堂、護摩堂、大門(山門)ほか(県指定有形文化財)
    白鳥塚古墳(中山寺古墳)(県の史跡)

鳥瞰図(ちょうかんず)

地図の技法および図法の一種で、

上空から斜めに見下ろしたような形式のものをいう。

飛ぶ鳥の目からみたように見える、というのが鳥瞰の語義。

建物や山などが立体的に描かれる。

俯瞰図、パノラマ図ともいう。

 

 

山門

参拝者を迎える格式高い山門

中山寺の山門は正保三年(一六四六)徳川家光により再建された

兵庫県指定文化財であり、正面三間、側面二間の入母屋造り、

本瓦葺の格式高い二重門です。『望海楼』とも呼ばれ、

昔はこの山門の上から遠く海を望むことができたと言われます。

山門は境内の入口にあり、

さとりを求める人々が通る門であると同時に、

悪いものが境内に入り込まないための関所とされています。

そのため、

山門の上層内部には地蔵菩薩、閻魔王、司命、司録を祀り、

下層には、阿形・吽形の仁王像と獅子・狛犬を祀っています。
また、仁王像のまわりには

足腰が丈夫であるようにとの願いを込めて

多くの『わらじ』が奉納されています

 
南側に阿形・吽形の仁王像、
北側に獅子・狛犬を祀っております。
これらの尊像は、平成二十一年の山門改修工事にあたり
修復彩色を行いました。
その際、仁王像の体内から正保五年と書かれた木札や写経された
仏頂尊勝陀羅尼(ぶっちょうそんしょうだらに)・
般若心経が発見され、
山門建立と同時期に制作されたことが明らかとなりました。

仁王像は、阿形・吽形の二体とも像高約二七五センチ、
欅材の寄木造りで玉眼嵌入(仏像の目の部分に水晶を嵌め込む技法)されており、修復の際に発見された木札から大阪の仏師の作であることが分かりました。

 
獅子は阿形で角が無く、狛犬は吽形で角があり、
ともに像高約一二三センチ、
欅材の寄木造りで玉眼嵌入されています。
制作は仁王像と同時期と考えられ、
修復時の痕跡調査から
弁柄漆のみで仕上げられていたことが判明し、
制作当初の姿を忠実に復元しています。

山門から本堂にかけて、両脇にダリアが植えられてました。

 

宝蔵院
未年申年の守り本尊である大日如来と弁財天を祀る塔頭寺院。

華蔵院
戌年亥年の守り本尊である阿弥陀如来と毘沙門天を祀る塔頭寺院

成就院
丑年寅年の守り本尊である虚空蔵菩薩と布袋尊を祀る塔頭寺院

五百羅漢堂
お釈迦さまとそのお弟子である羅漢さまの像が

五百体以上祀られるお堂

 

鐘楼

手水舎

本堂と五重塔

閻魔堂
西国三十三所の開創には徳道上人と閻魔大王との縁起があり、

このお堂には閻魔大王と十王が祀られています。

参詣された方は、生前の罪を裁く閻魔さまに向かい合うことで

日頃の行いを顧みて手を合わせておられます。

本堂

中山寺の本堂には、合せて三十三面となるよう、

三体の十一面観世音菩薩がお祀りされています。

これは、徳道上人が西国三十三所を中山寺を中心としてひらかれた故事に由来し、

西国三十三観音を象徴していると伝わります。

また、毎年八月九日には三十三観音が当山本堂に来迎される

『星下り大会式』が厳修されます。この日に中山寺へ参ると、

四万六千日参拝したのと同じ功徳が得られるとされ、

まさに『救世閣』(ぐぜかく)と額を掲げるに

相応しいお堂と言えるのではないでしょうか。

本堂と大願塔

祈祷殿前広場にて菊花展

護摩堂
不動明王をはじめとする五大明王が祀られているお堂で、

近畿三十六不動霊場の札所の一つに数えられています。

毎月8日、18日、28日には護摩が焚かれ、

参詣された方が納めていかれた護摩木の祈願がなされます。

本堂

大願塔
大日如来をお祀りする朱色の多宝塔で、

特別永代供養のお位牌安置所です。

 

