宇佐神宮の比賣大神は宗像三神。

神功皇后と同神であり、高良大社の神へと繋がる。

今回は、宇佐神宮の神について。

 

★目次

☆1 宇佐神宮
☆2 宗像三女神
☆3 八幡大神(応神天皇)
☆4 高良神
☆5 宇佐神宮の神

 

  宇佐神宮

 

宇佐神宮

左から御祭神 

一の御殿  八幡大神(応神天皇)

二の御殿   比賣(ひめ)大神

三の御殿   神功皇后

 

 

一の殿奥に、春日神、中央左寄りに北辰神(天御中主神)

三の殿奥に、住吉神の社があった。

 

 

  宗像三女神

 

二の殿の「比賣大神」は、「八幡宮御神徳記」によると宗像三女神。

市杵島姫命・多岐理姫命・多岐津姫命。

 

何度となく書いてるので、かいつまんで記載。

 

☆宗像三神は、一柱の神。

神話の女神天照が、一柱の剣を三つに折り、砕いて吐いた息から現れたとは、四柱は同神と意味している。

 

つまり、女神天照は、市杵島姫命=宗像神。

 

☆女神天照の別名、撞賢木厳御霊天疎向津姫の厳御霊は、厳島神社の神、市杵島姫命を示唆するものであった。

 

☆市杵島姫命は籠神社より、祭神の豊受大神。

天火明命と豊受大神が、絵馬では市杵島姫命と饒速日命となる。

 

豊受大神=市杵島姫命

 

☆大神神社の摂社の御炊社の神は御膳津神(みけつかみ)。

豊受大神と宇迦之御霊と同神。

 

饒速日命の后の御炊屋姫の名は、豊受大神を意味していた。

 

尚、「新撰姓氏録」には、宗形氏(宗像氏)の始祖は大神氏同祖、大国主神の六世孫とある。

(*後に詳細)

 

大神氏、大国主神=大物主神は大神神社の神。

宗像氏は三輪の大神氏と同族であった。

同じ神を祀るのである。


宗像氏は饒速日命を祀っていた。

宗像氏=大神氏であり、大神神社=饒速日命であった。

 

そして、宇佐神宮の当初の社家はその大神氏。


 

 

 

 

☆市杵島姫命は弁財天と習合。

御炊屋姫の社の櫛玉比売女命神社は、弁天様と呼称、土地の名も弁財天。

 

天河弁財天は、内宮の女神を勧請している。

弁財天=女神天照

 

よって、御炊屋姫=女神天照=豊受大神=弁財天=市杵島姫命となる。

 

 

*神社を追って行ったシリーズはこちら。

 

赤司八幡宮の宗像神とは、饒速日命の后の御炊屋姫。

 

「八幡宮御神徳記」によると

比賣大神の御神名を「玉依姫命」と申し上げるのは、

「靈憑姫命(たまよりひめ)」であり、神功皇后に神がかりした御神徳によるものと学者の間で謹解されている。

とある。

 

あくまでも玉依姫は、宗像大神。

神武天皇の母を意味するものではない。

 

大元山神社*宇佐神宮の元宮*大許山にある

 

 

  八幡大神(応神天皇)

もう一柱の八幡神は、応神天皇。

 

気比神社でツヌガアラシトと名を変えている。

伝承の「名を変える」は同神を示唆するもの。

 

八幡神=ツヌガアラシト(天日槍)
 

ツヌガアラシトは筑紫の伝承から、高良神とヒメコソ神社の饒速日命に繋がっている。

 

 

*上の概要

 

ツヌガアラシトはヒメコソ神を追って日本へ。

   ↓

ヒメコソ(七夕)社には饒速日命と栲幡千千媛(棚機神)。

☆親子で棚機の伝承は成立しないので、夫婦。

(親子で夫婦ではない。念の為)

   ↓

もう一つのヒメコソ社と同神と示唆する伝承。

栲幡千千媛=織女=市杵島姫命

饒速日命=高良神  

 

つまり、応神天皇=ツヌガアラシト=饒速日命=高良神となる。

市杵島姫命は饒速日命の后の御炊屋姫であった。

 

*神話での饒速日命=ツヌガアラシト

 

 

なお、「応神天皇」二人いると思われる。

彼らが皇祖神である天照であるから、その御子とされたのだろう。

 

  高良神

上記の高良神は、筑後国一之宮の高良大社の神。

「高良玉垂宮神秘書」によると、物部の神。

 

 

物部の神は饒速日命であり、数々の伝承からも彼に繋がった。

 

高良神の后は神功皇后。

彼は饒速日命であるので、彼女は御炊屋姫となる。

 

  宇佐神宮の神

 

よって宇佐神宮の比賣神の宗像三神と神功皇后は同神。

饒速日命の后の御炊屋姫、女神の天照となる。

 

八幡大神は、高良神である饒速日命。

 

高良神は、春日神、住吉神と同神。

饒速日命は北辰神(天御中主神)と同神。

 

よって、宇佐神宮に春日神、北辰神(天御中主神)、住吉神の社が祀られている。

 

 

宇佐神宮は第二の宗廟と「宇佐八御神徳記」にある。

しかし、「高良玉垂宮神秘書」によると、

仁徳天皇の時、高良大社は九州の宗廟であり、聖武天皇の時に宇佐神宮が創建され、宗廟を譲ったとある。

 

 

高良神は饒速日命であり、男神天照。

後の為政者により、天照は女神(のみ)へと変更。

(天照は本来二柱)

 

よって、宗廟が宇佐神宮へと移ったのだ。

 

 

宇佐神宮の姫神は宗像神であり、共に神功皇后が祀られていた。

宇佐の神とは、彼女なのだ。

 

 

 

 

尚、彼女の墓はおそらく高良大社の麓の祇園山古墳。

造営年が3世紀半ばであり、卑弥呼の時代。

 

 

神話の神である彼らの舞台は「奴国」=那珂川。

今に至る最高神。

 

よって当時の最大勢力は彼ら=邪馬台国。

 

 

また、彼女が「天照」であるので、魏志倭人伝の卑弥呼であるのは不思議ではないと思われる。

 

 

 

記事の写真は夜明けに行ったもの。

人がいない写真が撮れます。

下のは宇佐神宮から元宮の大元神社へ歩いた時のもの。

 

 

 

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