「新撰姓氏録」には、筆頭に「息長真人」の氏族がある。
彼の始祖は応神天皇。
神武天皇の名はどこにもない。
彼の母である神功皇后は高良神(住吉神)の后であった。
彼らは二柱の天照である。
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★目次
☆1 応神天皇が最初の天皇
☆2 母・神功皇后は高良神の后
☆3 饒速日命と大国主神
☆4 二柱の天照
☆5 ヤマトタケル命と武内宿禰
☆6 ☆A 応神天皇
☆7 ☆B 応神天皇*武内宿禰の子と互いの鳥の名を変える
☆次のを書くのに別説明が要りそうなので。
応神天皇が最初の天皇
「新撰姓氏録」には、左京皇別の(全部の)筆頭に「息長真人」の氏族がある。
始祖は「出自誉田天皇(諱応神)皇子稚渟毛二俣王之後也」
神武天皇の文字はどこにもなく、応神天皇。
素直に読めば、最初の天皇は応神天皇だということにはならないだろうか。
応神天皇は実在が確かとされ、4世紀後半(350年以降)~5世紀初頭と推測されている。
おそらく彼が最初の天皇では無いかと考えている。
母親とされる神功皇后は、祖神の天照となる。
彼女に繋げるということは、それを意味しているのではないか。
記紀では神功皇后と仲哀天皇との御子であるが、彼女の妊娠期間はあり得ない長さであり、事実でない事を遠巻きに示唆していると思われる。
仲哀天皇は存在してなかった。
そう思っている。
そして「応神天皇」は二人いる。
母・神功皇后は高良神の后
何度も書いてるので、かいつまんで。
(詳細は、各記事で)
彼の母親とされる神功皇后。
彼女は高良神の后であった。
彼は住吉神、春日神、鹿島神、志賀神、安曇磯良神とも同神。
その実、物部の祖神の饒速日命である。
物部氏の祖神は饒速日命。
同族の蘇我氏、平群氏、紀氏などは、武内宿禰を祖神としている。
これは「新撰姓氏録」にもある。
同族なので、祖神は同じ。
饒速日命=武内宿禰となる。
高良神が饒速日命。
その后が神功皇后。
彼は住吉神であった。
住吉大社でも、神功皇后と夫婦とされている。
住吉神の社の横に、他でもない彼女の社があるのがその証でもある。
饒速日命と大国主神
その高良神は饒速日命。
神代の神であり、最初の天皇の神武と大和譲りをしている。
しかし彼は、三輪神であり、大物主神、大国主神とも同神。
大国主神は、天照の天孫族側と国譲りをしていた。
大神神社
その直接の相手は、経津主神(ふつぬしかみ)と武御雷神。
経津主神は布津主神であり、石上神宮の饒速日命。
武御雷神は高良神と同神であり、饒速日命。
関係者はみな同神であった。
なお、天照自身も彼でもある。
天照に国を譲った大国主神。
神武天皇に大和を譲った饒速日命は同神なのだ。
二柱の天照
高良神である武内宿禰が、饒速日命。
彼は男神天照。
饒速日命の后の御炊屋姫は、女神の天照。
九州の宗廟が高良大社から宇佐神宮へと移ったのは、天照が交代したことを意味するもの。
その宇佐神宮に祀られる比賣神は、宗像三神と神功皇后。
宗像三神は、一柱の市杵島姫命=豊受大神であり、
御炊屋姫の名はそれを意味していた。
女神天照の別名は市杵島姫命を意味する。
神功皇后は高良神の后。
彼が饒速日命なので、彼女は御炊屋姫となる。
応神天皇が彼女の御子であることは、天照の御子であることになる。
皇祖神の直系という意味になるだろう。
彼らは天照=皇祖神であり、故に後の者と関連付けされている。
記紀の両書は女性天皇で終わり、彼女らは祖神*女神の天照である御炊屋姫=神功皇后との共通点があった。
また推古天皇の母方は蘇我氏。
祖神は武内宿禰=高良神=饒速日命。
女神天照である御炊屋姫はその后になる。
ヤマトタケル命と武内宿禰
仲哀天皇の父はヤマトタケル命。
推定、西暦100年頃の者。
推定4世紀後半の応神天皇がその孫とは、300年以上も離れている。
記紀のその間を「生きている」とされるのが武内宿禰。
彼は五代の天皇に仕え、300歳だと言われている。
300年というと、14代以上変わる期間だ。
(徳川幕府が260年で15代)
その間に五代しか経ていないとは、そこから矛盾している。
仲哀天皇との差異を埋める為の、300歳では無かったのか。
しかも彼は天照自身。
☆A 応神天皇*同神との示唆
応神天皇は、気比神宮で神と名を変えた。
これは同神と示唆するもの。
その相手は伊奢沙和気大神之命(いざさわけのみこと)=御食津気比大神(御食津神・みけつかみ)。
別名、ツヌガアラシト。
みけつかみは、御膳神=大神神社の摂社、御炊社の神。
豊受大神、宇迦之御霊と同神。
御炊屋姫はその名を意味しているが、饒速日命も歳神であり稲荷神、宇迦之御霊である。
また、ツノガアラシトはヒメコソ神を追って来た神。
二つのヒメコソ社から、饒速日命=高良神へと繋がる。
*上の簡単な説明です。
この「応神天皇」は、高良神であり、饒速日命ということになる。
もう一つ、「変えた」事象があった。
☆B 応神天皇*武内宿禰の子と互いの鳥の名を変える
「日本書紀」によると、応神天皇と武内宿禰の御子は同日に生まれている。
応神天皇の御子が生まれる時、産屋に木 (みみずく)が入ってきた。
武内宿禰の御子が生まれる時には、鷦鷯(みそさざい)が。
応神天皇はこの時言われた。
「私の子と大臣の子と、同じ日に共に生まれた。共にめでたい印であり、これ天つ表(しるし)なり。よって互いに鳥を取り換えて名をつけよう」(「日本書紀」岩波文庫 参考)
天つ表(しるし)は、天の意思と訳すことができる。
この意味を解いてみる。
武内宿禰は天照(饒速日命=高良神)であり、皇祖神であった。
☆Aの応神天皇は、その天照自身。
この時点☆Bの「応神天皇」は、実在の天皇であり、☆Aの者とは別人になる。
その上での
応神天皇の御子は、武内宿禰の御子と同じ日に生まれ、産屋に鳥が飛び込んで来た。
それは天の意思であり、互いの鳥の名を交換した。
神話伝承の「名を変えた」は同神になる。
この場合は、
「応神天皇の御子が、神である武内宿禰の御子としての存在と同等」という意味にならないだろうか。
彼らは皇祖神の天照だ。
何故、すんなりと彼らに繋がなかったのか。
それでも何故、今の世まで彼らはこの国の最高神であるのか。
この答えが神話の「矛盾」にあるだろう。
(つづく )
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小分けなので分かりやすいかもです
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