青龍塔の名を持つ色鮮やかな五重塔

中山寺の五重塔は青龍塔と名付けております通り、

日本ではあまり例を見ない青色であることが特徴です。

これは仏の智恵と、

東西南北を司る四神のうち東方を司る

青龍をイメージしています。

開山堂と五重塔

開山堂
中山寺を開山されたと伝えられる聖徳太子の立像を祀るお堂

祈禱殿

お宮参りや七五三まいりでたくさんの方がお参りされてました^^

阿弥陀堂 
阿弥陀如来がお祀りされるお堂で、日々ご供養を行っています。

ご先祖さまや亡くなった方のご回向を受け付けており、

時間ごとに読経を捧げてご遺族の方とご一緒に

ご冥福をお祈りさせていただいております

大願塔

本堂

明月記 中山寺カフェ

山門までの道(境内から)

観音院
辰年巳年の守り本尊である普賢菩薩と大黒天を祀る塔頭寺院

華蔵院
戌年亥年の守り本尊である阿弥陀如来と毘沙門天を祀る塔頭寺院

総持院
卯年の文殊菩薩、酉年の不動明王と福禄寿を祀る塔頭寺院

 

 

9月27日(土曜日)

京都祇園の友達の居酒屋さん 音

9月いっぱいでお店を閉めるって事で、この日行って来ました

相変わらず四条通りはオーバーツーリズムw

鴨川も
花見小路も
吞み処食べ処  音(ファーストビル地下1階)
お店入口
先ずはビールで^^
秋刀魚
せせり焼き
軟骨唐揚げ
   
イカ焼き
春巻き
 
話をしてると、10月18日まで営業との事で、
再度11日にもう一回^^
相変わらずの四条通り
先斗町
鴨川もご覧の通り
南座周辺
花見小路の夕暮れ
吞み処食べ処  音
最後の晩餐
秋刀魚
アジと大葉の天ぷら
お刺身盛り合わせ
この日も朝までコースで大盛り上がりwww
 
一気に冷え込んで来ました
寒暖の差に十分注意してお体ご自愛下さいね
今回も長い写真ブログ観て頂き、誠にありがとうございました。
いつも大変感謝しておりますm(__)m
 
じゃあ、またね  (@^^)/~~~
 
 
9月22日(月曜日)
スカッとした秋晴れの日
兵庫県宝塚市にある
真言宗十八本山  第三番 清荒神清澄寺 に行って来ました^^
 

清荒神清澄寺(火の神・台所の神)
人々の暮らしに欠かせない火は万物を浄化する神聖なものとして

古来より尊ばれてきました。
火を扱う、かまど(台所)は家庭・会社の中心で、

かまど(台所)が賑わえば、

家庭・会社が繁栄すると言われています。
荒神信仰は家内安全、商売繁昌、厄除開運などの

現世利益をもたらします。

 

清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)

所在地    兵庫県宝塚市米谷字清シ1
山号    蓬莱山(ほうらいさん)
宗派    真言三宝宗(しんごんさんぽうしゅう)
寺格    大本山
本尊    大日如来(重要文化財)
創建年    寛平8年(896年)
開山    静観僧正(じやうくわんそうじやう)
開基    宇多天皇(勅願)(うだてんのう)
正式名称 蓬萊山(ほうらいさん)清澄寺(せいちょうじ)
別称    清荒神(きよしこうじん)
札所等    真言宗十八本山第3番
    摂津国八十八箇所第72番
    役行者霊蹟札所
    西国七福神(布袋尊)
    神仏霊場巡拝の道第79番(兵庫第14番)
文化財    木造大日如来坐像、絹本着色千手観音菩薩像、
    絹本着色釈迦三尊像(重要文化財)
    富士山図 富岡鉄斎筆(市指定有形文化財)
開門時間 5:00 ~ 21:00
山門

真言三宝宗とは
当時は猪名の平野や武庫の浦が一望に見渡せる旧清と呼ばれる山の尾根に清澄寺を、そして西の谷に鎮守神として三宝荒神社を祀りました。山号である蓬莱山の由来とする現在の長尾山系の七嶺七渓に、七堂七十二坊の荘厳な伽藍を造営し、
宇多天皇より日本第一清荒神の称号を与えられ
蓬莱山清澄寺として
おおよそ300年栄えました。
 

真言三宝宗は、密教の教えを基にしており、
宇宙や自然現象を体系化した教えを持っています。
教義の中心には「三宝」(仏、法、僧があり、
信者はこれを通じて現世利益を求めます。
また、真言宗は多くの分派を持ち、
特に「真言十八本山」と呼ばれる主要な寺院が存在します。 
扁額「蓬莱山」は随心院門跡智満上人の筆

境内図

境内

手水舎

 
拝殿(天堂)
三宝荒神王、大聖歓喜天(聖天)、十一面観世音菩薩他、
福徳を授ける諸神諸仏が祀られています。
聖天さまは仏教守護の神として、
祈れば富貴を与え病を除き、
夫婦和合・子を授けると言われています。
また十一面観世音菩薩も除病・滅罪・求福を祈れば
現世利益を得ることが出来るとされています。

鐘楼

拝殿(天堂)
東面した拝殿から浴油堂が棟つづきになり、
三宝荒神・歓喜天尊の合行如法浴油供
(ごうぎょうにょほうよくゆく)の秘法が、
毎日当山法主により華水供(けすいく)一座、
浴油供二座の計三座、平和と繁栄、
愛と福徳の祈りをこめ厳かに行われています。
尚、法務による法主不在の日も、
自ら、その間のお勤めを前日または数日前から行う
「拝み越し」を修し、
一日も途切れることはありません。

荒神影向(こうじんようごう)の榊
護法堂の背後にある。開創の際、
荒神がお姿を現されたと伝えられる。
当時、この霊験の報告を受けた宇多天皇は、
大変感銘され、「日本第一清荒神」の称号を下賜されました。
現在では、いつの頃からか
そこに供えられたお賽銭をいただいて帰り、
次回参詣されたとき、そのお賽銭を倍にしてお返しする
という風習が伝えられています。
いただいたお賽銭を紙に包んで財布に入れておくと
小遣銭に不自由しない、
また次に参詣されるまでそれを「御守り」として持っていると
吉事があるなど言われています。
護法堂
大勝金剛転輪王(如来荒神)、右に歓喜童子、
左に弁才天がお祀りされています。
ご本社に向かって左に練掘が続いていますが、
参詣の方々の願いを込めた絵馬・写経・千羽鶴等が
奉納されています。
絵馬を奉納する習わしは、
本来は神社に神馬を奉納したことから始まり、
やがて馬の代わりに鞍となり、次
第に願い事を書いた小さな木の札になりました。
眼神祠(がんじんし)
護法堂(ご本社)の裏から右回りに行くとはじめに
「眼神祠」があります。
もとは護法堂のちょうど裏にあり、
当時は清水が湧き出していて、
参詣の方々が柄杓でその水を汲み、
眼を洗ったりしたようです。
龍王堂
眼神祠の隣には「龍王堂」があり、
ご本尊は「善女龍王(ぜんにょりゅうおう)」という
全ての生命を守る水神様であります
。密教では雨を祈る神としています。
経蔵
納札所
火箸納所
厄年にお祀りしていた厄除け火箸(ひばし)を、
厄が明けた年の節分以降に納める所です。
「かまどの神様」として信仰される三宝荒神王にあやかり、
厄年の人が火箸で厄をつまみ出してもらうとされ、
男性41~43歳、女性32~34歳の大厄には、各々前厄から3年間、
小厄のときは1年間、厄が明けるまで自宅でお祀りします。
なお、納所に火箸がいっぱいになれば、
朝日新聞社を通じて引き取っていただいたお金を
社会福祉事業に寄付しています。
神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)(行者洞)
修験道の開祖、「役行者 えんのぎょうじゃ」
(役小角 えんのおづぬ)をお祀りしています。
修験によって得た加持力をもって
病気、災難等を取り除くと言われています。
宝蔵
講堂と手水舎
修行大師
行脚姿の立像で現されています。
錫杖と鉄鉢を手に諸国を巡歴された時のお姿です。
護牛神堂(ごずてんどう)
本尊は「牛頭天王(ごずてんのう)」で、
弘法大師、不動明王が合祀されています。
牛頭天王は、もとはインドの祇園精舎の守護神で、
「牛王神」「牛神様」ともいわれ、
さらに護牛ということから、
牛の護符を授かり牛を護る農家の方々の信仰を集めています。
伊勢皇大神以下の諸神を勧請した
開創時に牛頭天王を祀っていたことが
縁起に記されています。
清荒神清澄寺 鉄斎美術館 別館「史料館」
この日は休館でした
池苑
池泉回遊式庭園で、江戸時代初期~中期に作成されたと言われ、
池泉を中心とした豪華な石組を配し、
滝、亀島、船着石などを組み合せた観賞式庭園となっています。
池畔にはもと書院があって池に面していたはずですが、
いつの頃からかその場所には庵堂が建ち、
浄界和上の隠棲の場とされたと伝えられています。
今は四季を通じ鯉や亀などが池面を遊泳し、
参詣人たちの目を喜ばせ、一時のやすらぎの場となっています。
宗務所・事務所

一願地蔵尊(いちがんじぞうそん)

一願地蔵尊は金銅製の巨大な立像で、
頭上にまで水を掛けて一つの願いを念ずれば、
ご利益があると言われています。
本堂
安政年間に旧清(もときよし)の寺域より
移築上棟された建物でしたが、
当山開創千百年記念事業として、
平成元年より5年の歳月を掛けた平成の大改修により、
面目が一新されて今日の姿となりました。
正面には本尊大日如来、向かって左に不動明王、
右に弘法大師が祀られています。
内陣には、真言密教の象徴ともいうべき、
六尺四方の大曼荼羅壇(だいまんだらだん)が置かれ、
中央には舎利塔(しゃりとう)、
四面には密具(みつぐ)が安置され、
ここでは毎日、大聖不動明王の秘法が修行されています。
本堂から見た池苑
陳列所
修行大師
拝殿と手水舎
清荒神売店
山門(境内より)
参道
 
9月20日(土曜日)
娘夫婦とお墓参りに岡山日生に行って来ました。
昼食は、娘夫婦お気に入りの赤穂かもめ屋^^
サラダ
サーロインステーキに海老2尾付
かもめ屋A定食
かもめランチ
 
昼食後、先日義父母の永代供養した姫路名古山霊苑へ
 
 
一気に秋めいて来ましたね。
少し肌寒い感もありますが、過ごしやすい今日この頃^^
 
今回も長い写真ブログご覧いただき、
誠にありがとうございました。
感謝しております<(_ _)>
 
急な寒暖差にも、お体十分大切にお過ごし下さいませ^^
 
じゃぁ、またね(@^^)/~~~
8月27日(水曜日)
神戸市須磨区にある
真言宗十八本山 第2番  須磨寺に行って来ました^^
正式名は上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)であるが、
古くから「須磨寺」の通称で親しまれてきた。
平敦盛遺愛の青葉の笛や弁慶の鐘、
さらに敦盛首塚や義経腰掛の松など、
多数の重宝や史跡があり「源平ゆかりの古刹」として全国的に知られている。
古来より源平の浪漫を偲んで訪れる文人墨客も数多く、
広い境内のあちこちに句碑・歌碑が点在している。
 
無料駐車場に拝観料も無料はありがたい
駐車場から本堂までエレベーターがあるのも助かりました。
 
真言宗十八本山 第2番 須磨寺(福祥寺)
所在地    兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8
山号     上野山(じょうやさん)
宗旨    古義真言宗(こぎしんごんしゅう)
宗派    真言宗須磨寺派(しんごんしゅうすまでらは)
寺格    大本山
本尊    聖観音(しょうかんのん)
創建年    仁和2年(886年)
開山    聞鏡(もんきょう)
開基    光孝天皇(勅願)
正式名    上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)
札所等    新西国三十三箇所第24番
    真言宗十八本山第2番
    摂津国八十八箇所第88番
    摂津国三十三箇所第7番
    西国愛染十七霊場第6番
    福原西国三十三観音霊場第7番
    神戸十三仏霊場第11番
    神戸七福神(福禄寿尊)
    神戸六地蔵客番
    役行者霊蹟札所
    神仏霊場巡拝の道第72番(兵庫第7番)
文化財    木造十一面観音立像、絹本著色普賢十羅刹女像、
    本堂内宮殿及仏壇(重要文化財)
    不動明王立像、十三重石塔、
    当山歴代古記録2巻ほか(県指定有形文化財)
弘法大師像

お助け地蔵尊

青葉殿

地蔵尊

のじぎく地蔵尊

句碑 小河 六平
海の色 幾代わりして 梅雨の須磨

 

一畑薬師如来  (ひとはたやくしにょらい)

 
きんぽとん童子
『きん(金太郎のように健康で)』、
『ぽ(浦島太郎のように夢をもって)』、
『とん(敦盛のように心やさしく音楽を愛してほしい)』
との願いをこめて
子供を守って下さる『金浦敦童子』という事みたいです。

 
親子地蔵|家庭不和に泣く人のないことを願う
大正4年に須磨沖で家庭不和から起きた母子心中事件
で亡くなった川上愛子(母親)と初音(子供)の霊を慰め、
永く世の家庭不和に泣く人のないことを願って建立されました。
この悲劇は『須磨の仇波(あだなみ)』として
芝居や映画にもなり、
当時の人々が涙した家庭悲劇です。

 
五猿
見ザル、言わザル、聞かザル、怒らザル、見てごザルの
五猿です。
五猿の由来
ためにならない態度を見ざる
ためにならない事を言わざる
ためにならない話を聞かざる
ままにならない事を怒らざる
まんまんちゃんは
 善い行(おこない)も 悪い行(おこない)も 見て五猿

 
三重塔|四国八十八所お砂踏み

句碑
木の葉句会 二十七句

八角堂と境内

出世稲荷社とひとすじ辨財天

三重塔と出世稲荷社

石五仏

厄除け大師

八角堂内

案内図

書院

睡蓮と鯉

義経腰掛けの松

大師堂

手水

鐘楼 

釣られている梵鐘は「弁慶の鐘」の複製と

『撫で仏様』と写経輪堂

本堂

護摩堂

本堂前

本堂内

七福神マニコロ

『マニコロ』とは『マニ車』のことで、

主にチベット仏教で用いられる仏具です。
亀の上に『七福神』が描かれており、

手で回すと経典一巻を読んだことになると言われています。
亀の背中に乗って回しながら拝んで良いらしいですよw

わらべ地蔵(かわいい六地蔵さん)
「ナニ?ナニ?なんやてェー?」

みんなの願いごとに耳をかたむけて聞いてくださるお地蔵さま
「フーム、サテ、どないしたらええのやろ?」

いっしょになって考えて下さるお地蔵さま
「そうそう、やっぱり いっしょうけんめい拝んでみるこっちゃ」

いっしょに拝んでくださるお地蔵さま
「ほら、ええお知恵をさずかった。

この教えを宝ものにして 大切に守っていこう」
「サー、見事、解決!」バンザイ、バンザイ、

Vサイン いっしょに喜んで下さるお地蔵さま
「ヤレヤレ、一つかたずいた」

胸の荷をおろしてノビをするお地蔵さま 

本当にご苦労さまでした。 合掌

源平の庭
今から八百年前の平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面

を再現した庭

『須磨寺』は

平安末期の源平合戦で源氏方が陣を構えていました。
『源平合戦』の中でも最も有名な

『一の谷の戦い』の舞台として知られています

櫻寿院(おうじゅいん)
塔頭三院の一つで阿弥陀如来を本尊とし、

右の脇侍に大日如来と浪切不動明王、

左に弘法大師と秘鍵大師を奉祀する

龍華橋(りゅうげばし)

句碑 三好 兵六
夫婦とは なんと佳いもの 向かい風

漢詩碑 陳 舜臣

仁王門

句碑  正岡 子規
暁や 白帆過ぎ行く 蚊帳の外

『千手観世音菩薩(せんじゅかんぜおんぼさつ)』

ご利益は『災難』、『延命』、『病気治癒』などあらゆる

『現世利益』にご利益があり、

『難産』や『夫婦円満』、『恋愛成就』にも

功徳があるとされています。

弘法岩五鈷水|手水舎

『五鈷水(ごこすい)』とは手水舎です。

櫻寿院(おうじゅいん)

句碑  与謝 蕪村
笛の音に 波もよりくる 須磨の秋

ぶじかえる
ビックリしたい人は目玉を回して下さい。

借金に困っている人は首を回して下さい。

悩みが解消するかもしれません。

からくり時計
納経所の壁面に設置
毎時(午前9時~午後4時)に作動します。須磨寺にゆかりの人々が小坊主さんの読経と一絃琴のメロディーに合わせて登場します。平敦盛公、玉織姫、開祖聞鏡上人、在原行平公、松風村雨、源義経、武坊弁慶、熊谷直実、そして巡礼さん。

地蔵菩薩

 

8月23日(土曜日)

京都祇園の友達の居酒屋さん 吞み処食べ処 音 が

9月末でお店を閉めるって事で行って来ました。

9年間続けて来たのに、

やはりコロナの影響で行き詰ったみたいです

これで、知り合いの居酒屋さんは無くなってしまう。

残念ですΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)

 

先斗町(ぽんとちょう)

四条通
鴨川と納涼床
何処も外国の方でいっぱい!
南座
花見小路
八坂神社
吞み処 食べ処  音
鯵の南蛮漬け
万願寺とうがらし
名前忘れたw韓国風
天ぷら盛合せ
フライドポテト
この日は2時からのお客様があった・・・
後は始発まで店長知り合いのお店でw
カラオケw
音の店長とツーショットw
 
9月がラストなので、もう一度行こうと思ってます
 
今回も長い写真ブログ見て頂き、誠にありがとうございます。
大変感謝しております_(._.)_
 
まだまだ暑い日が続きますが、
お体十分ご自愛下さいね^^
 
じゃぁ、またね(@^^)/~~~
7月26日(土曜日)
関西花の寺25ヵ所も満願したので、一昨年東寺で知った
真言宗十八本山を今回から目指す
東寺で真言宗十八本山の御朱印帳を購入してたので、
先ずは第一番  四国香川の善通寺^^
 
真言宗十八本山(しんごんしゅう じゅうはちほんざん)は、
真言宗の主要な16派の総大本山である18の寺院のこと。
毎年1月8日から1月14日までの一週間、東寺にて後七日御修法(ごしちにちみしほ)を行っている。
元は各山の連絡・調整などのために作られたものだが、すべて有名寺院であるため、
専用の納経帳を作成し、人気の霊場巡礼ともなっている。
 
 
善通寺(ぜんつうじ)は、香川県善通寺市にある寺院。真言宗善通寺派総本山。
所在地    香川県善通寺市善通寺町三丁目3番1号
山号    屏風浦五岳山(びょうぶがうらごがくさん)
   香色山(こうじきざん)・筆山(ひつざん)
   ・我拝師山(がはいしざん)
   ・中山(ちゅうざん)・火上山(かじょうざん)
   の5つの山の麓にあることから命名された。
院号    誕生院(たんじょういん)
宗派    真言宗善通寺派(しんごんしゅう ぜんつうじは)
寺格    総本山
本尊    薬師如来(やくしにょらい)
創建年    (伝)大同2年(807年)
開基    佐伯善通
正式名    屏風浦五岳山 誕生院 善通寺
札所等    
   四国八十八箇所75番
   真言宗十八本山1番
   讃岐三十三観音礼参本山
文化財    
   金銅錫杖頭(国宝)
   一字一仏法華経序品(国宝)
   金堂、五重塔ほか(重要文化財)
公式サイト    総本山善通寺
境内は創建地である東院(伽藍)と、
空海生誕地とされる西院(誕生院)に分かれていて、
本尊は薬師如来、弘法大師三大霊場(他は高野山と東寺)
真言宗十八本山一番札所、四国八十八箇所第七十五番。

空海記念碑

七福神

満願修行大師

 

正覚門 と済世橋 

正覚門 - 1978年(昭和53年)建設。

パゴダ供養塔 - 1970年(昭和45年)8月15日建立。
金色の釈迦像が鎮座

聖天堂

光明殿

御影堂(大師堂)

手水舎

御影堂前回廊  全長9間。十二支の動物と鳳凰の彫物が上部に、

空海の生涯を表した17枚の絵が。

西院境内

 大師立像

御影池(みかげのいけ)

仁王門

善通寺塔頭観智院(安産・子育ての守護仏)

中門

金堂と五重塔

鐘楼

金堂

南大門

釈迦堂

釈迦堂と赤門

金堂

中門

五百羅漢

華蔵院(けぞういん)

睡蓮

仁王像

西院境内 

納経所

 

帰りには、徳島道の駅いたのでお買い物

暑かったのですだちフロートをw

冷たくて美味しかった^^

 

先日岡山日生に窓開けに帰った時、

備前市伊部の運動公園にドジャース山本由伸のマンホール蓋

観に行って来ました^^

少年時代、ここで練習してたそうです^^

 
真言宗十八本山一番遠かった善通寺行けて良かったです^^
次からは関西なので、ゆっくり参拝したいと思います。
最後には、和歌山高野山が待ってますw
 
まだまだ暑い日が続きますが、
こまめな水分補給で、お体十分ご自愛下さいね^^
 
ではまたね(@^^)/~~~